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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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ゴンドラの唄 ~ 歌詞の揺れ ~ 譜割りの妙

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この夏某ボランティア合唱団で訪問コンサートの演目にしている吉井勇/中山晋平「ゴンドラの唄」(1915)は、今更お浚いの必要も無いような国民的愛唱歌のように思われる。思考のちょっとした隙間にふと口を突いて出てきたりする。
 
今日もバス停でボーっと待っていると、「Danny Boy」に次いで「ゴンドラの唄」の一部が頭に浮かんだ。
 
メロディーに載せて“あーすのーつきーひは なーいもーのを”と脳内再生したところで、違和感を覚えた。“つきーひは”?“つきーひの”?どちらが正しいのか、決め手が無い。何となく“つきーひの”が良さそうに思えた。“つきーひは”が事務的印象で、“つきーひの”には情緒が感じられたのだ。
 
帰宅してネット検索したところ、両派の勢力伯仲の趣であった。
 
原詩を忠実に再録したサイトは無いかと探索したところ、高知県香美市が用意していた:

「ゴンドラの唄」 作詞:吉井勇  作曲:中山晋平                           

いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)、
朱(あか)き唇、褪(あ)せぬ間(ま)に、
熱き血液(ちしほ)の冷えぬ間(ま)に
明日(あす)の月日(つきひ)のないものを。          


いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)、
いざ手を取りて彼(か)の舟に、
いざ燃ゆる頬(ほ)を君が頬(ほ)に             
こゝには誰(た)れも來(こ)ぬものを。


いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)、
波にたゞよひ波の様(よ)に、
君が柔手(やはて)を我が肩に
こゝには人目ないものを。                     


いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)、
黒髪の色褪(あ)せぬ間(ま)に、
心のほのほ消えぬ間(ま)に
今日(けふ)はふたゝび來(こ)ぬものを。


歌詞の出典:1915(大正4)上演の劇『その前夜』の脚本より。
 
これにて一件落着である。大衆に広く歌われて百年も経てば、歌詞のこの程度の揺らぎはあって不思議は無い。むしろ、この程度で収まっていることに感心するくらいだ。
 
しかし、この歌詞をなぞっていくと、他にも幾つか気になる箇所が出て来た。
 
先ずは第3節“こゝには人目ないものを”である。暗譜で歌うと、“こゝには人目ないものを”あるいは“こゝには人目ないものを”になりそうである。第2節の“こゝには誰(た)れ來(こ)ぬものを”に対応させると、“人目”と歌いたくなる。音節数に合わせれば“人目”と原詩のように落ち着く。

ネット検索すると、“人目”も“人目”も見付かる。ウィキペディアは“こゝには人目ないものを”としている。
 
もう一つは、第2節の“いざ燃ゆる頬(ほ)を君が頬(ほ)に”である。現代人の読み方では“頬(ほ)”ではなく“頬(ほほ)”になるし、そのように歌うことは譜割り上全く問題無い。佐藤千夜子でさえも既にそのように歌っていた。
 
気にし出すと迷路に入り込むのが、各節第4行目である。第4節では“今日(けふ)はふたゝび”のところ、譜割りに混乱を来し、メロディーも覚束なくなる。

その原因は、楽譜を見ると、各節行頭の文句の音節数の違い(3または4)と、それに呼応する次の文句の音節数(4または3)に忠実な譜割りにあるのではないかと思われた。
 
歌う際に、メロディーに歌詞を押し込むか、歌詞の音節を楽譜に機械的に載せて行くかの違いである。当方などは、前者の流儀に馴染んでいるが、この歌の楽譜は後者の流儀である。

異調並行唱③ ~ 童謡「シャボン玉」② ~ 下方転調

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今日も某施設の“歌う会”で「シャボン玉」が異調並行唱になった(異調並行唱②童謡「シャボン玉」~ 直感的...  2018/7/26())。不思議なので、ヴォイスレコーダーの録音ファイルをチェックした。
 
カラオケ音源はハ長調で始まっていた。皆さんも当然ハ長調であった。
 
当方は前回と同じ様にヘ長調であった。ハ長調とヘ長調とは相性が良いのか。つまり、ハ長調の伴奏が(当方には)低過ぎると感じられた時に、それより高めの調を取るとすれば、ヘ長調が歌い易いのか。音楽理論家のご教示が欲しいところだ。
 
今日のカラオケは些か高級指向であった。一つには前奏が主旋律を暗示するとは限らず、従って歌い出しのタイミングを感得するのは難しかっただろうと推察される。
 
更に、曲の途中での転調がふんだんに取り入れられていた。ただし、間奏が転調しているだけで歌唱部分は変わっていない場合もあり得る。当方もその辺りは簡単には把握できない。
 
「シャボン玉」のケースをチェックしてみた。転調後の第2節を聴くと、カラオケ(皆さん)はハ長調、当方はヘ長調で、どちらも変わりなかった。
 
再度転調後の第3節では、カラオケ(皆さん)は半音下がってロ長調、当方は変わらずト長調であった。転調する場合、音を高くすることが多いと思っていたが、このカラオケ「シャボン玉」は逆に低くしていた。歌の背景にある悲しみを暗示したものだろうか。

タイムライン ~ ヘッドライン ~ トピックス

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我がEメールの着信の殆どは企業の宣伝、販売促進や団体の広報である。件名に興味が湧かなければ開くことも無くゴミ箱行きだ。
 
新聞社などからのニュース便も例外ではない。速報などというのも随時配信されるから、その数は相当なものだ。面倒なら購読しなければよいとは言うものの、重要なニュースは逃したくないとの気持ちあり、ディレンマである。
 
今朝の≪From:朝日新聞ヘッドライン≫の件名は≪8・6タイムライン(87日)≫となっていた。意味がピンと来なかった。“タイムライン”は“time line”に違いないだろうが、過去にお目に掛った記憶が無い。(8月7日)とあるのも気に掛る。
 
