Quantcast
Channel: 愛唱会きらくジャーナル
Viewing all 1579 articles
Browse latest View live

The Appple Song完唱 ~ Mетелица雪とともに去りぬ ~ Ave verum corpus

$
0
0
某氏邸の音楽サロンで“幻のThe Appple Song”(特養ホーム・コンサート反応上々幻の The Appple Song 2018/11/27())を14番完唱した。
 
納得できる譜割りを探り当てたと思っても、楽譜に記録しなかったので、歌うたびに不安はあるのだが、今日は何とか破綻せずに歌い終えた。
 
ついつい、いい気になって、能書きを並べたくなるのは人情だ。“幻の”とふりかぶった心を少しばかり述べて感心して貰う稚気に我ながら嫌悪を覚えながらも止められない。機会があれば同じように“幻のThe Appple Song”を歌ってみたいと仰る同好の士の存在が背中を押す。
 
外に、ロシア俗謡“Mетелица(Вдоль по улице)”を披露した。今回のサロンのために新たに仕込んだ言わば新曲だ。日本で歌われているかどうか判らない。英語では“Snow Flurries”と題されている。訳すれば“小雪”となるが、“Mетелица”自体は“snow storm(雪嵐)”あるいは“blizzard(ブリザード)”の意味だそうで、戸惑っている。
 
歌詞の英訳で
 

"Down the village street, the snow storm swirls and blows,
Through the snow storm there, I see my darling goes.
Stay a while, oh stay, and turn your face to mine.
Let me gaze upon you, and see your beauty shine!"

 
とあるので、今回は「雪とともに去りぬ」と邦題を付けておいた。
 
余興として、“Ave verum corpus”の二重唱でアルトを歌った。ソプラノ役のF氏との息が合わずトチッたりしたが、心優しい聴衆は褒めてくれた。人前で歌う緊張感を持たねばならないと反省するのも毎度になると信用が置けない。
 
サロン終盤になってヴァイオリニストのM嬢が突然現れ、プロ級の演奏を聴かせ、本日の最優秀賞を攫って去った。入退室のご挨拶も無い独特のキャラクターに首を傾げる方々もいるが、彼女の腕前には皆さん称賛を惜しまない。
 
最後に全員12名で“Ave verum corpus”の四部合唱を練習した。初めての人もいるが、強引に四部に割り振って、曲の三分の一ほどを仕上げた。あと12回で全体を仕上げるとのサロン主宰者のお言葉であった。来年の4月ごろになる話だな。

Mетелица(Вдоль по улице)② ~ 記憶喪失 ~ ヴィタリ・ユシュマノフ

$
0
0
当欄で昨日、≪、ロシア俗謡Mетелица(Вдольпоулице)を披露した。今回のサロンのために新たに仕込んだ言わば新曲だ。日本で歌われているかどうか判らない。≫と記した。つまり、ネット検索の手間を惜しんでいたのだ。
 
気になるので、今日、その一手間を掛けた。日本語サイトにも、そのロシア語曲名を見付けた。特に珍しい歌でもないことが判った。そして、最初にクリックして開いたのは、何と自分が4年半前にアップした当ブログの1ページだった:
 
 
 
デジャヴュさえも催さないほどに、見事な、完璧な記憶喪失だった。そのページでは、原曲名≪Вдольпоулицеметелицаметёт≫に対して、「街は吹雪いている」、「通りは吹雪き」、「ふぶき」と各種邦訳題を呈示していた。
 
ロシア人バリトン、ヴィタリ・ユシュマノフは、その後活躍の場を広げ、着実に評価を高めて来たので、もう無料コンサートで拝聴することはできない。要するに手の届かない高みに昇進してしまったのだ。
 
≪年齢は不明だが、三十代半ばから後半あたりか、イケメンさんだ。立ち居振る舞いが初々しさを残していて、声援にも丁寧に会釈を返していた。日本人歌手にとっては手強い商売敵かも≫と評しておいたところであり(ロシア人バリトン~ヴィタリ・ユシュマノフ~日本で稼ぐ? 2014/6/5())、予想が的中したことを喜ぼう。

異調並行唱④ ~ 自己満足 ~ 非難の声

$
0
0
ちょうど一週間前、某集会施設の≪歌う会≫で季節の唱歌、歌謡曲などを大勢で歌っていた時のこと、またまた“異調並行唱”(異調並行唱③童謡「シャボン玉」②下方転調 2018/8/6())を経験した。
 
