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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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中江 早希~氷見 健一郎~厳しき時代よ、もう二度と来ないで

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暫くぶりに副都心のランチタイムコンサートに行って来た。珍しく空席があり、落ち着いて聴く事が出来た。雑踏、騒音はいつもの通り。転がしていたスーツケースを倒して大音響をたてた無粋なご婦人がいた。
 
ロビーコンサートだからある程度の騒音は受忍しなければならないが、通り掛かった時には、鑑賞している人たちへの心遣いが欲しい。そのような精神的な余裕は未だ期待できないかな。

337回 宗教音楽の調べ ~クリスマスの足音~
中江早希(ソプラノ)/氷見健一郎(バス)/直江香世子(ピアノ)
 
Aプログラム12:05
 
私の友は私のもの [二重唱]J.S.バッハ カンタータ「目覚めよと呼ぶ声が聞え」から
雪の降る町を [氷見]内村直也/中田喜直 
素敵な春に [中江]峯陽/小林秀雄
ああイエス、私の安らぎよ~来てください、私のイエスよ、元気づけてください [二重唱]
 J.S.バッハ カンタータ「わがうちに憂いは満ちぬ」から
厳しき時代よ、もう二度と来ないで [二重唱]S.フォスター
 
Bプログラム12:35
 
慈悲深き イエスよ [中江] G.フォーレ「レクイエム」から
優しき妻よ、おまえの傍では [二重唱] F.J.ハイドン「天地創造」から
クリスマスメドレー [二重唱] 直江香世子 編曲
 
馴染みの無い宗教曲ばかりだったが、中江、氷見ご両人の美声を心地よく聴き、十分に満足した。中江は、言わば完成されたソプラノで、今日のプログラムなどでは些か軽すぎたような印象だ。氷見は、実によい声を持っており、高域でやや余裕の無さを感じさせたが、これから伸びるのではないか。
 
フォスターの「厳しき時代よ、もう二度と来ないで」は、勿論初めて聴いたのだが、気に入った。楽譜を入手して早々に歌ってみたい。説明では“戦争など、もう起こさないで”という願望が込められているように聞こえたが、検索したところでは、必ずしも反戦歌ではないようだ。むしろ、フォスター自身が経験したような生活苦から逃れたいとの気持ちを歌ったものではないのかなあ。
 
クリスマスメドレーは、ピアノを弾いた直江の編曲だそうだが、高等過ぎて難解だった。プロでなければ歌えないと思われた。全部英語で、うち1曲は彼らのリードで聴衆も手拍子の参加となったものの、曲名も判らずじまい。
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五千万円~弁明の要否~辞任反対

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一昨日の投稿“北朝鮮情勢~国会議員・猪木氏~交渉ごと”では、“情勢”と書きながら情勢を述べてはいないので、羊頭狗肉の謗りを受ければ弁明は難しい。
 
上手に“弁明”している都知事を思い出す。
 
彼の五千万円借用問題が報じられた時、殆ど総ての一般市民は、何らかの便宜供与又はその約束に対する報酬であると思ったに違いない。その後の追跡報道で、その印象は強まるばかりだ。
 
捜査当局が関心を持って見守っているか、いわゆる内偵を始めているか、とにかく彼がこの難局を無傷で切り抜けられるとは想像し難い。新聞記事ぐらいでしか事態の推移を掴めない情報弱者の素朴な疑問を挙げておこう。
 
 五千万円は政治資金ではなく、個人的に或いは私生活に必要なものだったとの弁明だが、その使途は明らかにされたのだろうか。実際に使われたのだろうか。
 
 五千万円を返却したそうだが、借りたまま手付かずだった現金をそのまま返したのだろうか。だとすれば、資金の必要性はどうなったのか。急遽調達したのだとすれば、その資金源は何か。別の人から借りたのか。それとも金融機関からか。
 
 疚しくない五千万円であるなら、返す必要も無いのに、何故(慌てて)返したのか。また、疚しくないなら、給与の返上などを言い出す必要も無い。
 
 そもそも、五千万円という額は、都知事ともあろう者が危険を冒しても収受したい程のものだろうか。この種の事件の金額としては些か小粒のような印象だ。器の小ささに見合っているということか。それとも、これは、いわゆる氷山の一角なのか。
 
このような人物を知事に戴いている都庁職員や(当管理人を含む)都民は実に情けなく思っているだろう。お気の毒と言おうか、人を見る目が無かったと言おうか、、、。
 
ところで、都知事の辞任を促す雰囲気が出来つつあるようだが、彼には頑張って貰いたい。五千万円は疚しいものではないとの信念を貫き通して貰いたい。
 
五輪開催に悪い影響があるとの周囲の声に対しては、実務能力を大いに発揮することで不安を払拭できるはずだ。
 
そもそも、五輪など、所詮は遊び事なのだ。精々、景気浮揚効果を期待されているだけなのだから、政治家の節を曲げてはならない。彼が頑張れば、五輪開催の返上と相成るかもしれない。その方がすっきりするとも言える。誘致は彼の功績と言われているらしいから。
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五千万円②~自画自賛~犠牲的辞任理由

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朝刊を見て驚いた。予想外の急展開だ。恐らく、検察当局の捜査方針が密かに伝えられての辞任決意と思われる。
 
