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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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行事賛助コーラス ~ 意欲弛緩 ~ 選曲選好

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男女平等センターという面白い名前の施設の年に一度のお祭りがあり、開会式の後の合唱発表に参加した。約二十名のグループで、数年前に初参加以来、舞台発表の先陣を務める慣例になったらしい。大きくも無い会場に、ほどほどの入場者であった。
 
   虫のこえ          小学唱歌
   君を乗せて         TVアニメ挿入歌
   秋桜(こすもす)      日本ポップス ?
   メリーウィドウワルツ    オペレッタから(指揮者独唱)
   モルダウの流れ       スメタナ「我が祖国」から
   花は咲く          NHK3.11復興支援歌
   (演奏時間 約二十分)
 
当方好みの歌が含まれない所為か、些か真剣みに欠ける気分であったため、先走ったり、歌詞を思い出せなかったりして、周囲の顰蹙を買ったような気がする。
 
演後の反省会では、客席で試聴したOGから、厳しいご指摘があった:
 
 「虫のこえ」のような唱歌は完全暗譜とするべきである。明譜の歌も、楽譜にかじりついて
いる様は見せるべきでない。
 
日頃言われていることであるが、一向に改まらないのは、≪ボランティア活動だから≫との甘えがあるからだろう。
 
指揮者も腹に据えかねるのだろうか、≪要所要所では指揮を見て欲しい。男声は自由に歌っている≫と、
のたまわれた。
 
あまり議論を深めると分が悪いので、会長に散会を促して、そそくさと引き揚げた。
 
身勝手なようだが、冬の選曲は、張り切って歌えるものになることを切に祈る。
 
蛇足:出番が終わったらそのまま退出してしまったが、他の出演グループの発表も鑑賞するのが礼儀である旨注意喚起したい。
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栗、出回り? ~ 貯蔵栗特上品 ~ 値段も特上

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今日気付いた二日前の新聞記事:
 

 イメージ 1クリ太古から日本の味覚  2018/10/27付 日本経済新聞 夕刊

≪全国的に気温が下がり、秋の味覚クリを店でも見かけるようになった~≫
 
つい一週間前、当欄で≪栗の出盛りは過ぎたのだろうか≫と独りごちた(市場祭り~栗無し柿有り~栗名月 2018/10/21())当方としては、狐に抓まれたような気分だ。
 
しかし、現に、前回店頭にクリが1ネットしか無かった青果店で今日は山盛りのクリを見掛けたことからすれば、やはりクリは出回り始めたのかも知れない。尤も、貯蔵栗特上品とかで、常識的なお値段の倍の値が付いていた。
 
走りのクリが駆け抜けて姿を消した一時期に出盛りが終わったと勘違いしたようでもあるが、クリにも早生、晩生など種類が多いだろうから、一概に盛りの時期を決め付けるのは無理なようにも思われる。
 
ところで、貯蔵栗とはブランドなのか、出荷前の氷温貯蔵を意味する普通名詞なのか、見掛けた店頭では産地名などの表示は無かった。

特養訪問コンサート ~ 一年ぶりピアノ伴奏 ~ 駅で急病人介助

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今月の特養訪問コンサートは、ほぼ月末の今日、爽やかな散歩日和、池尻大橋駅で新登場のピアニストさんを待って、施設までご案内した。途中の長い坂道が少しキツイ。
 
控室でリハーサル、と言いたいところだが、それさえ満足に出来ないくらいグループの態勢が整っていない。直前のプログラム変更とか、楽譜の点検とか、配付物の取り揃えとかが足を引っ張る。
 
おまけに、施設側の用意してくれたキーボードが電源コードの接触不良で音無しの構え。少し軽量の代替品を捜しだして貰い、何とか練習は出来た。
 
ピクニック
秋の子
花言葉の唄
朝顔や(つるべとられて もらひみづ)
庭の千草
星めぐりの歌
ロンドンデリーの歌
星の世界
雁(がわたる)
かりがね
ニコライの鐘
リンゴのひとりごと
山小舎の灯
 
 
全曲目をお浚いすることは出来なかった。最難関の「朝顔や」に時間を割き、外に数曲を軽く試演した。開演ぎりぎりにHさんが会場に駆け込んできた。随分お忙しい人だ。あまり遅れなかったTさんも、病み上がり、あるいは回復途上とのことであった。とにかく、二人とも、参加してくれたのは有難い。
 
ヴォーカル陣はどの曲も準備不足なのだが、ピアノの威力は歴然で、大きな破綻を来すこと無く、先ずは順調にお客さんをオモテナシできたようだ。約二十人と普段よりは少な目ながら、積極性のある人が多かった。
 
控室に引き揚げて、今後のことを打ち合わせた。十二月までは予定通り訪問コンサートを行い、来年12月は発表会に集中することで合意。コンサート再開は3月を見込む。
 
施設に向かう前、駅のホームでハプニングがあった。電車を降りて階段の方へ行く途中、椅子に腰を下ろしてはいるが、具合の悪そうな女性がいた。上体を起こそうとするも、力なくバッグに顔を伏せて動かなくなる。皆さん足早に通り過ぎる。
 
声を掛けると振り仰ぐことは出来て、出血で難儀していると訴えた。若い女性であるだけに手を差し伸べるのは憚られて、とにかく駅員を呼ぼうと思った。

しかし誰も見守るものがいなくなるのもまずいなどと逡巡して目を離している間に彼女がコンクリートの通路に仰向けになっていた。倒れる音は聞こえなかったから、椅子から崩れ落ちたものと思われた。
 