司会者が「冬の夜」を指示した。ピアニストは楽譜を持っていなかったらしく、調を探った後、やや低めの音域を定めて、前奏無しで掛け声とともに弾き始めた。
 
当方は歌い易い音高から始めた。ピアノに合せる意識は無かった。結果的に皆さんより高めに歌うことになった。途中で音を下げて歌う気にはなれなかったので、そのまま歌い通した。明らかに不協和音なのだが、それを追い掛けるのも一興という気持ちがあった。
 
司会者が手拍子を始めたり、ピアニストが強く弾き出したりしたのは、音が違うよと言うご注意なのだとは思ったが、無視したのは些か大人気ないとは思う。
 
一曲終わるごとに皆さん拍手する慣例となっており、異調で歌った当方も拍手を受けたような妙な気分になる。近席の23人の方が「誰かハモってた」とか「ハモリじゃなくて、調が違うのだ」とか聞こえよがしに会話しているのが聞こえた。「ピアノに合せればいいのに」との声もあった。
 
その会話に加わわらなかったのは、やはり一抹の後ろめたさがあったからだろう。ヂレンマだな。
 
ちなみに、ピアノはハ長調、当方はヘ長調、原曲はト長調であった。随分低く歌わされている皆さん、欲求不満に陥らないのかなあ。

素数鉛筆 ~ 素数分布 ~ 6n+1 6n-1

$
0
0
「素数ものさし」なるものが23年前話題になっていた。京都大学の生協売店で売っているそうで、商品説明は次の通り:
 
「素数にしか目盛のないものさし」。不便益システム研究所が2012京都大学サマーデザインスクールでクラスの一つを担当し、そこでクラスの皆さんから出たアイデアを、商品化してもらったものです。
 
未だ手にしたことも、見たことも無い。どんな用途に供されるのか直ぐには思い付かない。直線定規の単なる装飾として素数を利用した奇抜性を売りにしているのかも知れない。
 
ところが、「素数鉛筆」とでも言うべきものが以前から存在しているらしい。
 
ヴィッキー・ニール「素数の未解決問題がもうすぐ解けるかもしれない」(千葉敏生/訳、岩波書店 2018.10)を読んでいたら、“私の数学鉛筆”として鉛筆の軸側面6面に99までの自然数を書き込んだ図が載っていた。
 
六角形断面の見える端を左にして一つの側面の左端に「1」、次の側面に「2」、また次の側面に「3」と順次整数を書き、1回転したら「1」の右に「7」と書き、以後同じように軸を回転しながら整数を1個ずつ書き込んだものである。右端の数字は「97」「98」「99」で止めてある。
 

結局、「1」の側面には 1  7  13  19 ………. 97

  2」の側面には 2 8  14  20………  98

     3」の側面には 3  9  15  21………  99
     4」の側面には  4 10  16  22……94..
     5」の側面には  5 11  17  23……95
     6」の側面には 6 12  18  24……96
 
と印字されていることになる。そして、これら数字のうち、素数は白、非素数は黒に色分けされている。
 

このデザインの数表から、素数は 6n+1 6n-1 のいずれかに分類されることが一目で解ると言うのである。

 
確かにその通りであり、その証明も直感的に解る。
 

こんな面白い商品が世にあるとは愉快だ。ネット検索ではヒットしなかった。“prime pencil”や“pencil with primenumbers”で出てくる鉛筆はあるが、別物である。

 
ところで、 6n+1  6n-1 の形式での数の分類は、当欄で最近紹介したところである(素数出現桁分類試案 6n 2018/6/20())。全く偶然のことだが、6n は素数に関係が深いようだ。

夏目漱石命日 ~ 素数運 ~ 6n-1型

$
0
0
本日は夏目漱石(186729日(慶応315日)- 1916年(大正5年)129日)の忌日。
 
彼の素数運はどうか。先ず本日20181209 は素数だ。没日19161209 も素数。
 
没日(8)19161209を「0」累桁法で素数出現状況を見ると、
 
(7)1916129, (8)19161209,(9)191612009, (10)1916120009,
(12)191612000009            ( )内は桁数
 
と見事に素数が並ぶ。漱石は素数運が強い。
 
反面、本日(8)20181209 の次の素数は(23)20181200000000000000009 で、逆の結果になった。規則性の無いのが素数分布の身上だから異とするには当たらない。
 
西暦年と月日の間に「0」累桁を施してみると、本日(8)20181209 の後には
 (9)201801209, (11)20180001209, (15)201800000001209 と素数が続くが、没日(8)19161209の後にはなかなか出現せず、再逆転の結果となる。
 