都政の発展のために尽くしてきたとか、五輪を誘致する成果を上げたとか、自画自賛のあげく、辞任理由は、都政の停滞を避ける為だと強弁している。公益の為に自分を犠牲にしたような口振りで、実に恩ぎせがましい。
 
繰り返しだが、疚しいことが無いなら、辞任しなくてもよい。徹底的に戦えばよいのだ。実は疚しいから辞めるのだろうが、潔くない。
 
五輪と心中して欲しかった当管理人としては拍子抜けだが、本人が責任を取ったからと捜査が萎むことの無いよう見守らなければならない。勘ぐれば、そのような落とし所が既に合意されている(取引ができている)かも知れない。
 
それにしても、知事の後釜として挙がっている連中の名簿の何と貧弱なことか。もっと立派な人がいくらでも居るだろうに。尤も、急なことだから、駄馬の先走りの後に本命が出てくることを期待しよう。
 
今日は拡大愛唱会の練習を本格的に開始した。人数が揃うと、こんなにも厚みが増して、立派に聞こえるのかと感心した。これこそ自画自賛(自歌自賛!)と笑われそうだな。録音を聴いてみると、いろいろ反省点のあることが判る。次回に修正できることを祈る。
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五千万円③~残る3つの謎~現金札束授受

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某ウェブサイトに好奇心をそそる見出しがあった。読もうと思ってクリックすると、
 
5000万円、真実は 猪瀬さんに残る3つの謎 201311280546分    謎1 どちらが持ちかけた? 続きを読む(会員の方)
 
という訳で、会員ではないので、残る二つの謎はお預けを食った。
 
そこで、情報弱者なりの謎を一つ挙げよう。
 
“謎2 何故、現金なのか?”
 
資金の移動に電子システムを使うことが普及して久しい。昔は電子送金などとも呼んでいたように記憶する。今は、振り替え、振り込みなど、金融機関のシステムを利用するのが普通だろう。
 
五千万円もの大金を持ち歩くのは尋常ではないと思う。敢えて現金を持ち運ぶとすれば、金銭授受の事実を秘匿する必要があるからかと考えられる(書くまでも無いような、、、)。疚しくなければ、現金持ち運びの危険を冒してまで秘匿する理由は無い(これも、書くまでも無いか)。
 
猪瀬氏にこのような愚直な質問が投げ掛けられてはいないのだろうか。
 
街中で風流な工作物を見掛けると、記憶遺産として残して置きたい欲求が湧く(記事無関係):
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老人施設クリスマス・コンサート~満員バス阿鼻叫喚~終夜バス

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介護老人保健施設で昼過ぎからリハーサルを約1時間の後、午後1時半ごろから本番に突入した。演奏側は歌手15名、弦楽器4名、ピアニスト、指揮者(ソロ兼)に対し、聴衆は約40名だから、マーマー釣り合いは取れている方だろう。
 
男声は3名(T2、Bs1)だが、経緯があって、讃美歌「荒野の果てに」はT1で歌うことになり、全体に埋没しないよう頑張るとすると、“Gloria in excelsis deo”のメリスマ唱の部分で大変苦しい思いをする。
 
一息で4小節をカバーする区間が2連続するから、素人には些かきつい。見栄っ張りの老テノールは、死ぬ思いで声を出し続けた。技術が無く、体力も衰える一方なのだから、こんな無理な歌い方は、もう止めるべきだろう。不測の事態もあり得ることだし。
 
今日訪問した施設では、いわゆる外国人スタッフがキビキビと働いていた。お年寄りに付き添って歌のお手伝いまでやっていた。英語版“Jingle Bells”は暗記しているようで、ご自分も楽しんでいた。フィリピン、マレーシヤあたりの御出身か、日本語もマスターできた成功例だ。
 
訪問コンサートの後は、バスを乗り継いで雑用を片付けに、あちこちを回った。土曜日ということで運転本数を減らしているのか、まるで通勤電車のような混みようだった。
 
大変なのはベビーカーが偶然に集中した時だ。運転手は無感情な声で“中ほどへお進み下さい”と繰り返すが、乗客の詰め込まれたバスの通路を複数のベビーカーが移動するとなると、上を下への大騒ぎだ。
 
当然、幼児たちは泣きわめく。若い夫婦が喧嘩口調でお互いに指示し合う。乗客たちもいたたまれなくなり、なんとか場所を譲り合って難局を切り抜けようと協力し合う。
 
都バスが、繁華街を結ぶ終夜運行を始めると報じられている。例の五千万円知事の号令一下、試行に至ったとか。深夜(終夜)バスの運行にどんな大義があるのだろう。エネルギー消費を抑えようと、夜の照明を消したり、深夜のTV番組を自粛したりしたのは何だったのだろう。
 
東京を不夜城にして世界中の大都市と競う必要があるのだろうか。そんなことより、市民の日常生活を便利にすることの方が重要な政治課題だと思うが、異端視されそうだな。
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築地利三郎~井上頼豊~池本純子 

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北国でコーラス趣味を始めて半年ほど経った頃だろうか、築地利三郎氏の指導する合唱団に所属することになった。団のレベルが高く思われて、ついて行ける自信は無かった。周囲の顰蹙を買いながら調子外れの乱暴な声で厚かましくも歌い続けた。
 
