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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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正月料理は遠く・・・~ アズキ(アヅキ)語源 ~ アドゥキ(キマメ)

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正月料理には縁の無い生活になっている。ここ十年ほどの間にすっかり習慣が変わったように思われる。いわゆるおせち料理を作る者がいなくなったのと、若い人たちが伝統料理に興味を示さなくなったという我が家の事情によるのだろう。
 
カズノコさえ無く、僅かに、雑煮とお汁粉(ぜんざい?)ときんとんがチョッピリ正月気分を感じさせただけだ。お汁粉には有名な鯛焼き屋の餡を使ったという。必要分量の見当がつかないと言うので、当方が助言した。上手く行った。
 
餡の主原料はアズキだと思うが、漢字で小豆と書き、文字通りショウズとも読むのは周知の通りだ。なぜアズキと読むのか、何十年も気に掛っていた。つまり、和名アズキの語源や如何にということだ。
 
偶々図書館から借りて読んでいる≪吉田よし子「マメな豆の話」(平凡社新書2000.4≫にずばりその語源譚が載っていた(p.110):
 
著者によると、インドなどで栽培されているキマメ(木豆)をサンスクリットで“アダキ”あるいは“アドゥキ”という。英語でレッドグラムと呼ばれる種類のキマメは赤い皮を被っている。偶然の一致かも知れないが気に掛る、、、と。
 
アズキは、旧仮名遣いではアヅキなので、“アドゥキ”そのものだ。古代日本にもインドなど西方の人々が渡来していたことが知られており、“アドゥキ”が伝えられた可能性はありそうだ。
 



しかし、アズキとキマメ(レッドグラム種)とがどれほど似通っているのか、相互に代用されうるほどのものなのか全く想像できない。どうも偶然に発音が似ただけのような気がする。語源説としてはワクワクするのだが。


ものは試しと、グーグル翻訳を使ってみた。サンスクリットは無かったが、同系の原語と思われる

Hindi に翻訳させると अदजुकीबीनadajukee been)と、Bengali では অ্যাডজুকিবিন(A?yāajuki bina)と出た。どちらも発音は“アッジュキー・ビーン”と聞こえたが、これは現代人の用語の発音だろう。表記された綴の忠実な発音とは思われない。







童謡「赤い靴」 ~ 江間章子の聞き語り ~ モデル捜しのドラマ

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身辺整理も小さな一歩から、という訳で、眼前に積み上がって埃を被っている紙の山に手を付け始めた。整理とは基本的に捨てることと心得てはいるが、一応一つひとつ目で見て確認する。これからの短い余生において活用する可能性のあるものは残す。
 
『音楽の窓』という月刊誌二十冊ばかり紐綴じになっているのを捲っていたら、≪童謡「赤い靴」の女の子の妹さんの話・・・江間章子≫が目に入った(昭和5671日発行通巻141号、pp.11-13)。江間(1913313 - 2005312)が著名な作詞家であり、「赤い靴」は先頃特養コンサートで歌ったばかりで余韻が残っていたこともあり、作業中断して読んだ:
 
≪数年前のある日、北海道の新聞に、ひとつの投書が載りました。
 
   私は・・・気らくなおばあさんの身になりました~日夜思われるのは、まだ見たことも、会ったこともない姉のことです。もしや姉がアメリカで生きていれば―――と思うと~童謡「赤い靴」は私の姉を歌った詩なのです
 
この投書は大きな波紋をまきおこし~本も出版され~ドキュメンタリーとして、撮影も始まりました~私もある雑誌社の依頼をうけて、「赤い靴」の女の子の妹さん、岡そのさんに会ってくわしいお話を聞くために、千歳へ翔んだのです~≫
 
と、岡そのさんから聞いたお話を書いており、内容は一般に流布する通りで、アメリカ人宣教師に預けられた女の子きみちゃんはアメリカには渡らず、東京の孤児院で病死していたが、母親はそれを知らなかった、となっている。
 

宣教師云々は母親のつくりごとであると主張する論客もおり、真相は今となっては確かめようも無い状況だ。いずれにしても、「赤い靴」の歌が『本居長世 作曲 新作童謠 第十集(敬文館)大正十二年(1923)一月十五日発行』に収録されてから半世紀後に問題の投書があり、壮大なドラマが作られていったようだ。それから更に半世紀近く経った。

 
“横浜の波止場から船に乗って 異人さんに連れられて 行っちゃった”女の子の物語は歌とともにこれからも生き続けるだろう。モデル捜しとは別次元のことだ。
 
「青い目の人形」も同じ作詞・作曲者コンビによるとは知らなかった。しかもほぼ同時期だったとは。ついでに「シャボン玉」も:
 
青い眼の人形   大正10年(1921)12月『金の船』 詞曲同時
作詞 野口雨情 作曲 本居長世 大正10年(1921)10月作曲
 
赤 い 靴    大正10年12月(1921年)『小学女生』
作詞 野口雨情 作曲 本居長世 大正11年(1922)8月作曲 『本居長世 作曲 新作童謠 第十集』(敬文館)大正十二年(1923)一月十五日発行に収録
 
