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梅雨の晴れ間~日の光(北原白秋)~日光の(多田武彦)

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今年に入って、北国のさくらの会で、混声合唱組曲『柳河風俗詩』(北原白秋作詞、多田武彦作曲)の中の「梅雨の晴れ間」を練習している。あと2週間ほどでコンサート本番、ア・カペラで歌うことになっている。
 
前の「柳河」の時もそうだったが、百年以上も経た歌詞は今のお年寄りでも理解に手こずるので、参考資料として若干の解説を付して、詩の原文を印刷、配付した。
 
数日前、その資料に目を通していて、“ミスプリ”に気付いた、と思った。「梅雨の晴れ間」第7行(第2節第3行)が“青い空透き、日の光”となっていたのだ。歌い慣れた(と言うより、聞き馴れた)歌詞は“青い空透き、日光の、”だ。
 
資料は今評判の悪いコピペで作成したから、ミスプリを犯したのは引用元サイト(青空文庫)の入力者ということになる、と思った。
 
何か釈然としないまま数日が過ぎて、やはりそのまま捨て置く事が出来ず、詩の原典に当たってみた。ただし、白秋の詩集『思ひ出』の原本となると、図書館での閲覧にも手間、暇が掛るので、取り敢えず、信頼できる全集もので間に合わせた。
 
『白秋全集 2』(1985.4.5発行 岩波書店)が『思ひ出』の巻である。「柳河風俗詩」の「梅雨の晴れ間」は、255頁から 256頁にかけて掲載されている。問題の第7行は“青い空透き、日の光”となっている。我が資料のミスプリではなさそうだった。
 
念のため、複数ある刊本の間の本文異同をまとめた「校異」のセクションにも目を通したが、“日の光”については記載が無かった。権威ある岩波本でここまで調べれば十分だろう。
 
「梅雨の晴れ間」の原詩で“日の光”となっているものが、楽曲として世に出る時に“日光の”と変わったのだ。(出版過程の)単純ミスなのか、作曲者・多田武彦による意図的な改変なのか、既に誰かが解明済みだろうか。
 
第7~8行は次の通りだ:
 
青い空透き、日の光、
七寶(しつぽう)のごときらきらと、化粧部屋(けしやうべや)にも笑ふなり。
 
“日の光”を“日光の”に変えると、歌う際に“にっこうの しっぽうのごと”とライミング効果が発現する。それも一興だが、まさかそのためだけに原詩を書き変えるとも思われない。
 
インタネット公開されている合唱音源を幾つか試聴したところ、すべて“日光の”と歌っていた。面白いことに、そのようなサイトに付記された歌詞が“日の光”となっている場合がある。歌詞をコピペしたことが明らかだが、異同に気付かなかったようだ。
 
“日光の”と正しく入力されたサイトも勿論ある。コピペの際に、気を利かして訂正したのかも知れない。実は、当管理人も、一旦は訂正したのだ、恥ずかしながら。
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東島/与那覇「日本の起源」~天皇推古起源説~目次で読める

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東島誠・与那覇潤「日本の起源」(atプラス叢書05、太田出版 2013/8/29)を読み始めた。出版社のキャッチコピーは次の通り:
 
古代の天皇誕生から現代の日本社会までを貫く法則とは? 歴史学がたどりついた日本論の最高地点。
いつから私たちは「こんな国、こんな社会」に生きているのだろう。どうしてそれは変わらないのだろう。
 
図書館に予約したのはいつだったかも思い出せないが、大変面白い。未だ第1章の途中で、天皇制が話題の中心である。歴代天皇の事績を綴る史書ではなく、天皇(制)の性格をどう理解するかを最新の研究成果に基づいて科学的に語っており、実に新鮮な印象を受ける。
 
天皇制の起源は推古女帝(の時代)にありとの見方は、説得力がある。偶然だが、一昨日の中西説“聖徳太子暦”と時代的に重なるところが興味深い。政治史と思想史とは、絡み合って展開しているということだろうか。
 
目次を眺めるだけで論旨が想像できることも、この本のユニークさである。つまり、目次が、単に事項名を列記するだけでなく、著者の見方を反映する表現を取っていることだ。というわけで、安直ながら、目次をコピペする:
 
第一章 古代篇
起源の天皇は女帝だった/豪族チャンピオンとしての大王/「聖母卑弥呼」は存在したか/科挙を生まなかったマルチタレント登用/はやり歌による革命と桓武天皇の純血作戦/唐物グローバリズムとクールジャパン政策の起源/平安京荒廃が生んだ「かのように」の論理/『芋粥』に見る官治国家の起源/院政がリセットした「二五年間同一内閣」/「空虚な中心」を囲んだ家産官僚/令外官の増設は温泉旅館形式/古文書が語る『文字禍』の世界
 
第二章 中世篇
バッファーの多すぎる国/イエ制度は自然ではない/三国志としての源平合戦/東西分割統治と道州制の起源/戦後歴史学が求めた統治権の理想/貞永式目はマグナ・カルタか/元寇が領域国家の起源/南北朝は何を転換したのか/未完のプロジェクトとしての「江湖」の観念/一揆の傘連判は「空虚な中心」/印判状が作った近代行政の起源/中途半端だった義満と信長/ポピュリスト秀吉と起源のクリアランス
 
第三章 近世篇
東アジアと日本の動乱はつねにリンクする/徳川氏がコピーした皇祖皇宗の神話/中世を終わらせた元禄時代/忠臣蔵はブラック企業の起源/歴史は進歩か、反復か/武家社会が作った「失敗の本質」/公共事業入札と復興予算流用の起源/享保の飢饉が生んだ自己責任論/「災害ユートピア」は現出したか/江戸が示したアソシエーショニズムの限界/アウトローだけが自律する社会/「四民平等」幻想からこぼれ落ちるもの
 