一刻の猶予もならないと走り出そうとしたところへ、ひとりの男性が走って来て既に駅員は呼んだという。
 
後から通りかかった女性も加わって3人で取り敢えず保護することになった。大分時間が経って駅員が来たが、急ぐふうでもなく、救急車の手配も未だだった。急ぐように促した。

駅員が改めて車椅子を運んできて、病人もそれに乗ることが出来たので、あとは親切な女性と駅員に任せて、当方はその場を去った。
 
病人の顔が殆ど白色だったのが印象的だ。貧血の症状なのだろう。本人は元気が無く、声は小さいものの、明瞭に受け答えをしていたので、多分、大事は無いだろうと思われる。

デイサービス訪問コンサート ~ ハプニング3件 ~ 自己満足1件

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ボランティア合唱団の一員として、デイサービスなどを行う介護予防拠点を訪問した。演目はこの秋のコンサートにほぼ共通のものである。お客さんは通所の方々なので、皆さんお元気で、唱和する方が多い。
 
今日の特記すべきハプニング3件:
 
歌い出し失敗:当方以外のメンバーが、前奏に聞き惚れたのか、歌い出さなかった。一瞬、フライイングを犯したかと思って、声を引っ込めた。指揮者がしまったという表情を見せたが、お客さんには判らないのが不幸中の幸いだ。キーボード奏者に目配せしつつ、アクションを付けて歌い出しをリードした。
 
 何故、他のメンバーが出だしそびれたのか不思議だったが、後で考えると、皆さん指揮者の合図に頼る癖が付いていたのだろう。指揮者をよく見なさいとは言うものの、歌い手としての自立性も必要だろう。この時は指揮者が歌い出しの合図を出さなかったものと思われる。
 
 ということは、当方は指揮者を見ていなかった訳で、これもあまり褒められない。痛し痒し。
 
歌詞失念:この指揮者は自分のソロを必ずプログラムに入れることにしており、今季は「メリーウィドウワルツ」である。歌い始めて間もなく、突然後ろ(合唱隊の方)を振り向いて“しまったと”いう素振りをした。苦笑いを浮かべながら、それでも歌い続ける。今度はお客さんに向かい合ったまま何か言い訳を挟んだ。当方は気付かなかったが、歌詞を間違えたり、忘れたりしたのだった。 
 
 それでも中断すること無く、キーボード伴奏者にも合図しながら一応歌い収めたのだから、場数を踏んだだけのことはある。
 
絶対音感?:プログラム最後は「もみじ」で、会場のお客さんも張り切って歌おうとの意気込みが伝わる。中のお一人が早々と口ずさみ始めた。やがて前奏が鳴り響くと、気の早いお客さんの歌声と同じ調だった。これには度肝を抜かれた。我々合唱団にも欠ける絶対音感の持ち主なのか、とビビりそうだった。
 
 しかし、彼の歌声そのものは普通のお年寄りの頼り無げなものだったので、調の一致は多分偶然だろうと思った。それにしても腑に落ちない、と暫く考えて、思い当たったのは、直前に聴いた歌の音階が反映されているのではないかという可能性であった。
 
 「もみじ」はフラット1個のヘ長調であった。その直前の演目は「メリーウィドウワルツ」で、その楽譜は合唱隊には配付されていない。帰宅して所蔵の楽譜を確かめると、ヘ長調であった。彼女がこの調で歌ったという確証はないが、取り敢えず結論としておこう。原調はト長調のようだが、これも確証が無い。
 
ハプニングとは言えないが、もう一人の男声メンバーとの二重唱「菩提樹   Der  Lindenbaum」は上々の出来だった、と思う。今季5度目くらいで、その中では最高の自己評価である。他人様がどう評価したかは不明だ。

落葉が踊る ~ 謎のドイツ民謡 ~ 緑の丘に

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長年抱えている謎のひとつに、≪落葉が踊る 踊る 踊る 小風に揺られ ひらひら 赤に黄に 染めた 着物 黄色く赤く ひらひら≫という風な歌詞の唱歌がある。
 
題名、作詞者、作曲者がいずれも不明なので謎に分類する。小学校で教わった歌であることは確かだ。メロディーはほぼ再生可能だ。
 
昨日、某所での≪歌う会≫で、そのメロディーによる「おどり」なる歌を教わった。ドイツ民謡だそうで、歌詞は次のような:
 
“1 緑の丘に 今日も来たよ 皆んなで摘もう あの草 レソソ ミドド レソソ ミドド ~
 2 小鳥が跳ねた ピョンピョンピョン ピョンピョンピョン ~
   リズムに合せ タンタンタンタン”
 
ネット検索では、「連弾「おどり」第1ピアノhttps://www.youtube.com/watch?v=HUhH3C0O6zs)が唯一のヒット。
 
落葉が踊る 踊る 踊る ~≫は依然謎だ。

杞憂 ~ 敗者に汚名 ~ 待ちぼうけ

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毎度面白く、かつ、話の種を提供して下さる阿辻先生の日曜コラム≪遊遊漢字学≫、今日のお話は格別に味わいがあった:
 
「杞憂」の裏に敗者の屈辱阿辻哲次 2018/11/4付 日本経済新聞 朝刊
むかし杞(き)という国に、「もし大地がくずれ、天が落ちてきたらどうしよう」と毎日悩み、食べるものものどを通らず、やせ衰えた者がいた~この話から無用の取り越し苦労を、杞の国の人の心配ごとという意味で「杞憂」というようになった
 