玉  大正11年(1922年)『金の塔』
作詞 野口雨情 作曲 中山晋平  『野口雨情民謡童謡選』(1962年)に収められた年譜によれば、雨情がこの歌(詞?)を最初に発表したのは大正9(1920)年だと記されている。雨情は明治41年3月に先妻(高塩ひろ)との間に長女をもうけた。しかし長女はわずか7日で亡くなってしまう。晋平は『金の塔』大正十一年十一月号を見て作曲して、楽譜を大正十二年一月発行の晋平作品集『童謠小曲』第三集で発表し、次第に広まって行った。
 
d-score、、「池田小百合なっとく童謡・唱歌」、ウィキペディア等を参考にした。)

部分日食 ~ 見るや見えずや ~ 観察グラス長寿

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居間でのんびり茶飲み話をしていて、誰かが「まだ11時前だ」と呟いたところで日食のあることを思い出した。ちょうど食分が最大のタイミングであるような気がして、早速観察用のグラスを捜した。めったに使わないものであるが、珍しく紛失もせず、簡単に見付かった。
 
空を見上げると雲が掛かっていたが、太陽は直視するには眩しく、観察用グラスの出番であると思われた。見えることは見えたが、欠け具合は判然としなかった。第一印象では左上が一部欠けているようだったが、必死に見ると右上のようでもあり、結局判らなくなった。
 
家族も興味を示してそれぞれ観察したが、右上説、左上説に分かれた。ネットで関連サイトを閲覧したところ、左上が欠けていたものの、既に食も終わりかけであると分かり、実際には殆ど見えていなかったのだ。
 
見たいものが見える心理現象の一例だろうか。
 
ところで、この日食観察用グラスは、約7年前、2012521日の金環食を見たくて買ったものだ(見納めの金環日食~犬の遠吠え~気温の低下2012/5/21(月))。そのパッケージには、日本で見られる日食のほか、“金星の太陽面通過”の予報まで記載されている。約百年後、21171211日に“金星の太陽面通過”があるそうだ。
 
北海道で203061日に金環食が見られるそうで、その頃までは小生も生きている可能性はある。観察用グラスは身辺整理の対象外、大切に保管しよう。 買価590円(税込)だった。

病み上がり試運転 ~ カラオケ歌う会 ~ キー聴き取り不能

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某集会施設の歌う会を我が(歌の)出初式代わりとして利用した。旧臘の風邪ひき以来、ほとんど歌っていなかったので、言わば復帰のための試運転であった。
 
童謡・唱歌・流行歌20曲を1時間の枠内で歌うプログラムとなっていた。当方は遅刻したので、4曲目あたりからの参加となった。皆様方も年明け最初の歌い初めとあってか、些か抑え気味で、静かな雰囲気であった。出る杭とならぬよう、控えめに声の調子を探った。
 
キーやテンポに無頓着にカラオケを鳴らすので、ついていくのに一苦労であった。キーが低過ぎるのは常の事だが、テンポはまちまちだ。童謡を快速で鳴らされたのには皆さん置いてけぼりを食って流れ解散の体であった。
 
キーについては、前奏で聴き取れないままに歌詞が流れることがある。今日は23曲でそのようなことがあった。これは珍しい。うち1曲は「銀色の道」だった。最後までキーは解らなかった。メロディーは無く、いわゆるコードだけをギターが奏でるので難しいということはあるのだろうが、皆さんが好き勝手に歌うので、ますます当方の音感も混乱したようだ。まだまだ半人前だな。
 
声の試運転という目的は十分に果たした。回復の程度は8割ぐらいか。声帯へのダメージで永久変調を来したかと恐れていたのだが、何とか持ち直しそうな気がする。

声試運転第2幕 ~ 童謡なれど ~ 音程の難所

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今日は我が声の試運転二日目、簡単な二部合唱を常例とする歌う会に参加した。講師が年度ごとに選定した数曲を月1回練習する。月1だから習熟の歩みは遅々たるものだが、正月の所内発表会には何とか様になる。今年度の選曲は次の通り:
 
童謡メドレー   春が来た
            どんぐりころころ 
            七つの子
 
唱歌       村祭り
           ちいさい秋みつけた
 
その他      糸 など
 
簡単そうな童謡ばかりと舐めてかかると恥を掻くような罠が仕掛けられていた。「七つの子」の低音パートが思いがけず難物なのだ。臨時記号がパラパラ付いているだけなのに、なかなか音取りが終わらない。固定ド方式で読むと次の通り:
 
レードードーーー シーーシレー ♯ファー ♮ファ-ミ-ド-ミ- ♯ファ―――――
か わ い     か  わ い  と      な  く ん だ   よ
 
ト長調の移動ド方式で読むと:
 
ソーファーファーーー ミーーミソーシー ♭シーラーファーラー シーーーーー
か わ  い       か  わい と   な く ん  だ  よ
 
移動ドの方が当方には読み易いが、いずれにしても不気味な音程で、何回歌っても身に付かない。
 
これで高音部のメロディーとハモっているのか、歌っていてもよく解らない。自分の音取りに気を取られていて、ハモリを味わう余裕が無いようだ。やはり半人前だな。
 
試運転の成績は、昨日の第1幕と同レベルにとどまった。高音域に入ると、声が喉に引っ掛かる。発声練習でクリアできるかどうか、明日の第3幕で確認しよう。

声試運転停滞 ~ 現代音楽風歌謡曲 ~ 宮沢賢治の気分

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試運転第3幕も、声の調子に特に進展は無かった。未だ広い音域での発声の機会に恵まれないから、結論は持ち越しだ。
 
