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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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唱歌「われは海の子」~二部合唱~低音部主旋律

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我が陋室の古本の山の中腹に昔の小学校音楽教科書『初等科音楽四』(文部省 昭和18年)が立て掛けてあった。数年前に古書市で見掛けて買ったものだ。持ち帰ってページをめくったら、84ページ分が破り取られていた。秘かにヴェテラン・バイヤーを自認していた身には耐えがたい屈辱であった。
 
出品店に抗議したい気持ちはやまやまだが、買い値を考えると大人気ないと思われ、諦めた。商品売買には自己責任(買い手の注意義務)があるとか、無いとか大昔教わった記憶があるのもブレーキになった。
 
そういうケチのついた買物だから仕舞い込む気にもなれずに何年も放置し、埃を被るに任せてしまったのだが、今日、偶々手に取ってパラパラ通覧した。この季節に歌うことの多い「われは海の子」が載っていたので楽譜を見てびっくりした。
 
二部合唱譜というのも意外だったが、メロディーを辿っても、お馴染みの歌にならない。同じ歌詞で別ヴァージョンの「われは海の子」があったのかと思った。これは大発見と、低音部も見て、再度びっくり、こちらが主旋律になっていたのだ。
 

高音部は徹頭徹尾引き立て役、脇役となっている。こんな編曲が昔行われていたとは、信じ難いことだ。しかも、高音部はリズムが違う他、各段落の歌い出しも主旋律の低音部より1拍遅れるという凝りようだ。斬新とは言わないのかも知れないが、当方にとっては大いなる驚きであった。


追記:この古本の買物失敗談は≪初等科音楽肇国ニ律音階 2016/9/10()≫に記録済みであった。

唱歌「われは海の子」② ~ 二部合唱 ~ 軍歌調

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昨日話題にした驚くべき「われは海の子」二部合唱譜に言及する資料があった:
 
鳴門教育大学研究紀要 第23巻2008

歌唱教材「われは海の子」の特性と可能性教材となる楽曲の分析と解釈に基づいて―長島真人

 
≪~国民学校時代に当たる昭和18年に出版された「初等科音楽四教師用」では,二部合唱に編曲され,伴奏は軍歌調の力強い音楽に変えられている~≫
 
“教師用”という虎の巻には、教材の懇切丁寧な解説や指導方法などが記載されていると思われる。唱歌は、メロディーだけの生徒用と違って、伴奏譜付きのようである。
 
上に引用した批評の通りとすれば、軍歌調の勇ましい歌に聞こえなければならないわけであり、保守・復古主義の極まった戦争中の編集にも拘らず“斬新”な編曲だと感じた当方の鑑賞力のお粗末さを恥じ入るばかりである。
 
いずれにしても、珍しい「われは海の子」を来月には是非とも再現してみたい。“教師用”も閲覧の可能性を探ってみよう

われは海の子③ ~ 歌詞の類似 ~ 琵琶湖周航の歌

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唱歌「われは海の子」の軍歌調伴奏譜に関連して念のため記しておきたいのは、もともとその歌詞が軍国少年を鼓舞する文句で締められていることだ。 戦後は歌われなくなった7番:
 
               いで大船を乘出して 我は拾はん海の富。
いで軍艦に乘組みて  我は護らん海の國。
 
歌詞6番までは、勇ましい表現に溢れているが、特段軍国主義的とは言えない。戦況が厳しくなってきた時期の唱歌編纂に当たり、伴奏にも危機感が反映したものか。
 
軍歌調はさておき、歌詞について思い出されることの一つに、「琵琶湖周航の歌」への影響がある。歌い出しが同じ文句“われは うみのこ”であることは、“うみ”が海と湖とに書き分けられているにしても、やはり口や耳に馴染んだ表現を踏襲したと考えてよいのではないか。
 
また、「琵琶湖周航の歌」歌詞3
 

波のまにまに 漂えば   赤い泊火(とまりび) 懐かしみ
行方定めぬ  波枕    今日は今津か 長浜か

 
にある“行方定めぬ  波枕”は、「われは海の子」4
 
丈餘のろかい 操りて   行手定めぬ 浪まくら
百尋千尋  海の底    遊びなれたる 庭廣し。
 
の“ 行手定めぬ 浪まくら”に瓜二つである。
 
旧制高校のボート部員が「琵琶湖周航の歌」を作詞したのが1917年、「われは海の子」の世に出たのが1910年であり、無意識の内にも影響されたことは十分に考えられる。
 
