無素数日 ~ 累桁法遊び ~ 見掛けの擬周期
月例特養コンサート ~ Voi che sapete ~ 序奏とロンド・カプリチオーソ
1 | 高原列車は行く(丘灯至夫/古関裕而) | |
2 | 浜辺の歌(林古渓/成田為三) | |
3 | とんがり帽子 (菊田一夫/古関裕而) | |
4 | 恋とはどんなものかしら (モーツァルト) | |
5 | 雨(北原白秋/弘田龍太郎、成田為三) | |
6 | てるてる坊主(浅原鏡村/中山晋平) | |
7 | 雨降りお月(野口雨情/中山晋平) | |
8 | 夢みる人(津川主一/フォスター) | |
9 | 朝はどこから(森まさる/橋本國彦) | |
10 | 箱根八里(鳥居忱/滝廉太郎) | |
11 | たなばたさま(権藤はなよ/下総皖一) | |
お元気で(輪唱) |
戦争調査会 ~ 敗戦に学ぶ ~ 平和希求政府
雨季閑居 ~ 読書 ~ 数字遊び
桁 11 13 15 21 35 57 95
素数個数 4 7 2 3 6 3 4
桁ごとの頻度のばらつきの大きいことの一面として、全く素数の現れない桁がある。特に、61桁から91桁 までの間に集中している。
素数出現桁 ~ 分類試案 ~ 6n法
“0”累桁対称素数 ~ 素数桁 ~ 非素数桁
あっちの水は苦いぞ ~ 蛍来い ~ 小さな提灯さげて来い
ほ ほ ほたるこい
あっちのみずは にがいぞ
こっちのみずは あまいぞ
芒種 | 初候 | 25候 | 年 | 蟷螂生ず | かまきり しょうず |
次候 | 26候 | 年 | 腐れたる草蛍となる | くされたるくさ ほたるとなる | |
末候 | 27候 | 年 | 梅のみ黄ばむ | うめのみ きばむ |
ダ・ヴィンチの謎 ~ 哲学者 ~ 秘密の楽譜
ABC予想入門 ~ 入門以前 ~ 証明論文
ヴァイオリン 吉田 南 ~ 若手実力者 ~ 伸び盛り
トリオ・アドリブ ~ 大中寅二・誕生日 ~ 滝廉太郎・命日
“素”因数分解 ~ 功罪 ~ 規則性隠蔽
ハンゲショウ咲く ~ 年央(183)日 ~ 361目
日付け「73」型 ~「0」挿入累桁因数分解 ~ 周期性
皇紀 267877 2678719 2678729
(4)7003=47x149,
(8)70000003=431x162413,
(14)70000000000003=8279539x8454577,
七夕コンサート ~ 音大一年生女子4名 ~ 十九世紀ヨーロッパ風
明るい雨 ~ 銀色の道 ~ 近江俊郎
明るい雨 作詞:西沢義久/作曲:万城目正/歌唱:近江俊郎 1951年
(一)
誰かににたひと 傘さして
駅の時計を ながめてた
~ ~ ~
赤い屋根青い屋根 新緑の並木
あゝ 明るい雨 明るい雨
(二)
吐息にけむる ガラス窓
ランチタイムの ビルの窓
~ ~ ~
赤い屋根青い屋根 水色の空よ
あゝ 明るい雨 明るい雨
(三)
いつかふたりで 来た丘を
バスにゆられて こえてゆく
~ ~ ~
赤い屋根青い屋根 銀色の道よ
あゝ 明るい雨 明るい雨
レコードに吹き込んだ近江俊郎(おうみとしろう)の生没データが(1918年 7月7日 - 1992年 7月5日)というのも不思議なタイミングだ。
当時のますらお ~ 往時のますらお ~ 近時のますらお
新盆 ~ お盆が来るから ~ 旧盆
ミニ発表会 ~ この道 ~ 大地讃頌
「大地讃頌」は、後半、半音階が多用される辺りの音取りが難しい。区切り目での歌い出しで迷うことになり、人の声を聴いてから入ろうとする人がいるので、ところどころ合唱の勢いが弱まる傾向がある。その点、総勢40名ほどというのは心強い。大きく破綻せずに完唱できる。 森鷗外(1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日) ここに加えたい著名人がもう一人いる: 夏目漱石 1867年2月9日- 1916年12月9日 三人のデータの中で、漱石の忌日“19161209”だけが素数だ。 岡野貞一 1878年2月16日- 1941年12月29日 これら8個の生没年月日のうち、山田耕作の“18860609”が素数である。月日だけの4桁以下の数に限ってみると、朝比奈の誕生日“79”と共通忌日“1229”が素数だ。案外少ないものだ。
古書業界 ~ 大ニュース ~ もと古本マニア
快挙 松本清張の新資料発見!! 「風と稲」
北九州古書組合員、八幡の今井書店さんが、同人雑誌に当時12歳の松本清張の「詩」が掲載されているを発見した。大正11年に小倉市で発行された詩誌「とりいれ」である。詩そのものは、画像を拡大してご覧頂きたい。
従来、清張の最初の文芸作品は1943年に詠まれた俳句、という事であったから、少年時代の文芸指向が垣間見られるこの詩は一大発見である。
このビッグニュースは西日本新聞にも取り上げられた。(大きめの画像でUPしたので、記事の詳細はこちらも画像をクリックし参照されたし)
同記念館の学芸員は、「本当に清張の作品か検討していきたい」としているが、もし別人なら、同姓同名の人間がいた、という事しかあり得ず、十中八九、本人作と考えるのが順当だろう。マスコミにも取り上げられた事で、これから多くの証言や、当時の経緯などが寄せられ、徐々に明らかにされていくのを、我々組合員も大いに期待している。 (文責=草木)
その著名人の名前を当方は個人的には“まつもときよはる”と呼び習わしてきた。世間では“まつもとせいちょう”と呼ぶことは勿論承知していた。何故へそ曲がりな呼び方をしたのか今では思い出せないが、多分、何でも音読みしたがる世間の傾向に逆らったのではないかと想像される。