ちなみに、没日(8)19161209本日(8)20181209 も、同じ6n-1n= 1,2,3,,,,,)の素数である。
 
上記「0」累桁法による素数もすべて6n-1型であった。つまり、xxxxx1200…10 が「0」の桁数に拘わらず 6n の型となるような「xxxxx」になっているのだな。これはこれで面白い。

あゝ東京行進曲 ~ 佐藤千夜子 ~ 没後五十年

$
0
0
つい最近、新聞で「あゝ東京行進曲」という演劇(?)の記事を目にした。同名の小説を基にしており、それは流行歌手の元祖と言われる佐藤千夜子の伝記であると言う。
 
彼女の伝記なら、昔読んだ記憶がある。そのタイトルや著者までは思い出さなかったが、気になったので検索してみたところ、まさにその小説であると判明した:
 
   結城亮一「あゝ東京行進曲」河出書房新社 1976
 
読んだのがいつだったか、これも定かではないが、多分十数年前だろう。内容は比較的よく覚えている。山形県の田舎の駅からアメリカの女性宣教師に連れられて上京し、歌手になり、スターになり、欧米にオペラ修業に行ったが躓き、帰国時には活躍の場も失われ、戦後貧窮のうちに亡くなったという一生が劇的に描かれていた。
 

これを原作としてNHKのいわゆる朝ドラにも取り上げられ、「いちばん星」というタイトルで1977年に放送されたという。もう41年も前のことだ。朝ドラそのものは視聴したことが無いが、ウィキペディアによれば主演女優が途中で高瀬春奈→五大路子と交代したとあり、このことは何故か覚えていた。

 
そのころから歌謡曲には強い関心があったのだろう。その後、佐藤千夜子の伝記を読んだのも、恐らく彼女の歌唱音源をラジオ番組で耳にし、印象が強かったことに影響されたのだろう。彼女の独特の歌声が懐かしい。
 

それで、今何故「あゝ東京行進曲」なのだろうかと気になったのだが、佐藤千夜子の生没が≪1897313日―19681213(71)≫であることで納得した。没後五十年なのだ。今日がその命日だ。

 
ところで、「東京行進曲」とはどんな曲だったのだろう。文脈からして、千夜子の代表的なヒット曲の筈だが。これから聴いてみよう。

特養コンサート納め ~ 風邪ひき強行出演 ~ 手抜き息抜き

$
0
0
特養ひがしやまホームで今年最後のコンサートを無事終えた。十日ほど前から風邪で、連日の活動予定がお釈迦となり、歌どころではなかったが、今日の行事は世話役を務めているから休むわけにはいかず、戦力外の司会専任に徹する積りで出掛けた。
 
演奏を始めてしまうと、何も歌わないで募る欲求不満に耐えられず、所々つまみ食いのように参加した。そのために調子を狂わされたのか、皆さんの歌い振りもぎこちないようだった。
 
当方としては、演奏中に喘息様の発作が起きるかも知れない危険を承知の上の冒険でもあった。実際には咳ひとつせずに済んだのは、緊張感の為せる業か。施設の職員の方々には知られたくない秘密だ。
 
結局チグハグ感の拭えない四人組だったが、時々はパラパラと拍手を頂いた。拍手よりも一緒に歌って頂く方が有難いと思いつつも、顧みれば、相対的に出来の良い演奏に対してお褒めがあるらしく、技能向上を求められているようだ。
 
こんにちは(開演の輪唱)
灯台守
ともしび(ロシア曲)
心の窓に灯を
古城
冬の夜
クリスマスソング・メドレー(荒野の果に・諸人挙りて・聖夜)

アメイジング・グレイス Amazing Grace

歓びの歌 
              津軽海峡・冬景色
お正月 
お元気で(終演の輪唱)
 
新年12月は発表会に参加のための練習に専念する必要があり、訪問コンサートは休むことにした。再開は3月をめどとするが、根気が擦り切れてそのまま永眠となる可能性もある。

高齢者グループ ~ コラボレーション ~ 幼児グループ

$
0
0
某集会施設に月1回集う歌のグループが、幼児グループと合同で明日、発表会に参加する(コラボレーションなどとも称する)。年1回の催しで、各集会施設から1グループあて出場するらしい。各施設の担当職員はかなり入れ込んでいるようだ。
 
持ち時間は15分で、当グループの歌うのは次の3曲:
 
ひいらぎ飾ろう、おうま、サンタが街にやって来る
 
これだけだとアッと言う間に終わる。そこに幼児グループが割って入ることでお遊戯まがいの手足リズム遊びの出番となり、老人たちもぎこちなく講師の真似をする。アホらしいなどと思っていてはイベントの雰囲気を台無しにする。アホになり切って幼児並みのお遊戯をする。
 