築地氏については全く予備知識が無かったのだが、先ずその声の迫力に圧倒された。通っている間に少しずつ氏の経歴などが耳に入り、バス・バリトンのオペラ歌手で高名な人と判った。
 
ある時、ロシア民謡が話題となり、築地氏がその方面でもかなり実績を有するらしいと判った。偶々、当管理人が井上頼豊著「ロシアの民謡」を持っていると話したところ、氏は、同書の著者署名入り本を持っていると仰るではないか。
 
こちらの不思議そうな表情を見て取ったのだろう、昔話をされた。戦後暫くして、井上頼豊と組んで北海道を巡業したことがあると。ロシア語は井上頼豊から伝授されたものと想像される。巡業の成果の一端などもお聴きした。当時高価だったピアノを買う事が出来たとも。
 
このことを思い出し、「聞き書き 井上頼豊 音楽・時代・ひと」を読み直したところ、巻末の略年表に記載があった。
 
1957(昭和32) 北海道八都市でジョイント・コンサート。バリトン築地利三郎、ピアノ池本純子”
 
翌年には函館・秋田でリサイタルを開いたとの記載もある。築地氏の昔語りに、その時の事も聞いたように何かを思い出すのだが、記憶は靄の中だ。
 
“ピアノ池本純子”を念のため検索したところ、最近の情報がヒットした:
 
“東京文化会館 小ホール 211() 池本純子モーツァルト/ピアノ協奏曲の午後~連続演奏Ⅴ~”
 
同一人物とすれば、かなりのご高齢と思われる。築地氏も今年、北国のホールで歌われたと聞く。
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名器判定~千住真理子氏~科学的調査

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いつだったか、千住真理子氏(バイオリニスト)が、バイオリンの名器について書いていた。かの有名なストラディバリウスを試し弾きし、一瞬のうちに買おうと決めたというような話だった。
 
つまり、名器は名ばかりではなく、実際に善い音色を響かせたということだ。一流の演奏家の言だから、信じてよいと思う。名声に惑わされたのではないことを証明する後日談もしっかり付記されていた。
 
しかし、以前、名器も凡器も、音だけ聴かせれば、違いは判らないとの“科学的”調査結果とやらを読んだことがある。千住氏の言と、科学的調査と、いずれを信じるべきか悩むところだ。
 
だが、冷静に考えれば、いずれが真実かという問題として捉えるには、条件が不足していることが解る。千住氏が手にしたのは、ある一つの特定の名器である。科学的調査の対象となったのは、別の複数の楽器である。
 
極端に言えば、比較する条件が整っていない。つまり、どちらが真実かと問うことが無意味なのだ。どちらも事実であり、何も矛盾することは無いのだ。それぞれに正しいと考えてよいと解り、ほっとする。
 
それより、試奏して瞬間的に名器の音色を感知する音感は凄い。我々声楽趣味の素人でも、歌手の美声を求めてコンサートに足を運ぶ。素人なりに評価を下す。ただし、それはじっくり聴いてからのことだ。途中で評価が揺れることもある。要するに判断基準が確立していない。プロとアマの違いと言ってしまえば、それまでだが。
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井上頼豊③~抑留時代~合唱指導

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「聞き書き 井上頼豊 音楽・時代・ひと」で印象的だった内容の一部を記録しておこう:
 
敗戦後、ソ連軍によって滿洲から船でウラジオストックに連れて行かれた。ソ連の人々も貧しく、殆どの人が靴を履いていなかった。女性が起重機の運転など肉体的に大変な仕事をしていた。傍にいた裸足のみすぼらしい子供が数人、突然合唱を始めた。捕虜になって心身ともに打ちひしがれていたところに強く訴えてきたこともあるが、合唱そのものが素晴らしかった。これでソ連という国を見直した。
 
ウラジオストックの近くのアルチョムという町の収容所で、ソ連の将校がピアノ・アコーディオンを持ってきて、「弾けるか」と訊いた。ロシアではボタン式のアコーディオンが普通だったから、彼らには弾けなかったのだ。アコーディオンなど触ったことも無かったが、楽器を試す振りをしながら仕掛けを調べて、弾いた。
 
別の町に行ってもやはりアコーディオンを弾かされた。「荒城の月」を弾いたら、(ソ連兵)皆がじっと聴いていたが、最後に将校の一人が、「搾取された民族の音楽だ」と言った。
 
「ロシアの民謡知ってるか」と言うので『ヴォルガの舟曳歌』を弾いたら、「とてもいい曲だが、どこの国の曲だ」と言われた。
 
翌年、やはり捕虜になっていた黒柳守綱氏とのアンサンブルを組まされた。ノートを貰い、五線を引き、一所懸命思い出して『カルメン組曲』らしい楽譜を作り、二人で合奏(バイオリンとアコーディオン)した。日本人も喜んだが、収容所の周りにいたソ連の人たちが大喜びだった。戦争を挟んだ長い苦労の後、久し振りに生の演奏を聴いたのだ。
 
これがきっかけで、楽劇団のようなものが出来た。演劇の方は『婦系図』などやった。井上が『大菩薩峠』の脚本を書いた。子供の頃新国劇のレコードが家にあって、一言一句全部覚えていたので、それに若干手を加えて書く事が出来た。
 