第四章 近代篇
幕末は不真面目な改革の起源/西洋化できずに中国化した明治/「市民」を探した丸山眞男の苦悩/荻生徂徠から進歩しない論壇/元老制はバッファー政治への回帰/議会政治は二党制よりも二頭制/都市を食べさせることに失敗した政党政治/さも自然を作為する社会/日本文化論と「古層」の永久運動
 
第五章 戦前篇
第一次世界大戦に起源を見る/大正デモクラシーは議会制不信の起源/天皇に独占された一般意志/アジア主義に可能性はあったのか/儒教を使いこなせなかった日本人/江戸時代に回帰した「田舎臭いファシズム」/総力戦体制も律令以来の背伸び/古代をも下回った「無責任の体系」
 
第六章 戦後篇
敗戦まで続いていた権門体制/挫折した「天皇に代わるもの」の夢/ウィキ版『太平記』としての歴史論争/日本を変えなかった高度成長と六八年/「大きな物語」の終わりと「津波てんでんこ」のはじまり/八〇年代が隠蔽した長い江戸時代/混乱の平成へ、そして歴史学は何をすべきか
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梅雨の晴れ間“日の光”~多田武彦~紺屋のおろく“入日に”

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一昨日(2014/5/6())取り上げた「梅雨の晴れ間」の歌詞中“日光の or 日の光”問題について、参考となる情報が有った。
 
サイト“多田武彦〔タダタケ〕データベース。”において、次のような解説が為されている:
 
混声合唱組曲「柳河風俗詩」(作詩:北原白秋) 作品について   詩との相違
『紺屋のおろく』の終盤において、当初は「赤い夕日にふとつまされて」という歌詩で作曲された。ただ、原典では「赤い入日に」となっており、のちに原典どおりの形に改訂されている。
 
のちに原典どおりの形に改訂”されたという事実に鑑みれば、多田氏は原詩を尊重する立場であると思われる。したがって、“日光の”は、“日の光”を単純に取り違えたものと見てよいだろう。
 
紺屋のおろく
 
にくいあん畜生は紺屋のおろく、
猫を擁えて夕日の浜を
知らぬ顏して、しやなしやなと。

にくいあん畜生と、擁えた猫と、
赤い入日にふとつまされて
瀉に陷つて死ねばよい。ホンニ、ホンニ、……
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ヴェゲナー《大陸移動説》~コールハーゼ~樫の木

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大陸移動説を初めて聞かされたのはいつだったか、はっきりとはしないが、多分、中学校に入りたての頃だろう。かれこれ六十年も前のことながら、“世界地図に見る大陸を寄せ集めると、輪郭線が互いによく接合する”というような説明に、ある種のロマンを掻き立てられたものだ。
 
直観的レベルでの大陸移動或いは大陸分裂の仮説は、かなり古くからあったらしい。それを科学的に学説として確立したのがウェゲナー(ドイツ人だから、ヴェゲナーが適切か)で、その著作の邦訳「大陸漂移説解義」があることを知ったのはこれまたいつの頃か不明だ。
 
その現物を古書市で目にしたのは、ここ10年以内のことだ。大いに興味をそそられたが、蔵書スペースの余地が無く、買わなかった。北田宏蔵 著、古今書院発行のこの本の古書価を調べると、さほど高くないことが判った。発行時(1927.1)、かなり売れて、今でも流通があるらしい。
 
ヴェゲナーについて、太田浩一氏(物理学者)が「それでもそれは動く」と題するエッセーをUP3月号に寄せている。該博な知識に基づく簡潔なエッセーは、読み流して頭に入るものでもないが、ヴェゲナーの劇的な死の記述が印象的だった。
 
彼は地球物理学者にして探検家であった。三度目のグリーンランド探検(1930年)で、仲間の救援に赴き、11月1日に五十歳の誕生日を祝った後、帰途に発ったが、数日後に雪嵐に呑み込まれたらしいことが翌1931年5月に判明した。彼は今もその氷の中に眠っているのだと言う。
 
ヴェゲナーは科学史上必ずしもビッグネームとは言えない。大陸移動説が当初学会で嘲笑の的であったことが影響しているのだろうか。彼の妻は1992年に百歳で亡くなったそうだ。
 
話しは飛ぶが、ヴェゲナーは1880年11月1日、ベルリンのハーフェル河中の島で、シンドラー孤児院院長の息子として生まれた。その3世紀前、やはり中の島にハンス・コールハーゼなる男が住んでいた。
 
隣人に愛される善良な公民であったが、支配階級の悪行、専横に怒り、反逆者となり、車裂きの刑に処された。彼の名はコールハーゼンブリュッケとして残り、次のような銘板を取り付けた街路樹が残っているそうだ:
 
“コールハースの樫の木は枯れてしまった、十五世紀にさかのぼる古いコールハースの樫の木の場所に、1873年スダンの日に植えられた”
 
スダンの日云々が何を意味するのか知らないが、ここは“樫の木”に注目しよう。今ボランティア・グループで歌っている「さびしいカシの木」(やなせたかし/木下牧子)を思い出させるから:
 
山の上のいっぽんの
さびしいさびしい
カシの木は
今ではとても年をとり
ほほえみながら立っている
さびしいことに
なれてしまった
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CD《イマージュ13(トレーズ)》~忘れた頃に届く~検索の罠

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図書館から“御予約の資料が御用意できました”とEメールが届き、資料名を確認すると、「イマージュ13(トレーズ)~エモーショナル・アンド・リラクシング」(ソニー・ミュージックディストリビューション)だった。
 