それより、拍を数え間違えることが多くなったように思われるのが気になる。安逸の日々に緊張感を忘れた所為か、それとも脳の生理活性の退化か。コンコーネの復習で事態が少しは改善するだろうか。
 
今日の歌う会では、当方的には“妙な歌”が目立った。その筆頭は「ぜんぶ」。初耳だと思うが、自信は無い。念の為PC内を検索したところ、何と20136月にどこかのお母さんコーラスで聞いた記録があった。
 
調子っぱずれとしか言いようの無い音程が散りばめられている。奇を衒ったものだろう。聞いて気持ちの良いものではない。ただ苦笑するしかなかった。
 
しかし、取り上げて積極的に歌おうという人が少なからずいらっしゃるのも事実。しかも、会場の皆さんの斉唱が響く。知らないのは当方ばかり、かも知れないのだ。
 
「黄昏のビギン」は初耳ではないが、やはり妙な音程が特徴だ。ポーズの拍数も予測不可能だ。歌いにくいことに変わりは無い。皆様も苦労しながら歌っていた。それでも取り組む姿勢には感心する。
 
どんな音楽でも繰り返し聞いたり、演奏したるするうちに拒絶反応が収まり、遂には好ましく思われてくるのも確かだ。偏見を捨て、さまざまな歌を受け入れる広い心を持つ、そんな人にワタシハナリタイ、と宮沢賢治なら言うだろう。

謎の天皇海山群 ~ 海洋地質学者ロバート・ディーツ ~ 明神礁大噴火

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蒲生俊敬「太平洋 その深層で起こっていること」(講談社 2018.8)を読んだ。版元による内容紹介はほぼ次の通り:
 

《日本は世界1位の「超深海」大国!→6000m以深の体積が最大
世界中で最も活発な海底火山山脈が連なり、深さ7000mを超える海溝の84%が集中する太平洋――
海面からは見通せないその深部で何が起こっているのか?~~
宇宙飛行士が550人を数える時代に、1万m超の海溝底に到達したのは3人だけ!~
ハワイ島沖・水深1000mにひそむ火山の正体とは?
古代天皇の名をもつ謎の海山群はなぜ生まれたのか?~
「最大にして最深の海」で繰り広げられるおどろきの地球史!》


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海水の概要、全地球的海洋の流れ、海水の鉛直循環、海底地形、大陸プレートの動き、地球深部と海水との交流、最深海の工業汚染など自然科学的解説を中心とする一般向け好著と言える。
 
当方が惹かれたのは、むしろ歴史的逸話“古代天皇の名をもつ謎の海山群”である。著者自身も相当に力を入れて調べた成果を詳しく述べている。
 
“北太平洋をほぼ東西に区分けするように、東経170度付近に整然と並ぶ海山群”は、その源をハワイまでたどることのできる旧ホットスポット火山の連なりだが、なぜ古代天皇の名を与えられているのかという話だ。
 
先ずは先の戦争中のこと、帝国海軍に徴用された貨物船「陽光丸」による機密任務、東方海面測量及び観測(19424月~5月)があった。任務のうち、音響測深による海山のデータの取得が目玉である。艦艇の航行に必要なデータであったと思われる。
 
帝国海軍の制海権の外での護衛無しの無謀ともいえる観測任務の危険性を乗船者たちは知らされていなかったらしい。幸運にも「陽光丸」は任務を果たして無事帰還した。持ち帰った貴重なデータであるが、なぜか書庫にしまいこまれて忘れられた。
 
敗戦後、アメリカの海洋地質学者ロバート・ディーツ(1914-1995)がフルブライト第1回生として日本に派遣された(1952年11月から1年)。彼は北西太平洋の海底地形データを求めていたところ、「陽光丸」の“機密”任務を知ることとなり、そのデータを入手するべく来日したらしい。
 
日本では忘却され、埃を被っていた資料をアメリカの学者が蘇らせることになった。
 
首尾よくデータを入手し、調査結果を生かした北西太平洋の海底地形に関する論文を彼は帰国後に発表した(1954年)。天智、神武、推古など“Emperor Seamounts9山の名称が世に出た。その後、他の研究者たちによる命名もあり、現在は30の天皇海山があるという。
 
天皇名を冠したのは、ディーツの遊び心かも知れないが、貴重なデータを残した日本の研究者の功績に敬意を表したのかも知れない。
 
彼は、日本のデータを持ち出しただけではなく、日本に貴重な情報をもたらすことにもなった。
 
ディーツが来日する少し前、1952年9月に八丈島と鳥島の中間に位置する海底火山が噴火し、これを目撃して通報した漁船、明神丸に因んで明神礁と名付けられた。詳しい状況把握のため測量船「第五海洋丸」が9月23日10時に東京港から出発した。
 
同船は同日20時30分に「異常なし」の連絡を発して以降、消息不明となった。捜索の結果、同船は明神礁の噴火の直撃を受け、一瞬のうちに破壊されたと推定された。先に陽光丸の測深任務で活躍した技師も犠牲者に含まれていた。
 
後に第五海洋丸の遭難の正確な時日がディーツのもたらした水中聴音装置の記録から明らかになった。聴音装置は米軍が遭難船舶や航空機の位置を迅速に把握するためにカリフォルニアの沖合(明神礁から約八千キロ)に設置していたもので、その記録などから9月24日12時20分ごろの明神礁大噴火の直撃を受けて第五海洋丸は救難信号を発する間もなく破壊されたことが確実となった。
 