シラケ老人が何故こんな行事に参加するのか、当人も訝しがるところだが、成り行き上、歌うグループから抜けるに抜けられなくなったというのが真相に近い。
 
発足当初は二十名近くの参加者の合った当グループだが、年度替わりを機に、参加費を3か月分前納制としたことで、計算高い人たちの足が遠のいた。1回あたり僅か500円なのだが、参加できないかも知れない時の分まで先払いするのは嫌だという気持だろう。
 
メンバーが半減し、現在は78名だ。めげずに指導に当たる二人のお嬢さん講師をガッカリさせるのは気の毒だと余計な仏心を起こした結果、抜けられなくなった次第。
 
今日、リハーサルに参加したメンバーは僅か4名で、幼児グループもほぼ同数だった。あまり気勢が上がらない。講師と職員さん達が一番張り切っている感じがする。考えてみれば、出演者は高齢者と幼児たちだから、この対比は自然なのだ。
 
明日は頭を空にして、真面目にステージを務めてこよう。
イメージ 1



コンサート・ダブルヘッダー ~ コラボ上首尾 ~ 自由人コンビ

$
0
0
その他大勢の一員として参加するコーラスの本年最後の本番の日であった。
 
午前は昨日報告した幼児グループとのコラボレーション、午後はボランティアグループの施設訪問と、二本立てであった。半月に及ぶ風邪引きが漸く収まって来て、声も出るようになったが、一抹の不安を抱えての出陣だ。
 
午前のコラボレーションは講師の熟練のリードで、出演者も、会場のお客さんも歌とお遊戯を楽しんでいた。男声メンバーは当方の外、車いす利用の初老の方お一人で、スロープの無い舞台へ4人がかりで運び上げられた。彼もご機嫌で、終演後、会場建物の上階廊下の壁に飾られた数々の絵画に独自の批評を開陳していた。
 
間を置かず午後の部の会場であるデイサービス施設に電車とバスを乗り継いで直行した。事前に住所検索しておいたお蔭で迷わず定刻に集合場所に辿り着いた。ヴァイオリニストは2時間も前に会場に入り込み、居合せた人たちの求めに応じてコンサートの予行演習のように弾きまくっていたという。
 
なかなか顔を見せないチェリストを心配して、道に迷っているのではないかなどと噂していたが、開演間際に飛び込んできた。トイレを使いたいような口振りだったが、無情にもコンサートは始まった。
 
   ジングルベル(英語1番付き)
   トロイカ(雪の白樺並木~)  
   もろびとこぞりて
   追憶 
   白い道
   White Christmas(指揮者ソロ) 
   ふるさとは今も変わらず 
   きよしのズンドコ節
   聖夜
 
喉の不安は杞憂で、しっかり高音も出すことが出来、本年有終の美を飾ったと大いに自己満足を味わった。アンコールでリクエストされた讃美歌「諸人挙りて」は、日本語3番までに加えて英語1番を付記した楽譜を使用していたので、準備段階では英語も歌おうかとの議論があった。
 
アンコールで再度歌うのに、同じことの繰り返しでは能が無いとばかり、日本語3番に続けて勝手に英語を歌い出してみた。隣の強力バスが同調した。しかし、それ以上には広がらず、尻すぼみとなった。皆さん生真面目揃いだなあ。多少の遊び心があった方が楽しいと思うのだが。
 
この自由人コンビは、日頃から楽譜に縛られない奔放な歌い方の常習犯だ。顰蹙を買うか買わないか、いずれにしても当人たちはストレス発散の効果を享受している。

フルート六重奏 ~ 文化的娯楽 ~ ボケドジ反省

$
0
0
当会は、明2019220日、生涯学習フェアという名の発表会に出演する。持ち時間30分、立派な音楽ホールで演奏できるのは有難い。定員371席のところ、お客さんは精々50名ほどしか集められないが、気にしない。他のグループも大同小異だ。
 
その日のために12月計4回の練習日を設ける。弱小合唱団は練習会場の予約がままならない。優先予約権のある有力グループがあらかた埋め尽くした残りの空き時間を漁るしかない。希望日、希望時間にピアノ付置の練習室が空いていることは珍しい。
 
ピアノではないが、電気・電子楽器付置の部屋を今日予約することが出来た。これで4練習日の会場を何とか確保した。ただし、初日115日は何も無い会議室しか取れなかったので、チャチなキーボードでも持参しようか思案中だ。
 