CDであることは明らかだが、一向に身に覚えが無い。予約したのは確からしいから、とにかく受け取りに行き、収録内容を一瞥した。大概はこの段階で予約目的を思い出すのだが、今回は皆目見当がつかなかった。が、これも何かの縁と、持ち帰り、役に立ちそうな演奏が入っていればPCに取り込むことにした。
 
ライナーによる説明では、“リラクシング系コンピレーション・アルバムの代名詞として親しまれる『image』シリーズの第13弾。小松亮太による映画『グスコーブドリの伝記』のメイン・テーマなど、感動的な作品の数々を収録”したCDだ。TV番組やヴィデオゲームの主題歌が多く、結局、次の3曲を残すことにした。
 
花は咲くMembers from The Little Singers of Tokyo(NHK「明日へ」東日本大震災復興支援ソング) (04M34S)
 
私のお父さん (02M24S) ジャッキー・エヴァンコ
 
ふるさと(文部省唱歌) (03M20S) ペルニカ・トリオ
 
それにしても、何故このCDなのか、依然胸のつかえが下りない。もう一度丹念に曲目をなぞると、《ネッラ・ファンタジア (04M27S) イル・ディーヴォ》が浮かび上がった。
 
“イル・ディーヴォ”の名は、初めから気付いていたが、曲名《ネッラ・ファンタジア》に全く覚えが無いので、無視していたのだ。
 
突然、推理の糸口が見えてきた。“イル・ディーヴォ”と《花は咲く》の組み合わせなら、先般かかわった覚えがある。ここまで来ると、事の真相は忽ち明らかになった。“イル・ディーヴォ”の歌う英語版《花は咲く》の音源を検索した時に、このCDがヒットしたのだ。
 
勿論、“イル・ディーヴォ”の歌う《花は咲く》が目的だったのだが、検索エンジンは単に、両方の単語が含まれる資料を見付けてくれただけだったのだ。そこまでは確認することなく、図書館に予約を入れたまま月日が経ち、当方の記憶も薄れてしまった、という次第だ。
 
それにしても、このCDが御用意できるまでに何か月も掛ったのは気になる。在庫状況を見ると、2冊あるが、どちらも貸し出し中で、更に予約待ちの状態であった。人気の理由は何か。
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伝統犬ぞり~組み合わせ~最先端装備

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朝日新聞の夕刊に“伝統の犬ぞり北極快走 研究者乗せ 薄い海氷で活躍”の見出しでグリーンランド犬の記事が載っている。
 
“グリーンランドで、すたれつつある先住民伝統の犬ぞりが、日本人研究者に見直されている。~人を乗せて広い範囲に移動でき、薄い海氷にも近づける利点を役立てようとする試みが始まった。~
 
 地球最北の村までスノーモービルを運ぶのは難しく、薄い海氷上を走るのも危ない。~9頭のグリーンランド犬が横一列に並び、~4人と荷物で約500キロになったそりを引っ張り~時速10キロほどで走行~”
 
研究者2人、犬ぞり御者、記者の4人とそり本体、荷物で約500キロの重さだということだ。零下30℃の厳寒の地だから、防寒装備の重さは一人当たり10キロほどになるだろうか。
 
観測機材などを差し引くと、そり本体は随分軽いものと想像される。低温強度に優れた軽量素材で作られているのだろう。
 
グリーンランド探検隊に参加し、気象の観測や研究を行っていたヴェゲナー(2014/5/10())も、遭難した時は犬ぞりを使い、グリーンランド人の助手を伴っていたという。
 
当然、伝統のグリーンランド犬ぞりだっただろうが、装備の性能は現在最先端のレベルから見れば、随分劣っていたことは間違いない。遭難前の行程で、仲間の一人が凍傷の足指10本をペンチナイフで切断されたと記されている。
 
彼の遭難現場は、約半年後の夏に、雪上車が動いてから発見された(太田浩一氏による)。
 
上記記事は、伝統の技が、先端技術との組み合わせで価値を見直された一例と読める。
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なくてはならぬウメボシ~無くてもよい「ウメボシジンセイ」~幼果解剖

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みんなの歌「ウメボシジンセイ」(原詩 尋常小学読本巻五「うめぼし」、補作詞 大島亜佐子、作曲 櫻井映子、編曲 久 隆信)に取り組み始めたのは一昨々201112月の事と記録されている。ほぼ2年半経ったわけだ。
 
歌詞については少し物足りなく感じているが、内容的には大いに気に入っている。年間通じて歌えるのも有難いし、明るいメロディーはコンサートの途中での気分直しに適している。ところが、最近歌う機会が無い。
 
ボランティア・グループの練習新曲として他の歌と共に推薦し、丁寧に説明(2回も)したのだが、反応は鈍く、結局お呼びではなくなった。原詩では“しわはよつてもわかい気で、小さい君らのなかま入、うんどう会にもついて行く。ましていくさのその時は、なくてはならぬこのわたし。”と歌われるウメボシだが。
 
既知の歌を斉唱することに安住している人の多いグループだから、この結末は予想出来なくも無かったのだが、拍子抜けの態だ。
 
しかし、「ウメボシジンセイ」の歌詞のお蔭で、四季折々、梅の木の様子に目が向く。今は、“五月六月実が生れば”ということで、結実状況を観察する。いつの間にか、しっかりと実が着いている。
強風の後は、予想通り未熟果が落ちている。ご近所の寺の紅白梅の実を45個ずつ拾ってきた。
 