ところで、明714日は、「われは海の子」などを収載した≪尋常小学読本唱歌≫の発行日である。

助っ人出演 ~ Danny Boy ~ 男声二重唱

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今日、助っ人として特養ホームコンサートに参加した。事前に35℃超えとなることが判っていれば、安易に約束しなかったのにと悔やんだが後の祭り。約束したからには責任を果たすべく、一汗掻いて来た:
 
1.夏は来ぬ (混声二部)
2.浜辺の歌 (混声二部)
3.遙かな友に (混声二部)
4.Danny Boy(男声二部&チェロ)
. ゴンドラの唄 (斉唱)
6.真っ赤な太陽 (斉唱)
7.海に来たれ (混声三部)
. 君をのせて (混声三部)
9.さくら貝の歌(先生ソロ)
10.憧れのハワイ航路 (斉唱)
 
出演は、歌い手約20名(男4)、伴奏はピアノ(キーボード)、チェロ、ヴァイオリン各1、指揮兼司会兼ソロ1と、なかなか充実した陣容である。
 
当方が期待されたとすれば、“Danny Boy”(英語)である。本来メンバー二人での二重唱のところ、バスが強力なので、バランスを取るためテノール2名で対抗する形となった。本番直前に渡された楽譜は、通常使われるものとはかなり乖離があった。テンポもかなり緩めを指示された。
 
そのためと言っては責任逃れで見苦しいが、あまり出来は良くなかったように感じた。尤も、ぶっつけ本番というのも無茶ではあった。本来メンバーも碌に練習していなかったようだ。
 
プログラム初っ端に「夏は来ぬ」を持って来ているが、当方の感覚では、この歌は初夏向きだ。このまま盛夏に歌い続けるのか、他人事ながら気になる。
 
珍しいことに、他合唱団から45名の見学者が来ていた。ご参考になっただろうか。

自然数の和 ~ 素数の逆数の和 ~ 素数の個数

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小山信也/著「素数からゼータへ,そしてカオスへ」(日本評論社 2010.12)にざっと目を通した。厳密な数式による記述の部分は眺めるだけにして、解説文を主に読んだ。
 
盛りだくさんの話題の中に、解析接続からオイラーの“すべての自然数の和は -1/12 である”という公式を理解させてくれる項があった。この不思議な公式については何回も取り上げて来た数学者・志村五郎③~自然数の和~感嘆符/等号 2015/1/12() など)
 
小川先生によると、≪自然数の全体では存在した「和」の値が、素数の全体だと無限大になるという帰結は、解析接続は通常の解析学の収束・発散の概念を超えた深さを内包している≫ことを示唆するという。公式の意味についての当方の理解と一致する訳ではないが、裏書きされたような気もする。
 
逆に本書の記述で納得できない部分もある:
 
p.15 “自然数の平方の逆数の和が有限であることは、~自然数全体の中で、平方数は「非常に少ない」ということ”
 
対して、“素数の逆数の和が無限大であることは~素数の個数が単に無限大であるという以上に、ある程度「大きな」無限大であるということ”
 
自然数の中に平方数や素数が占める割合と、それらの逆数の和の大小とは直接の関係は無いと思うのだが。

軍歌調「われは海の子」二部合唱 ~ 試唱 ~ 「お盆が来るから」転調版

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特養ホーム・コンサートの音合わせを行った。今月はメンバー1名欠、伴奏者欠のため、ヴォーカル3名だけでの 演奏になる。既定プログラムに加えて、軍歌調との評のある「われは海の子」二部合唱(唱歌「われは海の子」②二部合唱軍歌調 2018/7/12())を試唱した。
 
特段軍歌調との印象は受けなかった。歌い方にもよることは言うまでもないが、やはり、評にもあったように、伴奏に軍歌的特徴があるものと思われる。お浚いの後、Fさんが、“この合唱は前にやったことがある”と言い出した。最初に参加した合唱団で歌ったことを思い出したそうだ。当方は忘れられた作品を再発見したつもりでいたのだが、案外あちこちで歌い継がれているのかな。
 
四部合唱曲「痩せ人を嗤う歌二首」も歌う予定のところ、唱者3名なので、S,A,T,Bのどれを割愛するか暫し議論した。メロディーの特異性に鑑み、Bを外すことにした。つまり、覚える手間の省力を重視した。
 