なお、ディーツは後に「大洋底拡大説」を発表し、それが今日の「プレートテクトニクス」に発展している。
 
ディーツが陽光丸の機密測深任務の存在をいかにして知ることができたのか、それについては本書でも謎のままである。

稽古初め ~ 弘田龍太郎シリーズ ~ 音楽的素養

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当会の稽古初めだった。メンバー二人が別件の用事で欠席だったので、ピアニストさんを含めて3人だけとなったが、予想外の充実した2時間となった。
 
来2月20日の発表会に向けて“弘田龍太郎特集”8曲を仕込むのに、練習は今日を含めて4回を予定している:
 
小 諸 な る 古 城 の ほ と り 
 
鯉 の ぼ り 
 
 雨 
 
お 盆 が 来 る か ら 
 
      雲 に 寄 せ る 
 
      秋 の 山 
 
浜 千 鳥 
 
春 よ 来 い 
      
      文 京 区 歌
 

楽譜が、合唱譜4曲、独唱譜4曲と半々になったのは全く偶然だ。“コーラス”を標榜している手前、独唱譜のままでは気が引ける。急遽、修飾を施すこととなり、あれこれアイディアを出し合った。ピアニストさんの専門的な素養に助けられて、ほぼ構想が固まった。あとは各人がしっかり歌うのみ。

 
秋 の 山」は二部合唱で、殆ど問題無しの予定だったが、ピアニストさんが伴奏譜の数か所にミスプリの懸念を表明した。確かにそのように思われた。当方などは、通常、メロディー譜だけしか見ないから、全く気付かないのだ。
 
雲 に 寄 せ る」ではもっと重大な問題を指摘された。“曲が後半転調している”との当方の何気ないつぶやきが切っ掛けになったのだが、我々の記憶による音程とピアノ伴奏との食い違いが明らかになった。実は、我々は転調などせずに歌っていたのだ。楽譜通りに歌えば、2箇所で半音だけ違いが出るというささやかな齟齬だが、気付いた以上、放っては措けない。
 
暫しあれこれ論じたところで、“転調はミスプリではないか”と、またもやピアニストさんの明晰な提起で、ほぼ結論が出た。確かに我々は転調無しで歌って来たのだ。つまり、今回使用した楽譜(歌集などに収載されたもの)は過去の楽譜(発表当時、週報などに収載されたもの)とは別刷りであることを思い出した。
 
例によってデジャヴュを催したので、当ブログ内を検索したところ、ずばり、この転調問題を取り上げていたことが判った:
 
 
僅か3年足らず前のことなのに、全く記憶に無かった。ボケぶりの感慨を記す事が少しずつ頻度を増していくような気がする。
 
喉の調子は風邪ひき以前の9割方まで回復した(と思う)。この辺が限界だろう。

明治演歌「美しき天然」 ~ うつくしき? ~ うるわしき?

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昨日、某施設での歌う会に半年ぶりに参加した。いつも愚痴るのだが、この種の会では、調を下げてピアノを弾くから、男にとっては音域が低過ぎて歌いづらいことが多い。
 
極めつけは「美しき天然」だった。仕方がないからオクターヴ上げて歌ってみた。絶叫せざるを得ないが、数十人の声に紛れてあまり目立たないことを祈るばかりだった。
 
最高音は二点シ(男声版)辺りになったと思う。瞬間風速的にはそこまで出せるほどに喉の調子が回復したことを知り得たのは幸いだった。
 
ところで、童謡・唱歌が中心の会で、このような古風な歌謡曲が取り上げられるのは異例のことだ。参加者からのリクエストに応えたのだそうだ。
 
「美しき天然」の“美しき”は、予備知識が無ければ、“うつくしき”と読むだろう。ネット上では、“うるわしき”と読ませるものもある。歌詞の内容から判断すれば、“うるわしき”に軍配を上げたい。
 
ちなみに、戦前のレコードには“美はしき天然”と題するものがあるから、やはり“うるわしき”が正統なのだろう。

訂正:「三点シ」を「二点シ」に訂正した(投稿2時間後)。

素数日の夢想 ~ 「19」素数性向「119」 ~ 素数性検定法

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本日は素数日。日の19、西暦7桁の2019119、皇紀8桁の26790119、皇紀7桁の26791194種の素数に恵まれている。これは「19」あるいは「119」の素数性向が高いためではないかと妄想を逞しくする。
 
そこで、「0」累桁法で素数性検定を行う。先ず「19」について「100…9」を30桁まで素因数分解機に掛ける。( )内に素数となる桁を記す:
 
 「100…9」 (2, 3, 4, 5, 10, 19, 23
 
検定基準が未定なので、ある意味ナンセンスだが、素数性向は高そうだ。
 
同様に「100…19」を検定すると:
 
  「100…19」  (4, 6, 8, 11, 12, 18
 
やはり素数性向は高そうだ。
 
ついでに、「1100…9」の型を検定して比べてみよう:
 
  「1100…9」  (4, 7, 10)
 
印象として、「100…9」と「100…19」の型の素数性の高いことがうかがわれる結果を得た。科学的根拠は皆無だが。
 
対象数を類型化して、「100…1119」についても検定を行うと、  (5, 6, 8, 9, 20, 21) となり、やはり素数性向は高そうに見える。
 
素数性検定法などという夢想の一端を記録した。

槇 佐知子 ~ 灰草・草野灰 ~ 義江 明子

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佐知子氏の≪機≫連載エッセーの昨年12月分で、草木の灰の薬効を取り上げている。旧約聖書ヨブ記、グリム童話シンデレラ、日本昔話花咲爺それぞれに灰が絡むというわけで、うちヨブと花咲爺で灰の薬効が示唆されるとのことだ。
 