さてこの主人公はいったいなぜ「杞」の国の人なのだろう?~
 
杞は、夏という王朝が滅亡したあとかなりのちに、夏の子孫を集めて作られた国だった。その夏を倒した殷も、末期に暴君が現れたので周に倒されたが、周は殷の子孫を皆殺しにはせず、宋というところに土地をあたえ、そこで祖先に対する祭りを継続させた~
 
殷の前の王朝であった夏の直系の子孫たちも土地をあたえられた。そこが「杞憂」の主人公の国だった~
 
杞や宋に暮らすかつての王族の子孫たちは~勝利者である周から嘲笑されながら、ほそぼそと祭りを続けるだけであった。
 
切り株にぶつかったウサギを手に入れてから、仕事もせず切り株の番をしていた「待ちぼうけ」の話は「宋の人に田を耕す者あり」という文ではじまる。笑い話の主人公は、笑われる土地の人でなければならなかった≫
 
「杞憂」の話は≪戦国時代の思想書『列子』(天瑞)に見える≫そうだが、「待ちぼうけ」もそうなのか。
 
北原白秋作詞、山田耕筰作曲の滿洲唱歌「待ちぼうけ」が頭にあるから、満州の昔話かと思っていたのだが、検索してみると、≪中国の法家の思想書の一つ『韓非子五蠹(ごと)篇』の中にある説話「守株待兔(しゅしゅたいと)」から録られた≫らしい(ウィキペディア)。
 
白秋さんが育った頃は、中国の古典がよく読まれたか、学校で教えられたか、現代よりは一般によく知られていたのだろう。今では本家の故事成語「守株待兔(しゅしゅたいと)」より白秋の用語による「待ちぼうけ」の方が遥かに通りが良い。
 
歌の力は偉大なり。
 
ちょうどひと月前、某所の≪歌う会≫で「待ちぼうけ」を歌ったことを思い出した。

素数ゼミ ~ 7種類の系統解析 ~ 依然謎の大発生

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素数と言えば格好の話題となる「素数ゼミ」については、当欄でも過去に取り上げたことがある(正多角形の作図~~~17の特殊性~~~セミ・琴 2008/12/3())。何故17年とか13年という素数年を周期として大発生するのかについては、天敵によって食い尽くされる可能性が小さいとか、毎年発生する他種のセミとの交雑を免れやすいとか説明されているようだが、当方にはピンと来ない。


 


いずれにしても興味深いこの素数ゼミを研究しておられる学者もいらっしゃる訳で、最新の研究成果の一端を曽田貞滋氏が學士會会報No.933(2018-)に寄稿している(周期ゼミ――異なる素数周期間に交雑の痕跡)。専門的で難解な部分を跨いで要約すると次の通りである:


 


≪米国東部には17年、13年ごとに大発生する「周期ゼミ」がいる。長年一種類だと思われていた周期ゼミが実は形態および鳴声によって67種類に分類できると判ったのは20世紀後半である。また、これらの周期ゼミの系統解析により各種類の分化関係が明らかになったのは2010年代以降である。


 


発生周期の17年と13年という違いは遺伝子的には大きくはない。両者間には遺伝的な交流もある。発生の過程を見ると、13年ゼミが17年ゼミから分化している。周期ゼミの幼虫期間は発生周期に同じであるが、数年遅れたり、早まったりする個体もある。特に、17年ゼミの一部が4年早く羽化する現象は昔から知られている。≫


 


考えてみれば、アブラゼミの一生は7年だそうだから、これも素数ゼミの一種ではないか。結局、5年、7年、11年などの素数ゼミもいるのではないのか。


 
ただし、それらが特定の年にしか発生(大発生)しないという現象は見られないのだろう。そこが17年、13年との根本的な差異であると考えられる。その(当方的な意味での)謎は解明されているのだろうか。

ブルーベリー苗木 ~ 先着150名 ~ 短気も必要

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≪技能祭≫という行事があることを知ったのは23年前で、何となく気になっていたところ、今年は某コーラス教室参加者の一人がシンパらしく、2度にわたって宣伝したのに感化され、今日参観して来た。
 
職業訓練に特に関心がある訳ではなく、“先着150名にブルーベリー苗木進呈”のキャッチコピーに引っ掛かったと言うべきである。後れを取らず、目的を達するため、当方としては珍しい早目の時間の出発となった。
 
ところが、間の悪いことに、行程を遅らせるこまごまとした出来事が複数あり、会場に着いたのは11時をかなり回った頃であった。苗木の予定数量終了の事態も想定しながら、入り口の案内嬢に尋ねようとしたのだが、彼女はお友達と談笑中で、当方を視野に入れながらもなかなか対応する気配が無かった。
 
苗木狙いの下心が有って舌鋒が鈍っている当方、ひたすら待つこと数分、彼女たちの会話の中に“早い来場者の多くは苗木目当て、、、”とかの遣り取りが聴き取れたのをチャンスに口を挟み、漸く対応して貰ったところ、その案内嬢が最後の引換券を手にしていたのであった。
 
奇蹟的な幸運を大いに喜んだのは言うまでも無いが、後で考えるに、当方が案内嬢の対応を黙って待っている間に、同好のお客さんが横から問い掛けていたら、最後の苗木は持って行かれたのではないだろうか。
 
短気は感心しないものの、紳士的でおとなしいだけでは幸運を逃しかねないのも確かだ。
 
その幸運の苗木だが、精々二十センチほどかとイメージしていたのとは大違いで、八十センチほどもあり、当然枝も張り出している。その“ひとかどの”お荷物を提げてあちこち雑用に歩き回るのは一苦労であった。先月来、右の肩、腕を痛めており、思うように使えないのが辛かったが、愚痴はこぼせない。

 

