「琵琶湖周航の歌」は、年配の人なら大概お歌いになるが、歌の由来については余り御存知無い方が多く、むしろ誤解している方が多い。先日も某所の老人向けの歌う会で、≪悲しい歌だ≫とか≪遭難事故の歌だ≫とか百家争鳴の風だった。
ボート遭難に関連付けた人は、知識豊富な部類に属するだろうが、正確ではない。該当する事故は、1941年4月6日に第四高等学校のボート部員ら11名が琵琶湖遠漕中に遭難し死亡した件に違いないが、「琵琶湖周航の歌」はそれよりずっと先に成立している。ウィキペディアによれば、≪1917年(大正6年)6月28日成立(作詞:小口太郎、作曲:吉田千秋)、1933年(昭和8年)初版レコーディング≫というから、事故の四半世紀も前のことだ。
琵琶湖遭難事故の発生した日≪4月6日≫は、暦のサイトによると、
≪寒の戻りの特異日 寒の戻りが起こる確率の高い日。 寒の戻りとは、春になって気温が上がる時期に突然やって来る寒さのことで、大陸からの寒波・北東気流による冷え込み・移動性高気圧による夜間の冷え込み等によって起こる≫とのこと。
気象庁の統計データを見ると、確かに4月上旬に低温に見舞われる年が多い。
では、事故のあった1941年の実況はどうであったか、気になって調べてみた。ボート部員らは今津の浜から出発したとのことだが、近傍で当時のデータの残るのは彦根なので、その一部を転載する:
彦根 1941年4月(日ごとの値) 主な要素
4月 降水量(mm) 気 温 (℃) 平均 最大風速(m/s) 最大瞬間風速 日照
日 合計 1時間 平均 最高 最低 風速 風速 風向 風速 風向 時間(h)
1.9 | 0.8 | × | 7.0 | 9.8 | 4.6 | 8.0 | 11.3 | 北北西 | 16.2 | 北北西 | 7.8 |
平均気温を見ると、数日前から上昇傾向があったが、6日当日から急降下している。翌日の最低気温が0.5℃まで下がっている。風のデータは更に明瞭で、遭難の直接原因であったことを裏付けているようである。気温とは裏腹に、風の状況がボート漕ぎには相応しくない方向に変化しつつあったことを示している。降水量を見ると、菜種梅雨の様相だが、当日の雨量は少なく、日照時間から見て、概ね晴天だったようだ。
当時、彼等が気象データを入手していれば、遠漕には乗り出さなかったかも知れないが、これは後知恵というものか。ちなみに、事故前数年間の同時期のデータを見ると、やはり低温・強風の傾向が現れている。血気盛んな往時のエリート学生たちは、その程度のことは承知の上だったのだろうか。
(データ表がどうしても当欄には表示できない。辛うじて4月6日の分のみ挿入できた。試みに、末尾に添付してみる。やはり、上手く行かないようだ。)