「お盆が来るから」は、いつぞや目論んだように(新盆お盆が来るから旧盆 2018/7/8())、原調ニ短調のところ、後半をト長調で歌うことに決した。原調版と転調版を歌い比べて、妥当性を認めて貰えるかと思ったが、他のメンバーは特に感心したような様子を見せなかった。出鼻をくじかれたような気分で、補作歌詞3番は引込めた。
 
本番はちょうど1週間後。天気予報を見ると、連日35℃だ。体力を温存しなければ。

素数日に因み ~「79」に累桁法 ~ 擬周期「11」

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本日の日付けは、皇紀7桁「2678719」、和暦6桁「300719」が素数だ。月日の「719」、日の「19」も素数と、素数に縁が深いので、素数遊びをしよう。
 
素数の分布(出現)は規則性を受け付けないことが言わば定理となっている。しかし、あまり価値は無いものの、局部的な規則性は珍しくない。当方の常用する累桁法における素数の出現パタン(擬周期)がその例である。
 
79」原数として、その中間桁に「0」を累増的に挿入して素数の出現状況を見ると、次のようになる:
 

(2)79,(3)709, (5)70009, (7)7000009, (12)700000000009, (13)7000000000009,

(14)70000000000009,(36)700000000000000000000000000000000009, (47),

(58), (11-157),(11-784), (983),  

     ≪( )内は桁数。(11- )11桁間隔で探索した結果であることを示す≫
 
(14)桁から(58)桁までに「11」の周期あるいは擬周期が見られる。これを適用して(1000)桁まで素数判定機に掛けると、(11-157), (11-784)2個が検出されるという訳だ。これが擬周期性の賜物かどうかは判らない。
 
単なる偶然かも知れない。(983)のように、11桁周期には入らない素数を見落としている可能性がある。「1」桁刻みで判定機に掛ければ明らかになることだが、その根気は無い。類似事例を集積してみても大きな規則性が浮かび上がる見込みは薄いのが、何とも空しい。所詮、遊びであるとはいうものの。

「ほたるこい」再三 ~ ハ長調 ~ ト長調

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童謡「ほたるこい」について、昨年(わらべうた「ほたる」~歌詞「二番」?林柳波/下總皖一? 2017/6/21())に続き話題にした(あっちの水は苦いぞ蛍来い小さな提灯さ... 2018/6/22())ところであるが、未だ混乱を引き摺っている。
 
“あっちの水は あまいぞ”ヴァージョンはわらべ歌、“小さな提灯 提げて来い”ヴァージョンは下總皖一作曲ということで取り敢えず落ち着いたつもりでも、気持ちの上で割り切れない。“ほ ほ ほたるこい”の部分が、歌詞のみならずメロディーも同じで、純然たる作曲とも受け取れないからだ。
 
“小さな提灯~”ヴァージョンの作詞が林柳波であるという点も、確証が取れない。少なくとも、“ほ ほ ほたるこい”は、わらべ歌から採用したものだろう。
 
ところで、下總皖一版「ホタルコイ」のアンコの部分
 
“ちいさなちょうちん さげてこい
    ほしのかずほど とんでこい”
 
が初めのうち歌いづらかった。つまり、音程を取りづらかった。たかが小学校一年生用の唱歌に何故手こずるのか、我ながら不甲斐無くも不思議であった。
 
楽譜はハ長調2/4拍子で書かれている。皮の部分“ほ ほ ほたるこい”は歌唱上全く問題無い。
 
アンコの部分を階名で書けば、“レーシシ ラーソソ シシラソ ラー  ミミレー ソソララ シーラソ ミー ”である。(下線部分は下降形)
 
この音程が何故歌いにくいのか暫く解らなかったが、ふと思い付いた。調が違うのではないかと。
 
答は直ぐに出た。ト長調で読めばよかったのだ。“ソーミミ レードド ミミレド レー  ララソー ドドレレ ミーレド ラー ”と実に滑らかに歌える。楽譜に調号♯を載せても、影響される音符は無い。
 
メロディーが頭に入ってしまえば、何調で読んでも不都合は無い。最初の読譜における相性の良し悪しは、単に慣れの問題なのだろうか。それにしても不思議な現象だ。そう言えば、数年前にもこの問題を論じたことがあったような。