施肥、水遣りなど怠らず、来年のブルーベリー収穫を夢見よう。実は十年ほど前、家人が結構上手に育てて食卓に上せたことがあったのだが、何故か1年限りで姿を消している。あまり話したがらない様子が感じられて、真相は藪の中だ。


(最近、画像の挿入機能が失われた。原因不明。偶に更新する seesaa のブログでは問題が無い。)

「リンゴの唄」の真実 ~ 高倉彰 ~ 「カロリナの月」

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10日、掛り付けの図書館から永嶺重敏『「リンゴの唄」の真実 戦後初めての流行歌を追う』(青弓社2018.10.10)の用意が出来たと連絡があり、早速借りて読んだ。発行のちょうどひと月後という切りの良いタイミングで、しかも異例の早さで読めたのは幸運である。

 
懐メロの定番「リンゴの唄」の誕生から流行の過程や、これを持ち歌とした並木路子の姿を要領よく紹介しており、当方など施設訪問コンサートに携わる者にとっては有難い本だ。単に公知の事実、情報をまとめただけでなく、通説の誤りを糺すなど独自の調査成果を盛り込んでおり、大いに参考になる。
 
内容の要点ではないが、2,3メモしておこう。
 

並木路子と共に映画「そよかぜ」に出演した高倉彰の名が挙がっている。彼は、歌曲「初恋」(詩石川啄木)の作曲者として名を残した越谷達之助だ。戦中から戦後に掛けて俳優業も兼ねていた。著者・永嶺氏はそのことに触れていない。

 
一方、並木と同じステージ(音楽番組)に出演したミュージシャン森山久については、森山良子の父親であると述べている。越谷達之助よりも森山良子の方が知名度が高いことの現れだろうが、啄木贔屓の当方には些か片手落ちと感じられる。
 
映画「そよかぜ」とその主題歌(あるいは挿入歌)「リンゴの唄」の世に出たのが19451011日で、以後12年の間この歌が大流行することになるが、同時代によく歌われたひと時代前の歌として「カロリナの月」というのが記されている。
 
初めて目にする題名である。本書の文脈から連想されるのは「コロラドの月」である。「カロリナ」と「コロラド」は語感が似通っている。英語の綴りは Carolina Corolado で、当然類似している。
 

「コロラドの月」は原題Moonlight on the Colorado として知られている。「カロリナの月」はネット検索で全くヒットしない。謎だ。

 
やはり同時代の歌として挙げられていて興味を惹くのは、「天気予報」とサトウハチロー/佐々木すぐる「ころころどんぐり」である。後者については同コンビによる「どんぐりころころ」がサイト d-score に見える。
 
「天気予報」とは如何なる歌だったのか。『今年の歌』というラジオ番組(19451229日)で流行歌の一つとして演奏されたようなのだが。

「この世をば」千年② ~ 『御堂関白記』も言及か ~ 月齢計算の複雑

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ひと月ほど前に、藤原道長が和歌≪この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば≫を詠んで千年になることを話題にした(この世をばわが世とぞ思ふ望月の千年 2018/10/16())。
 
その中で、≪この和歌が、道長自身の日記とされる『御堂関白記』でなく、彼に批判的だったとされる藤原実資の日記『小右記』で後世に伝えられた≫と記したのだが、最近、『御堂関白記』研究者を自称する倉本一宏氏の講演予告『「この世をば」千年と『御堂関白記』―――藤原道長の故地を歩く』(鴨東通信 2018.10)を見て、心配になった。
 
そこには≪有名な「この世をば」の歌に触れた道長の『御堂関白記』と、この歌を記録した藤原実資『小右記』を、、、≫とある。問題は道長の“触れ方”だ。残念ながら、その方面には詳しくないので、直ちには確認する能力が無い。宿題としておこう。
 
ところで、上記「鴨東通信」誌には倉本氏のエッセイも載っており、なお書きにおいて、≪~二十二日の月齢が十四・五、二十三日の月齢が十五・五である。月齢というのは正午時点での満ち欠けで計算するので、二十二日から二十三日に替わる直前に月齢十五・〇を迎えることになる~≫とある。
 
この記述は厳密ではない。各日の月齢が正午時点で代表されるのはその通りだが、その数値は小数第2位を四捨五入した概数であり、それらの平均値から月齢15.0の日時を算出しても正確である保証はない。
 
事実、今月の月齢15.0は、23日午前1時付近である。
 
もう一つ、≪~今年の旧暦十月十六日は~現代の暦では二〇一八年十一月二十五日にあたる~≫とあるが、『こよみのページ』によれば、1123日である。旧暦にも複数の種類があることによる食い違いだろうか。
 
前回も触れたところだが、“「この世をば」千年”と言っても、表面上の月日で合せるか、暦制を統一して月日を合わせるか、あるいは十五夜の日に合わせるか、など幾通りもの“千年”記念日があり得る。貧脳がパニックを来しそうなので、この辺りで止めておこう。

「リンゴの唄」~The Apple Song (RINGO NO UTA)~"Apple song" sung by Grace Amemiya

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先だって『「リンゴの唄」の真実 戦後初めての流行歌を追う』の読後感想を記した「リンゴの唄」の真実高倉彰「カロリナ...  2018/11/11())。
 
実は同書に、「リンゴの唄」が英訳されて歌われたと書いてあって、1番の英語詞が掲載されていたことが、当方にとって最も貴重な情報であった。その出典(時事英語研究 2 6 (19477))も記されていたので、手近なところで閲覧できないかと検索したところ、幸いにも都立図書館に所蔵されていることが判った。
 
都立中央図書館は些か交通不便なのだが、背に腹は代えられず、予約を入れて、用意できた旨の連絡を得てバスや電車を乗り継ぎ、目的の英訳詞1-4番のコピーを入手した。
 
TheApple Song (RINGO NO UTA), English words by Henry H. Armstrong
 
Let my lip approach its cheek,
Just an apple’s all I want,
There it hangs beneath the heavens
Blue, so silently.
Apples don’t say a word but I can see with certainty.
What they are thinking now; thinking now.
O-o charming apple mine; charming little apple mine.
 