開いて見ると、見出しが≪朝日新聞デジタル・ヘッドライン 201887日(火)≫、≪今日のトピックス≫と続く。
 
“ヘッドライン”は昔から馴染んだ用語だから、“大きな見出し”だと見当が付く。ただし、個々の見出しを指すのか、複数の見出しを連ねたものを指すのかなど厳密なことは知らない。
 
“トピックス”も古くからのお馴染みで、そのまま理解できる。
 
結局、“タイムライン”の意味は解らないものの、これら3個のカタカナ語は同義に用いられているように思われた。原義は異なり、微妙に使い分けられているのかも知れないが,上記のように並列されると、原義の違いもぼやけてしまうのではないか。
 
“タイムライン”を検索すると、文字通り“時間を追って並べたもの”が原義らしいと判る。既知の言葉では、“時系列”に相当する。どのように違うのかは、用例を見なければ分らない。上掲の“ヘッドライン”が時系列的に羅列されているようには思われなかった。
 
新語、造語が日々世に送り出されているだろうから、世間と接触の少ない化石老人の理解を超える言語が氾濫するのは当然か。“国語の乱れ”などという生易しい状況ではなさそうだ。

童謡「シャボン玉」③ ~ 風々吹くな ~ 風は必要

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先月来、童謡「シャボン玉」を素材に異調並行唱の不思議を取り上げた。この童謡のメロディーについては、5年前に既存曲活用の例としても書いたことがある((両津甚句~童謡「シャボン玉」~讃美歌「主われを愛す」2013/6/18())“結局、讃美歌と両津甚句を上手に取り込んだ曲であると見做せなくない”)。
 
実は、もっと単純な疑問を歌詞について抱いている。
 
 
        シャボン玉  (1920 or 1922)       野口雨情 
 
   シャボン(だま) ( と )んだ 屋根 ( やね )まで ( と )んだ        
      屋根 (やね)まで ()んで こはれて ()えた


   シャボン ( だま )えた ( き )えた  ( と )ばずに ( き )えた    

        ()まれてすぐに こはれて ()えた


   風々 ( かぜかぜ ) ( ふ )くな シャボン ( だま ) ( と )ばそ

 
最終行“風々(かぜかぜ) ( ふ )くな シャボン ( だま ) ( と )ばそ”に違和感があるのだ。
 
この文句の意図するところは、“風が吹くとシャボン玉が破れて飛ばせない(だから風よ吹かないでおくれ)”だろう。つまり、風はシャボン玉遊びを妨げるものだとの認識がある。
 
事実はどうだろうか。単純に言って、風が無ければシャボン玉は直ぐに落下する筈だ。玉の表面を形成する液の比重は明らかに大気より大きい。つまり、シャボン玉は空気より重い。重力の外に作用する力が無ければ、シャボン玉は地表に向けて落ちるだけである。
 
シャボン玉がふわふわ漂流したり、上昇(時には下降)したりするのは大気の動きに乗っているからだ。つまり、風が無ければ屋根まで飛ぶことも無い。ほどほどの風はシャボン玉遊びには必要なのだ。
 
物理と矛盾しない解釈を施すとすれば、“シャボン玉が優雅に飛ぶさまを楽しむ間もなく、直ぐに建物などに衝突して破裂するような強風は吹いてくれるな”ということだろうか。

訪問コンサート ~ 突然デュェット ~ 突然難聴

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台風一過、蒸し暑い中、またまた施設訪問コンサートに参加して来た。
 
演目は≪助っ人出演 Danny Boy 男声二重唱 2018/7/14()≫の時と同じだが、曲順と一部演奏形式が違った:
 
 1.夏は来ぬ (混声二部)
 2.浜辺の歌 (混声二部)
 3.遙かな友に (混声二部)
 4.Danny Boy     (男声二部&ピアノ)
 5ゴンドラの唄 (斉唱)
 6.真っ赤な太陽 (斉唱)
 7.海に来たれ   (混声三部)
 8.   君をのせて   (混声三部)
 9.さくら貝の歌    (指揮者ソロ)
10.憧れのハワイ航路 (斉唱)
 
Danny Boy”は、バス不在のため、当方が低音に回った。練習無しのぶっつけ本番だが、音取りには問題無いことを譜読みで確かめていた。ただ、肝腎の低音がまともに出ない。それは諦めることにした。エセ・デュェットで、あまり冴えなかった。
 
更に悪いことに、ピアノ伴奏が、前回の倍速のテンポで始まった。想定外の事態にうろたえて、出来の悪さに輪を掛けてしまった。ソロならともかく、人と合せる演奏は、それなりの準備が必要だ。
 
更に想定外の事態が起きた。演奏中、我が耳が突然、閉塞感を覚える障害が発生したのだ。入ってくる音は、籠ったように聞こえる。中耳か内耳で蓋がパタパタ、ペコペコするように感じる。唾を飲み込んでも治らない。
 
三十数年前に浸出性中耳炎を患ったことがあるが、その時の感覚とは明らかに異なる。 
 
自分の歌声も当然奇妙に響く。周囲に覚られないよう、平静を装って歌い続けたが、内心ショボショボして、情けない気分だった。
 
帰途、駅前交番で近くの耳鼻咽喉科医院を教えて貰ったが、生憎、本日休診であった。
 
一昨日あたりから体がだるかったので、何か感染症に罹ったのかと、帰宅する途中も心配が募った。
 
ところが、帰宅して1時間ほど経った頃、耳の違和感が薄れ始めた。結局、演奏途中の変調から約3時間で症状は消えた。一体何だったのだろう。
 
“突発性難聴”などという術語が浮かぶが、該当するものかどうか判断の拠り所が無い。
 
本日休診は不幸中の幸いであった。
 
終わりよければ総てよし、と言いたいところだが、気の所為か、喉がヒッパツくような、、、。

五山の送り火 ~ 正高信男教授 ~ テナガザルの音声コミュニケーション

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次のようなウェブニュースに接した:
 