素因数結分遊び ~ 素数帰着予想 ~ 未解決問題

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数字遊びのひとつに、素因数を連結して一つの数とし、それを素因数分解して、またそれを一つの数にして、という操作を続ける≪素因数結分算(そいんすうけつぶんざん)≫がある。具体例を挙げると次の通り:
 
40313×31, 1331=11x11x11, 111111= 3×7×11×13×37, 37111337 素数
 
素数はそれ以上因数分解できないので、そこで素因数結分算は終りである。ルールとして、素因数を連結する時は、小さいものから順に左から右へ並べることとする。
 
この遊びは、最初に選ぶ数に拘わらず、いつか素数に帰着することを予想している。必ず素数に帰着して終わることが証明されているか否か、知らない。大雑把には、自然数は素数か合成数かであり、因数分解しようとする数は、ある確率で素数であると考えられる。素因数結分算を続けていれば、いずれ素数に帰着するだろうと予想されるのである。
 
最初に小さい数を選んでも、素数に帰着して終わるまでに厖大なステップを要することは十分にあり得る。例えば、「8」から出発してみよう:
 
 822223373194133371313311123771714931794122931219729112084656339334791111818911613496501723971305179173275318326512814593331113965338635107 素数
 
素因数を並べて連結し、一つの数にしたところ、それが偶々素数である確率は、その数の桁数と逆相関にあるので、ある程度の大きい数に達すると、この遊びは事実上続行不可能となる。
 
なお、≪素因数結分算(そいんすうけつぶんざん)≫は、当閑人の造語である。つまり、これは当閑人の創案になる遊びである。したがって、素数帰着予想の証明が無い訳である。予想は誤りであるかも知れない。

3試合「7-5」 ~ ゲーム差 7 ~ 連敗 11

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当方には無縁、無関心のスポーツながら、今朝のニュースには惹き付けられた:

セ・リーグ3試合スコアが「7―5」史上初の珍事
【巨人】マツダで今季7戦全敗 菅野は5回6失点 2連敗で遠のく広島の背中、ゲーム差7に 同球場での連敗は11となった。  2018721  スポーツ報知

3試合”、スコア「7-5」、“7戦全敗”、“ゲーム差7”、“連敗11”と、素数尽くしのようだ。
 
“史上初の珍事”には負けるが、数字マニアには十分に珍事だ。ついでに言えば、“5回”、“2連敗”も素数を冠っており、非素数は“6失点”のみ。
 
もともと1桁、2桁台では素数の比率が高いので、騒ぐほどでもないと窘められそうだが、記録するに値すると思う。
 
記事の内容にも多少触れるのが礼儀かも知れない。
 
“7戦全敗”、“連敗11”というのは珍事ではないのだろうか。スポーツには疎いのだが、プロチームの試合でこれほど一方的な強弱関係があるのは不自然ではないのだろうか。業界ではどのように理解されているのだろうか。
 
プロ相撲の世界では、横綱と平幕との対戦成績が一方的になるのは当然と見做されるだろうが、チームスポーツではどうだろう。突然スポーツに興味が湧いて来た。

都心39.0 ℃ ~ 史上最高?3位? ~ 観測地点移動の影響

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本日、気象庁の観測で東京都心の最高気温が 39.0 と発表された。予報では 37  だった。予報値からのズレが、近来稀な大きさだ。上にズレるのも珍しい。これぞ真の異常気象ではないか。
 
アメダス(表形式) 20180723日 東京(トウキョウ)
最高気温() 39.0  時刻 13:34
 
過去の高温記録は次の通りとなっている:
 
東京(東京都) 
要素名/順位
1
2
3
4
5

日最高気温の高い方から
(℃)

39.5
(2004/7/20)

39.1
(1994/8/3)

38.7
(1996/8/15)

38.4
(1953/8/21)

38.3
(2013/8/11)

 
6位から第9位まで 38.1 が続く。
 
今回の記録は、“惜しくも”第3位にランクされる。
 
しかし、2014年の観測地点移動の影響を考慮すると、実は本日の最高気温は史上第1位である可能性が高い。
 
≪「東京」の観測地点の移転について 20141114日 気象庁観測部≫に掲載されている新旧地点での同時観測記録(折れ線グラフ)を見ると、最高気温が突出する場合の新最高気温は旧最高気温より 1 程度低くなっているからだ。数値データがあればもっとはっきり言える筈だ。

