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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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京都の塩大福~路上声掛け商法~赤102

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昨日は“カラス vs. ハト”事件に加えて、別の出来事があった。昼食後、バス停で次の発車時間を確認し、7,8分も先になるので地下鉄まで歩き出したその時、呼び止められた。
 
乳酸飲料を売り歩く人を思わせる風体の女性であった。商品はお菓子(スイーツ)。路上で当たりを付けた相手に声を掛けて言葉巧みに購入行動に誘い込む商法である。
 
そんな商法で商売になる(利益を出せる)のかと不思議に思ったのと、その売り子さんが数日前、同じように人に声を掛けるところを目撃していたこともあり、若干の質疑の後、和生菓子を買った。
 
京都でしか売っていない“京都の塩大福”との触れ込みだった。いわゆる衝動買いで、無駄な出費だから、元日の誓い(無駄を減らしつつ~)に反する。
 
そんなこんなで数分経過したから、バスがちょうど来るころではないかと戻ってきたら、何と、その売り子さんは別のカモを引っ掛けていた。やはりバス待ち客だった。彼女は闇雲に誰にでも声を掛けていたのではなかった。ちゃんと計算していたのだ。
 
そう言えば、ある賑やかな交差点近くのバス停で、いつも飲料売りの姿を見掛けて、その謎解きをしていたことがあった。偶然にその売り子さんを見掛けたに過ぎないと言うには頻繁過ぎたのだ。
 
結局、その場所、その時間に意味があったのだ。単純そうに見える世界にも、それなりの調査、研究があるのだと思い知った。甘く見てはいけない。
 
ところで、見事に買わされた“京都の塩大福”は、3個パック、1個は赤色、2個は白色だ。色素に敏感な家人の癖に感染しているので、パック裏の原材料表示を確認したところ、「赤102」と明記してあった。
 
禁止すべきであるとの意見もある人工色素だ。隠さずに申告していることは評価できるが、京都の和生菓子のイメージが急に崩れ落ちた。更に、“京都 みやこ大福”と名札が付いているものの、販売者は滋賀県の業者となっている。製造者の表記は無い。
 
これで、昨日の衝動買いは、完全に手玉に取られた結果と見做さざるを得ない。売り子さんの身元確認のためにと貰っておいたチラシには、“食品添加物を多く含まない、安心して食べて頂ける商品のご紹介に努めております”などと美辞麗句が連ねられている。
 
その会社は、各地から見繕った商品を取り寄せて売り子さんたちに路上販売をさせている。その商品“京都の塩大福”の卸元も、“和菓子全般を販売する総合商社”だそうだ。
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オリムピック選手応援歌~異名同曲~走れ大地を

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先日、資料の山をかき回した時、「第二 私達の唱歌」が手に触れた。ほぼ3年前に取り上げた本だ(雪の空~犬も歩けば~陸奥の吹雪 2011/2/11())。“「起てよ若人」(末弘厳太郎/中山晋平)、「オリムピック選手応援歌」(齋藤龍/山田耕作)、「オリムピック応援歌」(堀内敬三)と、オリンピックの歌3曲が冒頭に連なる”と紹介した。
 
その1年3か月後、“ロサンゼルスオリンピック(第10回) 東京・大阪の朝日新聞は日本選手団の応援歌を公募した。当時17歳の少年斎藤龍の詩が当選し、山田耕筰が作曲を担当し「走れ大地を」の曲題がつけられた”と引用文を載せた(相澤巌夫~阪急電鉄~朝比奈隆 2012/5/1() )。“走れ!大地を 力のかぎり ~”の歌詞も載せた。
 
「オリムピック選手応援歌」と「走れ大地を」とは同一の歌だったが、その事を明記せず、“P.S. 雪の空~犬も歩けば~陸奥の吹雪”と表示するだけで済ませていた。今にして思えば、“「走れ大地を」の曲題がつけられた”筈なのに、何故「第二 私達の唱歌」では「オリムピック選手応援歌」として掲載されたのか疑問を呈してもよかった。
 
その答は、発売されたレコードの表題が“國際オリムピツク派遣選手應援歌(走れ大地を”と両方併記されたことにあるようだ。それにしても、「オリムピック選手応援歌」は、中途半端な略称のように思われる。固有名詞であるなら、長くとも正確に表記するのが望ましい。尤も、当時はそのような略称が通用していたのかも知れない。
 
どうでも好いようなことに拘ってしまったが、ひとつの歌が異なる表題で呼ばれると、同一であると気付かないことがあり、楽譜探索人としては大変に困るのだ。
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私達の唱歌~童謡から軍歌まで~愛唱歌

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昨日も取り上げた「第二 私達の唱歌」には、ヘンデルの「ラルゴ」(Ombra mai fù)や山田耕筰の「鐘が鳴ります」「かやの木山」など、今の感覚では“歌曲”の範疇に含めるような歌が少なからず収載されている。
 
思うに、“唱歌”の概念が当時は広かったのだ。我々は、“童謡・唱歌”と一括りにするように、“唱歌”と言うと、“小学唱歌”に代表される“学校唱歌”を思い浮かべる。“歌曲”と言えば“クラシック歌曲”を思う。
 
このように用語感覚が八十年前とは相当変わってきている。という訳で、本書には、童謡から、唱歌、歌曲、軍歌、寮歌、(外国の)国歌まで、幅広いジャンルの歌が収められている。
 
「沖の鷗に」が山田耕筰作曲となっているが、(日本)民謡ではないか(d-score では、“日本民謡 編曲 山田耕筰 と表記している”)。
 
「私達の唱歌」は「愛唱歌集」なのだ。
 
沖の鷗に 
 
 沖のに 
潮どききけば 
  ノウエ
 わたしゃ立つ鳥
 ヤツコラサノサ
 トコヤントコセイ
 波にきけ
 バイトコズイズイ
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近藤滋~チューリング波~リーゼガング現象