その後、北の方から北川剛氏がやって来て合流した。バリトン歌手だったが、寒い冬の巡回演奏で歌って声帯をこわし、帰国後は歌うのを諦めた。気の毒だった。
 
ソ連の人達は本当に歌が好きで、三人集まると合唱が始まった。作業所から町まで汽車で約1時間、乗り合わせた人たちが乗っている間中歌い続けていた。ところが、今ではあまり歌わなくなったらしい。 テレビの所為だという人もいる。
 
日本に帰って合唱団の指揮をするようになったが、厳しい指導をした。指揮棒を折って叩きつけたり、譜面台などを蹴飛ばしたりした。それは、一度言われたことを次に忘れている時などだ。いきなり怒ったりはしない。
 
一回(合唱団の)声を聞いてみて、これは音から入ったんでは、いつ仕上がるかわからないと思い、音を抜きにして、詩から入ったことがある。朗読する時のデクラメーションから入った。それを繰り返してイメージを一致させたうえで、音に結び付けていった。
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井上頼豊④~レッドパージ~締め出しで困窮

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「聞き書き 井上頼豊 音楽・時代・ひと」からもう1項目“レッドパージ”について抜き書きしておこう:
 
「NHKが赤い芸能人をしめだし」と195010月、新聞が一斉に報じた。陽の当たる場所から共産党系の人物を排除するGHQ(占領軍総司令部)の意向を受けたものだ。NHKは表向き、本件は関知しないとの立場を表明したが、番組の人選でさりげなく実行された。自然にそうなったというポーズをとった。
 
今では信じられないような人物が排除された。演劇部門では、宇野重吉、滝沢修、三島雅夫、若山喜志子など。音楽部門では、吉田隆子、園部三郎、原太郎、関鑑子、鈴木恭子らと共に、井上がリストに載っていた。民放、レコード会社もNHKに倣ったため、生活が急転、食うに困ることとなった。(日活は排除に同調しなかった。)
 
演劇部門では、支援するグループが運動した結果だと思うが、なし崩しに排除が無くなった。井上がその後NHKに出演したのは、チャイコフスキー・コンクールの時など数える程であった。NHK内の一部の人達の骨折りで、19527月にラジオでベートーヴェンのソナタ第2番を弾いた。原太郎(わらび座)も、「人生手帳」で1週間出演したことがあった。いずれにしても、とても難しいことだった。
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練習納め~仕事納め~反省

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北国「さくらの会」の練習納めに行って来た。こんなに遅い時期の納めは初めてだが、それには訳がある。世間一般の仕事納めとなる27日(金)に、ある福祉団体の親睦会への出演を依頼されていたためだ。前日の練習納めに続けて、我々も(本当の意味の)仕事納めをしたという次第だ。
 
ヴォランティア活動の一環で、当然に無報酬なのだが、出演者各人500円のプリペードカードを頂いた。誰もそのカードを知らなかった。どうも、コンビニなどで支払いに充てる事が出来るらしい。
 
主催者側との打ち合わせが十分でなかったため、会場に駆けつけてそのまま舞台に上がるような慌ただしさで、呼吸を整える間もなく、演奏の出来も相応に問題があった。
 
折角、控室を用意して頂いていたのに、それを知らなかったため、活用できなかったことが悔やまれる。僅か20分ばかりとは言え、人前で演奏するからには、しっかりと打ち合わせを行い、会場の下見もするべきであった。
 
こんな初歩的な手順を踏むことを失念するところは、やはりアマチュアのヴォランティア活動だという甘えがある証拠だろう。
 
新年には、正月半ばに結婚披露宴への出演予定がある。今回の反省を踏まえて、本当に喜んで頂ける演奏をしたい。というものの、当管理人は都合により、参加できない。披露宴出演は、さくらの会としては、11月に続いて2回目となる。
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クニマス遺聞~生息証言~秋田県釣連合会

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我がこだわりの一品『クニマス』について、もう1年余り書いていない。前回は[クニマス再発見~中坊教授~“70年ぶり”の真意 2012/11/20() ]だった。
 
最近、某図書館で音楽関係の資料を渉猟中偶然に、クニマスの絶滅時期に関する“証言”を見付けた。秋田県釣連合会編集・発行「最新秋田の釣り」(平成7310日)の巻頭に「発刊にあたって」と題し、会長・川村浩氏が述べる中に次の一節がある:
 
“~一つ残念なことは田沢湖にのみ生息し世界で一属一種と言われたクニマスが、発電という国策の名のもとに、昭和十五年に玉川毒水を田沢湖に導入したことにより、湖水の酸性化が進み昭和二十七年に全く姿を見ないことになりました。
国では平成元年、建設省玉川工事事務所を設け、酸性水中和処理を実施しています。この結果、平成十年頃には水質はほぼ中性に近いPH6になる計画と言っていますが、湖が完全にもとの水に戻ることではありません。~”
 
この記述によれば、昭和26年にはクニマスの姿が見られたのであり、玉川毒水の導入後約10年は生息していたものと考えられる。
 
当ブログで“1956年までは(クニマスの)漁獲があった”と書いてきたこととは(絶滅の)時期に5年のズレがある。
 
前回目にした資料も「秋田の釣り」だから、情報の連続性があると考えるべきだろう。だとすれば、当管理人の記憶違いだった可能性が高い。恐らく、“昭和26年”が“1956年”に変身したのではないか。昭和と西暦の年換算は+-25なので、混乱を来したと思われる。
 