(以下、略)
日本語歌詞からはとても思いつかないような、つまり、如何にもネイティヴによる作詞と感心させられる英語であるが、逆に、原詞にどれほど忠実なのか、疑問無しとしない。が、ここは歌の文句通り“黙って”この訳詞で歌うことにしよう。
 
資料の掲載歌詞には“此の英訳は節に合せて歌えます”と傍注がある。楽譜は付いていないが、和英対訳で横並びとなっており、試唱に便利である。
 
譜割り(詞割り?)は歌い手に任されることになる。常識的に一定の型に嵌る部分が殆どであるが、ある程度の自由度もある。“みんなで歌”うには楽譜に書き込んだ方が好いだろう。ひと作業になるが、近いうちに取り掛かろう。
 
ところで、ネット検索したところ、次の音源で達者な英語版「リンゴの唄」を聴くことが出来た:
 
Japanese song in English: "Apple song" (りんごの歌)
vocal chorus by Grace Amemiya
 
注記に“by Columbia Tokyo Orchestra”とあるから、こちらの方がレコード会社お墨付きの"Apple song" (りんごの歌)と言えそうだ。英語が上手過ぎて歌詞を聴き取れない。でだしが“RED”であることだけは解ったので、Armstrong版よりは直訳風かと推察される。

モルダウの流れ ~ 元歌説 ~ 子ぎつねコンコン

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このところ右の頸肩腕症候群で調子が悪い上に、前歯の欠損事故もあったりしていろいろ不自由を味わっている。このようにして段々老衰して行くのかなと前途を思うのだが、日々の活動を怠ると、年寄りにも容赦無く、忽ち雑用の滞貨が積み上がる。
 
今日も雑用片付けがてらのつもりで訪問コンサートに参加したまでは良かったが、スタミナ切れで用事は一つも片づかなかった。来週からキツイ日々が待っている。
 
コンサートは、季節ごとに訪問している施設で、但し改修工事中のため別フロアでの開催となり、お客さんは三十名ほどと、少な目であった。顔触れも違うのか、いつもの賑やかな雰囲気ではなかった。
 
男声三重唱「菩提樹 Der Lindenbaum」はもう数回こなしてきたので余裕があった、と言いたいところだが、おかしなことに、いつも同じところでつっかえる。癖が付いたようだ。緊張感に欠けるのだろう。
 
「ふるさとは今もかわらず」という長い題の復興支援ソングを、このグループとして初めて披露し、当方もオブリガートを初めて担当した。合せの練習をする機会が無かったので、自宅でシミュレーションを重ねた。完璧ではなかったが、マアマアの出来だったようだ。
 
司会を兼ねる指揮者がピアニストから聞いたこととして≪「モルダウの流れ」には元歌がある。それは童謡「子ぎつねコンコン」である≫と小話を披露した。ピアニストは昨夜のEテレ番組≪らららクラシック≫で聞いたとのことであった。
 
NHKのサイトには次のような番組紹介があった:
 

[Eテレ] ららら♪クラシック「スメタナの“モルダウ”」
2018
1116() 午後9:30~午後10:00(30)

チェコの人々の「心の歌」モルダウ(1)母なる川を描いた音楽(2)交響詩「モルダウ」誕生の背景(3)チェコ民謡のメロディーを用いたスメタナの思い 
 
その元歌説には全く合点がいかなかった。元歌と言うからにはメロディーが同じか、酷似している筈である。しかし、モルダウと子ぎつねのメロディーには、思い浮かべてみても、およそ近縁関係は認められなかった。
 
そこで、ネット検索したところ、モルダウの子ぎつね元歌説は以前からあり、短調の主題が転調して長調になる部分を問題にしているらしいことが判った。
 
すなわち、短調部の主題は凡そ ミラーシドーレミーミミファーファーファミー であり、長調部は凡そ ソドーレミーファソーソーソラーラーラソ となるので、後者が子ぎつねの ドレミファソーソーラファドラソー に重なるということらしい(太字部分)。
 
確かに音階は一致しているが、曲の途中の一部であることや、リズムが全く異なることから、当方には依然として近縁性は感じられない。勘が鈍いのかも知れない。クラシック音楽に精通する人たちが、ヨーロッパに古くから広く流布する同源の楽曲に元歌を見出しているとすれば、やはりそうなのだろう。
 
それにしても、モルダウの主題メロディーでなく、転調メロディーに元歌があるというのも不思議な話だ。素人の腑には落ちない。
 
それとも、当方に何か勘違いがあるのか。

割れない皇紀暦 ~ 折損歯の補綴 ~割れる 西暦

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本日は皇紀8桁表示「26781119」が素数だ。
 
西暦「20181119」は一見素数風だが、「7×2883017」と因数分解される。
 
年4桁と月日4桁との間に4桁「0000」を挟んだ12桁「201800001119」が素数になる。この形で「0」累桁の自然数を少し調べると、13,19,22各桁で素数になると判る。
 
一方、素数である皇紀8桁表示「26781119」に同様の「0」累桁を施してもなかなか素数は出現しない。その意味で「26781119」は希少価値がある?
 