五山だけじゃない?幻の送り火「い」の痕跡か 京都大学が発表
 

 京都のお盆の風物詩「五山の送り火」、かつては今よりも多くの山で行われていたといいますが、詳しい場所はわかっていません。京都大学は、京都市内の山で送り火が行われていた可能性のある痕跡を見つけたと発表しました。

 五山の送り火はお盆に帰ってきた先祖の霊を再びあの世へ送り出し無病息災を祈る行事で、毎年8月16日に京都の夜を赤く染めます。現在5か所で行われている送り火ですが、かつては約10の送り火があったとされています。江戸時代の絵図には、見慣れた大文字などの送り火とともに、現在の京都市左京区あたりに、今はない「い」の送り火が描かれています。その「い」の送り火が行われていたことを示唆する痕跡が見つかったと8日、発表されました。

 「斜面をL字にきれいに削り取ったようなところがある」~ 「あそこで『い』の字の送り火が灯されていたのではないか」(正高信男教授)

 正高教授は今後、近くの住民から言い伝えを聞き取るなどして研究を進めるとしています。

    
MBSニュース 8/8() 19:12配信
 
京都の送り火なる行事そのものに特に関心がある訳ではない。
 
目を惹いたのは“正高信男教授”である。随分前、当ブログにご登場頂いた方に違いないと思った。検索すると、
 
 
の2件ヒットした。テナガザルの音声コミュニケーションを研究なさった方というイメージからすると、今回の御登場場面は唐突の観がある。民俗学の領域に思われるし、遺跡調査の趣もある。同姓同名の別人の可能性もあるので、ネット検索してみた。
 

≪霊長類研究所/認知科学研究部門/教授≫で、人類学、心理学方面にも関係の深いお仕事をしていらっしゃるようだと知れる。“正高教授”はお一人のようだ。

 
音声・歌の起源の研究が、送り火の歴史の解明とどのようにつながるのか、想像できない。

ジャン・ジャック・ルソー ~ 音楽・言語同源論 ~ 歌から言語が生まれた?

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昨日話題にした正高信男教授の≪歌から言語が生まれた?≫説に関連するエッセーを、偶然手にしたPR誌『ミネルヴァ通信 究』No.089(8.2018)で読んだ:
 
子育ての自然誌 狩猟採集社会からの眼差し(五) ルソーの野望(高田 明)
 

ルソーについては断片的な知識はあった。“社会契約論”で歴史上大きな影響をもたらしたとかいうことは昔々の受験勉強で暗記した知識の残滓だ。童謡「むすんでひらいて」の作曲者であることも一応知っていた

 
しかし、上記エッセーによれば、ルソーは思想家・音楽家に留まらず、自然科学的な研究にも力を入れたスケールの大きい人物だったらしい。
 
音楽の分野でも、当時絶大な人気と権威を誇ったラモーと論争していたという。
 
≪ルソーの音楽理論は、彼の言語理論と密接に結びついている。音楽と言語はその起源を同じくする、すなわち、これらはいずれも他者と関わるための精神的な欲求および情念から発するというのである。~この思想は、神学的な発想から音楽理論を解き放っただけではなく、現代の言語科学やコミュニケーション理論の基盤をも形成することになる≫
 
ルソーの「言語起源論」(1763年頃)は、もともとは大作「人間不平等起源論」(1755年)の一部だったそうだ。今から二百五十年以上も前に音楽・言語同源論を唱えていたとは驚きだ。言語(げんご)(うた)起源論と同列に考えるべき内容かどうかは判らない。
 
“いずれも他者と関わるための精神的な欲求および情念から発する”ことを指しているだけだとすれば、現代の“言語(げんご)(うた)起源論”のような自然科学的根拠のある理論ではない。むしろ、“思想”に近いものと言うべきだろう。
 
いずれにしても、ルソーの著書を読んでみたくなった。勿論、翻訳で。

素数無縁日 ~ 2020オリンピック年 ~ サマータイム論議

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本日の日付けは、およそ素数に縁が無い。西暦、皇紀、和暦いずれにおいても、表示桁数に拘わらず素数にはならない。月日だけの8133の倍数だ。
 

西暦年数を動かしてみると、直近前回の素数は20090813 だった。次回は20200813 となる。こちらは、世上喧しいオリンピック開催年だ。その次は20260813 と、僅か6年後である。この数域の素数確率約5%に照らすと随分短い間隔だ。逆に間隔が長いケースもあるから気にすることも無いが。因みに、その後の素数は20480813 で、平均的な間隔だ。

 
ところで、次のオリンピックは真夏真っ盛り、酷暑の次期に当たることで関係者が悩んでいるそうだ。何を今更、の観がある。招致活動や日程起案の際に気付かなかったとでも言うのだろうか。
 
酷暑オリンピック対策の一環として夏時間(サマータイム)制の採用を検討しているとも伝えられる。本末転倒も甚だしいと言わざるを得ない。時期を外せば済むことではないか。
 
真昼間を避けるだけで済む簡単な策だが、関係者たちの力の及ばない所で日程が決まったのであろうことも想像に難くない。欧米TVでの実況放映に最適の時間帯に合うとか合わないとか、大スポンサーの御意向が難しいとか。商業オリンピックの実体に鑑みれば、世界中での興行収入の最大値を実現するための開催時期なのだろう。
 
少し現実的な酷暑対策を想像してみると、屋外競技の実施を東京の比較的涼しい時間にすることが挙げられる。これは既に提言がなされているようだ。これで酷暑問題が解決されるならば、夏時間制からの離脱に向けた世界情勢の中で、その採否に悩まなくて済む。
 
