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数の不思議世界 ~ 分母素数 ~ 循環節周期

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偶々図書館で手にした飯高茂「パソコンで開く数の不思議世界」(岩波書店 2004.9)は、なかなか面白かった。本書の核は書名の示す通り、パソコンを駆使しての数学探検である。したがって、プログラミングを活用することが前提となっている。その用意の無い当方にも遊べる格好の話題が提供されていたのは幸運であった。
 
それは、分数を小数の形に変換することで見えてくる幾つかの現象である。そのうち、循環小数の循環節に先ずは取り組んでみよう。
 
 循環小数:小数部分に、いくつかの数が、同じ順序で無限に繰り返される小数。
例えば、1/37=0.027027027,,,,における「027」が循環節である。
 
分数の分母が2または5の倍数であるときは、小数表記が有限であるので、循環小数にはならない(000,,,の表記は無視する)。
 
分母が素数である単位分数の循環小数と循環節の桁数(周期)を例示すれば次のようである:
 
1/3      0.333,,,,                        1   
1/7      0.142857142857142857,,,,                                 6
1/11     0.090909,,,,                                             2
1/13     0.076923076923076923,,,,                                 6
1/17     0.05882352941176470588235294117647,,,,                  16

1/19     0.0526315789473684210526315789473684210526315789473,,,,18

1/37     0.0270270270270270270270270270270,,,,                    3
1/41     0.02439024390243902439024390243902,,,,                   5

1/71     0.014084507042253521126760563380281690140845070,,,,,,,35

1/79     0.01265822784810126582278481012658,,,,,                13
1/101    0.00990099009900990099009900990099,,,,,,                4
1/137    0.00729927007299270072992700729927,,,,,,                8
 
数字遊び人が即座に目を奪われるのは、分母と周期の関係である。
 
周期は「分母-1」又はその約数となっている。このことは法則として認められているのだろうか。もとの分数の分母と小数表記の循環周期とが何故関係を有するのだろう。
 
まさに書名の通り≪数の不思議≫である。
 
もっとも、専門家には自明の初歩的関係なのかも知れない。

循環小数 ~ 分割和 ~ お遊び

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循環小数の循環節については、≪分割和≫の遊びがある。
 
例えば、1/7 の循環節 142857 を前後3桁ずつに二分割して出来る2数の和を取ると、
 
   142 + 857 = 999
 
となる。今度は3分割して 14 + 28+ 57 = 99 を得る、という具合だ。
 
ついでに、6分割してみると、1 + 4 + 2 + 8 + 5 + 7 = 27, これの2分割和を取れば9 となる。
 
何処まで行っても9 に帰着するという不思議な世界だ。
 
もう一つ、分母が素数ではないが 1/21  の循環節をみると、

                   047619 047 + 619 = 666                   となる。
 
分母、分子をいろいろ変えてみると、222, 333, 888 など各種ゾロ目が出てくる。
 
ところで、循環節を分割すると言うとき、等分割を前提としている。したがって、循環節の長さ(桁数、周期)が偶数ならば2分割出来るが、奇数の場合にはそれが出来ない。ただし、3分割、5分割などは可能な場合もある。
 
因みに、1/37 の循環節 027をどう扱うかだが、3分割で、0 + 2 + 7 = 9 を得る。
 
同様に、1/41  の場合は 0 + 2 + 4 + 3 + 9 = 18 1 + 8 = 9 となる。
 
少し長い(周期15)循環節として 1/93 010752688172043 の5分割和を取ると、
 
010 + 752 + 688 + 172 + 043 =1665  1665  2分割和、4分割和で 9 に帰着する。
 
念の為3分割和を取ると 01075 + 26881 + 72043 = 99999 となる。
 
面白いが、実用性が思い当たらず、直ぐに飽きてしまいそうな予感もある。

台風21号 ~ 関空滑走路水没 ~ 幻の浮体工法

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昨4日、台風21号の猛威で関空が大きな被害に遭ったとのことで、事前の気象情報でも予想出来なかったようだ。あるいは、台風の勢力が想定を上回ったと言うべきか。
 
連絡橋がタンカーの衝突によって損傷した件は、ある意味では想定内と考えられる。海上橋である限り、船舶の衝突は十分にあり得ることだから。
 
滑走路が水没し、地下室も浸水した件については、これも海上空港には当然想定されることだ。盛土や堤防の高さは計画(設計)の条件で決まる。想定を上回る気象条件の下では水没も致し方ない。今回は如何なる状況であったのか、報道では不明である。
 
ひとつ思い出すのは、関空の建設計画当時、埋立方式か浮体工法かが話題になっていたことだ。当方などは、新しもの好き故、浮体工法を楽しみにしていた。最終的には、大規模構築物を実績の無い工法に委ねる冒険はしなかった。尤もなことだ。
 
もし、浮体空港であったなら、今回の水没、浸水被害は免れたであろうか。海底に固着されていれば潮位、水位の影響はモロに及ぶ。
 
浮体であれば水面との相対高度は変わらないから、潮位、水位の上昇から受ける脅威は比較的に小さい。波浪や海面のうねりは避けられない。
 
気象庁の提供する潮位観測情報を検索してみた:
 