出前コンサート ~ あわや独演会 ~ 不思議な助っ人現る

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特養ホームへ出前コンサート。月例と銘打った以上、天変地異でもない限りキャンセルできない、と言うほどの悲壮感を以って継続しているわけでもない。早春の年中行事である発表会に際してはお休みにしている。
 
今日のコンサートは災害級の猛暑を理由(口実)に取り止めても批判される心配は無かっただろう。実際、出演予定メンバー4名中2名は現れなかった。律儀に参加したFさんも、休もうかと悩んだそうだ。当方はと言えば、独演会となることも覚悟していた。Fさんが賑やかに現れたときはホッとした。
 
こんにちは(出演者輪唱)
うみ (海は広いな)
砂山 (中山晋平)
月見草(文部省唱歌)
長崎の鐘・新しき朝の
歌を忘れたカナリヤ 
お盆が来るから
蛍・ほたるこい
痩せ人を嗤ふ歌二首
蛙の笛
あこがれの郵便馬車
我は海の子
お元気で(出演者輪唱)
 
冒頭の「こんにちは」は、今回から挨拶代わりに歌うことにした。締めの「お元気で」と同様の役割だ。某歌う会で耳にしたものを適当に改変した。歌詞は状況に応じて適宜入れ替えすることになる。
 
ヴァイオリンの伴奏を予定していたFさんのソロ「プロヴァンスの陸と海(椿姫から)」は今後に持ち越しとなった。その埋め合わせにはならないが、プログラム番外に「われは海の子」を最後に斉唱した。
 

痩せ人を嗤ふ歌二首」は四重唱版だが、S+Tの二重唱となった。歌っていても物足りない気分だった。

 
伴奏者がいない場合に、特製CDから伴奏音源を取るのはいつものことだが、今日はプレーヤの操作が思うように出来ず、結局後半は無伴奏で歌った。歌うのに困難は無いが、会場の皆さんには物足りない印象を与えただろうと思うと、やはり残念だ。恒常的に愚痴をこぼすのは止めよう。
 
出演者がいつの間にか3人になっていた。会場のお客さんの一人が我々の傍に来て、一緒に頑張っている風を装っていたのだ。邪魔扱いもせず、言わば見て見ぬふりをしてコンサートは完遂した。
 
彼を積極的に引っ張り込んで持ち上げた方が気が利いていたかもしれない。今日は悪条件が重なって、こちらに精神的余裕が無かった。喋る筈だった話題の多くを口に出来なかった。それでも、予定時間の45分は使い切っていたのだから、もともと欲張り過ぎだったのだろう。

小学唱歌「みなと」 ~ 異調並行唱 ~ 原調収束の妙

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某施設での歌う会でとても面白い経験をした。
 
そこでは、司会者が予め選定した曲を次々に歌う。ピアニストが伴奏するのだが、打合せ無く、ぶっつけ本番なので、楽譜無しで弾くことが多い。ピアニストの知らない古い歌も多い。その場合、会場の人たちに歌わせて、ピアノは適当に合せて弾く。
 
今日の会で最初にその方式で歌ったのが小学唱歌「みなと」だった。司会者もピアニストも知らない曲なので、先ず会場に歌わせた。ばらばらのピッチで歌い始めたが、直ぐに統一された。当方を例外として。そのまま二つの異なる調で歌い終わった。ピアノは当然に多数派に合わせての伴奏であった。
 
初めからきちんと歌おうということになって、今度はピアノが出だし部分を少し弾いてから、“ハイ”の号令で歌い出した。おかしなことに、当方は先ほどと同じ“異調”で自然に歌い出した。ピアノや皆さんの歌から外れた調が最後まで続いた。
 
厳密に言えば、この歌い直しの初っ端で当方の音高はちょっぴり前回よりも低めであった。それが間も無く元の調に戻っていた。中途半端なピッチでは歌いづらいのだろうか。
 
皆さんの調はハ長調であった。当方は変ホ長調であった。これは、ヴォイスレコーダーの録音をチェックして判った事である。当方には絶対音感は無い。
 
さて、何が面白いかと言うと、歌い直しでも当方が初回と同じ調で歌ったことだ。普段は音高など直ぐに忘れてしまい、度々伴奏者に正しい音を出して頂いている身なのに、今日は何故二度同じ調で歌ったのか不思議だ。ピアノの音(異調)もしっかり聴いているのに。
 
