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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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万能細胞STAP②~写真疑惑~実験再現性

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先月来話題の万能細胞STAPを世に知らしめた論文の写真が不自然であるとの疑惑が浮上して、何やら怪しげな雰囲気になっている。当事者は、添付写真の取り違えなど事務的なミスと考えているようだが、最も恐れるのは、論文の内容が根拠を欠くという事態であることは言うまでも無い。
 
常識的には、論文発表後直ちに世界中で追試が始まり、“世紀の大発見(発明?)”の真贋が明らかになるのだから、意図的な論文捏造はあり得ないだろう。
 
あるとすれば、研究作業の厳格な管理が為されず、試料が混ざりもので汚染され、研究結果の正確性が失われている可能性だろう。部外者の判断領域ではない。
 
それにしても、論文査読の段階で写真の不自然さが指摘されなかったのは不思議だ。写真自体は余り重要ではないということか。
 
“写真が不自然”という話題に接して、約半世紀前の苦い経験を思い出した。組織の新米職員として、別グループのある提案を審査するよう命じられ、一所懸命に提案資料の内容を吟味した。その結果、厖大な資料の中に“不自然な”証拠写真があるとの結論に達した。
 
提案の当否は写真だけで決まるものではないのだが、第三者が理屈抜きで納得できる資料であるから、極めて重要なものである。
 
提案を審議する委員会で極く正直に“写真疑惑”を開陳したところ、提案グループの長の怒りを買った。疑惑指摘のショックを和らげるための善意のコメントを逆手に取られて、“要らぬことを喋るな”と罵倒された。
 
こうなると、論理の対決とはいかず、地位の上下がモノを言う。その時代の組織における行儀作法を弁えていないための失敗だった。
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「全國大學專門學校高等學校校歌集」③~寮歌風序文~弁論部系列

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「全國大學專門學校高等學校校歌集」の序文が興味深い。「校歌集」自序として、A5判より少し小さい1ページ分の短文である:
 
“力! 力! づ太い意気の力!
力の無い処に創造は生れない。創造の無い処に進化は無い。力は進化の根源である。
 誰か旧き生涯に安んぜむとするものぞ!
 おのがじゞ(ママ)新しきを開くこそ、力に富む青年の務めではないか。
 麗しく、あでやかなる人生の万華鏡は、或ひは讃嘆、憧憬、歓呼、或ひは憤激、呪詛となって、新しき生涯を建設せんとして進む若者の、血潮を躍らすであらう。
 勇しきこの進軍に際して、一切の虚偽と妥協を排し、純真に、真剣に生きる、うら若き人々には、力強く、声高らかに歌ふべき、行進曲を必要とする。
 思ふ、私が『校歌集』を今日編むの、如何に意義多きかを。しかも、全国百有余の各大学、高等学校、専門学校に亘り、その校歌、寮歌、応援歌の歌詞と曲譜を、蔵し得たことを、自ら大いに誇る。
 特に『カット』として挿入された、各学校の徽章が、他日、諸兄姉の何等かの役に立つ時があるならば、私の苦心と努力は、凡て報ひられたと言ふべきである。
 終りに臨み、『校歌集』編纂の為め、懇切なる御援助を給はりし、各学校の学生監並に弁論部員諸賢と、友誼篤き郁文堂書店田中君に対して、深く感謝の意を述べて筆を擱く
 
   昭和二年十一月   下谷池の端にて   交文”
 
序文自体が大言壮語、悲憤慷慨の寮歌調であることは当然かもしれないが、意気込みの上滑りを感じさせる。論理展開もやや強引だ。
 
しかし、“苦心と努力”は、誇張ではないと思われる。それは、“『カット』として挿入された、各学校の徽章”だけに係るものではないだろう。むしろ、数百曲の歌詞と曲譜を収集したことにこそ言えるのではないか。
 
このことに関連して、“御援助を給はりし、各学校の学生監並に弁論部員諸賢”が注目される。編者・神賀交文とは如何なる人物か。“学生監”すなわち学生の生活上の指導を行う教員に何らかの繋がりを持つ立場にあり、しかも弁論部の横断的組織にも繋がりのあったことが容易に想像される。その世界で無視できない影響力を有していた人物ではないか。
 
大変な意気込みで編纂されたのだが、目次に当たる「寮歌集索引」といい、表紙のタイトル「全國大學高等學校專門學校校歌集」あるいは「全國大學、專門、高等學校校歌集」といい、粗さ」が目立つ。これぞ、豪放磊落、寮歌精神の現れと見るか。
 
発行元、郁文堂は本郷通りに健在だ。
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「全國大學專門學校高等學校校歌集」④~熊本高等工業学校校歌~南能 衛