  海南[国土地理院]の潮位の実況(94 - 6) 
イメージ 1

 イメージ 2
 
専門用語を厳密に解してはいないが、台風通過時の潮位は平時予報値より約1メートル高かったようだ。
 

この程度の高潮位では、浸水の事態に大差は生じないのかどうか、気になるところだ。つまり、被害の主たる原因は高潮か、波浪、越波か、だ。




蛇足:昨日は≪関西国際空港開港記念日≫だった:
1994(平成6)年9月4日午前0時、関西国際空港が開港した。 世界初の本格的な海上空港で、日本初の24時間運用空港


台風21号通過 ~ 低気圧作用 ~ 北海道南西部地震

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台風21号による各地の被害の報の余韻も収まらないうちに北海道で起きた大地震は短絡的な連想を催す。“台風が地震を誘起したのではないか”と。
 
観念的には、台風通過時の気圧変動(主に気圧低下)が地球表面に影響を及ぼすことは明らかであり、問題は、その影響が量的に取るに足るほどのものであるかどうかだ。
 
またまた安直だが、ネット検索してみると、海外の大学での調査結果がヒットする。台風(低気圧)がもたらす豪雨によって(山地、傾斜地の)表土の流失があると、その下部にある断層の拘束が緩み、動き易くなるという論理らしい。
 
あまり感心しない論理構成だ。しかも、それらの根拠データとして、台風後数年の大地震が列挙されている。これでは台風と地震の因果関係を主張するのは無理だろう。
 
別の調査結果として、台風がスロー地震を惹き起こすことで、巨大地震の発生を抑制しているとの説も流されている。台風とスロー地震との因果関係が認められるかどうか、時系列データの読み方次第に掛る点は前説と同様だ。
 
当方としては、低気圧により特定地域の地表に掛る荷重が減少し、その地下の断層に対する拘束が弱まることにより地震が誘発されるという筋書きが好ましいのだが、そのような事例は報告されていないようだ。
 
因みに、今回の台風21号が震源付近を通過したのは地震発生のほぼ24時間前と推定される。
 
イメージ 1 

この時間差での両現象間の因果関係を立論するには、気圧低下による地殻変位の時間的推移が確認されなければならない。静的解析ではなく、動的解析が必要であり、専門研究機関の出番だ。
 
その前に、台風後地震の事例を調べた方が良さそうだな。

ヴァイオリン即興演奏 ~ 収穫二題 ~ ピアニスト予約

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珍しくヴァイオリニストのMさんが顔を見せたので、某施設の≪歌う会≫に誘った。先月の例会は特に出席したい理由があったのだが、別件の本番と重なって、行けなかった。
 
まさに開演と言うタイミングで到着すると、空席は前列のみであった。ヴァイオリンは比較的小さい楽器だが、しっかりしたケースに納まると結構目立つ。
 
終演後、周囲の参加者たちからヴァイオリンを聴きたいとのお声が掛り、どうしたものかと担当係員に訊くと“どうぞどうぞ”と好意的な反応があった。施設によっては、“想定外”の活動を嫌う所もあるのだが、今日は“順調”だった。
 
何でもいいから弾いて欲しいと言われると案外戸惑うものだ。本人を含めて皆さん迷っているので、今日の演目から「赤とんぼ」を推奨した。楽譜無しでも、ちょうど歌い易い音域で弾いてくれた。ピアノ伴奏とは一味違うメロディーが心地良く耳に入った。
 
折角楽器を取り出し、チューニングの手間を掛けたのでと、これは当方の一存で、もう1曲クラシックの小品をと促したところ、即座に弾き始めたのは「ユモレスク」であった。馴染みのメロディーで、長さも程良く、皆さんお喜びの様子であった。
 
気が付くと、≪歌う会≫の講師の方も拍手しておられた。帰り際には施設の所長さんもわざわざヴァイオリニストに謝辞を寄せた。特技を身に付けていると図らずも人のお役に立ったり、喜ばれたりすることがあると改めて思い知ったのが今日の収穫。
 
そこで、当方も余沢に与りたいと欲張ったわけではないが、皆さん気分を良くしているところで、講師先生に、月1回の訪問コンサートのピアノ伴奏をして貰えるだろうかとご都合を窺ってみた。
 
想定を上回る“順調”さで、好意的なお答えを頂いた。来月から時間の許す限り参加して下さるとのことで、これも本日の大きな収穫。

反復記号頻出 ~ 読みにくい楽譜 ~ 練習低能率

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ヴォランティアの合唱団の定例練習日であった。正午から3時まで、正味2時間強で、かなり充実の練習が出来る筈だったが、もたついた観があった。いつもの指導者が不在で、伴奏ピアニストが代役を務めたことが一因ではあった。
 
しかし、合唱団にとって命とも言うべき楽譜が難解であることが演奏の妨げになっているのも事実である。楽譜の読解に習熟していない演奏者を責めることは容易だが、わざわざ難解な楽譜を作る必要は無いだろうと思う。
 
要するに、解り易い楽譜を書いて貰いたいわけだ。
 
例えば、反復記号である。反復演奏の理屈は一応解っていても、何処から何処へ飛ぶのかを読み取って、その通りに演奏するには、それこそ“反復”練習が必要である。暗譜してしまえば問題は解消するとは言えるが、素人のヴォランティアに負担が重すぎては、肝腎の善意や意欲に水を差しかねない。
 
反復記号には、色々ある。ウィキペディアなどを参考に整理してみると主なものは次の通りだ:
 