想像すれば、歌ごとに、自分の歌い易い調というものがあり、その原理が発現したものかもしれない。
 
もうひとつ、面白いと言うより、感心したことで、皆さんの歌が自然に収斂した調、すなわちハ長調が、「みなと」の原調だったということだ。当方に言わせれば、これは奇跡だ。皆さんがバラバラに歌い出したものが、どうして“正しい”原調に収まるのか。
 
実は、絶対音感を有する誰かがリードしていた、という可能性は無いものとしよう。
 
ハ長調が一番歌い易く、皆さん、それが身に沁みついていらっしゃっただけなのか。当方を例外として。
 
音楽教育学者のご教示を頂きたいところだ。
 
 イメージ 1

















(ウェッブ『池田小百合なっとく童謡・唱歌』から転載)

異調並行唱② ~ 童謡「シャボン玉」 ~ 直感的適音域

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昨日の唱歌「みなと」“異調並行唱”には第2幕があった。
 
二つ後の「シャボン玉」で、ピアノ前奏で歌い出した皆さんと当方とが、またしても異調であった。普段なら当方も“皆さん”の中に入るのに、その日2度目の“異調並行唱”となった。
 
ピアノ前奏を聞いてはいるものの、自分の歌い易い音域に嵌ってしまったものと思われる。
 
やはりヴォイス・レコーダの録音をチェックしたところ、ピアノに合わせた皆さんはハ長調、我が道を行った当方はヘ長調であった。
 
皆さんの方が「みなと」と同じく、またもハ長調であったのには、必然性があるのかと一瞬興奮しかけたが、今回は自然発声後の収束ではなく、ピアノにリードされた結果であり、当然である。ピアニストさんが、最も単純に弾き易いハ長調に則っただけのことだろう。
 

因みに、「シャボン玉」(中山晋平)の原調を確認したところ、変ホ長調であった。これだと、最高音がミ♭になり、少し苦しい人もいるだろう。偶然ながら、ハ長調は皆さんが楽に歌える調であった(最高音ド)。


ただし、最低音はソとなるので、当方などは少し苦しい調だ。本能的に、あるいは直感的に、その低音域を嫌ってヘ長調に納まったのかも知れない。

秘剣水鏡(みつかかみ) ~ 駒込天沢山竜光寺 ~ 早春賦

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戸部新十郎「秘剣水鏡(みつかかみ)」(光文社時代小説文庫 2018.6)を読んだ。新聞の書評欄に、優れた時代小説集として取り上げられていたので図書館にリクエストした。既刊の中短編をまとめた文庫本であるためか、比較的早く順番が回って来た。
 
版元のキャッチコピーは次の通り:
イメージ 1 



“金沢に五代藩主、前田綱利公の初のお国入りが決まり、兵法御覧の差配を担った富田重持は、加賀に古来より伝わる“深甚流”の剣を披露することにした。だが、この流派を継ぐと称する男は邪剣の遣い手であった。重持は深甚流のひそかな伝承者とされる老いた百姓を探し出し、邪剣の士と対決させるが……。(「水鏡」より)剣豪小説の白眉と讃えられる珠玉の十編収録。”
 
剣豪小説と謳っているが、いわゆる人間模様を浮き立たせるところに特徴があると思われた。道義的にも、必ずしも勧善懲悪ではなく、英傑譚とも言い切れない、不思議な味わいのある作品集であった。
 
とにかく、時代小説として楽しんだだけで、目的が達せられた上、余得があった。収録10編のうちのどれかに登場した≪駒込天沢山竜光寺≫なる寺(住職・虎伯和尚)が、実在するならご近所なので、検索したところ、あった:
 
天澤山龍光寺(てんたくざん りょうこうじ) 東京都文京区本駒込1-5-22
 
“虎伯和尚”も、開山・虎伯大宣禅師(東福寺240世、鈴鹿龍光寺中興24代)として同寺のHPに記載されている。
 

“余得”は、その先にあった。「早春賦」ゆかりの寺だと言うのだ。灯台下暗しで、初耳である。“早春賦ゆかり”とは、作詞者・吉丸一昌の菩提寺であることを指していた。

 
寺HPによれば、≪一昌忌法要と共に『吉丸一昌顕彰コンサート』等を開催して参りましたが平成22年、吉丸一昌没後95年を迎えるに当たり境内に『早春賦』の歌碑を建立致しました≫とのことである。
 