洗って、うち1個を解剖してみた。台所包丁で危なっかしく割ったり、果肉を削いだりして、構造を確認、撮影した。序に味見もした。果肉は、酸味は殆ど感じられず、苦味が勝っていた。熟果では固い殻となる組織は未だ柔かだ。仁も当然未熟で、薄い表皮に包まれたゼリー状の中身が確認できた。アロエの葉肉のようだ。このゼリーは舌にピリリと刺激を与える。
 
残りの梅の実はカリンの蜂蜜漬けのビンに混ぜ込んだ。どうなることやら。イメージ 1イメージ 2イメージ 3イメージ 4 

北国冷初夏~コンサート直前~場外市場

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初夏の北国秋田で歓喜、ではなく、寒気に迎えられた。夏服、コート無しの軽装を後悔。今朝の最低気温は一桁台まで下がった。ひと月前は半袖姿も見受けられたように思うが。まあ、天気相手だから、風邪をひかないように気を付けよう。明日は大事なコンサートだ。
 
今回は支障あって参加できないメンバーが続出、元々小さいグループが更に小さくなり、6名(F4、M2)で歌うことになった。気の毒がって指揮者(普段はピアニスト)も秘かに歌ってくれるとのこと。ただし、ソプラノ、メゾソプラノ各パートを行ったり来たりするので、混線するかも、と軽い脅し付き。
 
 昨日は2時間ほど、直前リハーサルに相当する練習をした。本番同様の仕上がり具合を予定していたが、そうは問屋が卸さなかった。最難物は「梅雨の晴れ間」だ。一旦迷ったら、道に戻るのは至難だ。節目の所まで口パクでやり過ごすことになる。
 
何となく意気上がらない雰囲気だったな。かと言って、気が進まない訳でも無さそうだ。ヴェテラン揃いで、精神的ゆとりが有り過ぎるのかもしれな
い。つまり、緊張感に欠けるということか。本番に強い、というデマを信じよう。
 
寒々と小雨降る早朝のホテル前、庇の下で学生たちが体操している。大会があるとかで、全国から精鋭が集まっているらしい。
 
市民市場まで散歩した。こちらも庇の下で近郊農家が小さな売り場で野菜、花卉、山菜を商っている。綿着にくるまって店番のお婆さんもいる。客は疎ら。
 
大きなナガイモを買った。岩手だか青森だか、とにかく他県産だ。長過ぎてスーツケースに収まらないので半分に折って貰った。当然、切り口は劣化するが、止むを得ない。当地で消費してしまおうか。もともと生で食べられるものだし。
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無上の音楽~竹刀の響き~音の快感

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スポーツ(運動、競技、試合)と音楽とは相性が良い。舞踊となれば、音楽と不可分のように思える。パントマイムは舞踊かな、演劇かな? 音楽(リズム)に合わせて体を動かすと調子が良い。逆に、体を動かしていると鼻歌が出て来ることも普通だ。
 
音楽学校では体育が重視されているとも聞く。演奏には体力が必要だからかも知れないが。いずれにしても、運動と音楽とが相互に役立つ関係にあることを思わせる。
 
そこへ、運動と音楽とが並列ではなく、一体であるとの認識の登場だ。ある旧制高校寮歌愛好会の報文に記されたもので、昔の人の“竹刀の響は無上の音楽”だと言うのだが、“竹刀の響”は撃ち合い(搏撃?)から生じる“音”だから、運動そのものではないよと諭されそうだな。
 
運動から生じるリズミカルな音の響きは確かに音楽に近いだろう。“無上の音楽”と称えるのは、音楽の中の最善を意味するわけではなく、“この上ない喜び、快感”というほどの意味だろう。
 
それも、好きな剣道(撃剣とも)を竹刀の響き、すなわち音で象徴させ、音の喜び、音楽と結びつけたものだろう。
 
オートバイ乗りには、重厚な排気音が無上の音楽であるかも知れない。工員さんには機械の運転音が、パチンコ好きには玉の騒々しい流れが、学生さんには先生の単調な講義が、無上の音楽、とは言えないか。
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水ぐるま~松島彝(つね)~おうま

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イメージ 1先日の北国のコンサートで歌った北原白秋/多田武彦「梅雨の晴れ間」に“まわせ まわせ みずぐるま”が繰り返し出てくる。“みずぐるま”は“水車”で、今では“すいしゃ”と読むのが普通だ。有名な愛唱歌 清水みのる/米山正夫「森の水車(すいしゃ)」は1942年の発表だから、この頃は既に“水車(すいしゃ)”が普通の読みになっていたのだろうか。 
 
尾上柴舟/松島彝「水ぐるま」という歌がある。こちらは読みが示されている。発表は1923年だ。「みずぐるま」が動力として現役だった頃は、歌の材料として人気があったらしく、同名の曲が少なくない。明治から昭和に掛けて満遍無く作られているようだ。
 
尾上柴舟の「水ぐるま」は次のような歌詞だ:
 
一 のぼらば瀧につづくらむ  岩切りとほし行く水の
  流のきしに小屋見えて   あやふくかかる水車。
二 ただかりそめの板ぶきに  のせたる石も苔むしぬ
  閉さぬ窓より見入るれば  守り居る人はまだ若し
三 ~ 五
 
作曲の松島彝は、今は“松島つね”と書くようになった。あまり有名ではないが、音楽史上は大変に重要な人物であるようだ。ウィキペディアなどに解説があるが、女性としては日本初の職業的作曲家であったらしい。勝ち気な性格その他の事情で作品が世に知れることが少なかったようだが、童謡「おうま」は、誰でも知っているのではないか。彼女の先の戦争直前の作曲だそうだ。
 