            縦線反復記号  イメージ 1  と イメージ 2 に挟まれた区間を繰り返し演奏する。右側の記号から曲冒頭に戻る場合には左側の記号は省略される。

 
            D. C. は、da capo(最初から) Fineは、「終わり」  Fineのかわり       

            にイメージ 3を使うことがある。

 

            D. S. は、dal segno(記号から)の略で、イメージ 4の記号に戻って再度 

            演奏する。イメージ 5は普通“セーニョ”と称する。

 

            イメージ 6videといい、「見よ」の意味。普通はコーダマークと称する。

            “to イメージ 7の表示と対で使われることが多い。

 
これらの記号が複数、時には入れ子のように使われたりすると、解読に時間を費やすことになる。せっかく解読しても直ぐに忘れる危険もある。
 
欲を言えば、反復記号の使用は控えめにして、楽譜自体を反復表記するのが望ましい。演奏者が“行ったり来たり”に神経を煩わされずに済めば、聴衆の満足度も高まるに違いない。
 
とまあ、こんな愚痴をこぼすようでは、己の技術水準の低さを白状するようなものか。
 
実は、他にも困ることがある。例えば、細かすぎる音符の羅列だ。とは言うものの、音符は音楽作品そのものだから、それを細かすぎるなどと非難がましく述べるのは筋違いだな。己の無能を呪うべきだ。
 
また、二つのパート譜が一つの五線譜上に入り乱れている時など、取り組む意欲が失せる。せめてパート譜を分離して貰いたいものだ。
 
いずれにしても、耳から覚えるという奥の手はあるが、ボケ進行の抑制のため、出来れば譜読みは疎かにしたくないと言う欲張りな面もある。どこかで妥協しなければ収拾がつかない。

無素数数列 ~ 数学的帰納法 ~ 倍数判定法

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素数捜しは、基本的に因数分解の作業である。手作業では大変な手間暇を要するが、今は幸いに因数分解計算サイトや、素数判定サイトのサービスが利用できる。素数判定サイトでは、“素数ではない”という判定の外、“素数である可能性が高い”という判定も出されことがある。
 
場合によっては、判定対象の数を因数候補数で割って素数か否かを確認することもある。
 
例えば、先達て≪個別的な現象だが、949タイプの対称数は100桁辺りまででは素数にならない≫と記したことがある(雨季閑居読書数字遊び 2018/6/17())。この場合、≪949タイプの対称数は素数にならない≫と想定するが、確信を得るため、ある程度の桁数まで因数分解のデータを眺める:



949=13*73


90409=11*8219


9004009=7*1286287


900040009=11*43*1902833=11*81821819


90000400009=13×17×127×347×9241 (13*6923107693)


9000004000009=11×5351×152902669=11*818182181819


900000040000009=13×31×73×641×47726171 (13*69230772307693)


90000000400000009=11*31*20147*13100194567=11*8181818218181819


9000000004000000009=7*73*33110999*531923681(7*1285714286285714287)


900000000040000000009=11*81818181821818181819


90000000000400000000009(13*6923076923107692307693)


9000000000004000000000009=11*818181818182181818181819


900000000000040000000000009=13*69230769230772307692307693


90000000000000400000000000009=11*8181818181818218181818181819


9000000000000004000000000000009(7*1285714285714286285714285714287)


 
早々と規則性らしい傾向が現れるが、桁数が大きくなると因数分解サイトの能力を超えるので、そこからは想定される因数候補による割り算を実行する。割り算は電卓アプリでもかなりの桁数まで許容されるので便利である。
 
このデータにより規則性が確からしいと認められる。計算能力の高い人なら、数学的帰納法によって、あるいは、13 11 7各数の倍数判定法の適用によって、この数列には素数は現れないことを証明できるだろうと推測する。当方には無理。
 
上表では、規則性を読み取り易くするため、色付け、太字、下線を用いている。
 
以前にも述べたが、因数分解サイトでは、因数分解が出力される。それを見ただけでは規則性に自信を持てないことが多い。その場合には、想定される規則的素因数他の素因数の積の積の形に変換すると期待した結果が得られる。

ぼっちゃんいっしょに ~ どんぐりコロコロ ~ いっしょーに

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某施設のコーラスの会では、今年度に入って独自編集の童謡集を教材に加えている。その中に「どんぐりころころ」があり、二部合唱である。
 
曲自体は何ということも無いのだが、二番の歌詞中“一緒に”の譜割りが奇妙であった。
 

どんぐりころころ ドンブリコ お池にはまって さあ大変
どじょうが出て来て 今日は 坊ちゃん一緒に 遊びましょう

 

どんぐりころころ よろこんで しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと 泣いてはどじょうを 困らせた

 
“い っ しょ に”と均等に譜割りして歌うのが普通だ。
 
件の童謡集では、楽譜に律儀に従うとすれば“いっ しょ ー に”と歌わざるを得ない。
 
講師はそのように指導し、受講者たちも(当方を除き)おとなしく従っている。
 
二部合唱編曲者が敢えて破調を仕掛けたと推定することも可能であるが、曲全体にはそのような意図を窺わせる気配は無いので、これは単なるミスプリであると当方は推断した。
 
一応、「どんぐりころころ」の原典に当たってみる必要はあると心得て、安直ながらいつもの通り<ウェッブ『池田小百合なっとく童謡・唱歌』による>こととした。
 
初出本『かはいい唱歌』二冊目(大正13320日発行5版 国立音楽大学附属図書館所蔵/宮城県図書館所蔵)【コロムビア「日本童謡名曲集」(第2集)の歌詞と楽譜、解説・振付】所収楽譜の画像により、均等割り“い っ しょ に”を確認した。