年数のズレはともかく、クニマスが毒水導入後も十年前後生息していたことは間違い無いようだ。
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北原白秋~海の向う~童謡/歌曲

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巽聖歌・編「日本新童謡選」(1949 アルス 日本児童文庫43)の中に北原白秋/山田耕筰「海の向う」が載っている。“童謡”を称する通り、歌い易いメロディーだが、ピアノ伴奏譜を見るとなかなか複雑そうだ。
ネット検索してみると、CD“山田耕筰の遺産(4)歌曲編 (4)”に収められていた:
~ 
6. 鐘が鳴ります
7. ペィチカ
8. この道
9. 舟唄
10. 箱根八里は
11. 海の向う
12. あゝ若き日よ
13. 弥撤の鐘
14. ロシア人形の歌
15. からたちの花
16. 海の向う
17. ロシア人形の歌
“歌曲”として扱われている。童謡も歌曲の内と言ってしまえばそれまでだが、耕筰作曲の“童謡”はクラシック歌手が歌うに似つかわしい“歌曲”が多いように思う。歌唱に相当の技術水準が求められるとも言える。
 
白秋のこの詩を宮崎滋氏が合唱曲にしている。当管理人も2度ばかり歌ったことがある。女声3部+男声1部だった。その時は、この歌詞が“童謡”扱いされるとは夢想だにしなかった。
 
さんごじゅの花が咲いたら 咲いたらといつか思った さんごじゅの花が咲いたよ
 あの島へいで行けたら 行けたらといつか思った その島へきょうは来てるよ
 あの白帆どこへゆくだろ あの小鳥どこへゆくだろ あの空はどこになるだろ
 行きたいなあんな遠くへ あの海の空の向うへ 今度こそ遠く行こうよ
 
いま改めて読んでみると、童謡そのものに思われる。つまり、合唱で歌っていた時は音取りに神経を使っていて、歌詞を味わう余裕など無かったことが判る。
 
音を付ける前に、先ず歌詞を読みこなし、イメージを作りなさいと教えられながら、実際は全く身に着いていない。来年は、いろいろの面で基本に立ち返って謙虚に練習したい。
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満員図書館~大晦日~閑散映画館

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常に何がしかの調べものの宿題を抱えていると、図書館の開館カレンダーを頻繁にチェックすることになる。年末年始はどの図書館もお休みになると思い込んでいたのだが、何と、今日大晦日も営業している公立図書館があった。都心も都心、千代田図書館だ。
 
それは、昨日、開館カレンダーを見て気付いたのだが、初めは見間違いだと思った。古希に近づいたころから視力の衰えをはっきりと感じていたことでもあり、暫くはPC画面を凝視していた。
 
今日の午後、実際に千代田図書館の入居している区役所ビルの近くまで来て、人の出入りがあるのを見届けて、やっと開館を確信した。斬新な企画で有名な区立図書館であることは承知していたが、これほどまでサービスに徹しているとは驚きだ。
 
学校図書館を含めて、大晦日も営業しているところが日本中に他にあるだろうか。我が記憶では、アメリカの大学図書館は1年中24時間利用できた。もう40年も前のことだが。
 
入館して、またまた驚いた。満員なのだ。席が一つも空いていないではないか。知的生活を楽しむ人が世の中にこんなにも溢れていたとは。と言うのは少し大げさかも知れない。唯一営業している当館に人が集中したと考えられるし、“不在地主”も相当の率で存在する。
 
いずれにしても、映画鑑賞して来た家人の報告で、観客が疎らであったことを思い併せて、感慨一入である。調べものは空振りに終わったが、社会の実相に対する理解を少しでも進められたようで、満足感がある。(これも大袈裟かな。)
 
何と無く暖かな元旦を迎えそうな気配で、厳冬予想も空振りになるのかな。
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暖冬気配~トリウム原子炉②~インド・中国

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予感通り温暖な元日となった。気象庁のデータを見ると、東京だけでなく、全国的に気温が高めのようだ。
 
地球温暖化とは関係無い通常の天候変化の範囲内の現象だとは思うが、今年は本格的に省エネ、省資源、省支出に努めようかと言う気になる。増税と減年金が襲いつつあるから。
 
無駄を減らしつつ、必要なことには資源を重点配分して、生活の質は落とさないようにしよう。
 
ちょうど1年前に“トリウム溶融塩炉~核拡散防止~レアメタル確保”を投稿した(2012/1/21())。いま、温暖化防止の決め手とも言われる原子炉“トリウム溶融塩炉”を推奨する新刊本を読んでいる:
 
リチャード・マーティン/著「トリウム原子炉の道 世界の現況と開発秘史」朝日選書
 原題 SuperFuel: Thorium, the Green Energy Source for the Future
Author: Richard Martin  
Publisher: Palgrave Macmillan  Pages: 272
Price ( Hardcover ): $27.00   Publication Date: May 8, 2012
 
論理的に詰めていけば、エネルギー源として選ぶべきは、“トリウムフッ化物溶融塩炉(LFTR リフター)”であると主張している。しかも、この論理的結論は既に半世紀前に出ていたとのことである。それが何故実現していないのかという当然の疑問に答える為に総ページ数の半分以上が費やされている。
 