予約を終えて一息ついたのが1時過ぎ、、某集会施設でフルート六重奏コンサートがあることを思い出した。時間的には間に合いそうな場所なので、昼飯は後回しで会場に急いだ。開演直前に到着した。お客さんは三十名弱、並べられたパイプ椅子の半分以上が空いていた。
 
清楚な中にも華やかな装いの女性5名プラス男性1名がフルートを吹いて、クリスマス・メドレーの外、馴染みのあるクラシック曲や唱歌などを奏でた。「お配りしたプログラムに歌詞を載せてあるのでご一緒にお歌い下さい」と言われたが、前奏無しのものは、歌うのは無理であった。前奏付きのものは遠慮なく歌った。他のお客さん方は遠慮がちであった。同じアホなら歌わにゃソンソンだ。
 
フルートの腕前はほどほどと思われた。ご近所のお年寄りが聴いたり、歌ったりして楽しむには十分だ。奏者の皆さんも4か月ほど練習してきた成果を、とにかく聴いて貰って、拍手をもらい、歌で参加して貰い、最後にアンコールの掛け声を浴びて、ご満足だっただろうと思う。
 
草の根レベルのささやかな文化的娯楽のひとコマと言うべきか。実に平和な気分に包まれて帰途に着いたところで、突然、今日ドジを踏んだらしいことに気付いた。練習会場予約で施設利用料を支払った際にお釣りが少なかったのではないかと。
 
何故そんなことを何の脈絡も無く思い出すのか不思議でならないのだが、利用料1150円のところ、小銭の持ち合わせが無かったので1200円を渡し、釣りを貰うというややこしい取引をしたことが記憶に残ったのだろうか。
 
釣りを貰うときに、担当職員が「八千円」と言いながら我が目の前でお札を数えて見せた時、チラと違和感がよぎったが、直ぐに忘れた。お釣り“8050円”を当然のように拝受して辞した。
 
その時の違和感が蘇ったのだ。幸い、帰り道でもあり、またその施設に寄って挨拶すると、先方さんも既に気付いていて、千円札を用意していた。電話を掛けて下さったようだが、フルート・コンサートの最中とあって当方は気付かなかったようだ。
 
このようなドジが最近は珍しくないように思う。ボケを自覚しても、これを防ぐことは難しい。他人様の善意に頼らざるを得ない。せいぜい分不相応な出過ぎた真似をしないことを心掛けよう。

山本義隆「小数と対数の発見」~5桁区切り~黄金律 The Golden Rule

$
0
0
山本義隆「小数と対数の発見」(日本評論社2018.7)を読んだ。版元による内容紹介は簡単に≪15世紀後半からの《天文学の革新》は同時に《数学の転換》の時代でもあった。その壮大な歴史ドラマをいきいきと描き出す労作≫とある。
 
書評も次のように簡潔:≪週刊読書人20181019日 「自然学が物理学に学問序列が転換する過程の数学史——近代科学誕生の前史、ここに完結」評者:猪野修治氏≫
 
目次を眺めると、60進小数をめぐって、ステヴィンの『十分の一法』、ブリッグスによる素数の対数計算など、興味をそそる。数学史だから、歴史資料を遺漏無く読み込み、しかも数学的解説も欠かせないから、著者の労力、能力は勿論優れていなければならないが、読み手にもそれなりの努力、能力を求める。
 
当方はいずれにも欠けるところがあるから、上っ面を撫でるように通覧しただけである。数式や計算は絵画の如く鑑賞した。著者が対数の実用化、普及における天文学者ケプラーの貢献を高く評価しているのが印象的である。対数と言えば普通はネピアの名を思い出す。
 
実際にはネピアの対数は三角関数を基にしており、ケプラーは所謂常用対数を確立したらしい。
 
小数に関する話も面白い。現今、3.1415… のような小数表記は当たり前であり特に意識することも無いが、これが実は偉大な発明であることが縷々説明されている。現用されているアラビア数字(実はインド起源)も偉大な発明であるが、そこから自動的に小数表記が導かれたわけではない。千年以上にわたる数学者及び計算常習者たちの経験、工夫から生まれたものだという。その大成者がステヴィンと見做される。
 
印象に残ることを2,3記しておこう。先ずは大きな(長い)数の位取り(桁区切り)について。
 
本書p.44 図1.12 ≪ピチクス『数学の至宝 半径1,00000,00000,00000にたいする正弦表』(1613)の扉
p.220 9.1Henry Briggs 1から1000までの対数」(1617)(常用)対数表の1頁≫に、5桁区切り16桁の数表がある。