≪歌碑からはこれまでコンサートにご協力を頂いて参りましたNHK初代歌のおねえさん・真理ヨシコさんの独唱を始め、現在各方面で活躍中の森岡紘子、竹内直美、栗田真帆各氏による女声アンサンブル、磯野正明チェロ、貞光裕美子ピアノによる二重奏が流れる仕組み≫であるそうなので、早々に訪ねてみよう。

おとといの小満月 ~ ふたつの接近 ~ 大火星

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今年最小の満月の月蝕に地球大接近の火星が花を添える天文ショウが、運が良ければ27日から28日に掛けての夜中に見られるはずだった。あいにく異例のコ-スを辿る台風が邪魔をしてくれた。
 
真夜中午前零時過ぎに、二晩遅れで“ほぼ満月”と火星が“ほぼ近く”に輝くのを見た。大雑把に言えば、二晩で月と火星との角距離は二十度くらい開いた(遠くなった)から、見た目のインパクトは弱い。六日の菖蒲、十日の菊、一昨夜の満月?
 
前回、火星の地球大接近があったのは、2003年、やはり夏だった。何故か、大接近は夏ごろに多いらしい。
 
十五年前にも随分話題になった。偶々、北国に在勤中で、借り家の2階の窓から眺めたことを思い出す。望遠鏡は持ち合わせていなかったので、せめてメガネを通してよく見ようとした。運河は見えなかったと記憶する。
 
その頃、俳句や短歌に凝っていた。単なる字数合わせに過ぎない駄作を遠国に赴任する知人に奉ったことを思い出すと、今でも恥かしい。火星の大接近をどのように遠国赴任と結びつけたのか、肝腎のところは思い出せない。
 

今回の大接近は、ピンポイントでは31日だそうだから、いろいろの思いを込めてよく観察しよう。天気予報は、31日から1日にかけて晴れとなっている。


誤字訂正:最少の満月 → 最小の満月

731 ~ 累桁素数性 ~ 擬周期8

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こじつけ数字遊びも棄て難い。昨日730日の 730 1365日のちょうど2倍の数で、特別の日扱いに値する。その前日729日の 729 は、素因数分解すると729=3×3×3×3×3×3=36 で、やはり特別の日。
 
本日731日はというと、731 すなわち七三一は、歴史上悪名高い関東軍の細菌戦部隊を思い出させる。ウィキペディアによれば≪正式名称は関東軍防疫給水部本部で、731部隊の名は、その秘匿名称(通称号)である満州第七三一部隊の略≫である。英語ではUnit 731とされる。
 
731」をAngel Number とする西洋数秘術の流派もあるらしい。つまり、守護天使の加護を得られる目出度い数ということだろうか。
 
一見素数風の 731 であるが、変哲のない17x43 に素因数分解される。
 
各桁の数字を入れ替えてできる数は6種類になる。これらを昇順に並べると次の通り:
 

137  素数

 

173  素数

 

317     素数

 

371   = 7x53   

 

713      = 23x31 

 

731      = 17x43   (再掲)

 
下位3個が素数で、上位3個が合成数と綺麗に分れたのは偶然だろう。
 
これらの数に「0」累桁方式を適用して素数を探索すると、素数となる桁の間隔に擬周期「8」が見受けられる。勿論、素数出現間隔は多様であるが、6種類の数を通じて擬周期「8」が共通であるらしいことは興味深い。
 
例: (3)137, (11)10000300007
   (3)173, (19)1000000007000000003,
   (7)7001003, (23)70000000000100000000003

   (11)70000300001, (27)700000000000030000000000001


         ( )内は素数となる桁数。実際の数をその後に記す。

8月素数日 ~ 素数逓減則 ~ 「89」素数生成能

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今月8月の素数日を一覧にすると次の通り:
 
西暦8桁 20180801  20180807 
7桁 2018827 
6桁 201881  201889
和暦6桁 300809 300821  300823
5桁  30829  30817  30809  30803
4桁  3083  3089
皇紀8桁 26780801 26780821 
   7桁 2678807 2678831
   6桁 267887 
 
昨1日が西暦2・皇紀1の計3種類、明3日が和暦2種類の表記でそれぞれ素数となる。更に多いのが9日の西暦1・和暦3の計4種類、7日も西暦1・皇紀2の計3種類と多い。いずれも“日”が1桁に限られ、2桁の日としては、21日が和暦1・皇紀1の計2種類があるのみ。素数の頻度逓減則に見合っている。
 