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「全國大學專門學校高等學校校歌集」をめくっていたら“南能衛 作曲”とあるのが引っ掛かった。見覚えのある人名だった。熊本高等工業学校校歌なのだが、これは初見である。
 
朧げな印象が横浜市歌に繋がり、確認したところ、やはり、横浜市歌の作曲者であった。ちょうどひと月前に“横浜開港五十年記念市歌~文豪森鷗外クン~継承百年余”で取り上げているではないか(2014/1/25())。我が脳内メモリー性能の劣化が目立つ。
 
ところで、“南能衛”と表記されているのだが、ウィキペディアによれば、“みなみよしえ・のうえい”と読む。であれば、“南能衛”と表記するのが普通だろう。ミスプリか、それとも、“みなみの・まもる”とでも読んだのか。当管理人は、そう読んでいた。
 
曲は、ハ長調4/4拍子、立派なピアノ伴奏譜が付いている。いわゆる寮歌風でなく、今風の校歌のような明るいメロディーだ。
 
ウィキペディアからの孫引きだが、“『村祭』のほか『村の鍛冶
屋』が南の作曲であるとの伝聞がある(出典:『日本唱歌集』堀内敬三著)”そうだ。とすれば、お名前は存じ上げなかったが、随分身近な存在だったと言える。
 
没年に、1952年(71歳)と1944年(63歳)の2説あるのも謎めいている。後者が正しければ、本年は“南能衛 没後七十年”の節目に当たる。
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国語練習~上下関係~思考訓練

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有力な無料タウン誌の最近号に、サラリーマンの大敵、日中の睡魔に関する特集記事がある。ウェブ版が公開されているので、引用する:
 
寝ても眠い「激しい睡魔」の正体              2014.02.20
 
その中の次のような一文を読むと、めまいに襲われる:
 
“~眠気は体温が下がる時に出現するので、例えば、昼食は辛い料理などではなく、ざるそばなど体温を上げない料理にする。~” 
 
“例えば、”の前の部分(前半)を頭に入れて後の部分(後半)がすんなりと頭に入るだろうか。当管理人は頭が混乱し、めまいを催した次第だ。
 
常識的には、結語部分、すなわち後半が、記事の主張に当たるから、この部分には編集間違いは無いと思っていいだろう。これに合わせて、前半に立ち返り、辻褄の合うように読まなければならない。
 
原文のままでは理解不可能だ。論理的には、“~眠気は体温ががる時に出現するので、”と書くところだ。つまり、単純な入力ミスだと思われる。
 
最初から誤字のあることを予想して読むわけではないから、暫くは己の読解力の貧弱さに困惑するわけだ。
 
一般の商業新聞や雑誌ならともかく、無料の情報誌相手では、ブーブー文句を言うのも大人げない。頭の体操をさせて貰ったことに感謝すべきかも知れない。
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ヴォルガのトロイカ~モスクワのトロイカ~ハイダ・トロイカ

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「カチューシャ」と共に所謂ロシア民謡の代名詞の如く有名な「トロイカ」に複数の同名異曲の存する事情について、“らすぺふ”(http://www.nana.or.jp/~k-matsu/)主宰・松本明子さんが簡潔にまとめている。
 
それによると、例えば、次の4種類の通称で知られる「トロイカ」がある:
 
「ヴォルガのトロイカ」 “雪の白樺並木~”の歌詞でポピュラー
「ペテルブルグのトロイカ」 ヴャゼムスキー詩(1834)ブラホフ曲(1865)
「モスクワのトロイカ」  グリンカ詩(1825)ヴェルストフスキー曲(1828)
「ハイダ・トロイカ」   ロマ音楽として知られる。
 
曲名として歌い出しの一節を表記することもあるが、上記の通称も用いられ、あるいは単に「トロイカ」とされる場合もあり、レコードなどのタイトルだけではどの「トロイカ」であるか判断できないことがあると言う。
 
日本で一番良く知られる「ヴォルガのトロイカ」は、長らく作詞者、作曲者ともに不明で、まさにロシア民謡だったのだが、近年、レオニード・ニコラエヴィチ・トレーフォレフ(18391905)を原詩作者とする傾向にあると言う。邦題「郵便馬車の御者だった頃」の原詩作者である。また、彼が原詩を“書き留めた”と記述する資料もあると言う。
 
作曲者については、依然未詳であるが、松本さんが調べたところでは、“A.サヴィチェフ”とする1910年の音源があるそうだ。また、「郵便馬車の御者だった頃」の作曲者プリゴージーの可能性を探ったところ、彼はこの曲の改編曲を1906年に発表しているとのことである。
 