当管理人の理解する限り、最大の原因は、偶々ウラン燃料の軽水炉の実用化が早かったこと、その製造体制を整えた陣営(企業及び発注者)が確実な受益を望んだことにあると述べているようだ。
 
初期の原子力開発で支配的な立場にあったアメリカの国内(軍部及び企業)事情でトリウム原子炉の開発は行われなくなった。
 
兵器用のプルトニウムを大量に確保したいという軍事的な要請が絡んでいるとも見られる。ウランを燃料とする原子炉からはプルトニウムが得られるが、トリウム原子炉からはウラン233は生まれるが、プルトニウムは出来ない。アメリカ以外の諸国でも同じ原理が働いている可能性が高い。
 
現在トリウム原子炉の研究開発に積極的に取り組んでいるのは、インドと中国である。それぞれ独自の事情もあるのだが、両国の計画が順調に進めば、二酸化炭素の発生を抑制する効果は大きいと思われる。
 
しかし、そうなった場合、国際政治力学上の別の問題が起きる可能性が高い。従って、アメリカも一刻も早くトリウム原子炉の実用化に取り組むべきである、と著者は主張しているように思われる。愛国心に訴えるならば、日本にも同じことが言えるわけだ。
 
前回も書いたが、未だ実証段階に至らないトリウム原子炉について、その利点はよく解るが、問題点もあるに違いない。既に判明している事柄の外に、実証規模の運転では必ず問題が浮上するだろうから、今の時点でトリウム原子炉をバラ色に思い描くのは尚早だ。
 
勿論、可能性を否定する必要も無い。着実に開発を進めるのが理性的な態度と言うものだ。どれ程の勢力を注ぎ込むかの判断は微妙だ。
 
本訳書は結構読みづらい。生硬な文章の所為もあるが、論旨不明の部分もある。明らかな誤りもある。あまりムキにならずに読み流すべきかも知れない。
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トリウム原子炉③~日本では~無関心

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リチャード・マーティン/著「トリウム原子炉の道 世界の現況と開発秘史」の後半部分では、世界各国でのトリウム原子炉研究の状況を述べている。“強いアメリカ”“偉大な先進国アメリカ”を愛する著者の焦り、危機感が迫って来る。
 
アメリカ国内で既成のエネルギー業界が厖大な利潤を享受し、殊更に現状を変革するインセンティヴを持たない一方、環境問題の深刻化やエネルギー資源の枯渇を懸念する諸国での動きが活発である現状に愛国者として警鐘を打ち鳴らしているのだ。
 
我が日本での動きにも言及しており、トリウム原子炉の商用化で先陣を切るのはこの国かも知れないとも言っている。これは、本書(原書)の内容が約2年前、福島原発災害の興奮覚めやらない頃の最新情報であることを考えると、強ち誇張でもなさそうだ。
 
しかし、その後、原発廃止から(ウラン燃料の)原発推進へと180度の方向転換を果たした現在の日本では、もう、その“惧れ”は無いと断言できる。マーティンさんよ、ご安心ください、日本に関する限り、アメリカを出し抜く恐れはありません。
 
冗談はさておき、同書には、日本政府もトリウム原子炉研究に対して補助金を出している旨の記述がある。想像するに、ばらまかれた科学研究費予算の一部が、トリウム原子炉研究グループに流れたようだ。政府が積極的に、明確な意図を持って研究補助に乗り出したという気配は無い。
 
尤も、アカデミックなレヴェルでは、エネルギー資源や地球温暖化ばどの観点から真剣にトリウム原子炉の研究、啓蒙活動に取り組んでいるグループがあることは確かなようだ。
 
門外漢たる当管理人には、トリウム原子炉の特質を的確に判断する能力は無いが、少なからぬ専門家がこれだけ推奨する第4世代原子炉であれば、国としても正式に重要課題として取り組んでも良さそうな気がする。
 
一般会計予算案が百兆円規模になったそうで、そのホンのひとしずくを充てるだけで良い。それによって、未来永劫エネルギー不安が解消され、環境悪化が阻止でき、核兵器拡散も抑止できる可能性があるなら、躊躇するまでもない。
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「狂」「癡」「愚」~ジンゴに落ちず~キョウチグドン 

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珍しく新聞一面の看板随想に触発された。朝日新聞の、かの有名な天声人語蘭に、白川静氏が「狂」「癡」「愚」の3文字をご贔屓として挙げたことがあると出ていた(本日3日朝刊)。
 
これら3文字、いずれも一般には好ましくない連想を呼ぶが、白川氏によれば、風雅、深遠の意味合いがあるらしい。
 
連想の逞しさでは人語に、ではない、人後に落ちないと自認する当管理人、「キョウ」「チ」「グ」の音を連ねて「キョウチグトウ」→「狂癡愚党」なる新語を捻り出した。これは行ける。いつか自称してみよう。
 
もう一つ、「狂」「癡」「愚」+「鈍」も悪くない。「キョウチグドン」とは、新種の恐竜かも知れない。日本では、○○○サウルスの類と共に、「イグアノドン」が有名だ。
 
「鈍」の字に何か高邁なるニュアンスがあるか否か。金属材料の改質で「鈍し(なまし)」とか、人の性格表現で「鈍牛」とかには、結構プラス評価の意味合いがあるようだ。宿題として置こう。
 