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某紙のべた褒め書評に釣られて図書館に予約し、かなり待って、近藤滋「波紋と螺旋とフィボナッチ: 数理の眼鏡でみえてくる生命の形の神秘」を途中まで読んだ。返却期限が迫ったので、後半は飛ばし読みだった。
 
正直なところ、評判ほどには面白くなかった。面白く読ませようとする著者の意気込みは痛いほど伝わるが、上滑りの感もあった。科学史上の逸話など散りばめられていて、決して退屈な本とは言えないが、当方の関心の的に当たらなかったようだ。
 
ただし、一つだけ特別に興味を惹く話題があった。「チューリング波」という聞き馴れない言葉に集約される。安直だが、ウィキペディアから関係記事を転載する:
 
2変数の連立偏微分方程式を考える。~~~このような形の方程式は一般に反応拡散方程式と呼ばれる。チューリングは1952年、2つの拡散係数が大きく異なり反応項~~が一定の条件を満たすとき、上記の方程式系で空間的パターンが自発的に生じることを証明した。このような自発的パターン形成は特定の波数の不安定化が原因であるがこの不安定性を拡散誘導不安定(もしくはチューリング不安定)と呼ぶ。
チューリングの関心はこの方程式系を用いて生物の形態形成を説明することにあったが、長らく生物学に影響を与えなかった。しかし1995年に近藤滋によってタテジマキンチャクダイの体表面の模様がチューリングパターンであることが実験的に確認されるなど、近年再評価されている。
 
当方が未だ化学者になる夢を抱いていたほぼ55年前、“リーゼガング現象”なるものに入れ込み、そのきれいな波紋発生に見惚れていたことを思い出したのだ。再度ウィキペディアから:
 
リーゼガング現象(リーゼガングげんしょう、Liesegang phenomenon)は、ゲル化した電解質溶液に、その電解質と混合すると沈殿を生じる別の電解質溶液を接触させると、ゲル中に沈殿が規則的な縞模様を描いて生成する現象である。
 
当時、何やら難しそうな数式の並んだ論文のコピーを先生から見せられたことを思い出す。勿論、高校生の手におえるものではない。ネット検索してみると、この現象の発生メカニズムは未解明らしい。チューリング理論で扱えるものではないようだ。
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変な日本語②~申請をお願い~難工事の立役者

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今日の日経朝刊の記事に引っ掛かりを感じた:
 
“鉄道運賃・料金の変更認可の申請をお願い致します”という口上を述べる人は、どういう立場にあると考えられるか。
 
申請をするように勧める趣旨だから、申請する立場の人とは考えられないと思うが、どうだろう。記事によれば、鉄道会社の役員が運輸局を訪れて申請書を提出した際の口上である。
 
つまり、認可を受ける立場の者が、認可をする立場の者に“認可の申請を”お願いしたというのだ。当方の言語感覚が狂っていないとすれば、“認可をお願い”するのが筋ではないか。
 
記者の作文ミスだろうか。それとも、今ではこのような言い方をするのだろうか。なんだか自信を無くしそうだ。
 
ご丁寧に、もう1件、引っ掛かりのある表現に出会ってしまった。短いエッセーの欄に“難工事の立役者”と表題が付されていた。
 
“○○の立役者”と言う場合、“立役者”は重要な働きをしたとか、中心となったとか、プラス評価のニュアンスがある。○○に入るのは、それに見合う成果、事業など、やはりプラスのイメージを伴うものではないだろうか。
 
“難工事”がそのような概念に当て嵌まるだろうか。工事に伴う難儀、困難が連想されて、マイナス・イメージが強いのではないだろうか。
 
尤も、“難工事”を、“立役者”と齟齬を生じないように解釈することは出来るかも知れない。“大変な困難を克服して完成させた工事”というように。“申請をお願いする”よりは、全うか。
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野行き山行き~九條武子~仏教讃美歌

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「国民歌謡 名曲集 1」(1941 日本楽譜出版社)所収31曲中30番目に次の歌がある:
 
野行き山行き     九條武子/瀬戸口藤吉
一                ニ
野行き山行きゆきくれて      久遠のちかひみちびきの
たどきもしらずさまよへる     光のまへにめざめては
旅びとあはれいづくまで      めぐみにすゝむ無碍のみち
まよへるおのがまなこもて     なやみのかげはあともなく
まよへるおのがあゆみもて     ただよろこびのこゝろより
さとりの岸にいたるべき       吾が合掌をさゝげまし
 
前後の曲は「日の丸行進曲」と「興亜奉公の歌」で、軍国主義真っ盛りの中だ。ネットで調べたところ、楽譜は「国民歌謡 第7輯 願ひ・野行き山行き」(1936)が初出らしい。
 
この歌詞、一行一行は(一の2行目を例外として)特段難しくはないが、全体の意味は意外に取りにくい。仏教讃美歌の一種だろうか。九條武子は仏門名家の生まれらしい。
 
さて、難解な“たどきもしらず”だが、“たどき”を辞書で検索したら、何のことは無い、“たつき”と同根あるいはその発音遷移らしい。要するに“どうしてよいか判らず”という意味だった。解ってしまえば、前後の文脈から類推できるではないかと、己の貧脳ぶりにがっかりする。
 
