朝日新聞の夕刊に幻惑的な文章を見た:
(風景をたどって4:3)蝶か夢か、逗子の恍惚
泉鏡花は20代の終わりと30代の初めの2度、体調を崩して現在の神奈川県逗子市で療養生活を送った。~
「春昼」「春昼後刻」は前後編を成す。周到に用意された白昼夢のような幻想譚(たん)で、蛇、水、謎めいた美女、ドッペルゲンガー(自己像幻視)といった鏡花特有のモチーフが総動員されている。舞台となったのは岩殿寺、鏡花は逗子にいる間この寺をよく訪れていた。
2月のとある午後、逗子駅から10分ほど歩くと本堂に続く石段があった。うっそうとした山に、何の鳥か甲高い声がよぎったのは気のせいか。本堂のそばに鏡花寄進の池があった。緑がかって見える水面は、鏡のように動かない。
うろうろしていたら年配の女性に声をかけられた。訪問の了承は電話で得ていたが、名を聞きそびれ、とにかく出かけることにしたのだった。
女性は私を部屋に通し、坂東三十三観音第二番札所、1300年の歴史があるという寺のことを語ってくれた。快活な人である。慌てて尋ねれば洞外(どうがい)久子といい、亡くなった先代住職の妻であった。
池のことに話が及ぶと、鏡花の妻だったすずが訪ねてきた折に会ったという。「芸者さんだった人でしょ、あでやかでね、水色の帯で」。驚いて年を聞く。私? 今年93歳、奥さんに会った唯一の生存者、と笑った。見た目も声もとてもそうは思えない。~
初めに一読した時、≪2月のとある午後~≫のくだりが鏡花の体験であるかの如き幻覚に襲われた。記者の訪問記であることは直ぐに解るのだが、第一印象は消えない。鏡花の幻想・伝奇小説の雰囲気が記者の作文に伝染したか、あるいは、記者が意図的に幻覚効果を醸し出すべく、巧みに作文したか。
それにしても、泉鏡花の妻に会ったことのある人が御存命だとは。しかも、そのお方がご高齢を感じさせない容姿だと聞くと、それこそ鏡花文学の世界そのもののようだ。
と思ったのだが、鏡花の生没年(1873 - 1939)を確認してみれば、そう驚くほどのことでもないという気もする。彼は明治時代の人のように思っていたが、昭和14年に66歳の誕生日の2か月前に亡くなったのだ。
妻すずの生没年は1881 – 1950 で、鏡花より2年ばかり長命だったと知ると、如何にも似合いの夫婦だったと思われてくる。
彼女が最晩年に岩殿寺を訪れたとして、当時30歳だった人は現在97歳となる計算だ。上記先代住職の妻、洞外(どうがい)久子さんは93歳だから、当時26歳。すずさんの来訪が最晩年よりも前、1945年であれば、久子さんは21歳、十分に出会いはあり得たお年頃だ。
ところで、記事中≪逗子駅から10分ほど歩くと本堂に続く石段があった≫というが、地図検索によれば、逗子駅から寺までは徒歩で≪2.21キロ、26分≫である。何か不自然だな。石段から本堂までが長い道のりなのか。それとも、これぞ鏡花の世界に迷い込んだ証しか。