「ハイダ・トロイカ」を称する音源(英語表記 HAIDA TROIKA)が公開されているので試聴したところ、「カリンカ」風であった。
 
「モスクワのトロイカ」も部分的音源(英語表記 MOSCOW TROIKA)があったので試聴した。歌い出しが「ヴォルガのトロイカ」(Вот мчится тройка почтовая)によく似ていた:
 
Вот   Мчится   Тройка   Удалая ~
ヴォトゥ ムチツァ トゥロイカ ウダラヤ ~
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第28回向丘まつり~事故欠員~反省多々

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愛唱会の参加する年中行事となった「向丘まつり」、今日、切りの良い31日に第28回が始まった(二日間)。
 
午後1時からの出番とあって、のんびり構えていたところへ、メゾソプラノ担当のHさんから電話が入った。このタイミングでの良い知らせは殆どあり得ない。
 
“駅へ行く途中で車をぶつけた。今日のコーラスには参加できなくなった。”というものだった。幸い、人身事故には至らなかったようだが、四重唱で一人欠けるのは大変なことだ。
 
急遽対応策を考えた。彼女が担当していた主旋律部分を誰かが歌わなければならない。残り3人で何とか割り振って、とにかく、やるしかない。
 
演目は次の通り:
 
夢をかなえてドラえもん  作詞 黒須克彦、作曲 黒須克彦
うれしいひなまつり    作詞 サトウハチロー、作曲 河村光陽
は る が き た     作詞  高野辰之、作曲  岡野貞一
みんなだれかがすきになる 作詞 坂田おさむ、作曲 林 アキラ
(以上、ジュニア部門)
ウメボシ人生   尋常小学読本/大島亜佐子/櫻井映子
(ジニア・シニア合同)
(以下、シニア部門)
ひな祭      国民学校唱歌  林柳波/平井康三郎
湯島の白梅    佐伯孝夫/清水保雄/宮崎滋
ともしび     ロシア民謡/楽団カチューシャ/伊藤辰雄・中山英雄  
荒城の月     土井晩翠/瀧廉太郎/増田順平
わが古里     島田芳文/井上武士
深山ざくら    富原義徳/井上武士
花は咲く     岩井俊二/菅野よう子
《 みなさん ご一緒に 》 
どこかで春が   百田宗治/草川信
春の唄      喜志邦三内田元
 
ジュニア部門の4歳児3人が繋いだ手を前後に振りながらの熱演は温かい拍手を頂戴した。曲順が進むにつれて調子の良くなるのが面白い。
 
シニアの男声3人衆は、やはりもたついた。もともと練習不足ではあるが、メゾソプラノが突然欠けたことで動揺は致し方ないだろう。その割には善い出来だったと、望先生の慰めの言葉を頂戴した。
 
《 みなさん ご一緒に 》の2曲のリードにも不手際があって、皆さんには失礼してしまった。当方の演奏発表ではないからと、緊張感を欠いたことを反省している。
 
来年の第29回は、現施設での最後の開催になるそうなので、しっかり準備をして、有終の美を飾りたい。
 
ところで、向丘まつりの日は寒いというジンクスがある。日付による気象上の特異日ではないが、この時期は大体天気が良くないのかな。
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迷信「脳に蛆」~ maggot in one's brain ~ 変人

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先頃、ウェブニュースに次のような風変わりな見出しが載った:
 
「ブタの生き血」が大好物の男性、脳内から寄生虫19匹発見―中国紙 Record China 223()2020分配信
 
概要は、“2014221日、中国紙・貴陽晩報によると、めまいと視力低下に悩む青年の大脳には、なんと19匹の寄生虫がいた。彼の大好物のブタの生き血が原因~”ということだ。
 
特に事件という訳でもなく、人によっては忌避したい話題だろう。脳に寄生虫が入ること自体は、昔から知られており、新発見でもないが、普段話題にならないだけに、多少は人目を惹いたことだろう。
 
このニュースの記憶が消えないうちに、偶々、面白い英語表現に出会った:
 
 have a maggot in one's head brain|気まぐれな考えをいだく(気まぐれな人間の脳にはうじがいるという迷信から). プログレッシブ英和中辞典(第4版) ”
 
直訳すれば、“頭(脳)に蛆がいる”だ。“maggot”は“うじ(蛆)”だが、この場合は、蠅の幼虫を指す生物学用語ではなく、類似の形態の虫一般を意味しているのだろう。
 
上記辞書は“気まぐれな人間の脳にはうじがいるという迷信から”と解説しているが、むしろ、脳が寄生虫に冒されて変になる病気の知識が基になったのではないだろうか。つまり、迷信とは決め付けられないと思われる。
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佐藤春夫~弘田龍太郎~西條八十