『医心方』には、冬灰和名阿加佐乃波比(アカサノハヒ)すなわちアカザ科一年草シロザの灰が記されており、シロザは一名灰草と称するそうだ。皮膚病や腫瘍にさまざまな動植物の灰を用いた処方があるとのこと。槇氏からは、前にも話題を頂戴している槇佐知子氏杉の葉煎汁花粉症特効薬 2017/4/9(日))。
 
最近読んだ義江明子「つくられた卑弥呼」(筑摩書房2018.10)の中に、大和朝廷に征討され「土蜘蛛」と蔑称された地方豪族の具体的な呼び名についての考察がある。男の土蜘蛛で“草野灰(かやのはい)”と呼ばれる者がいた。“グリム童話の、継母によって台所に追いやられた少女=「灰かぶり」と同様の命名法である”と述べる。
 
槇氏の所説に照らせば、“草野灰”は、草(カヤ)の灰を医薬として用いたり、商ったりしたことによる命名だったのではないか。シンデレラ(灰かぶり娘)の命名とは少し趣が違うことになる。
 
「つくられた卑弥呼」は2005年刊の再刊らしい。卑弥呼を始め古代の女性首長は巫女の資質によって推戴されたもので、政治や軍事の実権は持っていなかったとする通念を打破する痛快な読み物だ。こんな本が十年以上も前に出版されていたとは。情報アンテナの性能向上が必要だ。

福原千鶴・小鼓 ~ 馬皮 ~ 桜材

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某コーラス教室にゲスト講師として、小鼓奏者の福原千鶴氏が招かれた。昨、一昨年度にもお見えになって、邦楽の実演奏を披露された(研究授業成果お披露目邦楽家客 2017/9/25(月))。今回は、演奏もあったが、小鼓に関する包括的講義の形であった。


 


小鼓の部品構成には驚いた。円環に馬皮を張った発音体2枚を麻糸を撚り合せた紐で繋ぎ、間に両端ラッパ型、つまり砂時計型の筒を挟んで引き締めて使うのだ。この簡単な構造にも拘らず、繋ぎの緊張度を加減して音階を奏でることが出来る。


 


馬皮円環2枚を支える砂時計型の筒の素材は桜材だそうだ。新しく小鼓が作られることは稀で、古器が人から人へ受け継がれるケースが多いという。年代を経た楽器が良い音を出すらしい。桜の樹種が変わってきたことも影響しているらしい。


 


馬皮の方は消耗品で、修理しつつ長く使うものの、数十年の間には取り換えられるそうだ。聞き違いでなければ、薄くなったり、破れたりした所に、漆を塗ったり、金継ぎを施したりするそうだ。発音材である馬皮にそのような修理法が通用するとは驚きだ。


 


素材として馬(皮)と桜(材)の組合せが用いられると聞いて、馬肉(さくら)を思い出した。北国に勤務していた頃、野次馬根性で刺身用馬肉の買い付けに同行したことがある。珍しいのと、割安感があったのとで、キログラム単位で買って帰った。


 


帰宅して直ぐに冷凍保存としたものの、食べる勇気が無く、希望者に譲った。皆さん刺身として美味しく頂いたそうだ。お腹をこわした話も聞かなかった。


 







鳴神響一「江戸萬古の瑞雲」~『七草ばやし』~ 貧の盗みに恋の歌

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今日読んだ小説、鳴神響一「江戸萬古の瑞雲」(幻冬舎文庫 2018.12.10)の冒頭に

   《七草なずな 唐土の鳥と 日本の鳥が 渡らぬ先に ストトントン》
 
という歌の文句が出てくる。
 
『七草なずな』とか『七草ばやし』などと呼ばれるわらべ歌で、、、正月七日に七草粥を作るために野菜を刻むときに古くから歌われてきた、とある。
 
春の七草を覚えるのに便利な《せり、なずな、、、、》はいつの頃からか知っているが、『七草ばやし』は初見だ。歌われているのを聞いたこともない。
 
ネット検索すると、物識りの皆さんの解説がたくさんヒットした。江戸随筆「守貞謾稿」にも載っているとのことだ。音源や楽譜もあった。当方が無知なだけで、世間ではよく知られた俗謡のようだ。
 
歌詞にはさまざまな異版があるらしいが、大意は《大陸から鳥が災厄を持って渡って来る前に備えをしよう》ということだと聞くと、昨今の鳥インフルエンザや大気汚染の元凶を連想する。昔の人は海を越えて病原体や汚染物質が日本にやって来ると直感していたのか。
 
優れた小説家の博識には感心する。よく勉強しているに違いない。時代小説などを書くには、時代考証を欠かせない。生半可な雑学知識ではボロが出る。鳴神響一さんも相当の物識りであることは確かだ。
 
ただ、1箇所腑に落ちない記述があった(p.184):
 