イメージ 1
 























なお、この童謡は、当会にジュニア会員が存在した頃に発表会で披露したことがある(赤城学習館まつり~集客力ゼロ~それでも継続 2012/11/11())。

Do You Hear the People Sing? ~ レ・ミゼラブル ~ 大胆私訳

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某コーラス教室で次のような歌詞の四部合唱曲が取り上げられた:
 
Les Misérables
 
Do you hear the people sing? Lost in the valley of the night?
It is the music of a people who are climbing to the light.
 
For the wretched of the earth, there is a flame that never dies.
Even the darkest night will end and the sun will rise.
They will live again in freedom in the garden of the Lord,
 
We will walk behind the ploughshare, we will put away the sword.
The chain will be broken and all men will have their reward!
 
Will you join in our crusade? Who will be strong and stand with me?
Somewhere beyond the barricade, is there a world you long to see?
 
Do you hear the people sing, say, do you hear the distant drums?
It is the future that they bring when tomorrow comes.
 
Will you join in our crusade? Who will be strong and stand with me?
Somewhere beyond the barricade, is there a world you long to see?
 
Do you hear the people sing, say, do you hear  the distant drums?
It is the future that they bring, when tomorrow comes.
 
Ah, tomorrow comes!
 
曲の説明は無かったが、ネット検索して、ミュージカル≪Les Misérables≫の劇中歌で、“Do You Hear the People Sing?”と呼ばれているものの一部であると判った。
 
受講者の一人が気を利かして、歌詞の和訳を≪ネットから適宜抽出転載≫して配付した。読んでみると、全体の概略の意味は伝えられているようだが、微妙にニュアンスを違えている部分もあると思われたので、原訳を生かしつつ、私訳を試みた:
 
(レ・ミゼラブル)
 
民衆の歌うのが聞こえるか?夜の谷で道に迷っているのか?
いや、あれは光に向かって登りゆく人々の音楽だ。
 
地上の哀れな人々にも、消えることの無い炎がある。
どんなに暗い夜もいつかは終わり、陽が昇るだろう。
彼らは主の庭に蘇り、自由に生きるだろう。
 
鋤を持って耕そう、剣は脇に措こう。
鎖は断ち切られ、総ての人が報われるだろう。
 
我等の十字軍に加わらないか。力強く私の隣に立つのは誰だ。
バリケードの向側のどこかに、君が待望の世界があるか?
 
人々の歌うのが聞こえるか、ほら,遠くから太鼓の音が聞こえるだろう?
明日になって、あれがもたらすもの、それこそが未来なのだ。
 
我等の十字軍に加わらないか。力強く私の隣に立つのは誰だ。
バリケードの向側のどこかに、君が待望の世界があるか?
 
人々の歌うのが聞こえるか、ほら,遠くから太鼓の音が聞こえるだろう?
明日になって、あれがもたらすもの、それこそが未来なのだ。
 
おお、明日が来る!
 
楽譜では唱者が明示されていないため、歌詞の意味も掴みにくい。想像を逞しくして大胆に訳した。
 
It is the future that they bring,”が受験勉強も懐かしい≪It…that構文≫だと気付くには時間を要した。
 
We will walk behind the ploughshare,”をネット訳では“鋤が耕すところを歩き”となっていて、直訳ではあるが、文脈を掴んでいない。耕すのは自分たちであるという意気が肝腎なのだ。
 
それにしても、“ploughshare”なる単語は知らなかった。“plough”から何となく大意は理解したつもりではあったが。
 
久し振りに頭をひねって、少しはボケ進行を抑制できただろうか。

ラモー ~ タンブラン ~ 木の葉

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昨9月12日はラモーの命日だった(Jean-Philippe Rameau, 1683925 - 1764912 )。彼の名は昔から知っており、ついひと月ほど前にも当欄で当時絶大な人気と権威を誇ったラモーと論争していた≫などと言及したがジャン・ジャック・ルソー音楽・言語同源論歌から言語が生まれた? 2018/8/11()、作品には全く覚えが無かった。
 
関連サイトにアップされている音源に「タンブラン」というのがあった。試聴すると、よく聞き知ったメロディーだった。それも、六十数年前に小学校で教わった歌のメロディーではないか。歌詞は直ぐには思い出せなかったが、“ひらひらひら ひらひら 木の葉が 散るよ”という風だった気がする。
 
ネット検索したが、それらしき歌はヒットしなかった。
 
しかし、副産物として、「()の葉(尋常小學唱歌(第一學年) 明治44)を得た:  
 


一、何処から来たのか 飛んで来た木の葉、
   くるくるまはつて 蜘蛛の巣にかかり、
  風に吹かれて ひらひらすれば、
   蜘蛛は虫かと 寄つて来る。


二、何処から来たのか 飛んで来た木の葉、
   ひらひら舞つて来て 池の上におちて、
  波にゆられて ゆらゆらすれば、
   鯉は餌かと 浮いて来る。     (下線 当方)

 