参考:(天声人語) 狂、痴、愚の3文字  2014130500
 年の初めに今年の抱負を考えたり、目標を立てたりした方も多いだろう。当方ことさら抱負もないが、なにか新たに心に刻む言葉はないかしらと引き出しをあさったら、一枚の切り抜きが出てきた▼漢字学の大家、白川静(しずか)さんが10年前の週刊誌に寄せた短い文章である。「私のごひいき」を三つ挙げる趣向の欄で、碩学… 続きを読む(会員の方)
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神長瞭月~ヴァイオリン新流行歌音譜集~著作権不在

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怠惰な老躯に鞭打って段ボール箱の資料を漁っていたら、神長瞭月作「ヴァイオリン 新流行歌音譜集 一集」(岡村書店 大正151015日発行 40銭)が出てきた。これについては、“「われらの日本」~~~「日本のあさあけ」~~~信時潔 2008/11/5() ”で、その入手事実を記した。
 
いま改めて捲ってみると気になる曲目が並んでいる。取り敢えず目次を転載しておこう:
 
月下の長恨、ばらの歌
不如帰の歌
嗚呼櫻島
半生の夢
奈良丸くづし
カチユーシャの歌
ハイカラ
乃木将軍の歌
乃木夫人の歌
華厳の嵐
駿河湾の惨劇
噫無情
生さぬなか
空中の惨劇
松の聲
残月一聲
ベリマチの歌
ゴンドラの歌
 
これらのうち、メロディーを共有するものが幾つかある。「カチユーシャの歌」と「ゴンドラの歌」とは、今でも広く歌われている。前者の歌詞は現行のものと同じだ。ところが、後者は、現行とかなり違って、次の通りだ:
 
(一)命短し、恋せよ乙女、
君が瞳の美しき間に、
愛の泉の涸れぬ間に、
明日といふ日は。ないものを。
 
(二)命短し、恋せよ乙女、
いざ手をとりて春の野に、
花に戯るゝ蝶の様に、
此処には人は、来ぬものを。
 
タイトルにしても、今は“~の”とするのが普通だ。神長さんは島村抱月の詞(カチューシャ)は了としたが、吉井勇の詞(ゴンドラ)は気に入らず、改作したのか。著作権の絡みの無いことは明らかだ。そもそも、どの曲にも作詞・作曲者名の表示が無い。
 
更に更に、本書のタイトル自体が、表紙には「神長瞭月作曲 獨習自在 ヴァヰオリン 新流行歌音譜集」とあり、神長さんが作曲したものとなっている。一体どのような論理で他人の作品を自作と称する事が出来るのか、興味深い。
 
実は、冒頭に記した書名、神長瞭月作「ヴァイオリン 新流行歌音譜集 一集」は、目次ページに頭書のものである。
 
本書には第3の書名があり、扉には「獨立音樂會々長 神長瞭月氏作 バイオリン 新流行歌音譜集」とある。いずれにしても、今の感覚からすれば、これらの表記は、本書の内容全体が神長氏の作ということになる。
 
善意に解すれば、ご本人にはそのように他人の作品を横取りする意図は全く無く、著作権の意識が希薄で、大らかだった当時の慣行に倣ったものだろう。ところが、本書“はしがき”が微妙である。
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岩見真佐子門下演奏会~玉石混交~ソプラノ今野絵里香 

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今年最初の声楽鑑賞は、最寄りのホールで:
 
東邦音楽大学・岩見門下演奏会(岩見真佐子)
全席自由/入場無料  開演時間:13:00 終了時間:16:30
 
プログラムでは第一部~第四部と区分が為されていたが、演奏は切れ目無しのぶっ通しで、些か予定が狂った。出演者が多数に上るため、止むを得ずの措置のようだった。
 
解説、説明の類いは一切なく、プログラムの変更も案内されないので、戸惑うことも度々だった。どうも、一般のお客さんは期待していないようで、身内、関係者を聴衆として想定しているようだ。
 
先ず学生服の出場者が続いた。行儀よく直立不動の姿勢で歌う。只管楽譜に忠実に歌っているようで、それはそれで好感が持てた。基礎をしっかり身に着けることは重要だ。
 
続く一群は所謂ステージ衣装で、姿勢も歌手らしくなる。歌い方にも個性が見られる。
 
その後は当方の都合で一旦退場したのだが、戻って来て扉の外で暫く聴いていると、急に素人っぽくなっていた。初心者クラスか、年輩者でしゅみで歌っているような人たちのようだった。つまり、当方と同じレヴェルと思われた。しかし、ピアノ伴奏を務めるのは、プロである。
 
間合いを測って再入場したのが、ちょうど第四部の始まりだったようで、歌唱レヴェルが上がった。そして、最後を締め括ったのは、今野絵里香という新進ソプラノであった。
 (参考)
東京多摩公立文化施設協議会は平成5年より実施してきました「多摩フレッシュ音楽コンクール」を前身として、コンクールの要素を取り入れた新人コンサートとして「多摩フレッシュ音楽コンサート」を毎年開催しております。
声楽部門 2013621() 最優秀賞(1位):今野 絵理香
 