作曲の瀬戸口藤吉は戦前の海軍軍楽隊の指導者で、行進曲など多くの名曲を残した(そうだ)。先入観が有るかもしれないが、この曲も行進曲の趣がある。洒落た感じもある。詞・曲とも、あまり戦時色を感じさせない。前奏譜に(木魚の音)と指示が記されているから、瀬戸口は、やはり仏教歌として作曲したのだろう。
 
この「名曲集1」の出版が昭和16年7月20日と印刷されていて、瀬戸口はその111日後の11月8日に亡くなっている。
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グーグル検索控訴審~OK判決~裁判要改革

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報道される裁判の結果に意外な思いを抱くことが度々あり、半年ほど前にもブツブツ不平を洩らした(変な判決~鳥インフルエンザ~「アマゾン」がお届け? 2013/5/2() )。東京地裁の判決だった。この度その控訴審判決があり、次のように報じられた:
 
グーグル逆転…サジェスト機能巡る名誉毀損訴訟 読売新聞 115()2053分配信
 グーグルの検索サービスで、名前と犯罪を連想させる単語が一緒に表示されるため名誉を傷つけられたとして、日本人男性が米グーグル本社を相手取った訴訟の控訴審で、東京高裁(鈴木健太裁判長)は15日、同社に表示停止と30万円の賠償を命じた1審判決を取り消し、原告側の請求を棄却する判決を言い渡した。
 原告の代理人弁護士によると、昨年4月の1審・東京地裁判決は、同社による名誉毀損(きそん)とプライバシー侵害を認めたが、高裁判決は、「単語だけで男性の名誉が傷つけられたとは言えず、男性が被った不利益は、表示停止でサービス利用者が受ける不利益より大きくはない」などと判断したという。
 
この記事に引用された判決理由は味気なく、事の本質に触れていないように思われるが、予測検索に妙な言い掛かりを付けた訴えを斥けた結論には、拍手したい。
 
それにしても、担当裁判官たちの個人的思想・信条など個別の事情に大きく影響される不合理な裁判制度をいつまで守り続けるのだろう。尤も、完全無欠の理想的な代案を呈示せよと反撃されると、舌鋒が鈍るだろうなあ。
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メモリースケープ~音による想起~映画音楽

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小泉恭子「メモリースケープ 「あの頃」を呼び起こす音楽」(みすず書房 2013.10 本体価格\3000)を大急ぎで読んだ。表題は難しいが、副題は解り易い。要するに、音楽と記憶との関係を考察したものだ。
 
音楽そのものの記憶だけでなく、むしろ、音楽に伴って記憶や感情が想起される仕組みをテーマとしている。
 
我々凡人には実に単純に思われる現象だが、学者の手に掛ると、社会学、心理学、哲学などの学説が動員され、とてつもなく難解な理論展開となる。
 
著者のフィールドワークが紹介される部分は、当然に解り易く、興味深く読める。それを理論的に意味づけすると、抽象概念のオンパレードとなり、頭の中を通り過ぎてゆく。という訳で、面白かったお話を2,3記録しておこう:
 
“トムさんが~紹介した、札幌駐留の米兵に教えてもらったというフォークダンスの「コロブチカ」~”(第三章 音溝の記憶、p.142)。
 
「コロブチカ」がロシア歌曲(民謡?)の“カローブシカ”であることは今では公知だが、そうと判ったのは案外近年の事ではないかという気がする。「コロブチカ」と発音するのは、多分、ウクライナ系からアメリカのフォークダンス曲に取り込まれたからではないか。それはともかく、「コロブチカ」(行商人)の曲がアメリカからフォークダンス曲として日本に持ち込まれたと言われていることを実証するようなエピソードだ。
 
“記憶術とは~イメージを空間の秩序に符合させて演説や物語を諳んじようという試みだ。こうした記憶術と音楽は無縁ではない。~あるときには音楽が「自分の行きたいところへ行くための記憶装置」となっている例~映画音楽マニアの越前さんが、観た映画のほとんどのサウンドトラックを諳んじていた~レコードプレーヤーを持っていなかった~頃でも、越前さんは一度観ただけの映画の音楽をはっきり記憶していて、サークルのメンバーたちを驚かせた。しかも、彼の仲間も~次にいつ観られるかわからない映画を覚えておくため、音楽で映画を記憶することが当たり前だったという。これは、映画館という空間が、記憶術の劇場空間と同じく聴覚イメージを空間秩序に符合させるのに適していたからではないか。おそらくDVDで観ただけでは、越前さんとその仲間のような映画と音楽の記憶術は編み出せないだろう”。
 
ここに登場する越前さんとは、秋田県大館市で、映画サークル「絵夢人倶楽部」を主宰する越前貞久氏であることが別記されている。
 
歌を記憶に活用することは昔から盛んだが、映画館での映画鑑賞が長大な管弦楽曲の記憶を確かなものにするとは面白い。映像と音楽とが相互に記憶を強め合うという単純な現象でもないのかな。
 
共感覚で片付けられるものでもなさそうだし、必要に迫られれば、必死に記憶に努めるから効果が上がるという単純な話でもないようで。しかし、努力すればモーツァルト並みに、楽曲を1,2回聴いただけで暗記できるようになる、旨い話のようでもある。
 
歌をなかなか暗譜できない人種としては、やはり努力不足を反省すべきなのだろう。
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メモリースケープ~音による想起~映画音楽

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小泉恭子「メモリースケープ 「あの頃」を呼び起こす音楽」(みすず書房 2013.10 本体価格\3000)を大急ぎで読んだ。表題は難しいが、副題は解り易い。要するに、音楽と記憶との関係を考察したものだ。
 