イメージ 1
 
 
下線部のメロディーが「虫のこえ」(『尋常小學讀本唱歌』明治四十三年七月発行。『尋常小學唱歌』第三学年用(文部省)明治四十五年三月発行も同じ。)の“ああおもしろい”にそっくりだ。
 
ほぼ同時期に、ほぼ同一の顔ぶれの編集陣によって作られた二つの唱歌集に別々に収載された「虫のこえ」と()の葉」とあれば、メロディーの酷似は偶然の一致ではないだろうと推定される。

隣接区で敬老の集い ~ 本格派女声トリオ ~ 在住区の僻み

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今月は隣接区の集会施設で≪敬老の集い≫が開催されている。施設が26か所もあるので、ほぼ毎日どこかで開かれているようなものだ。
 
当方の在住区ではその種の催しは無い。そもそも、集会施設の類いは貧弱で、数も少ない。
 

コーラスのグループ活動の会場として利用できるのは、これら集会施設と生涯学習施設である。当区の場合、集会施設にはピアノ常備の部屋が無いのに対し、隣接区では各施設にピアノが(しばしば複数)ある。当方お気に入りの≪歌う会≫もそれらピアノ常備室で開かれる。

 
と言う訳で、越境利用させて頂いている次第だ。≪敬老の集い≫では参加者に対し、飲み物と赤飯などのお土産まで下さる。区外からの越境者も差別しない度量の広さに頭が下がる。
 
今日出掛けたのは、お土産目当てではなく、集いの目玉として、本格派らしい女声トリオのコンサートがあると知ったからだ。前座に幼児の合唱があると判っていたので遅めに到着したところ、既にプログラムの三分の一程を過ぎていた。
 
それでも、しっかりしたソロ、デュエット、トリオなど聴くことが出来た。お一人はピアニスト本職ながら、ソプラノとしても出演していた。プロフィールによれば、彼女を含めてお二方がイタリア留学組という贅沢な組み合わせだ。音楽ホールでのコンサートであれば、○ン千円の拝聴料を差し上げねばならないかなと思ったりした。
 
お一人がロシア民謡「黒い瞳」を披露した。ロシア語で、立派な発音であった。覚えておこう。プロフィールを拝見すると、師事した先生の中にロシア人らしき名前があった。
 
最後は「みんなで歌いましょう」の部で、“青い山脈”、“知床旅情”、“遠くへ行きたい”、“ローレライ”を斉唱し、また、アンコール曲中の“夏の思い出”もお奨めに従って唱和し、大満足の一日であった。
 
それにしても、少なからぬ区民税を納めている自区にこのような施設も行事も無く、隣接区にお邪魔しているのは些か気が引ける。文(ふみ。文化でなく文学か?)のみやこ(京)を称する区であるが、年寄り及び音楽に対して冷淡なように思うのは、僻みか。

参考:寺嶋真衣子、三ツ矢淳子、大坪由里、武蔵野音大、豊島区、区民ひろば西池袋

本格派混声デューオ ~ ミュージカル出身バリトン ~ オペラ出身ソプラノ

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今日も隣接区の≪敬老の集い≫で余興のコンサートを楽しませて貰った。
 
プロの混声デューオで、男声はバリトン、女声はソプラノだった。
 
バリトンさんはミュージカル出身とのことで、マイクを通した大音量で聴かせるタイプなので、当方にはうるさい印象が強かった。しかし、裏声の高音域は上手だった。さすがに年期が入っていると思わせる。
 
ソプラノさんは新国立劇場の養成所第7期生でイタリア留学の本格派で、これまたさすがと思わせる立派な声であった。最高音から急降下した直後の音に違和感があったが、当方の錯覚かも知れない。
 
お二人とも場慣れしたエンタテイナーで、その点は申し分ないのだが、些か自己顕示、自己陶酔の気味が感じられる場面があり、少し興醒めした。
 
この種の行事では、≪みなさんご一緒に≫の部が慣例となっているようで、“ふるさと”“赤とんぼ”“ちいさい秋みつけた”“紅葉”を存分に歌った。
 
顔馴染みの施設職員さんからプログラム最後の曲の後で“アンコール”を叫んでほしいと頼まれた。お安い御用と、“ブラボー”のおまけをつけてご要望に応えた。
 
アンコールにはお二人で“O sole mio”を歌われた。お奨めに甘えて、これも唱和した。
 
本日も大満足。お土産(和菓子)もしっかり頂いた。
 
≪敬老の集い≫も本日で打ち止めとなった。
 

参考:  豊島区 区民ひろば目白 岡智山川知美寛永堂

「0-累桁」数 ~ 因数分解 ~ 周期性

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本日は皇紀8桁表記の「26780917」が素数であることに因んで、数字遊びをした。


 


月日「917」に「0-累桁」で素数の出現状況を調べると次のようになる。( )内は桁数を示す。:


 


(5)90107,(29), (37), (79), (83), (107)


            24      8      42     4      24


 


二段目の数は、素数の桁数列の階差を取ったものである。意味有りげに見ようと思えば見えるが、特に生産的な特徴は無さそうだ。実際、この先桁数を200桁付近まで増やしても、素数は現れない。


 


観点を変えて、「0-累桁」の下での因数分解を眺めると、少しは興味を惹く規則性が見えてくる:


 


(3)917=7×131


(5)90107  prime


(7)9001007=17×529471


(9)900010007=13×13×5325503=13×69231539


(11) 90000100007=877×102622691


(13) 9000001000007=926273×9716359


(15) 900000010000007=7×31×69247×59893793=7×128571430000001


(17) 90000000100000007=171733×524069340779


(19) 9000000001000000007=83×2113×51317432537533


(21) 900000000010000000007=13×3631×31043101×614197169=13×69230769231538461539


(23) 90000000000100000000007= ?