《、、、八月二十二日、、、深更に上弦の月が昇る頃であり、、、》
 
江戸時代の話だから日付は勿論いわゆる旧暦に拠っており、ほぼ月齢そのものだから、下弦の月でなければならない。月の出はまさに真夜中となる。
 
昔の出版物ならばミスプリ(誤植)かと思うところだが、今は電子データの遣り取りで済ますだろうから、“執筆”段階のミスと考える方が自然だ。弘法も筆のなんとやら、の伝か。
 
しかし、そのすぐ後(p.189)に、《貧の盗みに恋の歌》などという気の利いた諺を教えてくれる。当方にも心当たりがあるとは言わないが、なかなかに人の本性を穿っている。 
 
推理の甲斐と楽しみのある好著だ。

哨戒機へのレーダー照射 ~ 承知の水掛け論 ~ 艦艇への威嚇飛行

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201812月から、韓国艦艇による日本の哨戒機に対する火器管制レーダー照射問題がマスメディアでくすぶっている。レーダー照射はロケット砲あるいはミサイルによる攻撃の準備完了を」意味するらしい。
 
勿論、実際に攻撃するかどうかは、照射された哨戒機の方では判断できないが、回避行動するのは常識だろう。反撃能力を有する戦闘機などであれば、対抗措置をとる選択肢もあるから、事態は深刻だ。武装していないことが明らかな哨戒機だから、韓国艦艇側がたわむれにレーダー照射したとみるのが正解のように思われるが、如何だろうか。
 
そのように考えるならば、日本側からの抗議あるいは質問は、いわゆる水面下で行われてもよかったのではないだろうか。実際にその手順は踏んだのだが、韓国側から事実無根であるかのような不誠実な回答があったのかもしれない。
 
その場合であっても、事を荒立てるのが得策か否か、相手方の事情などを斟酌する余地があるだろう。報道から受ける印象としては、騒ぎが大げさすぎるようだ。引っ込みのつかなくなった韓国側が、対抗上、日本の哨戒機が韓国軍艦に低空飛行で接近し、威嚇したと抗議した。
 
双方とも、主張を裏付ける証拠なるものを公開しているが、どちらも証拠能力には疑問がある。いわゆる軍事秘密を明かすわけにもいかないことを口実として、水掛け論に終わることが見え見えの中途半端な資料を出し合っているのかもしれない。
 
真相を知る由もない一般人が論評するのもおこがましいが、些か大人げない口喧嘩をしているように見える。当局者が取り組むべきもっと重要な課題が無いのだろうか。

と偉そうなことを記した当方はというと、今日は老人施設への訪問コンサートに参加して、ロシア民謡や歌謡曲、復興支援ソングなどを歌ってきた。総勢18名だから、気楽な気分で、あまり緊張感はなかった。皆さんも同じ気分と見えて、歌い出しそびれるなどの拙い場面があった。要するにもたれあいの弊害だ。

素数分布 ~ 599・・・9 ~ 出現桁数列

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ヒマな時には相変らず累桁法で素数の出現状況を眺めている。ある種のパタンないし(擬似)周期の見られることはだいぶ前に記したところであるが、最近遭遇した例を挙げておこう。( )内は桁数:
 
(2)59,
(3)599,
(5)59999,
(6)599999,
(8)59999999,

(11)59999999999,

(14)59999999999999,

(23)59999999999999999999999,

(24)599999999999999999999999,

(29)59999999999999999999999999999,

(35)59999999999999999999999999999999999,

(41)59999999999999999999999999999999999999999,

(62)59999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999,
 
注目するのは桁数から成る数列で、そこに何らかの規則性があるかどうかである。ここでは、
 
≪2 3 5 6 8 11 14 23 24 29 35 41 62≫
 
が問題の数列である。単純に前後の数の関係を取っただけでは、あまりパッとしない。しかし、何と無く階差が「3n」(n:正の整数)でまとまっているように見える。例えば、
 
≪2  5  8 11 14 23 24 29 35 41 62≫
 
のように色分けすると、これは、2系列から成る混成数列であると見做すことが出来る。どちらの数列も、階差「3n」である。
 
黒字列について階差の「n」を並べると、
 
≪1 1 1 1 3 2 2 2 7≫
 
となる。これだけでは気の利いたパタンは見えてこない。項数を増やせば何か見えるかも知れないが、今のところ実用レベルの計算手段を有しない。
 
以上で何かが判った訳でもないが、ある種の規則性が存在するようにも思われて、自己満足に浸ることが出来る。

ブラジル鉱山ダム ~ 決壊災害 ~ 尾去沢鉱山中沢鉱滓ダム

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ブラジルで鉱山ダム決壊による災害が発生し、ここ数日大ニュースとなっている:
 
《ブラジル 鉱山ダム決壊で60人が死亡=プール5千杯分の有毒な泥水が鉄砲水に=行方不明者もまだ292人=「取りうる全ての対策を」とボウソナロ大統領》 

≪ブラジル南東部ミナス州のブルマジーニョで25日、鉱山ダムが決壊した。この事故により、大量の鉱滓(鉱山採掘の過程で発生する有毒な汚泥)が周辺地域へ急激に流出し、市街地やバスなども丸ごと飲み込んで、多数の死者、行方不明者を出したと、2628日付ブラジル各紙が報じている。

 28日昼までに発見された遺体は60人分で、19人の身元が判明している。192人が救出され、382人の無事も確認されたが、行方不明者はまだ292人おり~≫  

                        1/29() 20:58配信(ニッケイ新聞)
 