音楽そのものの記憶だけでなく、むしろ、音楽に伴って記憶や感情が想起される仕組みをテーマとしている。
 
我々凡人には実に単純に思われる現象だが、学者の手に掛ると、社会学、心理学、哲学などの学説が動員され、とてつもなく難解な理論展開となる。
 
著者のフィールドワークが紹介される部分は、当然に解り易く、興味深く読める。それを理論的に意味づけすると、抽象概念のオンパレードとなり、頭の中を通り過ぎてゆく。という訳で、面白かったお話を2,3記録しておこう:
 
“トムさんが~紹介した、札幌駐留の米兵に教えてもらったというフォークダンスの「コロブチカ」~”(第三章 音溝の記憶、p.142)。
 
「コロブチカ」がロシア歌曲(民謡?)の“カローブシカ”であることは今では公知だが、そうと判ったのは案外近年の事ではないかという気がする。「コロブチカ」と発音するのは、多分、ウクライナ系からアメリカのフォークダンス曲に取り込まれたからではないか。それはともかく、「コロブチカ」(行商人)の曲がアメリカからフォークダンス曲として日本に持ち込まれたと言われていることを裏付けるようなエピソードだ。
 
“記憶術とは~イメージを空間の秩序に符合させて演説や物語を諳んじようという試みだ。こうした記憶術と音楽は無縁ではない。~あるときには音楽が「自分の行きたいところへ行くための記憶装置」となっている例~映画音楽マニアの越前さんが、観た映画のほとんどのサウンドトラックを諳んじていた~レコードプレーヤーを持っていなかった~頃でも、越前さんは一度観ただけの映画の音楽をはっきり記憶していて、サークルのメンバーたちを驚かせた。しかも、彼の仲間も~次にいつ観られるかわからない映画を覚えておくため、音楽で映画を記憶することが当たり前だったという。これは、映画館という空間が、記憶術の劇場空間と同じく聴覚イメージを空間秩序に符合させるのに適していたからではないか。おそらくDVDで観ただけでは、越前さんとその仲間のような映画と音楽の記憶術は編み出せないだろう”。
 
ここに登場する越前さんとは、秋田県大館市で、映画サークル「絵夢人倶楽部」を主宰する越前貞久氏であることが別記されている。
 
歌を記憶に活用することは昔から盛んだが、映画館での映画鑑賞が長大な管弦楽曲の記憶を確かなものにするとは面白い。映像と音楽とが相互に記憶を強め合うという単純な現象でもないのかな。
 
共感覚で片付けられるものでもなさそうだし、必要に迫られれば、必死に記憶に努めるから効果が上がるという単純な話でもないようで。しかし、努力すればモーツァルト並みに、楽曲を1,2回聴いただけで暗記できるようになる、旨い話のようでもある。
 
歌をなかなか暗譜できない人種としては、やはり努力不足を反省すべきなのだろう。
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メモリースケープ②~うたごえバス~フォーク酒場

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昨日の小泉恭子「メモリースケープ「あの頃」を呼び起こす音楽」について感想を述べるのに、“うたごえ”と“懐メロ”を無視しては片手落ちになる。本書の商品としての内容紹介が、そもそも次の通りだ:
 
“本書は、うたごえバス、フォーク酒場、コミュニティ・ラジオ、映画音楽サークルを訪ね歩き、人生の実りの時を迎えた「ふつうの中高年」への質的調査を通じ、聴覚の個人史と文化的記憶が交わる
想起のかたちを明らかにしたフィールドワークである。”
 
目次で見ると(抄):
 
“ I消費と再構築――ノスタルジア市場と文化的記憶
第一章走る走馬灯――うたごえバス
1
走るうたごえ――歌で振り返る昭和の東京
2
「なつメロ」なのに「うたごえ」の不思議
3
サウンドスケープ・記憶・メディア
第二章「あの頃」という名の駅――フォーク酒場
1
九州四都物語前編
2
九州四都物語後編
3
思い出ゆきの旅行案内書(ガイドブック)にまかせ
4
想い出装置としてのフォーク

  第II想起と多声性――身体の記憶、習慣の記憶
第三章音溝の記憶――コミュニティ・ラジオで第二の人生
1
レコード片手に地域デビュー
2
男四人集まれば――生涯最良のサタデーナイト
3
貝塚から松原へ――インターネット・ラジオでの挑戦
第四章耳で聴く映画――彼らはいかにしてサントラを愛するようになったか
前編:「サントラ」というささやかなサークルの栄華と衰退
音楽とメモリースケープ
1
ノスタルジア市場と老い
 
単に“うたごえ”と言えば、労働組合系の運動を指すことが多いらしい。恐らく、その流れから派生したが、政治色、思想色を薄めて、歌そのものを楽しむことに重点を置いたのが“歌声喫茶”なのだろう。当管理人も半世紀以上前に1,2回出入りした。いつもシラケ気分の人種だったためか、雰囲気に馴染めず、深入りすることは無かった。
 
運動も喫茶もその後下火になったようだ。社会の原動力が政治から経済に移って、労働運動が弱体化したこと、通俗歌の主流も歌謡曲からポピュラー系に移ったことと軌を一にしていると思われる。
 
ところが、歌声喫茶に通った世代が年金生活に入る頃から復活の動きがみられ、全国に広がったらしい。月1回定期的に開くとか、歌唱指導チームが“うたごえ”を出前するとか、多様な形式で行われているらしい。喫茶とは限らず、バー、酒場のこともあるようだ。
 
もっと若い世代は、フォーク酒場、ロック酒場に群れるらしい。これらは、ステージで演奏することを目的に腕自慢が集まる。客全員が一つの歌を斉唱する“うたごえ”とは異質だ。
 