「あかいとりことり」(北原白秋)にも曲を付けたという。実際、松島の作曲としている音源も公開されている。しかし、成田為三の作曲とされているメロディと同じだ。混同されているようだ。改めて調べてみよう。
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佐藤春夫~没後五十年記念講演会~秋刀魚の歌

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時々気紛れに文化講演会の様な行事に足が向く。
 
 目白台図書館 「知層発掘講座Ⅸ」 佐藤春夫・没後五十年記念講演会
『文京区関口台町の邸に住まいして』
日時 : 524日(土)午後2時~330
内容 : 佐藤春夫その人、関口台町で過ごした37年の足跡
講師 : 辻本雄一氏(新宮市立佐藤春夫記念館館長)
 
文学には無縁の当管理人が出掛ける気になったのは、春夫が区歌の作詞をしていること、彼の没後50年に因んで区歌を歌ったこと、古い知人(生きていれば百何歳)から春夫との交流を聴かされていたことによる。
 
講師は丁寧な史料を用意してくれていて、これは今後活用できそうだ。興味深い事実を幾つか教えられた。春夫は生涯4人の妻を持ったらしいが、最も有名な、本命にして最後の夫人千代の前の3人目の夫人は秋田出身の芸者だったという。小田中タミというその女性とは約6年間の婚姻期間であった。その前から春夫は千代に思いを寄せていたというから、大した強者だ。
 
春夫の文学作品など一つも読んだことが無かった。かの有名な「秋刀魚の歌」を今日初めて“全文”読んだ。講師の朗読を聴きながら。秋の味覚を讃える歌だとばかり思っていたが、全く見当違いであることを知った。千代に寄せる想いを詠んだのだった。
 
その中に、“(女の児は)父ならぬ男にさんまの腸(わた)をくれむと言ふ
にあらずや。”
なるくだりがある。
 
講師によれば、ここの解釈は難しく、(女の児は)“腸(わた)をくれ”と言っているとも、“腸(わた)をあげる”と言っているとも取れるのだそうだ。
 
しかし、当管理人的には、“腸(わた)をあげる”と言っているという意味にしか取りようが無い。“腸(わた)をくれ”という解釈は如何にして可能なのか、質問したかったが、時間が無さそうなので我慢した。後で文献に当たってみよう。
 
余談だが、“秋刀魚”なる表記法は、この歌によって一気に普及したのだそうだ。夏目漱石は“三馬”と書いたそうだ。
 
(京都の)臨川書店版佐藤春夫全集の別巻第2巻に、春夫の作詞した校歌・社歌・市歌の類が収録されているとのことで、これも貴重な情報だ。ただし、全集出版後、更に二十近い作品が判明したそうで、お膝元とも言うべき和歌山市の市歌も事後に判明したと言う。
 
これも余談になるが、春夫の子息・方哉(まさや)氏が、2010年8月に駅の線路に突き落とされて死亡したとの話があった。資料ではどこかの大学の学長在任中だった。そう言えば、そんな事件があった。言われなければ二度と思い出さない記憶が蘇った。犯人は精神異常とかで、不起訴になったとのことだ。
 
春夫は、“方哉は日本一のせがれなり”と親ばかぶりを見せていたそうだ。
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夏風邪~自然治癒期待~手製カリン飲料

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ここ一週間ばかり風邪に罹って、咳・痰に加えて花粉症の症状を併発している。休む間もなく洟をかんでいるから、鼻の周りが荒れてヒリヒリする。夏風邪は長引くと昔から言われている通りに、未だ回復の見込みが立たない。ばい菌を見るような家人の視線が突き刺さるから、早く治って欲しいのだが、マイコプラズマ肺炎とやらの可能性もあるのかな。
 
医者通いが嫌いだからこんな時も自然治癒を待つ。発熱せず、体のだるさも気にしなければそれで済む程度だから、呑気に構えていられる。行動の自由も損なわれていないので、必要に応じて外出はする。ただし、歌う集会を予定をキャンセルせざるを得ないのが残念だ。
 
喉の調子が悪いことから、手製のカリン蜂蜜漬けを思い出したクロモジ茶~陳皮風味~カリン飲料 2014/2/4() 。試しに飲んでみることにした。先日、梅の幼果を混ぜ込んだばかりだ(2014/5/14())。熱湯で10倍程度に薄めて飲むと、唯の蜂蜜湯のようだった。カリン残滓を齧ってみると、渋みがあり、ポロポロしていて、とても食べられるものではなかった。
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送別歌~佐藤春夫~日本の母を頌ふ 

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前に佐藤春夫の作詞による軍国歌謡「日本の母を頌ふ」(作曲弘田龍太郎)を取り上げた(2014/3/26())。この詩は歌曲用に作ったものとされており、1942年10月に発表された。レコードは翌43年1月に発売された。
 
春夫はこの他にも戦争協力の詩を(他の文学者同様に)書いたが、曲を付けられたものはあまり多くないのではないか。その少ない戦時歌謡に次のようなものがあった:
 
送別歌
 
一 黄金(こがね)も玉も何せむと おもへるものをしき島の
  日本(やまと)の國にまたふたり ありとしもなきこの人を
  大君がため國のため ささげまつらむ。
 
二 夫(せこ)よ愛子(まなご)よ兄弟(はらから)よ 死ねよといひて我が送る
  深き心をおもひ見よ 戦の庭にますら男の
  名を惜しめかしまたかへる 日は問はざらむ。
 
三 みくにのいくさすすまずは 世は乱れなむいまはまた
  家をいふべき時ならじ ますら男心(をごころ)おもひやり
  戦を知らぬ手弱女(たをやめ)ぞ こころ切なき。
 