月日2桁のうち、素数は83,89の二つである。この二つの数に「0」累桁法を適用して素数の出現状況を見ると、次のように極端に対蹠的である(250桁以下のみ):
 
(2)83,(32) 80000000000000000000000000000003, (106), (114)
 
(2)89,(3)809, (4)8009, (7)8000009, (13),(21), (22). (38), (43),(56), (61), (99), (101), (105), (224), (238)
 
調べた250桁以下の範囲では、「83」に比べて「89」の素数生成能が極端に高い。悉皆調査をしてはいないが、他の2桁数に比べても非常に多産なのではないかと推察される。

仮にそうだとしても、何らかの法則性に繋がる訳でもないので、特段の意味の有る所見ではないこと、いつもの通り。

施設訪問コンサート ~ 熱中強行軍 ~ 潜りCadenza

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老人施設(S.C.と略称する。正式名称不詳。)への出前コンサートに参加した。会場に着くまでに滝のように汗を流した。遅れたバスに乗るのに炎天下10分余り立ちん坊。皆さん愚痴もこぼさず黙々と乗り込む。途中の停留所から仲間が3,4人乗り込んできた。
 
彼女ら、降りるべき停留所を明確に把握していなかった。当方が注意しなければ、炎天下をさまようことになった筈だ。仲間と一緒だともたれ合いで安易に行動する傾向がある。他山の石としよう。
 
プログラム(30分)
1.夏は来ぬ   (二部)
2.浜辺の歌   (二部)
3.ゴンドラの唄 (斉唱)
4.真っ赤な太陽  (斉唱)
. 君をのせて  (三部)
6.さくら貝の歌 (声楽家指揮者 ソロ
7.憧れのハワイ航路 (斉唱)
 
どの歌も低音域に入ると、テノールには歌いづらい。ドサクサに紛れて1オクターヴ上げて歌う。顰蹙を買っているだろうこと、想像に難くないが、欲求不満を残さないことを優先する。幸い、十数人の合唱団なので、極端に目立ちはしないだろう。
 
器楽班は、ピアノ、チェロ、ヴァイオリン各1名。結構聴き応えがある。

こんどこそ!わかる数学 ~ 無理数の無理数乗 ~ 直感を欺く

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図書館の書架に見付けた≪新井紀子「こんどこそ!わかる数学」(岩波書店2007.2)≫を読んだ。本当に“数学が解る”ようになるなどと夢想した訳ではないが、素人向けに気の利いた内容なのだろうと期待した。宣伝文句によれば次のような本だ:

 
≪小学校・中学校時代には,算数・数学に興味関心を持つどころか大嫌いだったという著者.それだからこそ,大学は法学部に進んだのに,なぜか予想に反して数学者になってしまう.そんな著者が自身の悲惨な経験を踏まえ「もし中学生に教える機会があれば,こんな教え方をしてみたい」と思い立って書いたのがこの本だ.数学イメージが変わる.≫
 
中学レベルだと言うが、“背理法”、“有理数・無理数”、“逆関数”など、60年前に教わったとは記憶していない高級な概念が述べられている。著者流の教育ではこれらを早い段階で教えるべきだということなのだろう。
 
“有理数・無理数”に関連して、(√2)(√2)  が有理数か無理数かという話題が取り上げられている。こんな高等な問題も著者流教育に掛れば中学レベルでも取り組むことが出来るのだろう。
 
直感的には、(√2)(√2) は無理数である。こんなものが有理数である筈がないと思う。だが、証明せよと言われるとたじろぐ。それこそ“背理法”で何とかするのだろうと想像するが。
 
意外なことに、(√2)(√2) が無理数であることは最近ようやく証明されたのだと著者は言う。つまり、一見簡単そうなこのことが、実は専門家にとっても非常に難しい問題なのだ。
 

その証明法は勿論述べられていないが、話題として、( (√2)(√2) ) (√2)という巧みな発想が紹介されている。これは2 に等しくなるので、“無理数の無理数乗”が有理数になり得る例なのだ。直感には騙され易いと心しなければならない。

 
本書出版時の書評が≪朝日新聞(朝刊)2007311日≫に載っているそうだ。
 

ところで、連想として、“超越数の超越数乗”など類似の問題が浮かぶが?例の、美しくも不思議な“オイラーの等式”eiπ + 1 0に鑑みると、これまた直感だけでは足許をすくわれそうだ。

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