いずれにしても、同好の士(男女)が集団で昔の歌を楽しむ現象だ。独りで歌ったり、弾いたりする楽しみ方は本書の考察するところではない。集団性に着目して、懐メロを“パーソナル、コミューニティ、スタンダード”(だったかな?)に三分する著者独特の切り口も面白い。
 
“うたごえバス”なる都内観光バスが運行されていることは知らなかった。もう5年ほど前に始まったらしい。初めは何かの記念で単発企画だったが、希望者が殺到したので、未だに続けており、リピーターもいらっしゃったりして、レギュラー商品となっているとか。昔のガイドさんが動員され、これがまた人気なのだそうだ。歌が古いだけでなく、皆で歌う舞台づくりも大切という訳だ。
 
フォーク酒場の方は、20,30代など若いグループとの接点を設ける店もあるという。こうなれば、気心の知れた内輪だけのネクラ的イメージが無い。懐メロが次の世代に歌い継がれて、生きた文化遺産として定着する可能性が期待できる。
 
忘却の彼方に埋もれた古い歌を発掘して紹介する我らが企画にも同じような道が開けないものか。(著作権法の硬直した運用が重大な障碍の一つだ。)
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原発ゼロ~五輪返上~ベストミックス

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“「原発ゼロ」なら五輪返上しかない…森元首相  読売新聞 118()1834分配信
 2020年東京五輪・パラリンピックの大会組織委員会の会長に就任する森元首相は、18日のテレビ東京の番組で、小泉元首相が訴えている「原発即時ゼロ」について、「6年先の五輪のためにはもっと電気が必要だ。今から(原発)ゼロなら、五輪を返上するしかなくなる。世界に対して迷惑をかける」と批判した。”
 
さすがキングメーカーと称えられた人だ、良いことを言う。“五輪を開催しなければ電力の不足も無い”つまり“五輪を開催するから電力の不足が生ずる”と告白しているようなものだから。
 
原発ゼロで五輪返上”が国民にとってベストの選択だと解っているみたいだ。五輪組織委員会の会長が「原発を廃止して電力が不足しますので、五輪は開催できなくなりました。」とIOCに電報を打つだけで済む。
 
東京と張り合っていた開催候補地の皆さんからも喜ばれる。喜ばないのは、国内の土建業界か。旅行観光業界も少しがっかりするだろう。競技に参加できそうな人たちには喜ばれるかもしれない。海外遠征できる訳だから。
 
長い目で見れば、地球環境の保全を優先した賢明な選択として歴史の続く限り、英断と称えられ、感謝されるだろう。
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音楽ホールデビュー~自画自讃~地味の評

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昨日、当「愛唱会」は、音楽ホールデビューを果たした。と言っても、五十八分の一(1/58)の出演だが。(参加58団体、各7分以内)
 
平成25年度文京区合唱のつどい
 区内で活動する合唱サークルの皆さんが、日頃の練習の成果を発表します。どうぞご来場ください。
開催日:  平成26119日(日曜日) 
時間:  午前10時開場午前1030分開演(午後8時終演予定)
場所:  文京シビックホール大ホール(文京シビックセンター1階)
入場料:   無料(当日、直接会場へお越しください)
 
参加9名(歌8、ピアノ1)の予定で、10時までに集合と打ち合わせておいた。当方は幹事役なので少し早めにと思って9時半ごろ、地下鉄駅から直結の会場行のエレベータに乗り込もうとしたところで、先着のメンバーから督促の電話を頂戴した。
 
既に3名が会場前に集まっていた。特別遠方のメンバーは、さすがにそうも行かず、開演直前の到着だった。また、一人のメンバーが急な事情で不参加となった。
 
  高田三郎「啄木短歌集」(三部合唱版)から4曲:
            I やわらかに、II  頬につとう、V 不来方の、VIII  あめつちに
 
演奏の出来は、自画自讃に値するものだった。主催者側で録音してくれたCDを聴いても、なかなかのものだ。指揮者無しなので、タイミングが合わないことを恐れていたのだが、皆さん阿吽の呼吸を心得ているようだ。ピアノも歌い手によく合わせて弾いてくれた。
 
反省点が無い訳ではない。練習回数の少なさもあり、覚悟の上とは言え、合唱としての完成度はイマイチであった。ステージマナーに属することだが、終演後の“お辞儀”の不揃いが目立ったようだ。これは、事前の打ち合わせ不足で、当幹事役の責任だ。
 
曲が地味過ぎるとのコメントがあった。これは想定の範囲内。浮け狙いで流行の曲を選んだり、派手なパフォーマンスを取り入れたりするのも悪くはないが、慣れないことに手を出して失敗する危険を避けた。身の程をわきまえて、といったところだ。
 
蛇足:出演者が控え席に置いている持ち物を狙う不審者が徘徊しているようだとの情報が有った。真相は如何。
 
この後は、地域の集会施設でのイヴェントが3月に2件控えている。粗製乱造に陥らないよう、気を付けよう。
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唱歌「富士の山」~外国人も仰ぐ~F・フォン・リヒトホーフェン

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半年ほど前に国民学校唱歌「富士の山」を話題にした(文部省唱歌「富士山」~神格化~国民学校唱歌「富士の山」2013/6/6() )。その際、歌詞を部分的に表示したが、改めて全詞掲載すれば次の通り:
 
“一、大昔から 雲の 上、
雪を いただく 富士の 山。 
いく千まんの 國みんの 
心 きよめた 神の 山。 
二、今、日本に たづね来る 
よその 國人 あふぐ 山。 
いくまん年の のちまでも、
世界 だい一、神の山。”
 
二番の“よその 國人 あふぐ 山”とは、大東亜共栄圏に覇を唱えようという気持ちの表れだろうと思った。つまり、植民地や支配的経済圏の人々にも富士山を仰ぎ見させて盟主ぶるつもりだろうと。
 