作曲は宮城道雄である。ト短調(2♭)4/4拍子 ♩=76 で、声部は全13小節中最後の5小節(一番の歌詞で“大君がため~”)はト長調となっている。
 
曲は、聴けばそれなりの戦意昂揚効果のありそうな荘重にして悲壮感漂うが、歌詞は些か難解ではないかと思われる。このような文語調の歌を一度聴かされただけで意味を理解できただろうか、一般国民は。
 
「送別歌」は、日本放送出版協会のラジオテキスト《利鎌の光 ; 送別歌 相馬御風作詞 ; 中山晋平作曲 ; 佐藤春夫作詞 ; 宮城道雄作曲》で発表されている(1937.10)。つまり、国民歌謡の一つということだ。
 
「送別歌」と「日本の母を頌ふ」の歌詞を見較べると、良く似ていると感じる。前者は女性を妻、母、兄弟姉妹の側面から捉えているのに対し、後者は女性を母の側面に特化して詠んでいる。この種の、女性の志気昂揚を図る歌は十指に余るようだ。
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フタアツ②~~作曲者の改詞~作詞者の不満

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当ブログの《フタアツ/まど・みちを~山口保治~ないしょ話/結城みちを 2014/5/2() 》への刀根武夫さんのコメントに触発され、本件に関するフォロー、まとめを記す。日頃お世話になっているサイト《池田小百合なっとく童謡・唱歌》からの抄録は安直だが、実によく整理されているので、活用したい:
 
“私が小さかった頃、「ふたあつ ふたあつ なんでしょかー」と歌っている高齢者がいました。「なんでしょかー」でも通用します。大勢の人が、そう歌っていたのには何か理由がありそうです。調べてみる事にしました。”
 
“昭和十一年(一九三六年)「まど、みちを」が、「二アツ」というタイトルで書いた詩が、群馬童謡詩人会の同人誌『桑の實』第二次第七号(群馬童謡詩人会)昭和十一年四月一日発行(最終号・廃刊)に掲載されたのが最初です。”
 
“・原作は三節で、タイトルは「二アツ」です。
 ・一節と三節が「二アツ二アツ ナンデシヨカ」
 ・二節は「二アツ二アツ マダアツテ」
 ・三節は「オチヽヨ ホラネ」でした。
 ・一、二節は三行。
 ・三節は「二アツ二アツ ナンデシヨカ」があるので四行です。”
 
“・昭和十一年八月、キングから高橋旭子の歌でレコードに吹き込む際、山口が一番の「ナンデシヨカ」を「なんでしょね」に、三番の一行目にある「二アツ二アツ ナンデシヨカ」を削除し、「オチヽヨ」を「おっぱい」に改作しました(レコード番号11501。昭和11920日発売 10月新譜)
 この改作は、まど・みちおには、相談していなかった。”
 
“・次にコロムビアから松田京子が吹き込む時、山口が三番の「マダマダ イヽモノ ナンデシヨカ」を「まだまだいいもの なんでしょね」にし、山口が創作した四番を加えて現在歌われているようにしました。この改作も、まど・みちおには相談していなかった。このレコードにより広く知られるようになりました。”
 
“ 踊りの振り付けもついて、レコードは大ヒットしましたが、まど・みちお自身が推敲を重ねた『ぞうさんまど・みちお 子どもの歌102曲集』(フレーベル館)平成七年三月 改訂初版一刷発行には掲載されていません。
 自分が書いた「二アツ」と、まるで違う詩になってしまっているためでしょう。”
(以上、201091付け「ふたあつ」の項から)
 
ただ、池田氏が“歌詞の三番は~~与田凖一編『日本童謡集』(岩波文庫)も、「まだ、まだ、いいもの、なんでしょ ね。」と書いてあり間違っている。「まだ まだい いいもの なんでしょ か」が正しい。”と書いているうち、“「まだ まだい いいもの なんでしょ か」が正しい”の部分は、ひょっとして彼女の入力ミスだろうか。
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シビックコンサート~東邦音楽大学院生~伊独仏捷露5外語

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昨日、近くの区役所ビル地下2階広場でランチタイム・コンサートがあった:
 
「シビックコンサート」 平成26528日(水)1215分~1245
出演 東邦音楽大学 声楽科専攻生
 
·         E.d.カプア作曲「O sole mio」  男声(多分テノール)2人で交互に歌ったり、二重唱にしたりという珍しい形での演奏だった。
·         R.シューマン作曲「献呈」 ソプラノ独唱
·         越谷達之助作曲「初恋」 (多分バリトン)独唱 歌い出しが何だか気になったが、文字通り気のせいかな。
·         C.グノー作曲「この清らかな住まい」 テノール独唱 ファルセットを上手に使っていた。フランス語のようには聞こえなかった。
·         A.ドヴォルザーク作曲「白銀の月よ、あなたは空から」 ソプラノ独唱 チェコ語だそうだが、こちらの方がフランス語っぽかった。
·         P.チャイコフスキー作曲「ドンファンのセレナーデ」 バリトン独唱 真打は最後に登場、といったところ。ピアノ伴奏が素人耳にも難しそうだった。ただし、発音はロシア語のようには聞こえなかった。
·         岡野貞一作曲「朧月夜」 出演歌手5名全員の合唱(ソプラノ・ソロで始まり、ソプラノが2名になり、次に男声3めいが参入) これと次のアンコール曲が明譜(みんぷ?)であるところが面白いアンバランスだった。 
アンコール ふるさと 本格的な合唱版 “いつの日にか”の“か”に強勢が目立った。我々しろうとコーラスと同じようで、親近感を持った。エンディングで“ふるさと―――おいしかのやま”と母音(お)を繋げたのは面白いアイディアだ。
 