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今週土曜8日に行われる文京区勤労福祉会館の“勤福祭”に参加するための調べものの中で、(当管理人的には)面白い事実に気が付いた。
 
大概の自治体は各団体歌を持っている。文京区歌は1951年に制定されている。作詞を佐藤春夫に、作曲を弘田龍太郎に、それぞれ委嘱したもので、合唱版は、山田年秋の編曲になるそうだ。佐藤、弘田は、今さら解説を要しない大物だが、山田はよく判らない人物だ。
 
佐藤は長年区内に住居を構えており、名高い詩人であり、校歌など団体歌の作詞も手掛けていた。彼の作詞は次の通りで、自治体歌としては、相当に風変わりのように思われる:
 
  ああ大江戸のむかしより      ②今新時代の朝未明
ここは学びの土地にして       自由民主の鐘の音に
紅の塵ちかけれど          人は巷に迷へども
緑の丘はしづかなり         我等が隣安らへり
書よむ窓の多なれば         もの知る人の多なれば
家おのづから品位あり        町おのづから平和あり
都は文化の中心地          都は文化の中心地
  わが区は都の文京区         わが区は都の文京区
 
“自由民主の鐘の音に 人は巷に迷へども”などは、単純に、政治的中立の原則に反するとも言われかねない。逆に、穏やかならざる現在の政治情勢を言い当てているようにも取れる。
 
さて、面白いと記したのは、先ず、作詞・作曲者が、共に1892年の生れであるということだ。区が委嘱先選定に当たって生年を揃えたということは無いだろう。
 
次に、佐藤の没年だが、1964年である。先の東京オリンピックの開催年だ。詳しくは56日で、オリンピック開催前である。佐藤は、オリンピック東京大会讃歌を作詞していたのだ(オリンピック狂騒曲~螢の光~つくしのきわみ みちのおく 2012/7/21())。
 
讃歌はA,Bの2曲あり、佐藤はAの方を作詞した(作曲は清水脩)。もうひとつの讃歌、Bの方は、西條八十の作詞だった(作曲は小倉朗)。両讃歌の詩の内容から、Aは開会式に、Bは閉会式に演奏されたものと思われる。
 
面白いのは、西條もまた1892年生まれだということだ。佐藤よりも長生きし、オリンピック讃歌も無事聴いたはずだ。
 
なお、弘田は、文京区歌制定の翌1952年に亡くなった。佐藤とのコンビで「日本の母を頌ふ」を作曲したそうだ。“国民頌歌”として1943年にレコードが発売されているらしい。
 
国民頌歌”とは何か、不明である。レコード会社が販売促進のために、任意に命名したものか。
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万能「STAP細胞」論争~科学史~人工ダイアモンド

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万能の「STAP細胞」を巡る不穏な空気が収まる気配が無く、信憑性を疑われた研究グループが詳細な作成手順を公表した。早ければ12か月で決着がつくのではないか。
 
先にも書いたように、研究成果の真偽は、追試で必ず明らかになるので、デッチ上げは考えにくい。実験管理の不備による試料の汚染(他からの混入)による誤認定の可能性の有ることも前に書いた。いずれ判明することだから、そんなに先走る必要も無いのだが。
 
これに関連して思い出した科学史上の事件がある。
 
ダイアモンドを人工的に製造しようと苦闘していた研究者の助手が、気を利かして天然ダイアモンドの屑を密かに実験装置に投入したのだ。そうとは知らない先生はダイアモンドの細片を検出して喜び、成果を発表したという次第だ。
 
科学少年だった頃に読んだ話で、いつ、どこで起きたのかなど、はっきりしたことは記憶に無い。
 
改めてネット検索したところ、この逸話の真相は不詳らしい(ウィキペディア「合成ダイヤモンド」)。
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「同期の桜」作詞者~詩「二輪の桜」~歌謡曲「戦友の唄」

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『軍歌と日本人』(2014/2/21()既出)の「同期の桜」の項に次のような記述がある:
 
“「同期の桜」の歌詞は昭和13年詩人の西條八十が発表した「二輪の桜」である。曲は14年に大村能章が作曲した「戦友の唄」。「戦友の唄」に「二輪の桜」を付して昭和19年頃から海軍内で歌われはじめたものが、「同期の桜」になったとされている。”
 
つまり、「二輪の桜」の詩を「戦友の唄」の曲に載せたものが「同期の桜」であるということになる。「戦友の唄」の歌詞はどこへ行ったのだろうかと気に掛る。記述は次のように続く:
 
“~作詞者には西條八十とは別に二人の作者がいる。元海軍兵曹長の岡村幸と元海軍中尉の帖佐裕である。この二人が偶然同時期につくったものの、二人とも作者として名乗らなかったため、作詞は西條八十とされ現在に至っている~”
 