昨日「1118」は偶数だから問題外だが、遊びついでに「8」の位置をずらしてみると、「8111」「1811」「1181」のいずれも素数だ。
 
本日の「1119」は「3」の倍数だから、どうバラシてみても「3」の倍数のままだ。
 

という具合で、西暦と皇紀暦で素数性の違いが歴然としているようにみえるが、勿論、たまたまである。


今日はこれから折損前歯の補修に出かける。”割れない”素数の皇紀暦にあやかりたい。

有価証券報告書 ~ 報酬過少申告 ~ 監査無力

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昨夕のウェブニュースには驚いた:
 
日産ゴーン会長ら2人逮捕 東京地検、金商法違反容疑

2018/11/1918:10 (2018/11/19 20:11更新)

東京地検特捜部は19日、仏ルノー・日産自動車三菱自動車の会長を兼務するカルロス・ゴーン容疑者(64)ら2人を金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の疑いで逮捕した。ゴーン会長は自身の報酬を過少に申告した疑いを持たれている。日産は同日、ゴーン氏に「複数の重大な不正行為」が認められたとし、ゴーン氏の会長職などを解くことを取締役会で提案すると発表した~
 
今朝の新聞には更に詳報が続く。当局や会社側の情報提供に基づくものだろうか。
 
当方が不審に思うのは、監査について何も言及されていないことだ。有価証券報告書には財務諸表とその監査報告も掲載されるのだから、それらの信頼性が損なわれていることになる。
 
この認識が正しいとして、ゴーン会長らの虚偽申告が監査で指摘されなかったのは何故かと問うのは当然だろう。監査の形骸化が言われて久しい。それでも最近は監査人の責任も重視される傾向にあるから、今回の事件に関して監査への言及の無いのは不思議だ。
 
そこまで分析する時間的余裕が無かったのかも知れない。続報に注目しよう。
 
蛇足だが、当方は、このゴーン氏という有名人について新聞報道以上のことは何も知らない。自動車会社の経営を立て直したことで株を上げたことは承知しているが、その実態は人員整理などごく普通のいわゆる合理化であったとも承知している。
 
日本人経営者であれば心情的に躊躇するところ、しがらみのない外国人経営者は淡々と実行できたのではないかと思ったものだ。カリスマ性を付与して利用した面もあるのかと思う。
 
善かれ悪しかれ、遣り手であったことは確かだろう。遣りすぎて墓穴を掘ったか、役目を終えて切り捨てられたか。

G.フランシス「人体の冒険者たち」~ 軽い便 ~ 宣誓testify の語源

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ギャヴィン・フランシス「人体の冒険者たち 解剖図に描ききれないからだの話」(鎌田彷月/訳 みすず書房 2018.7)を大雑把に読んだ。
 
人体に関する医学随筆で、面白い話が盛り沢山だが、著者の個人的な想い出や日常譚の分量も多く、つい飛ばし読みになってしまった。それでも、感心したのは次の2点:
 
≪水に浮かぶ便は、脂肪が混じっていて軽いと思われる。膵臓の機能不全の可能性がある≫と指摘している。≪水に浮かぶ便≫は偶にあり、かねがね不思議に思っていたところだ。気泡が多くて軽いため水に浮かぶのかなとしか考えなかった。
 
膵臓からは脂肪消化酵素リパーゼが分泌されるということを中学校の理科で教わった。膵臓の働きが悪く、リパーゼの分泌が減れば脂肪分が未消化で排出される。脂肪は相対的に軽いから水に浮かびやすいという論理が頭に浮かぶ。身につまされるようなご教示で、我が膵臓は大丈夫だろうかと少し気になる。
 
≪創世記24章に、アブラハムが僕に、手をアブラハムの内股に入れて誓いを立てるように言う場面がある。当時の習慣であるが、宣誓する(testify)の語源である≫と説かれている。実に明解な語源論だ。つまり、内股睾丸 = the testicles, the testes testify という繋がりである。
 
本当に創世記24章にそのような場面があるのか検索してみた。聖書の本文(日本語訳)を掲載するサイトに次のように出ていた:
 
24:2 そのころ、アブラハムは、自分の全財産を管理している家の最年長のしもべに、こう言った。「あなたの手を私のももの下に入れてくれ。24:3 私はあなたに、天の神、地の神である主にかけて誓わせる。私がいっしょに住んでいるカナン人の娘の中から、私の息子の妻をめとってはならない。24:4 あなたは私の生まれ故郷に行き、私の息子イサクのために妻を迎えなさい。」≫(http://www.logos-ministries.org/old_b/gen24.html
 
the testicles, the testes testify≫語源説が正しいとすると、“手をももの下に入れて”とは、具体的にはもっと刺激的な行為を意味するのではないかと推察されるが、勘ぐり過ぎか。

素数 ~ スクランブル遊び ~ 素数性の定義

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本日は和暦6桁の「301123」が素数だ。勤労感謝の日という国民の祝日と定められているが、もともとは新嘗祭という皇室行事の日だったそうだから、和暦で素数とは、理屈抜きでおめでたい。
 
月日だけの日付け「1123」も素数だ。
 
この「1123」の各桁の数字を並び替えて素数になるかどうかを調べてみた。末尾が「2」とならない(つまり奇数となる)並び方9種類のうち8種類が素数であった:
 
1123, 1213, 1231, 1321, 2113, 2131,2311, 3121は素数です (3211=13×13×19)
 
これが普通の傾向なのかどうか、手始めに「1129」を同様に調べたところ
 

1129, 1291 は素数です 

(1219=23×53,1921=17×113, 2119=13×163, 2191=7×313, 2911=41×71, 9121=7×1303, 9211=61×151)