出演順は、実力者を後にしていたようイメージ 2だったイメージ 1

夏風邪②~都心の大爆音~協賛展示飛行

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夏風邪如き、間もなく治るとタカを括っていたが一向に咳も痰も収まらず、さるコンサートのGP(いわゆるゲネプロ)を迎えることになり、とうとう昨日、町医者で受診した。
 
気管支炎だとのご託宣で、薬を4種類も処方してくれた。服用し始めてまる一昼夜経ち、半快程度でGPに参加した。大体いつもより1オクターヴ低く歌うのに丁度の声だった。勿論、声が喉に引っ掛かったりして、まともには歌えないのだが、練習日にはなった。
 
あと4,5日で全快することを期待するが、もし不調だったらどうしよう。大合唱団であれば、病欠に何の遠慮もしないが、員数一桁台の小グループだから、戦力低下は無視できない。枯れ木も山の賑い、と割り切って、とにかく参加するしか無さそうだ。
 
その大事なGPに出掛ける少し前、突然大爆音が上空を通過した。都心あるいは住宅地の上をジェット戦闘機が飛ぶとは、それも低空で。こんなことは未だかつて無かったことだ。
 
領空侵犯機を迎撃したのかと、一瞬訝った。偶に、ヘリコプターが飛ぶことは有るが、その時の爆音の比ではない。窓から空を見上げると、編隊飛行をしているのが見えた。
 
まさか都心上空で編隊飛行訓練でもあるまいに、何をしているのか腑に落ちなかったが、後でウェブニュースが解説をしてくれた。
 
“ブルーインパルス、東京上空を舞う THE PAGE 530()1813分配信
国立競技場の「SAYONARA国立競技場FINALFOR THE FUTURE”」イベントのプログラムの一環で、航空自衛隊のブルーインパルスが30日、都心部で展示飛行を行った。~
 この日はリハーサル飛行で、本番の31日、同時刻に同じく6機が飛行する予定。”
 
ご丁寧に、明日も爆音を轟かせるとは。国立競技場と戦闘機と、一体どんな関係が有ると言うのか。“展示飛行”がどなたの発案か知る由も無いが、武力好みの首相の息のかかった人たちが要路に配置されるようになった事と無関係では無いだろう。この“展示飛行”で、環境保護努力がどれほど吹っ飛ばされるだろう。騒音も迷惑なことだ。
 
そもそも、“展示飛行”とは、何を目的にして行うものか。常識的に考えれば、軍の行事の景気づけだろう。付随的に、操縦技能の披露で、戦力を誇示し、頼りになる空軍であることを市民に印象付ける目的もあるだろう。今回は、そのために国立競技場のイヴェントを利用したというのが真相に近いだろうか。
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リスト~ヘクサメロン~サイエンス

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お堅い大学理学部の広報誌に、曰く有りげな言葉を見付けた。
 
《理学の「ヘクサメロン」》と題する短文で、著者は、左近樹氏(天文学専攻 助教)で、勝手に要約すると次の通りだ:
 
“リストの作品にヘクサメロンHexaméronという楽曲がある。とある侯爵夫人の提案で,リストを中心に,ショパン,ツェルニー,タールベルクなど,師弟友人関係にある当時の腕利きの音楽家に声がかかり,ベッリーニのオペラの主題を題材に,変奏曲を持ち寄り,リストが一つにまとめあげた作品であると知られている~
 
それぞれの音楽家の得意とする技法や作風が感じられる。特に,総括も担ったリストの構成力には感服する~
 
共同研究を行うに際しても,まずは,各々の研究者が個別に行った地道な努力と実績が大切である事は言うまでもない。
 
~各々の研究手法に寄せられる信頼と互いへの敬意と理解が,共同研究における各々の役割を明確にし,効果的な協調関係を実現する上で不可欠である。~
 
互いに相手を信頼し認め合うためには,共同研究に着手する以前からの交流が重要である。その過程におけるコミュニケーションは,将来の共同研究の礎となるだけでなく,自己の思い込みや誤りに気付き是正する機会ともなり,結果として,現在の各々の研究活動を好転させる。~
 
大学院生には,研究活動の中にアイデンティティを見いだせるまでの複雑さと混沌に耐え,やがてより多くの信頼し尊敬し合える仲間を見つけ活躍する将来を期待する。~”(東京大学理学部ニュース 20145月号)
 
論旨は、共同研究が今後ますます重要性を増し、これに参画する科学者個々人の研究基盤の確立と多様な分野間のコミュニケーションの充実が求められるというようなことだと思われる。
 
しかし、当管理人が注目したのは、その導入として引き合いに出された「ヘクサメロン」だ。これについては全く無知なのだが、容易に「デカメロン」を連想する。
 
これについても内容は知らないのだが、中高校生時代に言葉だけは覚えさせられている。“デカ”が十を意味し、“ヘクサ”が六を意味することは、そのころの勉強の遺産のお蔭で直ぐに解る。
 
リストの「ヘクサメロン」が古典文学作品の「デカメロン」にあやかった命名であることは想像が付く。左近先生によれば、リストを含む6人の腕利きピアニストそれぞれの特長が生かされ、聴き応えのある名曲らしい。
 
其処までの鑑賞力には恵まれていない当方としては、あまり聴いてみようとは思わないが、クラシック音楽も、元々は遊び心に発するものなのだと教えてもらったような安堵感がある。かしこまって、神経をピリピリさせながら拝聴するだけのものではないと再認識した次第。
 