これは不可解な文章だ。一つの歌の歌詞を偶然に三人の人物が(ほぼ)同時期に作ったというのか。
 
「同期の桜」の歌詞には3人の作者が存在する(関係する)らしいことは解る。作曲者については疑問は無い。ただし、その曲にもともと付いていた歌詞はどうなったのか気に掛ることは前記の通りだ。
 
結局、ネット検索で確認することになった。ウィキペディアなどによれば、「戦友の唄」の歌詞が「二輪の桜」であるらしい。この歌詞に多少手を加えて軍隊内で歌うにふさわしいようにした人達がいて、そのうちの二人の名前が明らかになっているというのが真相らしい。
 
『軍歌と日本人』は、スペースの制約から記述を簡略にし過ぎて理解困難な文を載せたのだろうか。それとも、当管理人の脳が貧弱なのか。加齢で、委縮しているだろうからなあ。
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準備万端~歌声喫茶~閑古鳥

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先日ちょっと触れた「勤福祭(きんぷくまつり)」(2014/3/3())に準備万端整えて臨んだが、ハチャメチャの1時間となった。
 
一けた台のお客さんのリクエストに応えて次のような愛唱歌を(曲によっては複数回)ほぼ斉唱で歌う、“歌声喫茶”風の演奏会になった。
 
湯島の白梅
ともしび(ロシア民謡)
荒城の月
春の唄(喜志邦三内田元)
どこかで春が
花は咲く
 
この日のために特に用意した区歌、都歌や輪唱曲には、出番が無かった。充実した配付資料は、将来日の目を見ることを願うのみ。企画としては失敗の極だが、何故か楽しかった。
 
こちらからの押しつけでなく、お客さんの希望に沿って歌ったからだろうか。或いは、難しい演奏から解放されて楽をしたからか。
 
今回の企画は、会館側から依頼されて実現したものだと認識しているが、どのような需要が有るかの情報が欠如していたことを反省している。もし、来年もお声が掛るなら、今日は貴重な経験をしたことになるのだが。
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沙羅の木~森鷗外記念館~詩碑六十周年?

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昨日の「勤福祭(きんぷくまつり)」で出番の無かった曲の一つは、森鷗外/下総皖一「沙羅の木」だ。会場の近傍に鷗外記念館のような施設があり、「沙羅の木」の詩碑が外周壁の内面に嵌め込まれている。
 
褐色の根府川石に
白き花はたと落ちたり
ありとしも葉がくれに
見えざりしさらの木の花
 
 
孫引きになるが、この詩碑について由来を説明する資料を示しておこう:
 
“森於菟著『父親としての鷗外』(ちくま文庫、1993年9月22日第1刷発行)に次のようにあります。
昭和二十九年七月九日は父の三十三回忌に当るので、私は、弟妹とはかり父の供養のためにするという名義で、「沙羅の木」の詩壁を建てることにした。
 ~永井荷風さんを訪ねて執筆をお願いしたところ、世俗をきらうというので名高い荷風氏は一言の下に快諾され、半月ばかり後また伺ったら立派にできていたのを渡された。
 ~これを瑞典産ときく美しい石に彫り、明治を象徴する赤煉瓦の壁にはめこむという構想で谷口吉郎さんが設計された。~「根府川石」も忘れられなかった。~”
 
この記述だけでは判然としないが、“昭和二十九年七月九日は父の三十三回忌に当るので~「沙羅の木」の詩壁を建てることにした。”を素直に読めば、三十三回忌の前後に“詩壁”が建てられたと思われる。
 
だとすれば、今年は「沙羅の木」詩壁の設置六十周年に当たるではないか。これは、何としても「沙羅の木」を地元で歌っておきたいところだった。別の機会を狙おうかな。
 
なお、現在の鷗外記念館は一昨年に新築開館したもので、“詩壁”も勿論新品である。“瑞典産ときく美しい石”に彫られた詩碑は、そのまま移設されたに違いない。
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石坂洋二郎~東北温泉風土記~勝平得之

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「東北温泉風土記」という些か古い本がある。石坂洋二郎 編/勝平得之 画、社団法人日本旅行協会(ジャパン・ツーリスト・ビューロー)昭和15428日発行、B6判、約130頁である。(サイト http://blog.zaq.ne.jp/RYZOWIEC/daily/201202/06 に、きれいな画像が掲載されている。)
 
内容は、
 
馬橇に乘つて(民謠)…白鳥省吾
東北の溫泉…石坂洋次
東北地方主要溫泉案内
東北溫泉の記…藤浪剛一
湯文…藤浪剛一
コケスンボコ雜考…三原良吉
こけしの溫泉を巡る…天江富彌
東北溫泉一覽表
東北地方主要溫泉案内          などである。
 