 
と、9種類のうち2種が素数であった。
 
これら8/92/9 を素数性とでも呼ぶことにしよう。厳密には、末尾桁が偶数となる場合も含めてすべての並び方を分母とするのがよさそうだ。とすると、上記2ケースでは、8/12、2/12が素数性ということになる。
 
こんな定義は何の意味も持たないようにも思うが、遊びと割り切ろう。

天才少年数学者 ~ 自学自習 ~ スーパー双子素数

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朝刊に次のような話題が載っていた:
史上最年少の小学5年生で数学検定1級合格
朝日新聞 201811250300
 
10月に実施された「実用数学技能検定」で、最難関の1級に東京都世田谷区の小学5年、高橋洋翔(ひろと)君(11)が史上最年少で合格した。高橋君は「何度も挑戦してきたので、素直にうれしい」と喜んでいる。
 高橋君は、2歳で買ってもらった立体パズルに夢中で取り組んだ。算数のドリルをどんどん解いていくうち、3歳のころには、素因数分解ができるようになった。数学に関して初めて達成感を感じたのは、年長のころだ。「すごく考えて初めて解けた問題があった。うれしくて忘れられない」。解き方をいろいろ考えて、試行錯誤することが好きだという。
 数検を受験し始めたのは5歳のとき。小1で2級(高2程度)、小2で準1級(高3程度)に最年少で合格した。今回挑んだ1級(大学程度)は、多変数関数などの解析分野から確率統計、アルゴリズムの基礎までと学習範囲が幅広く、すべて記述式の問題だ~

(相変わらず画像挿入不能)
 
 
文句無しの天才少年だ。記事によれば、自力で数学の道に入ったようだ。“2歳で~立体パズルに夢中”になったという理解力は恐ろしい。
 
算数のドリルをどんどん解いて”いったのも23歳の頃らしいから、本を読めたということだろう。当方など、小学校に入っても本を見るのは苦痛だった。
 
3歳のころには、素因数分解ができるようになった”そうだから、九九をマスターしていたことになる。当方が九九を覚えたのは、多分十歳のころだろう。
 
その辺りまで誰からも英才教育を受けなかったのだろうか。自分で参考書などを捜して勉強したのだろうか。彼が長じて数学の業績を挙げるまで長生きしたいものだ。
 
スーパー双子素数なるものを専門家と共同研究して学会発表しているともある。当方は素数遊びに興じていると自認するにも拘らず、スーパー双子素数とは何か知らない。 
 
ネット検索して、タイトルに「スーパー双子素数」を含むシンポジューム記録は見付かったが、それはこの天才少年と彼の先生?らしい大学教授との共同発表であった。ほかに「スーパー双子素数」の定義などを解説するサイトは見付からなかった。よほど特殊な概念らしい。
 
その大学教授のお名前が「飯高茂」なのだが、何やらデジャヴュを催すではないか。さてはと当ブログ内検索したところ、あった: (数の不思議世界分母素数循環節周期 2018/9/3()
 
ところで、「スーパー素数」ならば、割と解り易く≪素数の数列における素数番目の素数のことである。例えば115番目の素数であり、5は素数であることから、11はスーパー素数となる。最も小さいスーパー素数は、最小の素数は2であることから、2 番目の素数3が当てはまる。また、1は素数でないことから、1番目の素数2はスーパー素数ではない≫(ウィキペディア)
 
この定義から類推して、「スーパー双子素数」とは、≪双子素数として対を成す2個の素数がいずれもスーパー素数≫であるものと思われる。
 
そこで、スーパー素数列を眺めてみる:
 
3 · 5 ·11 · 17 · 31 · 41 · 59 · 67 · 83 · 109 · 127 · 157 · 179 · 191 · 211 · 241 ·277 · 283 · 331 · 353 · 367 · 401 · 431 · 461 · 509 · 547 · 563 · 587 · 599 ·617 · 709 · 739 · 773 · 797 · 859 · 877 · 919 · 967 · 991 · 1031 · 1063.
 

最初の組合せ(3 · 5)の後、この表の範囲に双子素数は見当たらない。「9923」まで収載するスーパー素数表にも双子素数は見当たらない。「スーパー双子素数」とは余程珍しい存在なのだろう。


追記:類推による、「スーパー双子素数」の定義は違うようだ。次のような記述がサイト(https://listserv.nodak.edu/cgi-bin/wa.exe?A2=NMBRTHRY;b81b9aa9.1402)にあった:
 If p, p + 2 and pi(p) (the number of primes not exceeding p) are all
prime, then I'd like to call {p, p + 2} a super twin prime pair.

つまり、素数番目の素数 p と p+2 とが二子素数である場合に、それらをスーパー双子素数と呼ぶらしい。例えば、{5, 7} のペアである。

ゴーン氏報酬過少申告② ~ 監査の限界 ~ 投資目的の粉飾

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日産ゴーン氏不正事件に関し、企業監査の面から問題追及は無かったのか疑問を呈したのが1週間前(有価証券報告書報酬過少申告監査無力2018/11/20())のこと、今日漸く日経新聞に関連情報が載った:
 
≪監査法人、日産に疑義指摘 11年ごろから複数回 「オランダ子会社、何のために…」
2018/11/26付 日本経済新聞 夕刊
日産自動車のカルロス・ゴーン元会長(64)の報酬過少記載事件で、ブラジルなどの高級物件の購入に使われたオランダ子会社「ジーア」について、日産の監査法人が「投資実態などに疑義がある」と指摘していたことが26日までに、関係者の話で分かった ~
 