イメージ 1


 
桁区切りといえば、昔から3桁か4桁かの問題がある。≪3,451万円≫などという奇妙な区切り方もある。日本人ならば4桁区切りが当然だと思うが、世の中は西洋風3桁区切りの天下である。それを機械的に応用したのが上記奇妙な区切り方である。
 
という具合に、桁区切りは3桁か4桁かで完結かと思っていたのだが、5桁というように他の区切り方もあることを教えられた。確かに、十進法のもとでは、5桁区切りは合理的とも思える。ただ、5桁区分ごとの呼称をどうするかは問題である。適当に考案すればよいことではあるが。
 
区切りと言えば、小数部分にも桁区切りのコンマを記入する記数法があることにも新鮮な感じがした(次項参照)。
 
本書p.224 に≪ブリッグズの言う「黄金律」≫とある。「黄金律」すなわち
The Golden Rule の語は、当欄≪灯台守~The goldenrule~佐々木信綱作詞「助船」 2014/11/27()≫で取り上げたように、唱歌「灯台守」の元歌のタイトルでもある。これも何かの縁、ここに転記しておこう:
 
log(1+ε)=0.55511151231257821.2781914932003235 xε=0.434294481903251804ε,|ε|≪1
 
例えば log1.000,000,000,000,000,01=0.434294481903251804εx10-17
 
この公式により、整数の(常用)対数を順次(加減乗除の四則演算で)計算できるという実用価値の大きさから「黄金律」の称号を得たものである。
 
著者はもと東大全共闘代表という異色の経歴を持つ。今でも革新陣営にあって活動を続けているという。その活力、エネルギーに称賛措く能わず。

イメージ 2


インドネシア津波 ~ 満月・新月 ~ 島原大変肥後迷惑

$
0
0
インドネシア、スンダ海峡で発生した津波が注目される:
≪島の南西部「ごっそりなくなった」か インドネシア津波 12/26() 12:18配信朝日新聞
 インドネシア中部ジャワ島とスマトラ島の間のスンダ海峡で22日に起きた津波の発生原因になったとみられる火山島で、山体が崩壊したとみられる明らかな地形変化が起きていることが分かった。国土地理院が人工衛星「だいち2号」の観測データを解析し、25日発表した。専門家は、この崩壊が津波の原因になったとみている ~≫
 
地震ではなく火山噴火が山体崩壊の原因とされているようだが、火山性地震と言えなくもないだろう。
 
地震と月齢との関係は昔から専門家も関心を寄せており、大地震の統計から、新月・満月の頃に多く発生する傾向が確かめられている(地震・月齢④専門家の発表月の引力 2016/9/14())。
 
火山活動についてはどうか。太陽及び月が地球に及ぼす潮汐力は、理屈としては、火山活動にも影響するだろうと考えられる。統計的に有意な関係が有るかどうかは確認の要がある。
 
ちなみに、今回スンダ海峡津波の発生した1222日は、月齢14で、満月()は翌 23であった。
 
山体崩壊による津波と言えば、島原大変肥後迷惑(しまばらたいへんひごめいわく)が有名だ:
 
1792521日(寛政441日)に肥前国島原(現在の長崎県)で発生した雲仙岳の火山性地震およびその後の眉山の山体崩壊(島原大変)と、それに起因する津波が島原や対岸の肥後国(現在の ...
 
この時の犠牲者は15千人ほどに上るとのことである(ウィキペディア)。当日の月齢は、旧暦(41)で明らかであるが、念の為「こよみの頁」で確認すると、 月齢 0.2新月であった。
 
近年の事例として、インドネシアでは2004年の12月26日に起きた津波で数十万人が死亡したという。当日の月齢は 14 で、満月()は翌27、やはり上記2例に類する。
 
今回と同じスンダ海峡での1883年の火山爆発では、36千人以上の犠牲が記録されている。その火山活動及び津波は3か月に亘ったが、初っ端は520日の水蒸気爆発及び地震であった。当日の月齢は13.2、満月は翌々22日であった。
 
≪1883年の520、ラカタ島で水蒸気爆発を伴う噴火が始まり、同時に発生した地震は数年にわたって観測された。811同島の3つの火山が噴火した。そして826日日曜日の午後16分に地震の雷鳴が聞こえた。次の827月曜日バタヴィア時間午前1002分(現地時間958分)に大噴火が起こった≫(ウィキペディア)
 
以上4例で見る限り、新月・満月の頃に大地震又は火山爆発の起きる可能性が高いと言えそうだ。

地震・噴火 ~ 北海道駒ケ岳 ~ 月齢

$
0
0
昨日の日経朝刊を見たら、1面下のコラム「春秋」も、この度のインドネシア津波を取り上げ、「島原大変肥後迷惑」で締めていた:
 