冒頭の「馬橇に乘つて(民謠)」は白鳥省吾の創作らしいが、「東北地方主要溫泉案内」の随所に引用されている各土地の民謡、わらべ歌などが面白い。
 
村山地方   手毬唄
 
おまんさ おまんさ 髪結ひ上手で  今朝結った髪をぱらりと解いて
おやぢの代のたかつぽはづし  売るにも五貫買ふにも五貫
五貫の金を七つに割って  七橋かけて渡ると仰言る
猫も渡る いたちも渡る  十六七の 女も渡る
 
 
“津軽 山形温泉 青森県南津軽郡山形村”という項目が目に付いた。北海道に広島があったり、福島に石川があったりするのと同じことで、驚くほどのことも無いが、地図などで確認した。
 
山形村は今は無い:
 
1954昭和29年)71 - 南津軽郡黒石町、中郷村、六郷村、浅瀬石村と合併し市制施行して黒石市となる。” (ウィキペディア)
 
“山形温泉”もネット検索ではヒットしない。本書の記述でも、“温湯、落合、板留の温泉の総称”であるとしている。
 
「山形公民館」の施設があって、その所在地は“青森県黒石市大字温湯字派151”となっている。“温湯”は“ぬるゆ”と読むのだろうか。字(あざ)の“派”は“は”としか読めないが?
 
勝平得之の版画が沢山挿入されていて、ほのぼのとした温かみを醸す。この本、結構売れたようで、古書マーケットに多く出回っている。石坂の主要な作品ではないが、販売部数では上位に来るのかも知れない。
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3.11断想~応急復旧~長期展望

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記念すべき3.11大災害から3周年の今日、災害難民経験者としての感懐を残すのは、何がしかの意義があるだろう。
 
“もう、早くも、3年経ったのか”と感慨に耽ると共に、荷物を引き摺りつつ、食料を求めて歩き回ったこと、臨時収容所で乾パンを生れて初めて味わったこと、暗い便所で蝋燭の明かりを頼りに用足しをしたこと、ホテルのレストランで温かいスープの朝食を振る舞われたことなど、つい昨日の事のように思い出す。
 
予定より二日遅れて何とか自宅に帰り着いて見れば、部屋の中は本や様々のガラクタが散乱していたが、特に壊れたような物も無く、家人の話でも、揺れの激しかった割には、被害は軽微だったのは、不幸中の幸いだった。
 
世間では、被災地の復興や被災者の支援がいろいろ議論されている。当ブログ管理人の手には負えない厖大なテーマであるので、断片的な最近の感想を記録するにとどめよう:
 
復興の遅れが批判されている。何を基準にしての遅れかが肝腎だ。はっきり言って、絶対的な基準などあり得ないから、恐らくは、政府が暫定的に定めた復興スケジュールに照らして、実績が停滞しているということなのだろう。
 
応急復旧は早いに越したことは無いが、本格的な復興は、要する手間、暇、金(資源)との相談だ。そもそも、千年に一度程度の大災害に備えるためならば、むやみに急ぐ必要は無い。また直ぐに襲ってくる確率は非常に小さいのだから。 
 
便乗公共事業にも要注意。オリンピックの東京開催も影響するだろう。この関連事業こそ総て便乗と言っていい。現有の施設で可能な範囲で開催するのが望ましい姿だが、この一時的なお祭り騒ぎに乗じて多くの土建事業が行われるだろう。当然、復興事業には悪影響を及ぼす。
 
もう大体目途が付いたようだが、いわゆるガレキの処理については、当ブログで呟いたような“地産地消”方式、つまり現地処分の思想が当事者には全く無かったようで、次の大災害が懸念される。
 
原発事故・災害の処理に至っては、全く責任の所在が究明されず、全国民に負担が被されることになった。原発誘致で利益を享受した者にも、原発に反対した者にも平等に。軍備に反対する者にも軍事費負担が課せられるのと同じ構図だ。
 
近年、ふるさと納税なる制度が出来て、自治体への寄付金の使途を指定できると聞く。所得税の納税にも同様の使途指定制度を導入できないものか。暴論であると袋叩きにあいそうな気もする。
 
いわゆる地震予知については、未練がましいようだが、まだ期待したい。満足できるような予知手法は今のところ無い。しかし、前兆現象ぐらいは、何とか、まとめられないのか。
 
完全マニュアルでなくてもよい。動物の異常行動はともかくとして、前震、電磁波、地磁気、地下水位、地中ガス、地盤変位など、客観的に捉えられるものが幾らでもあるのではないか、と思うのは素人の浅はかさか。
 