蜜を求める蟻の如く商業オリンピックに群がる団体、業界、人々の広がりを思うと、その経済的影響の大きさも想像される。それが社会にとって善であるのか否か、考えることが必要だ。物質的GDP至上主義は脇に措こう。
 
商業オリンピック懐疑派の当方も、過去のオリンピック讃歌などには人並みに興味を示した(オリンピック狂騒曲~螢の光~つくしのきわみ みちのおく 2012/7/21() など。今回はどんな曲が現れるだろうか。

帝都復興の歌 ~ 小林愛雄 ~ 恋はやさし野辺の花よ

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昨日は来たる28日の訪問コンサートに備えての練習を行なった。月1回だけの練習の中に沢山の曲を詰め込むので、大まかに音合わせが出来れば善しとする。今回は特に欲張った内容で、結局割愛せざるを得ないものも複数あった。
 

辛うじてお浚いできた一つが、小林愛雄/小松耕輔「帝都復興の歌」で、この歌については当ブログで何回も言及している。関東大震災記念日前のコンサートに於いて、その復興支援ソングを披露しようとの魂胆である。単純なメロディーなので、音取りに問題は無い。

 
その作詞者である小林愛雄(18811130 - 1945101日)に少し注目してみた。一般に名を知られた所謂メイジャーな作詞家ではないと思うが、意外に活躍しており、実績を残している。解り易いのは「恋はやさし野辺の花よ」だろう。当方は殆ど歌った記憶が無いが、知名度の高い歌だ。
 
恋はやさし野辺の花よ   小林愛雄

一、  (こい)はやさしい 野辺 ( のべ ) ( はな )     (なつ) ()のもとに  ()ちぬ (はな)
   ( あつ ) ( おも )いを  ( むね )にこめて    ( うたが )いの ( しも )を  ( ふゆ )にもおかせぬ   わが ( こころ )の ただひとりよ  

二、  (むね)にまことの  ( つゆ )がなけりゃ     (こい)はすぐしぼむ  (はな)のさだめ
   ( あつ ) ( おも )いを  ( むね )にこめて    ( うたが )いの ( しも )を  ( ふゆ )にもおかせぬ   わが ( こころ )の ただひとりよ

 
「恋はやさしい野辺の花よ」でネット検索すると、「恋はやさし野辺の花よ」のことかと問い返される。文語体の題名が正式なのだろう。そう思って歌詞を読むと、“恋はやさしい 野辺の花よ”と口語体が現れる。“熱い思い”然り。要するに、文吾・口語混交体だ。
 
歌詞の意味も当方には解りにくい。全体としては、≪我が心の恋の思いは強く、くじけない≫と言っているようだが、“(こい)はやさしい”、“わが ( こころ )の ただひとりよ”など、意味不明である。
 
なお、諸解説によれば、これは訳詞だそうだが、原詩からはかなり乖離しているとも言う。
 
いずれにしても、“柔らかい”内容の歌詞であり、「帝都復興の歌」の“硬さ”とは対極にある:
 
                小林愛雄/小松耕輔

陽は照る瑠璃の空の下悪魔の群れは跡もなし 若き光のさすところ大地も人もよみがへる

今、新しき土の上こころを堅く結びつつ、若き生命の輝きに真理(まこと)を目指し進みゆく

今、音を合はせ槌は鳴る最後の勝利望みつつ強き力の寄るところ不滅を誇る家を建てん

陽は照る瑠璃の空の下怪しく暗き影はなし清きわが世のあるかぎり 世界に誇る街を建てん

 
題意に添って適切に作詞する技術は、さすがである。

浜辺の歌 ~ 縮約の歌詞第3節 ~ 誤解の“ぬれもせじ”

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某所の≪歌う会≫で、講師(ソプラノ)が林古渓/成田為三「浜辺の歌」を独唱した。
 
彼女がイタリアで修業中、スランプで悩んだとき、師が“日本にこんな素敵な曲がある”と言ってメロディーを歌ってくれた思い出の歌であるとのことだ。
 
“歌詞は通常2番までであるが、実は3番もあるので”と言い、3番まで歌った。
 
現在一般に歌われる「浜辺の歌」の歌詞12番は次の通りで、これについては問題は無い:
 

一、  あした浜辺(はまべ)を さまよえば、   (むかし)のことぞ  (しの)ばるる。
     (かぜ) (おと)よ、 (くも)のさまよ、   ()する (なみ) (かい) (いろ)も。

ニ、  ゆうべ浜辺 (はまべ)を もとおれば、   (むかし) (ひと)ぞ、 (しの)ばるる。
     ( よ )する ( なみ )よ、 ( かえ ) ( なみ )よ、   ( つき ) ( いろ )も、 ( ほし ) ( かげ )も。

(サイト ≪d-scoreによる。) 
 
問題があるのは、講師が特に披露した3番である。諸資料に紹介されているように、林古渓の原詩が4番まであったものを、編集者が34番を約めて3番として公表したため、意味不明の3番となったと言われている:
 
三、  はやち たちまち なみをふき、 赤裳の すそぞ ぬれもひぢし。
    やみし われは すでに いえて、 浜辺の真砂(マナゴ) ご いは。
 
“意味不明”というのは、3番の前半と後半の繋がりが無いことであると思われる。
 
しかし、あまり厳格に考えず、気分中心に歌う分には支障無いとも言える。
 
ところが、現今問題になるのは、もう一段、誤解に基づく改変が加えられて次のような歌詞が出回っていることである:
 
三、  はやち たちまち 波を吹き、 赤裳の すそぞ ぬれもせじ
 
    やみし 我は すべて いえて、 浜辺の真砂 まなご いまは
 
“ぬれもせじ”となったのは、恐らく“ぬれもひぢし”の意味を取り違えたことによる。つまり“急に強い風が吹いて、裾が濡れてしまったよ”と言っているのを、“濡れもしない”と真逆に変えたのだ。
 