... 衝撃的な映像だった。インドネシアのスンダ海峡で発生した火山の噴火による津波である ~
 
▼海峡の火山島アナク・クラカタウ山が噴火して海底地滑りが発生。津波を引き起こした可能性が高い。1883年の大噴火では火山島の3分の2が崩壊し、巨大津波が約36000人の命を奪った ~
 
▼日本でも1640年(寛永17年)、北海道駒ケ岳の噴火で津波が起きた。松前藩の史書によると、100隻以上の船が流され、700人余りが溺死した。対岸の古寺にも津波が到達した記録があり、高さは8メートル以上だったと推定する研究者もいる ~


18世紀の雲仙普賢岳の火山活動による津波「島原大変肥後迷惑」などの史実も参考に、備えに知恵を絞りたい。≫ 


中間に挿入された「北海道駒ケ岳の噴火」を検索したところ、1640731(寛永17613)に発生していた。旧暦日付の通り、満月の直前である(月齢は 12.2 と表示される)。
 
その後の噴火歴を見ると、1694824日(月齢 3.3)、1856923日(月齢 23.7)、1905817日(月齢 16)、1929617日(月齢 9.5)、など、月齢 0 (29)15 付近に必ずしも集中しない。月の及ぼす影響力が顕著にみられるのは、やはり大地震(大噴火)のケースなのだろう。

北国の春 ~ 類想? ~ 家路(ドヴォルザク「新世界」)

$
0
0
今年の歌い納めとなった某施設の歌う会でのこと、「北国の春」に次いで「家路」(ドヴォルザク「新世界」)が歌われた。選曲した司会者の弁は、“あのふるさとへ帰ろかな”と“家路”の連想によるとの趣旨であった。
 
両曲終わった後、ピアニストが、混線しそうだったと言いながら、それぞれの末尾部分を交互に弾いてみせた。確かに似ていると感じた。長年なじんだ両曲だが、言われるまで全く気付かなかった。
 
メロディーを五線譜に落として比べてみた。「北国の春」の“ふるさとへ かえろかな”と「家路」の“ははの かげの”の部分が、かなり似ていることが見て取れた。さすが、音楽家の感覚は鋭い。
 
そのピアニストさん、最後にプレゼントと称して、小型(27弦)のハープを弾いて聞かせた。まだ初心者だと謙遜しながら、「アメージング・グレース」とチゴイネルヴァイゼン風「津軽海峡・冬景色」を訥々と弾いた。
 
ハープはイタリアから取り寄せた特注品だとのことだ。気安くお値段を尋ねたらそっぽを向かれてしまった。舌禍には十分懲りているはずなのに、またまた失敗してしまった。
イメージ 1


本日素数日 ~ 暦上の三つ子素数 ~ 月跨ぎの双子素数

$
0
0
本日の西暦8桁日付 20181229 は素数である。
 
月日だけの 1229 も素数である。
 
明後日の月日 1231 素数である。その翌日の 11 あるいは 101 も素数である。
 
つまり、月日だけの日付けで見れば、暦上の三つ子素数 (1229, 1231, 101) 又は(1229, 1231, 11) と言うことが出来る。他にも暦上の三つ子素数があるか否か、いつかチェックしよう。
 

年跨ぎの日付け(1231, 101) は当然、暦上の双子素数である。

 
月跨ぎの日付けでの双子素数の組は、(229, 31) (331, 401又は41) の二組ある。平年に限れば、3月末日と4月初日の一組だけとなる。
 
本日の1229 に中央「0」累桁を施し、因数分解すると、赤字のような6桁周期性が浮かぶ:
 
(4)1229(素数)
12029=23×523
(6)120029=7×13×1319
1200029=41×29269
(8)12000029(素数)
120000029=19×6315791
1200000029=17×70588237
12000000029=59×89×2285279

(12)120000000029=7×13×41×32162959= 7×13×1318681319

1200000000029=773×13997×110909
12000000000029=2549×4707728521
120000000000029=1433849×83690821
1200000000000029=679277×1766584177
12000000000000029=41*2053*259271*549863
(18)120000000000000029=7*13*877*622187*2416681= 7×13×1318681318681319
(20)12000000000000000029(素数)
(23)12000000000000000000029(素数)
 
一昨日の1227 の累桁因数分解には更に面白そうな傾向が見られる。

大地震月齢相関説 ~ チリ地震 ~ 日本古記録 ①

$
0
0
今朝、地震のデータを検索しようとしたら、次のような記事がポップアップされた:
 