大規模構造物に金を掛けるより、直前の前兆現象を察知して減災の工夫をする方が遥かに現実的であると思われるが。
 
など、独善的な机上の空論を展開してはみたものの、我が家の防災体制は殆ど無に近い。非常持ち出し品はまとめていないし、数日分の飲食物の備蓄も無いし、救急箱は空っぽだ。先ず、足元を固めねば。それこそ独りで出来ることだ。
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ところで、いわゆる復興応援歌として有名な「花は咲く」を我々も随分歌って来たが、北国の先生が最近その英語版に御執心だ。聞けば、IL DIVO とかいうヨーロッパの男声カルテットが歌っているとのことで、このグループは災害前から日本贔屓なのだそうだ。真似して歌ってみようかな。

英語版「花は咲く」~“Flowers will bloom”~本場モノ?

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英語版「花は咲く」を歌ってみようかな、と独語した手前、歌詞をネット検索し、音源と照合した。入手した歌詞は多少修正を要した。IL DIVOの歌う音源としては、短縮版が多く出回っているようだ。曲の前半と最終節を繋いだ形になっている。
 
英訳歌詞は、ほぼ原詩に対応した構成となっている。直訳、意訳を取り混ぜて工夫しているように見える。原詩に忠実である必要は無いと思うが、少し引っ掛かる部分もある。
 
例えば、“花は花は花は咲く いつか生まれる君に 花は花は花は咲く 私は何を残しただろう”に対応する英訳は次の通りである:
 
Flowers will bloom yes they will yes they will
for you who are here or yet to be born
They'll bloom yes they will and they'll bloom again until
There's no missing sorrow and no reason left to mourn.
 
構文としては
Flowers will bloom until there's no missing sorrow and no reason left to mourn.
となるだろう。
 
この翻訳は日本人の仕事だろうか。もしネイティヴの作文だとしたら、当方は恥じ入るしかないのだが、学校英文法の知識に基づけば、疑問のある英文だ。
 
今度、英米人と話す機会が有ったら質問してみよう。実は昨日、偶々オーストラリア人と喋っていたのだが、惜しいことに“Flowers will bloom”の歌詞は持ち合わせていなかった。彼にはオーストラリア訛が無かった。
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北国で~“Flowers will bloom”~水差しコブシ開花

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北国の“さくらの会”の皆さんに英語版「花は咲く」を歌おうという気になって貰うのに多少の努力を要する。
 
今までにロシア語、ヒンディー語、中国語などで歌って来ているのに、英語となると拒絶反応が出るのは不思議だ。仮名を振るからとか宥めすかして何とか皆で歌ってみたい。
 
英語で歌って何か意義があるのか、などという至極尤もなご意見もあるから、ひたすら低姿勢で説得しなければならない。
 
歌詞は IL DIVO 版に拠るとして、編曲が異なるから、最終節はこちらで適当に文句を当てはめることになる。
 
数日振りに帰ってみると、水差しのコブシが開花していた。既に褪色し始めたのもある。この後も数輪は咲き続けるだろう。これぞ、“Flowers will bloom.”か。
 
明日はボランティアグループで施設訪問コンサートだ。殆ど練習してない。
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訪問コンサート~ぶっつけ本番~即興ハモリ

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ボランティアグループで施設訪問コンサートをして来た。グループとしては6回目くらいだそうだが、当管理人は初めての施設だ。
 
チラシでは“2時~”となっているので、リハーサルなどの時間も見込んで、115分前に着いた。バイオリニストのM嬢が先着で路上で何かを捜している風だった。誰かと待ち合わせだと言っていたので、先に受付に入った。一番乗りとなった。
 
介護付き有料老人ホームとあって、外来者には上履き、マスクの着用が求められる。どちらも持参していなかったが、用意してくれた。
 
他のメンバーは1時半ころから到着し始め、話を聞くと、この施設ではリハーサル無しで、つまり部屋が無いとのことで、いきなり声を出すのだと知った。発声練習くらいは行いたい。
 
チラシにあった“2時~”は、いわゆる誕生日会の開始時間であった。結局、我々の出番は2時半近くからになった。出演は歌手11、チェロ2、バイオリン2、プサルタ1、フルート1、ピアノ1、指揮(兼ソプラノソロ)の計19名、演目は次の通り:
 
1.早春賦
2.春の日の花と輝く
3.さくら さくら
4.春の唄
5.埴生の宿
6.金婚式(弦楽合奏)
7.涙そうそう
8.愛燦燦
9.モーツァルトのメヌエット(弦楽合奏)
        10.ある晴れた日に(ソプラノソロ)
       11.ふるさと(無伴奏)
 