実際のところ、外国にも富士山に劣らず美しい、あるいは神々しい山はあり、山容も富士山にそっくりのものもあるので、世界第一などと威張るのは、井の中の蛙というものだ。
 
序列意識を振り回さずとも、美しいものは美しい。富士山も確かに美しいし、立派に見える。外国人が見ても、感心し、賞め讃えて不思議は無い。今朝の日経新聞にその頼もしい一例が紹介されていた:
 
“(横浜から西への旅の途中)朝、目を覚ますと、富士山が眼前にあった。とても清潔で、澄んでいて堂々とした崇高さがあった。”(フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン)
 
上村直己氏の「独科学者の幕末明治紀行」と題して、19世紀ドイツの地質・地理学者・探検家リヒトホーフェンの日本滞在記のことなどを書かれたエッセーの一部である。
 
リヒトホーフェンは、当代一流の人士で、“絹の道”の呼称を用いた最初の人だそうだ(Seidenstraße → silk road → 絹の道)。
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旧蔵本~蔵書印~作曲者自身

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古い歌の楽譜を手に入れるには、公的な図書館などを利用することもあり、古い刊行物を買う場合もある。後者は主に古書即売展を渉猟したり、古書目録から注文したりする。
 
“野行き山行き~九條武子~仏教讃美歌 2014/1/15()”でネタ元とした「国民歌謡 名曲集 1」は、偶々古書展で見付けたものだ。どんな曲が収録されているかに主たる関心があるのだが、時には思いがけない“発見”もある。
 
今回の名曲集は、1,2の2冊を入手し、どちらにも個人の蔵書印が明瞭に残っていた。だから当管理人が迷う事無く買える程の安値が付いていたとも言える。
 
旧所蔵者の氏名には関心も無かったのだが、後日、ふと気になり、調べてみた。その人物は相当に知られた作曲家であると判明した。
 
同姓同名の別人物である可能性は否定できないが、状況証拠により、某作曲家であると断定した。彼は二十数年前に没しているので、今回その旧蔵本が古書業者の手に渡ったのは、遺族が遺品を整理したなどの事情が考えられる。宝の山の“うぶ荷”に巡り会いたかった。
 
その作曲家の名前は知らなかったが、その手になるヒット曲は我が愛唱歌中にも幾つかある。昨1月21日が彼の誕生日だった。考えて見れば、好きで歌っていても、作詞・作曲者名を覚えている曲は多くない。
 
ところで、昔、湿式複写という方式のコピーが普通だった時代があった。青焼きとも言った。今どきのコピー機は乾式ということになる。コストの違いで、湿式を使うよう指導されたものだ。
 
ある時、湿式複写の手書き楽譜を買ってパラパラめくっていて、その曲の作曲者自身の書き込みのあることに気が付いた。出版もされている有名な作品なので、その前の段階、ひょっとして初演時の楽譜かも知れない。
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富士登山演奏~帝国音楽会~戸山学校音楽隊

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一昨日、「富士の山」を書いた。もう一つ、富士絡みで古い話:
 
“音楽家の富士登山
 
幼児でも、障害者でも富士に登る。音楽家の登山も不思議ではないが、高山音楽の研究という破天荒の企てがあった。
 
帝国音楽会と陸軍戸山学校音楽隊の有志、加えて五十余名の野次馬の一行が、銀座4丁目松本楽器店を先達として7月24日東京を発ち、25日には富士の7,8合目に分宿し、26日に山頂に達して音楽会を開いた。
 
戸山隊は、日頃の訓練もあり、軍楽長永井建子君の指揮の下、ワグネルの「歌匠の長」、ヴァッテールの「瞑想」2曲を奏し、更に富岳も揺るげよばかり群衆「君ヶ代」を唱和し、無事に演了した。
 
気の毒なのは帝国音楽会の一行で、空しく楽器を抱いて茫然としていた。かく言う記者も7合目から上は命から〴乾板の百枚も潰す意気込みであったものが、お鉢回りも抜きにして逃げて帰った。
 
一片の好奇心を満足させるには余りに代価が高すぎる。永井君曰く『先づ申訳は済んだが、ドーセ本物ぢゃありません。第一息が続かぬから、長いものは絶対に駄目です。』(愚樂子)”
 
明治42年ごろの写真雑誌「グラヒック」(1巻15号)に載っていた話題。奇抜な企てを茶化し気味に紹介している。
 
山頂での演奏写真の説明では、“睡眠不足、激動過労、加うるに粗悪の食物に苦しめられたる戸山学校音楽隊の有志は~空前なる山頂音楽の実験を試みた。コリャ乞食の楽隊みたやうだなんどゝ・・・・誰ぢゃ失敬な!”と、とどめを刺す。
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さくらの会~梅雨の晴れ間~音取り

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雪が積み増しになった北国の「さくらの会」練習例会に参加した。日曜日の某行事への出演が終わって、今回から新ラウンドの開始だ。
 
この先半年ないし1年掛けてレパートリーに取り込む予定の幾つかの合唱曲のうち、先ず、北原白秋/多田武彦「梅雨の晴れ間」(混声4部)の音取りをした。
 
苦労しながらも、一応各パートで通しの試演にまで漕ぎ着けた。春ごろまでに完成できればと皮算用している。ほかの曲にも順次取り掛からなければならない。お口直しとして、国民学校唱歌「ひな祭」ほか1曲を歌った。
 
気温が急上昇しており、23時現在、7.9度で、本日の最高を記録している(最低は朝のマイナス3.9度)。東京は6.3度。
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横浜開港五十年記念市歌~文豪森鷗外クン~継承百年余

