浦島伝説は子供の頃から知っているが、それは絵本を見ただけの知識であり、あるいは童謡・唱歌を聞き覚えただけである:
尋常小学唱歌「浦島太郎」 作詞乙骨三郎?/作曲者不詳
昔昔(むかしむかし)、浦島は
助けた亀(かめ)に連れられて、
龍宮城(りゅうぐうじょう)へ来て見れば、
絵にもかけない美しさ。
乙姫様(おとひめさま)の御馳走(ごちそう)に、
鯛(たい)や比目魚(ひらめ)の舞踊(まいおどり)、
ただ珍(めずら)しくおもしろく、
月日のたつのも夢の中(うち)。
~
その元となる説話が、古くから歴史書などに記述されていることを後に知っても、それを読む事は無かった。
最近、図書館から借りて読んだ本に面白い解説があった:
三浦佑之/著「古事記学者(コジオタ)ノート 神話に魅せられ、列島を旅して」(青土社 2017.1)
「古事記」が神々の性行為を大らかに書き流していることに絡めて、唱歌「浦島太郎」の歌詞~鯛や平目の舞い踊り~に説き至る部分(49-50ページ):
≪蓬莱山に行った浦島子と異界の仙女との交わり 『続浦島子伝記』(漢文)
~二人は一つのベッドに入り、玉のような体を撫で、細い腰をやさしくいたわり、、、、、、
まるで比目(ヒラメ)の魚が並んで泳いでいるような楽しさであり、鴛鴦(オシドリ)が心を一つにして遊ぶような夢心地であった。その押したり引いたりするさまや伏して抱き合う姿というのは、古の尊い教えの通りであり、、、≫
三浦先生の訳文中≪比目(ヒラメ)の魚が並んで泳いでいるような楽しさであり、鴛鴦(オシドリ)が心を一つにして遊ぶ≫の原漢文は
魚比目之興、鸞同心之遊
であって、性交体位の表現であるという。そして、その意味するところを具体的に古典から引用して見せる:
魚比目 男女が並んで横になり、、、、、
燕同心 女を仰向けに寝かせ、、、乗っかって、(燕は鸞に同じ)
その出典は『医心房』巻18第13章(性交体位30通り)であるという。この『医心房』は、説明により『医心方』(Bald's Leechbook ボールド医典~世界最古級の医学書~医心方 2017/3/30(木))であることは明らかである。
三浦先生曰く≪これは平安貴族たちの閨房指南書の役割を果していたが、近代の粗忽な学者が早とちりして「鯛(たい)や比目魚(ひらめ)の舞踊(まいおどり)」という尋常唱歌が作られた≫。
作詞者をからかっているのだが、思うに、近代の学者の早とちりではなく、子どもたちの歌であるから、露骨な表現を避け、翻案したものではないか。
なお、「浦島太郎」の表記は近世以降に用いられ、古くは「浦島子」だったとのことである。