Magnitude4.5 earthquake

Affectedcountries: Chile and Argentina

101 kmfrom San Antonio de los Cobres, Salta Province, Argentina · Dec 30, 1:31 AM

 
これも何かの縁と、チリ地震年表(ウィキペディア)を参照し、月齢との相関を調べてみた。最近までの約50件の主な地震の発生年月日が明示されているので、これを旧暦に換算し、旧暦日付を月齢相当として日付ごとの発生頻度をまとめた。なお、西暦はグレゴリオ暦によるものと想定した。


 
旧暦  日
発  生  数
1
XXXX
4
2
XX
2
3
XXXX
4
4
XXXX
4
5
XXX
3
6
XXX
3
7
X
1
8
X
1
9
X
1
10
X
1
11
12
X
1
13
XX
2
14
XX
2
15
16
17
XXXX
4
18
19
20
XX
2
21
22
23
XXX
3
24
XX
2
25
XX
2
26
XXX
3
27
XX
2
28
XX
2
29
X
1
30
50
2730,13  6.5
15
   13~18  6
9

大地震月齢相関説 ~ チリ地震 ~ 日本古記録 ②

$
0
0
これを概観するに、大地震発生の月齢相関説を否定するものではないものの、積極的に補強するほどでもない、微妙な結果である。
 
注目されるのは、新月時期の発生の山が前後二つの嶺に分れているように見えることだ。満月時期の山が顕著でないことも目立つ。特定の地域だけのデータで一般論を展開する訳にもいかないから、もっと調査域を広げる必要がある。
 
前にも取り上げたところだが、日本の古記録では、結構、新月満月説が説得力を持つように見える:
 
797延暦16年)814日、南海トラフ地震(718日)
83013023)(天長713出羽で地震
841前半(承和853以前)伊豆地震

大地震月齢相関説 ~ チリ地震 ~ 日本古記録 ③

$
0
0
8671116日(貞観91013日)- 陸奥国大地震
88011191123)(元慶41014出雲で地震
822826日)(仁和3730日)仁和地震(南海トラフ全域が震源域とする説あり)
938517522)(承平8415京都などで地震
118586813)(元暦279文治地震(元暦大地震)
1245827日)(寛元384日今夜五剋)京都で震度 5以上
1293520527)(正応6413鎌倉大地震(永仁鎌倉地震)
14331028116)(永享5916相模地震(永享関東地震)

大地震月齢相関説 ~ チリ地震 ~ 日本古記録 ④

$
0
0
149593912)(明応4815 - 鎌倉大仏殿が津波で破壊されたと記録されている
1498911920)(明応7825明応地震(東海道沖の巨大地震)
 
自然災害の多かった印象のある2018年、政治社会経済各般に亘り混沌の様相を呈してきたが、人心は奇妙に落ち着いている。余裕の現れか、いわゆる平和ボケか、いずれにしても新年の建設的な展開を期待しよう。

(投稿機能不調のため、細切れ分割投稿となった。)

新年の抱負 ~ 身辺整理 ~ 今月の素数日

$
0
0
新年の抱負は、と訊かれ、すんなり出てきた答えは、「身辺整理」だ。何をするにも、先ず物理的な持ち物整理をしなければ始められない。溜め込んだガラクタや資料類に埋もれて、肝腎の必要資料も掘り出せない状況になって早や二十年余りになる。
 
その間ずっと身辺整理の強迫観念に取り憑かれて生きて来た。先が長くないという思いは強くなるばかりで、とうとう課題先送りの心理的な余裕が無くなったわけだ。三か年計画のつもりで、居室や地下室やトランクルームを片付けよう。悠々自適の境地は、それからだ。間に合えばよいが。
 
コーラスは、春先の発表会が済んだら、特養ホームへの出前コンサートを休止としよう。弱小団体と雖も、企画や諸準備の負担は馬鹿にならない。他グループへの便乗で時々歌わせて貰うだけにしよう。整理がついて身軽になったら、改めて活動再開を考えよう。
 
数字遊びは手軽にできるから、今年も続けよう。
 
今月の素数日:
 
西暦 8桁の素数日無し、7201911320191192019131
      6201911201919
 
皇紀 826790103267901192679012126790131
      726791012679119
      6267913
 
和暦 6310111310117310127310129
      53112131123
      43119
変則53101331019
 

月日だけでの素数日は 11,  13,  17,  19,

                                   101, 103, 107, 109,

                                         113, 127, 131,

11個もある。
 
計算過程で遭遇した面白い素因数分解の例:
 
2019127=11×11×11×37×41
 
     310123=11×11×11×233
Viewing all 1579 articles
Browse latest View live