お客さんは、入居者とスタッフの約60名で、このグループとしては盛会と言うべきか。演奏者がこれだけ多いと、緊張感を欠くことになり、良く言えばリラックスして歌う事が出来る。楽譜に拘らず、気ままにハモリを付けた。苦々しく思う人もいるだろうが、“調和”を乱してはいない自信が有るので、我が道を行く確信犯となる。
 
終演後はお茶とシュークリームで労われ、臨時の総会のような話し合いも行われた。会長(女性)が今月限りで退任したいと、後任期待の男声メンバーに水を向けるが、固辞されて、まとまらない。自発的に会長を引き受けようという奇特な人はいない。どうなるのだろう。
 
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日本の母を頌ふ~頌ふ(たたふ)~頌ふ(うたふ)

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先日“弘田(龍太郎)は、、、、佐藤(春夫)とのコンビで「日本の母を頌ふ」を作曲したそうだ”と書いた(2014/3/3() )。その「日本の母を頌ふ」の歌詞と楽譜を確認した。
 
“タケクヤサシキ ヒノモトノ  ハハノヲシヘヲ ミニシメテ  
マスラヲノコラ オヒタチヌ  ヒノモトノハハゾ タフトキ
~ ”
 
変ホ長調(♭3個)、4/4拍子、♩=100、全20小節(前奏4小節)で、穏やかな学校唱歌の印象だ。レコード音源の所在は把握したが、未だ聴くチャンスが無い。
 
題名の“頌ふ”は“たたふ”と仮名が振られている。この読みは常識的だ。城左門/深井史朗「子を頌ふ」には仮名が振られていないので、“うたふ”と読んでいるが、些か自信喪失気味だ。
 
“子供をたたえる”のは不自然だとの気持ちから“たたふ”を排除したのだが、その読みを正当化する理屈を考えることは不可能ではない。本当はどちらなのだろう。
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ランチタイムコンサート~ソプラノ二重唱~バリトン・ピアニスト

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強風が花粉を吹き付ける今日、あまり外出したくは無かったが、所用ついでに、暫くぶりに副都心のランチタイムコンサートを楽しんできた。
 
345回 愛の余韻
  楠田翔子(ソプラノ)/山田央子(ソプラノ)/大村剛士(ピアノ)
 
Aプログラム12:05
1 生きている口づけ/A.ベッティネッリ [楠田]
2 夜/マックス・レーガー《五つの二重唱曲》から [二重唱]
3 夕方の歌/ 同        同
4 夏の夜/ 同         同
5 ただ一つだけ小さい泉があるなら/ 同    同
6 おお、訊かないで/ 同    同
7 瑠璃色の地球  松本隆/平井夏美   [二重唱]
 
Bプログラム12:35
1 メリー・ウィドー・ワルツ  滝弘太郎/F.レハール  [二重唱]
2 霧と話した  鎌田忠良/中田喜直   [山田]
3 マイウェイ  中島潤/クロード・フランソワ   [大村]
4 初恋  石川啄木/越谷達之助   [楠田]
5 くちづけ   [山田]
 
馴染みの曲は後半の1,2,4の3曲だけだったが、二重唱の多いのが気に入った。二人で歌うから二重唱という形だけでなく、きれいにハモっていた。二人のソプラノは、大向こうを唸らせるような技巧を発揮しはしなかったが、無難に、そつなく聴かせた。
 
前半の7は三重唱だった。ピアニストが“弾き語りできるバリトン”という触れ込みだ。後半の3でその実力を披露した。後半1,3の編曲も彼の仕事だそうで、多芸な器用人だ。
 
高層ビル脚もとの植え込みにニワウメが咲き始めていた。
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“Flowers will bloom”~カナ書き~英詩補作

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英語版「花は咲く」“Flowers will bloom”のカナ書きが出来上がった。原単語を強く意識していると、文字数が多くなり、実際に歌う場合にも余計な母音が挟まりがちになる。
 
思い切って、いわゆるリエゾン風に表記すると案外原音に近くなる、と信じて書いてみた。ついでに、原詩のうち英語版では表現されていない部分も直訳で補った。
 
これを北国の“さくらの会”の皆さんにご披露して歌って頂くつもりだが、これまでの経験によれば、“原文の方が読み易い”と宗旨替えするメンバーが現れる可能性が高い。
 
英語は厭だ→カナを振る→原文の方がいい、となるのだ。回り道の儀式を通過しないと望ましい姿に落ち着かないわけだが、結果良ければ総て良しと割り切ろう。
 
冗談はさておき、 IL DIVO の皆さんの歌唱でも、何かしらぎこちなく聞える部分や、音符に沢山の音をむりやり詰め込んでネイティヴにも聞き取れないのではないかと思われる部分がある。それらは、我々に歌い易いように修正した。
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