(25) 9000000000001000000000007= ?


(27) 900000000000010000000000007=7×128571428571430000000000001


(29) 90000000000000100000000000007  prime


 


素因数分解機の計算容量の限界のため、23桁以上では答えが得られないのだが、21桁までの計算結果からの外挿で27桁「900000000000010000000000007」の因数「7」と「128571428571430000000000001」が得られた。


 


因数「7」を持つ「917」型の数を並べると次の通り12桁の周期性が見える:


 


(3)  917=7×131


(15) 900000010000007=7×128571430000001


(27) 900000000000010000000000007=7×128571428571430000000000001


 


因数「13」を持つものについても周期性が見られる:


 


(9) 900010007=13×69231539


(21) 900000000010000000007=13×69230769231538461539


 


0-累桁」法の下では、結構普遍的な現象と見てよい。





声域限界 ~ 国境の町 ~ 2オクターヴ弱

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某所の≪歌う会≫で、己の声域の限界を実感した。
 
ある歌を適当に歌い始めたところ、低音域の音を出すことが出来ず、改めて高めに移調して、高低両域ともカヴァーすることが出来たのだが、どちらも結構キツかった。
 
その歌は「国境の町」という古い流行歌である。当方うろ覚えながら、懐メロとして何とか大きく外さずに歌えた、と思う。
 
某所では参加者一人一人にリクエスト曲を訊いて、皆で歌う方式を取っている。ただし、何でもリクエストできる訳ではなく、所定の歌詞集の中からお気に入りを選ぶこととされている。歌数は精々5,60曲だ。
 
童謡・唱歌の外に若干のポピュラー系、歌謡曲系が収録されており、そこに何故か「国境の町」がポツンと納まっていて、目立ったものだからリクエストしてみたのだ。講師の声楽家は全く知らない歌だという。そこでリクエストした当人が勝手に調を探って歌い始めたわけだ。
 
講師は、初めて耳にする歌でも、いわゆるコードを直ぐに探知するのだろう、器用にピアノ伴奏を弾いてくれる。
 
年寄りの集りだから、この古い歌を何人かは覚えていて、唱和し、無事曲尾に辿り着いた。そこで聞こえた感想第一声は、“高いところから低いところまで大変な歌ですね”というものであった。
 
確かに当方もそれを実感したので、歌う音域の幅を移動ドで勘定したところ、高いドから2オクターヴ近く下のミまでであった。
 
一般に歌曲で必要な音域幅は精々2オクターヴ程度であるとはちょくちょく耳にするところだ。それを自分で確認したことは無いが、この説に従えば、大変な歌を期せずして選んだものだ。
 
講師が“誰が歌ったのか”とみんなに問いかけたが、誰も知らなかった。ネット検索したら、彼の有名な東海林太郎の持ち歌だった。古い音源を聴いてみると、彼はヘ長調で歌っている。当方はイ長調であった。
 
齢の所為で、低いラも満足に出せなくなったことに些かショックを受ける。

特養ホーム訪問コンサート ~ 反応有?無? ~ 前向き解釈

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今月の特養ホーム訪問コンサートは、25日(火)の予定であったが、Hさんの旅行計画が入ったため、急遽本日に繰り上げ実施した。
 
こんにちは(出演者輪唱)
宵待草
秋の砂山
ビール樽(ころがせ ころがせ ~) 附:Ein Prosit
ケンタッキーの我が家         附:原語
野ばら(シューベルト)        附:原語
虫のこえ
荒城の月 (1~4番)
朝(朝は再び ~)
浜辺の歌
牧場の朝
お元気で(出演者輪唱)
 
                           (順序不同)

施設側の都合もあり、普段とは異なるフロアを訪問した。要介護度の高い人たちのフロアのようで、反応は殆ど無かった。それでも曲紹介などはひとりでに口から出てくる。何か喋らないと進行がスムーズに行かない。
 
お客さんの最前列中央に、よく通る声でフシを付けて叫ぶ方が一人おられた。初めは演奏妨害かと思ったが、どうも我々に唱和しているらしい。つまり、反応はあったと言うべきなのだろう。
 
終演後、手を振って下さる方もいらっしゃった。我々の歌は、結構お客さんの耳に入っていたのかも知れない。拍手などは無かったが。
 
今回も器楽伴奏は無く、特製CDで間に合わせた。来月からはピアニストが参加する予定なので、気分一新、少し難度の高い歌にも挑戦しよう。「朝顔や」など。

高齢者≪歌う会≫ ~ プロ根性 ~ 緊張感

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冷たい秋雨の中、いそいそと某所の月例≪歌う会≫に行って来た。ソプラノ・太鼓(兼: 笛)・ピアノのトリオで毎回特徴のある演奏を聴かせてくれるので、特段の事情の無い限り参加することにしている。
 