鉱山ダムと言えば概ね精錬過程から出る有害な汚染水や汚泥を外部に排出しないよう貯留するダムだ。生産に直接的に貢献する発電、上水、灌漑などのダムと違い、コスト節減指向が強く、安全面が疎かになり易いと懸念される。
 
我が国においては、尾去沢鉱山中沢鉱滓ダムの決壊事故が今回ブラジルの事故の類例である。孫引きで恐縮だが概要次の通り:
 

“昭和111120日未明 鹿角市尾去沢字中沢(現在地名)
  尾去沢鉱滓ダムが~決壊しました。

   沢沿いの住宅(中沢・笹小屋・瓜畑・新堀・下モ平・蟹沢)を飲み
  込み米代川へ・・・・翌月1222日未明  復興工事中に再び決壊し
  ました。
     死 者  374
     負傷者  174
     罹災世帯 293世帯
     被害家屋 294

   秋田県の鉱山事故最悪の事件でした。

   翌昭和121120日 変災一周忌の法要が営まれました。
  大盛山 円通寺の境内に変災犠牲者の霊を追悼する記念に「観音堂」
  建立され、幼若犠牲者の霊を慰めるため「地蔵堂」が建立されました。                     

(三菱鉱業社史より
 
この事故についてはインタネット上の情報が極めて少ない。行方不明者数十人との情報もあるが、確認できない。原因究明や責任所在など、事後処理状況は殆ど判らない。大日本帝国が戦争に突入する時期であったから、大事の前の小事と扱われたのかも知れない。

新解釈「弘田龍太郎」  ~ 「小諸なる古城のほとり」 ~  「浜千鳥」

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三週間後に迫った生涯学習フェアの当会プログラム≪弘田龍太郎特集≫の準備が足踏み状態だ。練習は2時間を4回のところ、既に半分の2回を過ぎたが、全員で練習したのは全9曲中2曲のみだ。尤も、手強そうなものを先ず重点的に浚っておこうとの意図的な時間配分ではある。
 
プログラム初っ端の島崎藤村/弘田龍太郎「小諸なる古城のほとり」は独唱譜を2組4人でリレー式に歌うことにした。主旋律だけだからと簡単に考えていたが、ピアノ伴奏で歌うにはかなりの慣れが必要であると判った。歌い易いようにとの配慮の為された“伴奏”譜ではなかった。当方ら素人衆は、頻繁に入るピアノ間奏に聴き入ると、歌い出しのタイミングを誤る危険性が大きい。
 
タイミングを間違えまいとして拍を一所懸命に数えていると、曲想表現が疎かになる。残り2回の練習でどこまで習熟できるか、他のマイナー扱いの曲にも時間を割かなければならないから、予断を許さない状況となった。
 
難曲と考えたもう一つは、無伴奏四重唱の鹿島鳴秋/弘田龍太郎「浜千鳥」だ。メロディーには誰もが馴染んでいるので問題無いが、一人一パートで迷子にならずに歌い切れるかどうかだ。ピアニストさんに参加して貰って素人衆の負担が少し軽くなることに期待している。
 
プログラムは、当初、≪弘田龍太郎の四季≫と題していたのだが、ふと思いついて≪新釈 弘田龍太郎≫と銘打つことにした。一部の曲を勝手に改変したり、演奏を独自の形式にしたりすることを積極的に表に出そうとの魂胆だ。お客さんに汲み取って頂けるかどうか。

一高寮歌「春爛漫の花の色」~原歌“Rosalie, the Prairie Flower”~H. ゴチェフスキ氏

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第一高等学校(旧制)の第十一回紀念祭寮歌(1901.03.01)である「春爛漫(の花の色)」は、矢野勘治・作詞、豊原雄太郎・作曲とされているが、メロディーは他曲を借用していることは夙に知られていた。したがって、豊原を単純に作曲者と認めることは適当ではないようである。
 
不思議なことに、その他曲すなわち原歌とは何かが長年不明であった。発表当時は当然原歌の正体は知られていた筈だが、書き物には記されなかったようだ。
 
その謎の原歌を明らかにした論考が某所で披露されたので(2018123)、その要旨を記録しておこう。発表者は、明治期唱歌の西洋原歌の研究で有名なHermann Gottschewski(ヘルマン・ゴチェフスキ)氏である:
 
≪~私(ゴチェフスキ)は実は5年前に「仰げば尊し」等『小学唱歌集』に収録されている唱歌の原曲を探している最中、東京藝術大学附属図書館に保存されている英語の唱歌教材の中に「春爛漫」の原曲も見つけていた~
 
東京藝術大学附属図書館にある原曲の楽譜~この歌集は当時アメリカの音楽教育で使われたトニックソルファ(tonic sol-fa)という特殊な記譜法で出版されている~
 
この時期の数年後に作られた「春爛漫」の原曲は別の系統で一高生に知られた可能性もあるが、現時点では日本で確認できる楽譜はこの一点のみである~
 
19世紀アメリカの流行歌Rosalie, the Prairie Flowerこの歌は1855年に女流作家Fanny Crosby(1820–1915) と作曲家 George Frederick Root(芸名 G. Friedrich Wurzel, 1820–1895)というコンビで他の5つの曲とともに発表された。大変流行したのでこの一つの歌だけで作曲家が3000ドル近くの印税をもらった。当時のソングライターにしては信じられない額であった。間も無く様々なアレンジメント、ピアノ変奏曲なども作られた。
 