また、“真砂”は、仮名を振らなければ、“まさご”と読むのが普通だから、大概は“はまべの まさご まなご いまは”と歌うだろう。
 
無茶な約めに誤解を上塗りした元凶は、1918年のセノオ楽譜らしいのだが、表紙を竹久夢二の美人画で飾ったこの楽譜の出版によって「浜辺の歌」が永久保存される愛唱歌の地位を得たとすれば、以って瞑すべし。

モールダーウ ~ モルダウ ~ モルーーーダウ

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某合唱団で用いている混声3部「モルダウの流れ」の楽譜(岡本敏明作詞、スメタナ作曲、小山章三編曲)の譜割り(詞割り?)が気になって困る。
 
“モルーーーダウ”と歌わされて、気持ちが萎えるのだ。これまで幾種類かの作詞、編曲で同曲を歌っているが、いずれも“モールダーウ”などのように、“ル”は短音であったと記憶する。
 
モルダウの原語(ドイツ語)表記は“Moldau”で、カナ表記の“ル”は“l”に当たり、母音を含まない。それを“ルー”と伸ばして発音するのは気持ちが悪い。“ル”にしても短母音は伴うが、“ルダ”と連音に発音すれば違和感は無い。
 
野球用語の“ストライク”を審判はどのように発音しているのだろう。長音を入れるにしても“ストラーイク”でなかろうかと思うが。これを“スートライク”とか“ストーライク”のように発音されるとズッコケるのではないか。習慣の問題ではあるが。
 
しかし、この問題を合唱団内で持ち出すのは気が引ける。うるさい奴だと不評を買うのは見え見えだ。日本語で歌うのだから、どこを延ばそうが問題無いだろうと反撃されるかもしれない。
 
どさくさ紛れを装って、独り“モーーーールダウ”と歌おうか。

北上夜曲 ~ 混線 ~ 惜別の歌

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某所の≪歌う会≫、約20人で「北上夜曲」を歌った時、当方のメロディーが皆さんと違っていた。聴き覚えで歌っている積りだが、どうも外れているらしい。
 
帰り道、メロディーの違いを反芻しているうちに頭の中が混濁し、どちらがどちらか、あやふやになった。
 
しかも、全然別の歌が浮上して来た。「惜別の歌」だった。どうも出だしがそっくりであるように思われた。
 
メロディーの出だしを並べて比較した:
 
我が「北上夜曲」   ラーシドーレミーファミーーー ラーソドーレミーーー
 
「惜別の歌」      ラーシドーレミーファミーーー ラーソドーレミーーー
 
全く同じだった。
 
皆さんの「北上夜曲」 ラーシドーレミーレミーーー ミレドシーラシーーー
                              ♯
 
皆さんの方に軍配が上がりそうだ。当方の頭の中で、二つの歌が混線したようだ。
 
因みに、惜別の歌は、作詞島崎藤村、作曲藤江英輔で、作曲されたのは先の戦争中のこと、戦後(1950年?)レコード化されたとのこと。北上夜曲は、作詞菊地規、作曲安藤睦夫で、作られたのは東北地方で先の戦争中のこと、戦後徐々に全国的に広まったとのことである。レコード化は1961年とのこと。
 
楽譜は見ていないが、どちらも6/8拍子のように聞こえる。
 
ほぼ同時期にこれほど酷似するメロディーが隔地で生まれたとは、奇跡と言える。

四の字固め ~ 悲しみの縁 ~ 骨髄に達する

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講談社のPR誌『本』9月号の特別企画≪熟練校閲者からの挑戦状≫が面白かった。同社の新刊「間違えやすい日本語実例集」の宣伝を兼ねた、用字の間違い捜し問題集である。
 
初級編10題のうち、“四の字固めが決まって、相手はギブアップした”の間違いが解らなかった。
 
答は、“四の字固め”→“4の字固め”とあった。これはプロレスに親しんでいなければ解らないようだ。
 
同音訓別字編では、“今に至ってもまだ黙否を続けている”が解らなかった。黙否が問題なのだろうとは見当がついたが、正解に思い至らなかった。“黙して秘す”だったのだ。
 
同音異義語編では、“誰しも出所進退は誤りやすいものだ”が出来なかった。“出所”が間違いだとは思ったが、正解“出処”を書けなかった。
 
“悲しみの縁にあるはずだが頬笑みは絶やさない”は、“頬笑み”→“微笑み”だと早合点した。これは引っ掛け問題で、正解は“縁”→“淵”だった。言われてみれば当然のことだが、見落とした。
 
成句編では、“恨み骨髄に達する”が解らなかった。“達する”→“徹する”が正解であった。発音、意味共に近い字には騙され易い。
 
問題としてではないが、≪ことばの変化≫として、「気が置けない」「ジンクス」「鳥肌が立つ」「雨模様」「号泣」などの意味が変化したり、逆の意味で使われたりする傾向に注意を喚起している。
 
「気が置けない」は如何にも誤解されそうな表現だと思う。読書量が物を言うケースだろう。
 
逆に読書量だけでは身に付かないものもある。当方など、つい最近まで「真逆」を「しんぎゃく」と思い込んでいた。耳から入ったことが無いためだ
 
 “百聞は一見に如かず”と言うが、“百見は一聞に如かず”もあり得るのだ。

猛暑中訪問コンサート ~ 猛暑中変調 ~ 非論理支配

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猛暑がぶり返した。既にバテバテの老躯に鞭打つようにして施設訪問コンサートに参加して来た。
 
集合時間が12:30となっていたが、他用の都合で11:50頃に施設の前に着いてみると、先着したメンバーが二人、屋外のベンチに掛けて待っているではないか。既に35℃になっていたと思われるのに、施設に遠慮して外で時間をつぶしていたのだ。
 
如何にボランティア活動とは言え、そこまで遠慮することも無かろうと、彼らを促して入館した。既に控室の準備が為されていた。その後、出演者たちが三々五々到着し、予定通りリハーサルが始まった。
 