全員で童謡、唱歌、歌謡曲を斉唱する合間に、縦笛と鉄琴の協演で「見上げてごらん夜の星を」を奏するという。固唾を飲んで待つと、笛がメロディーを吹き始めたが、鉄琴がなかなか入って来ない。やっと小さい音で参加したかと思ったら、直ぐに消えた。結局、鉄琴は殆ど鳴らなかった。
 
一体どうなっているのか不審に思ったのは当方だけではなかった。講師が何か早口で二人の奏者に問いかけたのに対する答がよく聞き取れなかったが、鉄琴担当のピアニストが、≪笛の音が上がり過ぎ≫と告げていたようだった。
 
鉄琴の音は固定されているだろうから、笛の音に合わせられなかったということのようだ。後で録音を聴いてみると、確かに笛が上ずっているのが解った。演奏を聴いている時には気付かなかった。
 
笛の担当者もただ不正確に吹いて上ずったわけでもなかった。事前の音合わせで音が下がると注意されていたので、意識的に高めに吹くようにしていたというのだ。
 
ご両人ともプロなのだなあと再認識した。今日は偶々事前の調整が十分ではなかったようだが、お蔭様で、素人衆相手の演奏でも彼女らにはプロ意識の働いていることが判った。
 
講師は「十五夜お月さん」を独唱した。≪大人向けの編曲≫とかで、前奏からして現代音楽風で、歌い出しの音を予想出来なかった。最高音は二点ラだったと思う。途中にヴォカリーズもあり、如何にも難曲らしく、彼女も譜面台に楽譜を置いての真剣な歌い振りだった。
 
普段の微温湯的な≪歌う会≫とは一線を画する、緊張感のある記念すべき会であった。冷雨に濡れても参加する価値は十分にあった。

参考:中川貴恵 瓜田修子 植松真理

唱歌「虫のこえ」~ あれすずむしも ~ あとからうまおい

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この時期、唱歌「虫のこえ」を歌う機会が多い。楽譜があっても碌に見ないで、聞き覚えで歌う。今までずっとそれで通用した。
 
しかし、今日、とんでもない覚え違いを指摘されて驚愕した。
 
歌詞第2節は次の通り:
 

きりきりきりきりきりぎりすがちゃがちゃがちゃがちゃくつわ蟲
あとから馬おひ おひついてちょんちょんちょんちょんすいっちょん

秋の夜長を 鳴き通す あゝおもしろい 蟲のこゑ
 
これまで何十年も、2行目を“あ と か ら う ま お い ~”と規則正しい均一リズムで歌って来た。
 
某氏が、“あ と か ら う まお い ・ ~”だよと教えてくれた。つまり、“まお”の2文字で他の1文字分の長さなのだという。半信半疑で楽譜を見ると、彼の言う通りであった。“あ と か ら う”までは八分音符に1文字が対応しているが、“まお”は2文字が八分音符に押し込まれている。その後に八分休符が続く。
 
第1節と対比すると、“あれすずむしも”の部分で、第2節が1文字多くなっている。第1節で八分休符の存在を認識していれれば、もっと早くに気付いていたかも知れない。
 
新しい編曲でこのようになったのかも知れないと、念の為古い楽譜を参照したところ、昔から変わっていないことが判った。
 
「虫のこえ」については、やはり第2節の歌い方で昨年失敗したことを思い出す。
 
きりきりきりきりきりぎりす”の部分を“がちゃがちゃがちゃがちゃくつわ蟲”のメロディーで歌い出したのだ。リズムも当然違っているから、皆さんを混乱させてしまった。

すばる望遠鏡 ~ 大規模停電 ~ 無停電電源 (UPS)無作動

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次のような情報に接した。一般メディアでは報じられていないようだ:
 
マウナケア山頂域の大規模な停電による共同利用観測への影響について (第一報) 
2018913 (ハワイ現地時間)
 ハワイ時間2018913日未明、マウナケア山頂域全体で大規模な停電が発生~その結果、すばる望遠鏡山頂施設の電源は4時間近くに渡って停止しました。
 
  この停電に伴い、すばる望遠鏡本体に電源を供給する無停電電源 (UPS) が正常に機能せず、望遠鏡は停止しました。また、停電解消後に UPS の再起動を試みましたが、起動しませんでした。~~~
 
現在、UPS が起動しなかった原因、すばる望遠鏡本体および観測装置等への影響について調査を進めており、調査結果に基づき、安全かつ早急に共同利用観測を再開すべく、適切に対応いたします。復旧の見込みは判明次第お知らせします。
国立天文台ハワイ観測所長吉田道利
 
 
重要な機械設備において、常時使用の電源が突然途絶えたときに瞬時に代替電源として起動し、当該設備の連続稼働を保障するよう設置されるのが無停電電源 (UPS)であると理解する。
 
その無停電電源 (UPS)が“正常に”機能しなかったいうのは、具体的には如何なる状況だったのか、第一報では不明である。単に“起動しなかった”のか、それとも、起動したが満足に機能しなかったのか。 
 
“停電解消後に UPS の再起動を試みましたが、起動しませんでした”という記述から類推すれば、“停電時に起動する筈のUPSが起動しなかった”のが実態なのだろうとは思う。
 
UPS が起動しなかった原因”について調査を進めているとのことだが、要するに、停電前から故障していたということなのだろう。毎日の仕業点検は励行されていたのか。まさか、停電の衝撃で無停電電源 (UPS)が故障したなどという笑い話に落ち着くのではあるまい。
 