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写真雑誌「グラヒック」から、もう1件、横浜開港五十年記念市歌の記事を紹介しよう(1巻12号、明治42年)。縦型B4の1ページの上半に祝賀会正副委員長4氏の写真と次のような記事:
 
“横浜開港五十年祝賀会 
安政6年横浜村を開きて内外の互市場となしてより以来已に半世紀を経たり時間に於いて我開国以来の年数に較ぶれば真に一瞬の間に過ぎずと雖も国勢の推移時世変転の甚だしき実に史料内容の豊富なる事過去三千年の歴史を覆ふべきものあり今明治42年7月1日を以って横浜市が開港50年を記念すべく盛んなる視祭を挙行するに至りしもの頗る事宜に適したり。~
 
此の如くして此の港発達の第一期は満足に視さるゝ事を得たり吾人は之を以って将来百年記念祭の行はるゝ時代、帝国の隆盛横浜港の繁栄が更に大に世界の耳目を聳動すべきものあるを疑はざるなり。”
 
ページの下半に横浜開港五十年記念市歌の楽譜と簡単な説明および歌詞が掲載されている:
 
“作歌は文豪森鷗外氏作曲は東京音楽学校教師南能衛氏にして記念祭当日全市小学児童をして唱歌せしむる筈なりと
 
わが日の本は島国よ
朝日輝ふ海に
連り峙つ島々なれば
あらゆる国より舟こそ通へ
 
されば港の数多かれど
此横浜に優るあらめや
むかい思へば苫屋の烟
ちらりほらりと立てりし處
 
今は百舟百千舟
泊る處ぞ見よや
果なく栄えて行くらん御代を
飾る宝も入り来る港”
 
肖像写真のキャプションは“横浜市歌の作者森鷗外君 Mr. Ogai Mori, composer of the song”となっている。文豪でもクン呼ばわりされている。当時のクンは、今より重みが有ったようだ。
 
“市歌の曲譜”としていわゆる数字譜を載せている。ト調2/4で前奏8小節、そのまま第1連、4/4で第2連、元(第1連の譜)に戻って第3連と、凝っている。
 
数字譜は解りにくいので、横浜市のHPで五線譜を見ると、変ホ長調(3♭)に下げられている。最高音がドなので、原譜のミより、かなり歌い易い。しかし、古風な歌詞はそのまま受け継いでいる。漢字や仮名は現代風に修正している。今でも小学生に歌わせているそうだ。
 
記事中、50年後の百年祭に言及しているが、開港百年祭(1958年)は勿論、百五十年祭(2009年)も既に過ぎている。
 
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日本よい国~松原操~奥田良三

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“日本よい国”なんて言葉が最近流行ったような気がするが、記憶がぼやけていて思い出せない。
 
それこそ最近話題にした「国民歌謡 名曲集 1」(昭和16年)に、「日本よい国」が収録されている。それも、2曲、同名異曲が12番(作詞・作曲:中央教化団体連合会、小田進吾編曲),13番(今中楓渓作詞、服部良一作曲)と仲よく並んでいる。
 
12 “日本よい国 東の空に  昇る朝日は 日の御旗々々 
    大和心を 一つに染めて  いつもほのほの 夜があける ~”
 
13 “日本よい国み神の国よ  何を荒波いはほは不動  どんとうつ波さつとうち返す
意気だ豪気だ久遠の国だ  こゝに日が照る月も照る ~”
 
どちらも聞いたことの無い歌だが、検索してみると、13番の方は国民歌謡最初期の歌で、奥田良三が歌ったと言及されている。多分12番もほぼ同じ頃に放送されたものだろう。松原操の吹き込んだレコード音源がネットで聴ける。奥田の音源はヒットしなかった。
 
加えて第3の「日本よい国」があるらしいことも判った。井口小夜子/キング管絃楽団の演奏で、大日本雄辮會講談社の発売したレコードの記録が見付かった。作詞は川路柳虹、作曲は佐藤長助となっている。発売の時期などは不明。
 
愛国心を振りかざす動きと「日本よい国」とは相性がよいのか?
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歌の力~兼常清佐~大人の責任

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手許に、兼常清佐「音楽の話と唱歌集(上級用)」(小学生全集第67巻、文芸春秋社・興文社 昭和2年10月)という本がある。小学5,6年生用の家庭学習教材だろう。
 
高が小学生用と見くびっていたが、唱歌集の部を覗いてみてオヤと思った。初めの方こそ、越天楽、子守歌、荒城の月など、唱歌そのものだが、やがて、サンタルチア、菩提樹が登場し、最後はベートーヴェンのロマンツェ(作品50)と月光の曲である。
 
最後の2曲は、勿論、唱歌ではなく、(目次と本文では「楽曲集」となっている)、しかも、楽譜が全篇そっくり載っている。これが(一般の)小学生用の教材かと、恐れをなすとともに、興味が湧いた。
 
スコットランド民謡「小川の岸辺」と「サンタ・ルチア」の間にド・リール作「マルセーユの歌」というのが挟み込まれており、メロディーを辿ると現今のフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」であることが解るが、歌詞が付されていない。解説を読んで些かならず驚いた。
 
兼常先生曰く“私はこの歌の文句は載せない。もともと、この歌は軍歌である。~諸君に軍歌などを唄って貰ひたくない。戦争は私の一番嫌ひなものである。もし諸君の中に、戦争が好きで、人殺しが好きで、喧嘩が好きな人がゐるならば、やはり誰かその様な人に頼んで、殺伐な文句をつけてもらったらよからう。私は軍歌は断然おことわりである。
 
