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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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国歌「君が代」 ~ 九州王朝「賀歌」 ~ 状況証拠

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古田武彦『奪われた国歌「君が代」』(情報センター出版局 2008/7/1)を読み始めた。例の如く、何故9年前の刊本を態々図書館に予約したのか思い出せないが、恐らく、タイトルの「君が代」に絡め取られたのだろう。一時期、北国の≪さくらの会≫で「君が代」に凝っていたことがあるから:
 
【古代史を新視点から読みなおす】-「君が代」は、本当に天皇を讃えた歌なのか?数奇な運命を辿った「国歌」成立の過程が、隠された「邪馬壱国」「九州王朝」をあぶり出す。独創的異説が絶対的な説得力をもって「定説」を凌駕する。教科書で学んだ古代史が、徹底的に覆される!

第一章 「君が代」はどこから来たか
第二章 「邪馬台国」はなかった
第三章 消された「九州王朝」

 
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予期に反して、「君が代」は三箇章の一つに過ぎなかった。しかも、国歌の歌詞、すなわち
 
≪君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで≫
 
の来歴に関する論考であって、音楽については、明治2年フェントンによる作曲が話の取っ掛かりとして簡単に述べられているだけであった。この英人による作曲は一般人の歌唱には適しないので普及せず、後に奥好義と林廣守の付けた曲が現在の国歌になっている。
 
というわけで、肩透かしを食ったのだが、内容は面白かった。「君が代」は、もともと九州王朝の賀歌であったという著者の説は詳しく述べられており、それなりに筋が通っている。しかし、結論が先にあって、それを論証しているようであり、証拠から結論が導かれているとは思われず、言わば仮説の域を出ない観がある。

これに対し、≪第二章 「邪馬台国」はなかった≫は迫力がある。魏志倭人伝など原典の読み方が素人目にも厳密、合理的に映る。「邪馬台国」の台のもと字「臺」は日本の学者が大和史観に合わせて書き換えたもので、原典にある通り「壹」の字が正しいと論証している。つまり≪やまいちこく≫というわけだ。

大陸(朝鮮半島)から邪馬壹国に至る行路里程の問題についても、邪馬壹国九州説を見事に論証している、と素人なりに納得したのだが、学界ではいまだに近畿説が主流のようだから、当方としても即断はできない。

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