当面、“101日までの共同利用観測を中止することにしました”とのことだが、素人には解りにくい決定だ。停電が解消したのだから、貴重な観測施設は大いに利用するべきだろう。無停電電源 (UPS)が無ければ動かせない施設でもないだろう。故障している無停電電源 (UPS)に安心して観測をしていたのだから。
 

と、疑問を連ねてみたが、大規模かつ重要な天文観測施設のことだ、素人の考え及ばない事情もあるのだろう。第2報が待たれる。


追記:第1報の”この停電に伴い~~~無停電電源 (UPS) が正常に機能せず”のくだりは”停電したので~~~機能せず”のように読める。読み手の常識的判断で救われる作文だ(2018.09.24)。

軍神・広瀬中佐 ~ ニコライ2世暗殺再未遂 ~ ニコライの鐘

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伴野朗「必殺者」(光文社 S58.1.25)を読んだ。副題が「軍神・広瀬中佐の秘密」とあり、日露戦争の初期に旅順口閉塞作戦で戦死し、軍神に祭り上げられた広瀬が実は生きていて、ロシア皇帝暗殺の密命を受け、サンクト・ペテルグルクに潜入するという冒険活劇歴史推理小説である。
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この種の本は、史実、虚構渾然一体に記述されているので、油断ならないが、とにかく面白い。皇帝暗殺未遂事件は明らかに虚構である。他に、皇帝一家殺害、アナスタシア王女存命など虚実綯い交ぜの話題もある。広瀬と同じく軍神の杉野が戦後も中国で目撃されたという噂が流れたとの挿話は、真偽のほどを確かめることも出来ない。本書中では、杉野は、広瀬と皇帝暗殺行を共にしている。
 
本書における日露戦争の大きな推移は史実通りだと思われる。肝心な点は、講和会議において、ロシアが日本に対して金銭の支払いや領土割譲は絶対に受け入れないとの態度を、交渉決裂寸前に緩めて樺太南半を差し出したのは、皇帝が広瀬らの襲撃でショックを受けた結果であるとしていることである。
 
皇帝が襲撃を受けて取り乱し、突発的に口走った樺太南半割譲容認が交渉決裂間際にロシア代表団に伝えられたことで、講和条約がまとまったとの設定である。史実は、ロシア代表の現場判断による決断を皇帝が事後承諾したものとされているようだ。
 
物語の本筋を導入するのは、現代(1982年)の国電御茶ノ水駅ホームにおける老ロシア人の心臓発作死である。一連の情景描写の小道具として、ニコライ堂の建築概要と共に歌謡曲「ああ、ニコライの鐘が鳴る・・・・・」が登場する。
 

歌謡曲の正式題名は「ニコライの鐘」(作詞:門田ゆたか、作曲:古関裕而)で、藤山一郎吹込みのレコードが1951(昭和26)年に発売されたそうだ。その32年後に小説「必殺者」が発売、更に35年後に当方が読ませて頂いた。

 
その因縁で、と言う訳ではないが、来月の特養訪問コンサートの演目に「ニコライの鐘」が含まれている。

蛇足:(国電)山手線に”やまのて”とかなが振られている。当方などは未だに”やまてせん”と呼ぶ。ある時期、個人的な趣味を公的事業に持ち込む国鉄総裁がいて、用語を独断で変更したようなことがあったと記憶する。この小説執筆の直前だったのだろうか。

影の歌姫 ~ ペール・ギュント秘史 ~ グータラ演奏家

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ルシンダ・ライリー/著 高橋恭美子/訳「影の歌姫 上・下」(東京創元社 2018.7)を読んだ。舞台が19世紀から21世紀の欧米に亘り、役者も歴上実在の有名人を配しているので、娯楽性は十分である。イメージ 1
 
原題≪THE STORM SISTER≫は“嵐姫”とでも理解すればよいのか。訳題「影の歌姫」は解り易いし、購読意欲をそそる妙案だ。ただし、それは本書の内容の一構成要素に過ぎない。
 
イプセンの戯曲とグリーク作曲の組曲による「ペール・ギュント」の初演(1876)に際し、舞台女優の口パクに合わせて舞台裏で歌ったソプラノ歌手を指す「影の歌姫」が辿った数奇な運命を虚構し、著名芸術家との交流から紡ぎ出される子孫たちの人生を大河ドラマのように描いている。
 
面白いのだが、時系列的に叙述されておらず、時代が前後したり、したがって登場人物がガラリと入れ替わったりするので、読みづらい憾みがある。このような小説手法は近年の流行なのかな。
 
娯楽小説と割り切ればよいとは言うものの、文庫本としては浩瀚な分量であり、読了するにはそれなりのエネルギーを要する。歌姫の物語と他の話題とに密接な関連性は覗えないので、全体に散漫の印象もある。風呂敷を広げ過ぎたのかも知れない。
 
しかし、西洋音楽史の数コマを生き生きと描いて見せてくれるところは見事だ。例によって虚実綯い交ぜであるから歴史的真実と勘違いしないように注意しよう。
 

大団円を飾ることになる老ピアニストが、“飲んだくれであてにならない”、“コンサートをすっぽかす”、“何年も前に解雇されてる”人物で、記念すべき公演での起用を(最初は)言下に断られたという設定は、当方が今抱える悩みにそっくりである。

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