暑さの所為か、楽器班も、コーラス班もチグハグだった。当方は齢の所為で低音域が苦手となっていて、唐突に1オクターヴ上で歌ったりした。ドサクサ紛れで平静を装ったものの、顰蹙を買っていたかも知れない。本番でも同様に自我を通した。お客さんには聞こえているのだろうか、気懸りではある。
 
Danny Boy”男声二重唱を3人で歌うのがなかなか微妙な塩梅だ。専任バスは強力なので、テノール二人にすればバランスは良いと判っている。
 
しかし、前々回バス1、テノール2で歌った時、その強力なバスがどうも音取りできていないように思われたので、今回当方もバスに回って歌うことにした。声量バランスは悪いのだが、結果的には正解だったようだ。音取りに自信が無いと、声がどうしても遠慮がちになるからだ。
 
指揮者であるソプラノさんが今季は「あざみの歌」をソロで聴かせるのだが、面白いことに2番を歌う際に、歌詞の特定の部分が1番の対応部分に置き換わるのだ。演後にそのことを話題にすると、彼女もそれを自覚していた。演奏中に直ちに気が付くようで、さり気無く正しい歌詞に戻るところは、さすがヴェテランだ。
 
このグループは各季節3か月は原則として同じプログラムで通すことにしているので、時として季節外れの歌を歌うことになる。今回のように、8月下旬に「夏の思い出」というのは当方としては何とも落ち着かない気分になるのだが、一般的にはどうなのだろうか。気にするほどのことではないのか。
 
先だって、プログラムの一部を毎月入れ替えたらどうかと提案したところ、全く無視されてしまった。季節にきめ細かく対応することのメリットを理路整然と説明したつもりなのだが、論理的でない反論を力強く展開されてしまった。それで皆さん納得してしまう集団心理はどう理解するべきだろうか。
 
本当は当方が非常識な主張をしているのかも知れない。自分では解らない欠点だろうか。

片蔭 ~ 底ベニ ~ 終戦忌

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某句会に顔を連ねていた時期があった。名簿の上だけの会員になり下がって十余年、いまだに事務連絡が届く。Eメールのお蔭だ。
 
直近句会の報告に目を通した。定例のことで、互選高得点の句が列挙されている。今回は7句であった。情緒的にはいずれの句も、なるほどと感じ入った。
 
しかし、理屈っぽい当方に違和感を催させるものもあった。
 
先ず、最高得点句:   片蔭は妻に残して坂の道
 
 妻に対する優しい心遣いが好評を博したものだろう。作者の真意に辿り着くには、ある程度の論理過程が必要だ。特に“坂の道”の表現には一瞬立ち止まって考える。上り坂なのだろうと想像する。読み手に一考の労を求めるところが良句たる所以か。しかし、“坂の道”は冗語のようにも響く。
 
“片蔭”には馴染みが無い。検索してみた:
 

季語・片蔭  午後の日差しが建物や塀などに影をつくる。歩くにも、少しでも日陰を選びたい夏。「緑陰」や「木下闇」とは、区別して用いたい季語。古くから長塀の片蔭などは存在していたのであるが、都市の構造物の変遷もあり、大正以降、よく使われだした季語でもある。

 
当方ならば、≪片蔭を妻も後から辿る道≫とでもするか。
 
次に、次点句:   底ベニや言葉柔らか京女
 
これは正直言って解らなかった。“底ベニ”とは何か。口紅の基礎塗り層かと思った。そんな塗り方があるかどうかは別として。しかし、それでは意味が通じない。これもネット検索した。辻褄の合う情報としては植物名があった:

   イメージ 1底ベニ

 









木槿の品種を指すようだ。だとすると、“底ベニや”の“や”は、俳句の常用助詞の“や”ではないと察しられる。後続の“言葉柔らか”から、断定の助詞“だ”に当たる“や”であると思われる。何と難解な俳句だろう。
 
同じく次点句:   板チョコを無造作に割る終戦忌
 
国語的には素直な句であるが、平板な印象だ。言わんとすることは不明である。何か深い意味が込められているとの前提であれこれ想像するしかない。当方には理解不能である。句会出席の皆さんはどのように解釈されたのだろうか。
 
不可解とは別に、“終戦忌”の語にも引っ掛かった。その言わんとすることは自明であるが、“~忌”の一般的な用字法との整合性が無いと思われた:
 
益軒忌 「養生訓」を著した儒学者・貝原益軒の1714(正徳4)年の忌日(8月27日)
道元忌  曹洞宗を開いた禅僧・道元禅師の1253(建長5)年の忌日(8月28日)
 
などの如く、人名の後に“忌”を付するのが常例ではないのか。
 
しかし、ヴェテラン俳人の作であるから“終戦忌”が季語として定着しているのも事実だろうと思い、これまた検索すると:
 
終戦忌  終戦忌、敗戦忌は俳人による造語、というが~『文学忌俳句歳時記 大野雑草子編』(2007・博友社)~文人の忌日をまとめた歳時記なのだが、そこに、個人の忌日に混ざって、原爆忌(広島忌)、長崎忌(浦上忌)、終戦記念日(終戦忌・敗戦忌)が立てられている。数々の個人の忌日同様、忘れることなく詠み継いでいって欲しい、という編者の祈りにも似た願いが感じられる。(今井肖子)
 イメージ 2

   

 



という訳で、個人の忌日と並列で殉難者を伴う歴史的事件の記念日を指す用法が認められたらしい。
 
それにしても違和感は払拭できない。終戦、敗戦を悼む(残念がる)意味が真っ先に浮上するから。

特養ホーム・コンサート ~ 二人奮闘 ~ 関東大震災復興支援ソング

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特養ホーム東山(目黒区)訪問コンサートは男声二人だけの些か寂しい舞台となった。欠けた2,3人分の穴を埋めるため、いつもよりエネルギーを多く消費した。図らずも身体の活性化に繫がったかも知れない。
 