検索してみると、リスト以外にも複数の音楽家が「ヘクサメロン」を作っているらしい。誰が創始者なのだろう。「エプタ(七)メロン」というのもあるらしい。化け学用語の知識を応用すれば、「テトラメロン」、「ペンタメロン」、「オクタメロン」、「ノナメロン」など、何でもあり得るのだ。
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バスの早発ち~歌唱ボランティア~想定外の誤解

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最高気温33℃超だったそうだ。実際、バス待ちで立ちん坊しているだけで汗が沁み出してきた。こんな時に限ってバスはなかなか来ないものだ、と思った。
 
時刻表に在る定刻丁度から、今か今かとバスを待っていたが、来なかった。近頃は間引き運転など勝手にやらない筈だから、どうも、乗る筈だったバスが早目に通過したと結論した。
 
案の定、約30分後のバスは定刻前に発車した。何秒というオーダーではない。結局、約30分、バス待ちで汗を掻いていた訳だ。
 
バスに乗って行った先は、二月前にボランティア活動した老健施設、つまり2度目の御奉公だ(老健施設~歌唱介護~不得要領 2014/4/8())。相変らず不得要領のままでの参加だったが、さすがに2度目だから、前回ほどの戸惑いは無かった。
 
お客さんは約30名と見た。こちらは6名ほどだった。何故か春向きの歌でプログラムが組まれていた。この行事の主導権がいずれにあるか、前回疑問に思ったのだが、どうもボランティア側に在るらしいと判った。こちらが出向かなければ行われないということだ。とにかく来てもらえれば有難いと、施設側の意向だそうだ。
 
そこで別の疑問が湧いた。前回4月に実施した後、5月も要請があるだろうといちおう準備していたところ、前日になって、突然中止になったのだが、その理由が、“今月は定例日がゴールデンウィーク中なので”と伝えられたことが腑に落ちなかった。
 
“ゴールデンウィーク中”ということは突然に判明したわけではないのだから、如何にも取ってつけたような言い訳なのだ。施設側の気紛れではないかと憤りを覚えたほどだった。ところが、今日の活動に参加した中心人物の話では、5月の例会は、こちら側の都合で断ったのだと言うではないか。
 
“ゴールデンウィーク中なので中止”と伝えたのは別人だったから、何故そのような不正確な情報を伝えたのかと疑問に思われるのだ。“真相”を説明するのも面倒だからと、深く考えもせず、当たり障りのない(と思った)理由を取って付けたのだろうか。
 
悪意は無かったにしても、聴く者に想定外の憤りを催させることまでは気が付かなかったのだろう。というのが、自問自答の結論だ。
 
自らへの戒めとしよう。
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佐藤春夫全集~校歌・社歌・市歌~全集全36巻別巻2巻の第2巻

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先に《佐藤春夫~没後五十年記念講演会~秋刀魚の歌 2014/5/24()》で“臨川書店版佐藤春夫全集の別巻第2巻に、春夫の作詞した校歌・社歌・市歌の類が収録されているとのこと”と書いたので、時間を見て図書館から当該冊子を取り寄せて見たが、内容は索引のみであった。
 
つまり、元情報が間違っていたか、当方の勘違いのようであった。資料に“全集全36巻別巻2巻、社歌や校歌も収録”とあるのを再確認し、今度は別巻第1巻を取り寄せた。
 
しかし、これも空振りであった。事ここに至って、当方の聞き違いであったことが明らかとなった。講師は、“全集(全36巻別巻2巻)の中に社歌や校歌も収録”されていると言ったのだ。
 
当方には、“全集の別巻2に社歌や校歌も収録”と聞こえたので、最初から《別巻》という思い込みがあった。
 
こうなると、全36巻の一つ一つの内容をチェックするしかない。幸い、各巻号の収録作品のカテゴリーが図書検索に付いていたので、捜し物は第2巻であると判り、漸く目的を達した。
 
文学全集だから、詩文のみで、楽譜は載っていない。それでも、作曲者名が付記されているので、通覧するだけでも、ある程度興味が湧く。懐かしの《信時潔》が随分頻繁に登場する。文豪の作詞に釣り合う作曲者は、それなりの大家ということになるのだろう。統計を取ってはいないが、平井康三郎、大中寅二、山田耕筰、らの名前が目に付いた。
 
ところで、講師の発言は、“全集全36巻別巻2巻の第2巻に社歌や校歌も収録”だったのではないかと、今になって思う。これなら、“別巻第2巻に”と理解しても不思議は無い。
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歌の翼~Auf Flügeln des Gesanges~歌の翼に

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明日は、アンサンブル・そのりての毎年恒例、老健施設訪問コンサートへの助っ人参加だ。毎回、テーマソングとして、「歌の翼(に)」を最初に歌う。プログラムには「歌の翼に」とあり、楽譜には「歌の翼」とあるので、(に)を付した。
 
この歌は「歌の翼に」というのが“正しい”訳題だと長年思い込んでいた。ある所で「歌の翼」と書いているのを見て、本当は「歌の翼に」という題だと知ったかぶりで喋ったこともある。
 
しかし、考えてみれば、翻訳であるから、絶対に正しい訳などというものは無い筈で、まして、“に”の一文字の有無など枝葉末節であるとも思われた。
 
最近改めて調べたところ、“に”の有無は歌詞の翻訳者によると判った。例えば、津川主一は「歌のつばさ」(歌の翼をかりて行かな~)、門馬直衛と藤浦洸は「歌の翼に」(歌の翼に君を送らん~、歌の翼に君を乗せて~)としたらしい。
 
だから、津川の訳で歌う時は、「歌の翼に」ではマズいだろう。明日は、その津川訳だから、楽譜通り「歌の翼」となる。厳密には“翼”か“つばさ”かの問題もあるが、歌う分には影響しない。
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