関係者によると、日産は2010年ごろ、資本金約60億円を全額出資してオランダに子会社「ジーア」を設立。社内会議では、ベンチャービジネスへの投資が目的と説明された ~
 
このジーアについて、日産の監査法人から「設立趣旨に沿った投資活動が行われていないのではないか」「会社が何のために使われているのか分からない」などと11年ごろから複数回、疑念が示されていたという。
 
これに対し ~ 日産側の説明に一定の合理性があったことなどから、それ以上の追及はなかったという。
 
ジーアは租税回避地に孫会社を設立してブラジル・リオデジャネイロの高級マンションを購入。別の孫会社を使ってレバノン・ベイルートの高級住宅も購入し、ともにゴーン元会長の自宅として無償提供されていたとされる ~ ≫
 
この記事によれば、日産の全額出資子会社の投資目的や業務内容について疑問有りと追及を受けたが、うまく監査人を言いくるめたようである。端的に言えば、会社側はジーア社の内実を偽って説明したのだろう。ゴーン氏の隠し報酬を炙り出す事は無かったと思われる。
 
兆円規模の企業における数十億円の投資先について、その事業実態を監査人が詳細に調べ尽くすことは、通常は無いだろう。余程重大な疑念を生じない限り、会社側の説明に整合性があれば、問題無しとして処理するだろう。説明が虚偽であっても、監査側がそれを疑う材料を持たなければ、説明は通るということだ。
 
監査がこの壁を突破するには、どのような手段があるか。一つは、単純に会社側の説明の根拠ないし証拠を辿ることである。理論的には、ごまかしようの無い証拠資料に辿り着くまで調べればよい。
 

監査が、ジーン社の業務実績を正確に、具体的に把握するまで徹底していれば、ゴーン氏の隠し報酬を摘発できたかもしれないが、高望みだろうか。


監査としては、別のアプローチがあったかもしれない。


監査人から“11年ごろから複数回、疑念が示されていた”というのも、惜しまれる。もうひと押ししていれば、と。








特養ホーム・コンサート ~ 反応上々 ~ 幻の The Appple Song

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月例の特養ホーム・コンサートを言祝ぐような小春日、と言うより季節外れの暖かい一日だった。ヴォーカル4+ピアニストの計5名だった。ヴァイオリニストも予定していたが不参加だった。その伴奏で歌う予定だったアリアも幻となった。
 
手のひらを太陽に
赤い靴
赤い郵便馬車
広い川の岸辺     (英語詞を1節挟む)
峠の我が家
チャペルの鐘
里の秋
リンゴの歌      (附 The Appple Song
踊り子
自転車旅行
 
「リンゴの歌」に続けて英語版“The Appple Song”(「リンゴの唄」~The Apple Song (... 2018/11/15())を2節紹介した。英語をメロディーに嵌め込むのは一仕事だった。楽譜に落とす暇も無かったので、実際に歌う段になると、どうしてもモタモタする箇所が出てくる。次の機会に備えて、口慣らしをしておかなくては。
 

英詞のコピーをHさんのお求めに応じてお渡しした。いずれどこかで披露なさるのだろう。≪幻のAppple Song ≫として話のネタにもなるだろう。ネット上には≪APPLE SONG リンゴの歌 by GraceAmemiya グレース雨宮 (in English) 1951≫のレコード音源がアップされているが、当方の英語力では歌詞を十分に聴き取れない。

 
今日のお客さんは元気な人が目立った。お友達同士、仲よく隣り合って大きな声で唱和していらっしゃった。歌に合わせて手踊り?を楽しむ人もいらっしゃった。普段と違って律儀に拍手も送って下さった。
 
ヴォランティア活動で“慰問”に行ったつもりが、逆に慰問されて帰るような気分だった。年齢的には自然な現象だな。

リンゴの唄 The Apple Song ② ~ Lisps her ~ ささやけば

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先日の特養ホーム・コンサートでの試唱を経て、The Appple Song「リンゴの唄」~The Apple Song (... 2018/11/15())の譜割りがほぼ確定した。複数の歌い方があり得るところも、何となく自然な感じが出るようにという基準で落ち着いた。
 
一旦出来上がってみると、何故そんなに苦労したのか不思議な位変哲のない譜割りだ。最初から楽譜に落とそうなどと考えない方が良かった。要するに歌ってみれば良かったのだ。
 
英詞(時事英語研究 2 6 (19477)の文意もほぼ解った積りだ。ただ一か所を除いて。
 
3節は次のように始まる:
 
   Every morning, every night
  
   Lisps her greeting baby girl.
 
下段の≪Lisps her ~≫が解らない。「Lisps」はあまり見ない単語で、「lisp」は、辞書によれば、名詞としては≪舌もつれ(の発音)、(木の葉などの)サラサラいう音≫、動詞としては、≪まわらぬ舌で話す≫などの意味がある。
 
しかし、これらの語意を適用しても文意は汲み取れない。そもそも英語の態を成していないように思われる。未だ英語修業が足りないのかも知れない。
 
何とか意味を成すように読もうと苦労していて、思い付いたのは「whisper(囁く、囁き)という単語である。語感が≪Lisps her≫に似ている。原語の歌詞でも、≪ささやけば≫とある。
 
推測だが、ここは、手書き原稿で「whisper」とあったものを≪Lisps her≫と読み誤ったのではないか。
 
Whisper greeting baby girl.≫であれば、構文としては奇妙だが、文意は何とか汲み取れるではないか。

当分はこの詞で通すことにしよう。別に正解が得られるまで。
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