こんにちは(出演者輪唱)
砂山(山田耕作)
月見草の花
(松原遠く)
芭蕉布
モスクワ郊外の夕べ
琵琶湖周航の歌
月の沙漠
秋でもないのに
知床旅情
帝都復興の歌、復興節
憧れのハワイ航路
お元気で(出演者輪唱)
 
お客さんは二十余名、普段より少な目だったようだ。それでも、皆さまご存知の歌は結構唱和して楽しんでいらっしゃった。
 
モスクワ郊外の夕べ」は本日唯一の外国曲であったことに鑑み、訳詞で歌う前に原語ロシア語で1番だけ歌った。原語歌唱に大した意味は無く、我々はこんな芸当もできるのだぞと、自己顕示欲に駆られただけのことかも知れない。
 
何故か予定時間45分をオーバーしそうになったので、「恋はやさし、野辺の花よ」は割愛した。作詞者が、厳めしい「帝都復興の歌」と同じ:小林愛雄なので、両歌の対比を感じて貰おうという魂胆だったのだが。
 
帝都復興の歌」と「復興節」との対比も面白いのだが、時間に追われて、ただ通り一遍に歌うだけに終わってしまったのは残念だ。プログラムを欲張り過ぎている嫌いはある。

免許更新認知機能検査 ~ 挿絵記憶力 ~ ダミー問題

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運転免許証の更新に備えて、いわゆる後期高齢者用の呆けテストを受けて来た。正式には、認知機能検査と言うらしい。
 
このテストを受けるための予約がひと騒動だった。近隣地区の自動車教習所に電話を入れると、いずこも予約満杯で断られた。面倒だから免許証は放棄しようかとも思ったが、何かと役に立つ身分証明書でもあるし、一旦手離した後の再取得の困難さを考え、踏み止まった。短気は損気。
 
電車とバスを乗り継いで自動車学校に行き、手数料750円を納めて、約30分のテストを受けた。受験者10名ずつ一教室に集めて、比較的のんびりとした雰囲気でのテストであった。
 
最初に本日の年月日・曜日とテスト開始時刻を書かされる。時計や携帯電話などを見てはいけない。時刻は、テスト開始が2時と知らされているので、書き込み時点の大まかな時刻を認識しているかどうかを見るものだろう。
 
次に、いろいろな物体や動植物の挿絵を4コマずつ描いたパネルを4枚順次熟視させる。各パネルごとに4コマの挿絵それぞれを話題にして適当な時間を掛ける。その間に何が描かれているかを覚えろと言うことだ。
 
初めの1枚4コマを記憶するのは易しい。しかし、2枚目、3枚目と後になると記憶容量から溢れそうになる。試験員は親切にも、先のパネルに何が描かれていたかを皆に問いかけて記憶の強化を手伝ってくれる。
 
挿絵の記憶をテストする前に、別の問題に取り組まなければならない。紙面一杯にランダムに列記された0~1の数字のうち、指定された数字(例えば2と5)に斜線を引く作業を制限時間一杯続ける。その紙面で更に別の指定数字(例えば4,6,9)に、制限時間一杯、斜線を引く。
 
この数字消去作業の後に先の挿絵をどれ程思い出せるかを問う問題が本日のテストのハイライトだ。
 
出題は2段階になっている。
 
先ず、思い出せる挿絵を全部書き出すことを求められる。挿絵は16コマで、4コマずつグループ分けされていたが、その列記順序は問わない。
 
皆さん苦戦の様子で、当方も10個ばかりはたちどころに書き出したが、そこでパタリと止まった。パネルを見つめている間に何らかの連想ゲームをでっち上げておけばよいのだが、その余裕は無かった。
 
何故か親切な試験員が、さり気無くヒントを触れ歩く。そのヒントで何かを思い出す人がいる。当方も大いに助かった。お蔭さまで、16個全部を思い出すことが出来た。
 
挿絵問題第2段は、答案用紙左側に16個のカテゴリー名が列記されており、それぞれに対応する挿絵(名称)を記入せよというものだ。例えば、カテゴリー「昆虫」に対応する挿絵は「テントウムシ」という具合だ。これは第1段の後では余りにも易しい。ヒントで思い出す能力を見るものだろう。当方は当然全問正解だ。
 
最後は、白紙に時計の文字盤を手描きして、指定時刻の長針と短針を描き込ませる問題だ。指定は11時10分だった。試験員は、先ず分を描き入れるのが賢明だろうとアドヴァイスをくれた。何故だろう。当方にはどちらでも同じだと思えるのだが。
 
テストは5問あると最初に告げられたのであるが、以上で5問になるだろうか。何か忘れているかも知れない。
 
ロビーに戻って、試験結果を待つ間に、挿絵を思い出せるかどうか、メモ用紙に書き出してみた。難渋したが、15個までは辿り着いた。残るは何だろうと腕組みして考えている所に試験員が通りかかり、メモを除き込んだ。
 
あと1個が思い出せないと告白すると、彼も暫し考え込んだが解らなかった。そのうち思い出すよと当方は嘯いた。実際、間もなく思い出した。「スカート」だった。
 
全16コマ解答したことに試験員は驚いた様子だった。練習して来たのかと訊かれた。ということは、受験勉強に倣って挿絵記憶の練習をする人がいるのだろうか。そもそも、テスト内容も判っていないのに、練習のしようも無いはずだが。それとも、問題集など出回っているのだろうか。
 

試験結果は30分ほどで手交された。認知機能検査結果通知書というもので、総合点100点とあった。随分切りの良い数字だなと思いながら、裏面を見ると、総合点の計算が説明されていた。