諸君はこの曲を遊戯なり、体操なりの行進曲に使ふがいゝ。その目的には、この曲は実によく適してゐる、もし諸君がこの曲全体が弾けないなら、右手のメロディだけを弾けばよろしい。誠に面白い、愉快な、いくら押しつけても、はね返す様な力のあるふしである。”
 
つまり、名曲ではあるが、軍歌としての歌詞は拒絶するという訳だ。
 
いわゆる戦前の、大日本帝国の軍部が勢威を振るう時代に、このような明確な反戦主義を主張するとは、只者ではない。左翼など、反体制派の人が、その陣営の出版物に書くなら不思議は無い。しかし、この本は“文芸春秋社”の“小学生全集”中の一冊だ。
 
大正時代が終わって1年足らずで、まだ大正デモクラシーの余韻が残っていたのだろうか。国家総動員法が成立するのは10年以上後だ。
 
兼常先生は「楽曲解説」に先立つ本文(西洋音楽の話 歌の話 民謡)においても「マルセーユの歌」を持ち出している。
 
“~音楽の力、―――といふよりは、むしろ、美しいメロディの力がどれほど、力強いものか、~それはフランスの有名な歌「マルセーユの歌」の話である。~「鉄道唱歌」の様なくだらない、平凡なふしではない。
 
~青年技師のルージェ・ド・リールは「ライン河畔の軍歌」といふのを作った。~一夜カフェーで、それを唄はせてみた。さうすると、そこにゐたもの共は全く驚嘆した。ふしが如何にも面白くて、愉快で、元気に満ち々々ている。
 
~たちまちの間に、ルージェの歌は~どんどん広まっていった。そのうちでも、マルセーユの軍隊が盛にそれを唄った。~この歌を唄ふ人々が我も々々と集まって来て、非常な勢でパリに進軍した。それで、さすがのプロシャ軍も、とうとう、パリを明け渡さなければならなくなった。
 
~この歌のために人の心が強くなり、~この歌の下に一致団結して~大きな力になった事は疑ひない、~いい民謡のふしが、人の心の底に触れると、それから湧き上がる感情は、社会の上に、どんな形になって現はれるか計り知られない。~
 
諸君!~私は民謡について話をするのに、フランス革命といふ様な戦争の話を、なるべくならば、持ち出したくなかった。私は戦争は非常に嫌ひである。~併し、何といっても、「マルセーユの歌」は、民謡の力を十分に発揮した非常にいい例である。~
 
諸君はまだ若い。諸君の心はまだ純である。諸君は今は物に感じやすいときである。そして民謡は諸君が何の用意もなしに、忽ち覚えてしまふ事の出来るものである。~そしてその勢力は、実に「マルセーユの歌」の実例が明かに私共に示したほど、大きなものである。
 
諸君にどんな民謡を与へたらいいか、といふ事は、実に容易ならぬ大きな問題である。音楽の事のわかる諸君の先生がたや、諸君のお父さんやお母さんは、必ず諸君のために、その事をよく考へて見て下さるであらう。”
 
兼常先生は、「マルセーユの歌」を民謡の一つと見做して論を進めているが、その趣旨は、いわゆる民謡に限らず、歌一般について当てはまるものだろう。
 
また、“先生がたや、諸君のお父さんやお母さんは、必ず諸君のために、その事をよく考へて見て下さるであらう”の結語は、大人に対する要望だろう。その御要望に応えられなかった結果は歴史の示すところだ。今の世の中にも打ち鳴らしたい警鐘ではないか。
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兼常清佐②~猫ピアノ~ハレルヤ起立

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昨日の投稿に取り上げた兼常清佐氏については全く存じ上げなかったので、ネット検索したところ、やはり、それなりのお方であることが判った。青空文庫によると次の通り:
 
“生没:1885-11-221957-04-25。音楽学者、音楽評論家。京都帝国大学文学部心理学科を卒業。同大学院で、日本の古典音楽を研究するかたわら、音楽心理学を学ぶ。民謡採譜にも取り組む。1915(大正4)年、東京音楽学校ピアノ科に入学。1922(大正11)年から2年間、ドイツに留学。
 
最も愛する楽器というピアノに関し、自らが行った音響実験の結果をもとに、「パデレウスキーが叩いても、猫が上を歩いても、同じ鍵盤からは同じ音しか出ない。」と、タッチの技巧の存在を否定。演奏家の名人芸に対する、情緒的で過度な称揚に異を唱えた。”
 
兼常清佐の名は知らなかったが、「パデレウスキーが叩いても、猫が上を歩いても、同じ鍵盤からは同じ音しか出ない」という説は聞き覚えがあった。「音楽界の迷信」(「中央公論」1935(昭和10)年1月号)で開陳したのだそうだ。
 
「音楽の話と唱歌集(上級用)」からも有用な知識を得られた。当管理人は、音楽に関しては、小学上級生相当のレベルのようだ。
 
「音楽家の話」の項で個別に取り上げる最初の大作曲家は、ヘンデルである。彼の作品の
 
“一番世俗的に有名なものは、宗教音楽の「メシアス」である。その中の「ハレルヤの大合唱」は~ヘンデルが死る八日前に、ロンドンで演奏された。その時の皇帝、ジョーヂ二世は、そのハレルヤの合唱の所になると、起立してそれを聞かれたとの事である。それが例になってイギリスやアメリカでは、今でもハレルヤの曲は起立して聞く様である。ハレルヤの合唱ならば、起立して聞かされてもさう恥かしくないであらう。”
 
ハレルヤを起立して聞く慣例など無いというのが最近の定説である(異論もある)。兼常先生は、何に基づいて起立説を紹介したのだろう。
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