歌詞の内容はアメリカのプレーリーに住んでいた可愛い娘についてで、3番で彼女は亡くなったということが分かる~原作はピアノ伴奏付きで前半ソロ、後半混声合唱という、当時アメリカで流行っていた形式で作られているが~後のアレンジメントは必ずしもその形式に従っていない。
 
この歌は今日も忘れられていない。youtubeで~たくさんの録音が出てくる~
 
早速幾つかの音源を聴いてみた。直ちに「春爛漫」を想起させる演奏は無かった。楽譜を眺める方が解りやすいようだ。
 
イメージ 1
 
Rosalie, the Prairie Flowerの歌詞を転載しよう:
 

On the distant prairie, wherethe heather wild,
In its quiet beauty liv'd and smiled,
Stands a little cottage, and a creeping vine
Loves around its porch to twine.
In that peaceful dwelling was a lovely child,
With her blue eyes beaming soft and mild,
And the wavy ringlets of her flaxen hair,
Floating in the summer air.
Fair as a lily, joyous and free
Light of that prairie home was she,
Ev'ryone who knew her felt the gentle pow'r
Of Rosalie, 'The Prairie Flower.'


On that distant prairie, when the days werelong,
Tripping like a fairy, sweet her song,
With the sunny blossoms, and the birds at play,
Beautiful and bright as they.
When the twilight shadows gather'd in the west,
And the voice of Nature sank to rest,
Like a cherub kneeling, seem'd the lovelychild,
With her gentle eyes so mild.
Fair as a lily, joyous and free,
Light of that prairie home was she.
Ev'ry one who knew her felt the gentle pow'r
Of Rosalie, 'The Prairie Flow'r.'


But the summer faded, and a chilly blast,
O'er that happy cottage swept at last:
When the autumn song birds woke the dewy morn,
Little 'Prairie Flow'r' was gone.
For the angels whisper'd softly in her ear,
'Child, thy Father calls thee, stay not here.'
And they gently bore her, rob'd in spotlesswhite,
To their blissful home of light.
Though we shall never look on her more,
Gone with the love and joy she bore,
Far away she's blooming in a fadeless bow'r,
Sweet Rosalie, 'The Prairie Flow'r'.

 
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アムール河の波 ~ 長々持ち越し ~ 駆け込み練習

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いつぞや、アムールと言えばアムール河を連想し、懐かしい「アムール河の波」を思い出す。ちゃんとした合唱で歌ったのはもう十年以上前のことだ≫と呟いたペチカオオカミアムール 2017/4/24())。当方にとっては合唱趣味にのめり込んだ頃の、いわば原点に位置する記念すべき歌だ。
 
「アムール河の波」は、原題“Амурские волны(アムールスキイェ・ヴォールヌィ)”、ロシア民謡とされることも多いが、作詞者・作曲者とも明らかな近代の合唱曲のようだ。
 
これを某コーラス教室で唐突に練習し始めた。年度開始間もなく一受講者からリクエストがあったもので、
いつ取り上げるのかと心待ちにしていたところ、とうとう年度終了間際にまでずれこんでしまった。講座はあと1回でお仕舞だ。
 
使用する楽譜は二部合唱用で、歌詞は合唱団白樺の日本語訳だ。初心者向けに編曲されているので、経験者としては楽に歌える筈なのだが、五線譜に二つのパートを併記しているから、真面目に音符を追い掛けようとすると近視・乱視混じりの老眼があわてふためいて、経験者らしからず口元も疎かになる。
 
講師もこの楽譜には慣れていないと見えて、ピアノ伴奏がぎこちなく、音取りも主旋律だけで、結局第1回目の練習はあまりパッとしなかった。次回すなわち第2回が最終回となる。欲求不満を残さない程度には二部合唱を仕上げたいものだ。

東野奎吾「秘密」 ~ 七十路読者 ~ ローティーン読者

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近所の公立図書館が古くなった蔵書などを時々リサイクル本として無料放出する。そこで目ぼしい本を入手して大いに恩恵に与っている当方、今も数冊ストックして同時並行で読み進んでいる。
 

その内の一冊、東野奎吾「秘密」(文藝春秋1998.12.20 第8刷)全415ページ中66ページまで読んだ。消化率約16%とかなりの進捗だと思うが、未だ話の筋は見えてこない。スキーバスの転落事故に遭った妻が死に、娘(小5)が助かったが、妻の人格が娘の体に転移して生き残ったという立場の男が主人公のようだ。イメージ 1

 
 
スキーバス事故と言えば、最近ではいわゆる「軽井沢スキーバス転落事故2016115日)が「犀川スキーバス転落事故」(1985128日)以来の大事故だそうだ。その前にも「青木湖バス転落事故」(197511日)があり、いずれも長野県内、1月中の事故だ(ウィキペディア)。
 
本書の事故現場も長野県内の設定だが、時期は3月となっている。喜劇か、SFファンタジーか、それとも題名に相応しいミステリーか、予想不可能という段階である。
 

この二十年前発行の小説の題名「秘密」が昨日の日経夕刊14ページ(文化)のコラム≪読書日記≫(女優南沢奈央①)の見出しとなっていた。彼女がこれを文春文庫で読んだのは中1の時だそうだ。読書遍歴の出発点らしい。当方は終着点で読んでいる訳で、その相対年齢差は六十有余年にも及ぶ。

 
精神年齢は大差無いのだろうなあ。
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