 
  総合点=1.15*A+1.94*B+2.97*C
  A:年月日等の点数
  B:イラスト記憶の点数
  C:時計描画の点数
 
挿絵とは言わないことが判った。
 
数字消去問題の結果が算入されていないことから、これはイラスト記憶の強度を計るためのダミーであったと思われる。受験者は必死に取り組んで、愚弄されていたようなものだ。
 
A、B、Cの点数が表の総合点の下に( )書きされていた。
 
     A 16点、B 32点、C 7点
 
これを公式に代入すると、総合点=101.27 となった。丸めて100点としたのだな。
 
お墨付きを頂いて、次は高齢者講習とやらを受けなければならない。また受講料を納めなければならないのだろうな。その後にやっと免許更新手続きをすることが認められる。なんと大袈裟な制度を作ったものだ。
 
因みに、本日出題された挿絵16コマは次の通り(順不同):
 
大砲
オルガン
ラジオ
テントウムシ
ライオン
フライパン
ニワトリ
バラ
ペンチ
ベッド
物差し
オートバイ
ブドウ
スカート
 
挿絵パネルは多数用意されていて、随時入れ替えるだろうから、ここに今日の出題を掲記しても営業妨害になることはない(と考える)。

素数遊び ~ 「0」累桁法素数 ~ 桁数列の階差

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本日で暦の夏は終わる。猛暑の夏の締めに相応しく、35℃を上回った。脳味噌が泡立ちそうで思考力が心許ないが、偶には素数遊びをしよう。
 
日付けから行くと、本日は皇紀7桁表記の「2678831」が素数だ。この中の「8831」「31」も素数だ。
 
単純な「0」累桁法で「30…1」タイプの素数出現を探ってみた。( )内の数が素数の桁を示す:
 

(2)31,(4)3001, (8)30000001, (11)30000000001, (29)30000000000000000000000000001, (37),(68), (82), (148)3000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000001,,,,,,

 
改めて桁数だけを並べて、順次、階差数列を下に書き込む:
 
2  4  8  11  29  37   68   82   148  
  2  4  3  18  8   31   14   66     
   2  -1  13  -10   23  -17   52      
    -3  14  -23  33   -40  69        
     17  -37  56  -73   109         
       -54  93  -129  182               
         147 -222  311                 
          -369  533              
                      902
 
階差の層数が増すにつれて、数列の正負が交互に代ったり、各数の絶対値が単純に増加したりする傾向が現れる。定性的な規則性があるように見える。原数列が単調増加であることからの当然の結果だろうか。後で考えよう。
 
試みに、「30…1」をひっくり返した「10…3」タイプについて同じことを調べると、全く同じではないがほぼ類似の結果が得られた。素数の桁数だけを列記すれば次の通り:
 

2    3   6   7   12   18   19   40   57   102   106  108   124

 
この範囲で計算する限り、正負交代、絶対値増加は7次階差で定着する。
 
絶対値の階差が等差に漸近するようにも見える。素数とは関係無い現象だろう。

九月一日 ~ 1年三分点 ~ 三重陽

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今日から暦の上の秋。また、関東大震災(1923年)記念日、二百十日の謂われに因んだ防災の日ということで、気分の改まる日である。
 
数字遊びにおいても、9月1日は異彩を放つ。平年の年央日が7月2日である顰に倣えば、9月1日は第2三分点に当たる。年始からこの日までの日数が244日、この日から年末までの日数が122日で、その比が2:1になることを指す。第1三分点は5月2日である。
 
今月の素数日は次の通り:
 
西暦 2018927  201893 

皇紀 26780909, 26780917, 2678909, 2678903,267893, 267899

和暦 300929  30911
 
皇紀の素数日がやたら多いのが気になる。計算間違いでも犯しているのではないかと疑心暗鬼である。

特に目立つのが9月9日(重陽)である。皇紀8桁、7桁、6桁の3通りの表記で、いずれも素数となる。稀有の事例と思われる。三重陽と名付けよう。
 
蛇足:因数分解で面白いのが9月13日:2678913=3×3×3×3×33073

歌の会 ~ 幼児クラス風 ~ 指導充実

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今日はスケジュールが真っ白だった。たまたま某施設で某サークルの月例≪歌の会≫があることを知っていたので退屈しのぎに行ってみた。以前にも数回参加したことがあり、幼児っぽい軽体操や遊戯まがいの振りつけを取り入れていることが判っているので、当方のお気に入りではないのだが、退屈には勝てなかったわけだ。
 
準備体操を敬遠するつもりで、定刻より二十分ばかり遅れて入室した。先客は老女ばかり8名、ちょうど遊戯まがいの歌の最中であった。そのあとで発声予備の柔軟体操が始まった。思惑を完全に外されてしまった格好で、要領の悪さを痛感した。
 
実際に歌ったのは、童謡「虫のこえ」とクリスマスキャロル「ひいらぎかざろう」の2曲だけだった。
 
「虫のこえ」はともかく、「ひいらぎかざろう」は随分気が早いと思った。怪訝な表情を読み取ったかのように講師が説明したところによれば、12月下旬に某所で晴れがましく発表会に出演するので、しっかり練習するため早目に着手するのだそうだ。幼児グループとの共演なので特に入念に準備するのだとか。
 
このまま行けば、幼児クラスにどっぷりと漬かることになる。月1回ぐらいは気分転換も悪くないか。講師は音大出の若いお嬢さん二人組という点も評価しよう。念のため注釈すれば、年輩の講師になると、手抜きが目立ち、指導内容がマンネリ化する傾向があるのだ。認知症が疑われるケースもある。
 
こちらのお嬢さん二人組は、手抜きなど微塵も感じられず、毎回真剣に、時間一杯奮闘している。指導内容に、幼児っぽさは別として、工夫が見られる。発声の要領、リズム感の訓練、歌の表現の仕方などは当方も大いに得るところが有る。歌う時間や曲数の少なさを補うに十分である。
 
参加費3か月分先行徴収されたが、だらだらした空白の一日で終わらなかったことに感謝しよう。
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