という訳で、プロとして認められた形の実力者の演奏でめでたくお開きとなった。彼女の演目は次の通り:
 
R. Strauss  “Das Rosenband” ばらのリボン
            “Junghexenlied” 若い魔女の歌
山田耕筰  みぞれに寄する愛の歌
Dvorak     Rusalka ルサルカ から  「月に寄せる歌~白銀の月よ~」
 
ほか、若い男性二人が印象に残った。
 
有村ひづち   小松耕輔 「母」
        Donaudy  “O del mio amato ben” ああ、愛する人の
 小柄ながら声量豊かなバリトン。
 
佐藤日加留   Tosti      “Sogno”
 お名前から、女性が登場すると思っていたら男性であった、と思った。歌声を聞いたら、やっぱり女性だったかと、まじまじと見つめた。視力が弱いので、しかとは判別できなかったが、背広姿でもあり、男性だろうと結論した。要するに、ボーイソプラノかカウンターテナーか、ということであった。音程も割としっかりしており、世の中には特殊技能の人が絶えないものだと再認識した。
 
最後に岩見真佐子先生が挨拶した中で、“今野さんは明日オーディションを受けに行く。プロとして本当に認められるまでこれからも試練が続く”というようなことを述べた。彼女、どこまで伸びるだろうか。
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神長瞭月②~流行歌集はしがき~原作者無視

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神長瞭月作「ヴァイオリン 新流行歌音譜集 一集」の“はしがき”が微妙であると書いたので、(2014/1/4() )、念のため全文引用しておこう:
 
“△流行唄(りうこううた)・・・・・特に書生節之唄(しょうせぶしのうた)ひやうは人により、場所(ばしょう)によって幾らかづゝの差がある、為に其何れが正しいのかゞ分からずに困って居る人も澤山あろー、新作の唄を公にする毎に其節を、略譜を以て表はしては置いたが、元来略譜は唄ひにくゝ、間違やすく、楽器に乗せても奏(し)きにくい、そこで爰に流行歌(りうこううた)本譜集を公にしたわけである、これ丈け言へば澤山である、何も言ふ事が無いのである、無いのであるから後は何も書かないのであるんである。  以上  八月中旬   神長瞭月誌”
 
おどけた調子であり、あまり生真面目に論評するのも大人げ無い。印刷の植字工のレベルを考慮に入れると、神長さん本人の意図した通りの文章になっていない可能性もある。
 
引用中、( )書きは原文では振り仮名であり、気になるものだけを付記した。“しょうせぶし”など、植字ミスなのか、当時の発音に忠実なのか、見分け難い。
 
字面のことはさて置き、神長さんが流行歌の作詞、作曲者名を表記しないだけでなく、“新作の唄を公にする毎に其節を、略譜を以て表はしては置いたが、~そこで爰に流行歌(りうこううた)本譜集を公にしたわけである”と明言していることに驚く。
 
これでは、前回書いたように、彼が本書所収の流行歌総ての作者であると称していることになる。著作権という法律上の概念を持ち出すまでも無く、社会常識に照らして不適切であると思われるが、これも時代感覚の差と言うべきか。
 
本書が当時どの程度売れたのか、所収流行歌の原作者ら関係者から抗議の声は出なかったのか、興味深いことだ。勿論、神長さんご本人の作品もかなり含まれているだろうから、雰囲気は緩和されていただろうと思われる。
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楽譜探索散歩~カラス vs. ハト~手出し無用

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午後から天気が下り坂になるとの予報を受けて、少し早めに出掛けた。先ず、区立図書館で楽譜捜しをした。一つは直ぐに見付かったが、もう一つは見当たらなかった。
 
バスと電車を乗り継いで専門図書館に向かった。公園を横断中にカラスがハトを追い回している光景を見た。どちらも群れている中で、1対1で飛び回っているのが目立った。
 
カラスが狙いを定めた獲物を執拗に攻撃しているのだ。ハトは既にスタミナを消耗しているようで、逃げ切れず、広場のアスファルトの1,2メートル上で掴まって、そのまま舗装上に組み敷かれた。
 
もう餌食となるしかない。その有様を撮影しようと携帯電話器を構えたところへ邪魔が入った。義憤に駆られたのだろうか、お爺さんが自転車で近寄り、カラスを追い払った。
 
カラスは未練がましく、また獲物に飛び掛ろうとするが、所詮、人間には敵わない。恐ろしい捕食者から解放されたものの、件のハトはもう飛ぶことはおろか、立つことも出来ない。その場で死を待つのみだ。
 
お爺さんとお友達がこの可哀想なハトをどうしようかと話し合っても、名案は浮かばなかったようだ。恐らく放置するだろう。それなら初めから手を出さなければ良かったのだ。残酷なようだが、食う者と食われる者がいて自然界の生態系が成り立つ。人間がその頂点に立つ。
 
カラスがハトを食い散らかして残りかすを犬や猫があさったりして辺りが汚らしくなるかも知れないが、カラスを追い払ったところで後始末の手間は残るのだ。
 
などと観念論を頭に綴りながら専門図書館に辿り着き、首尾よくもう一つの楽譜を入手した。退館する頃には正午を過ぎたが、雨の心配は無さそうなので、更に散歩を兼ねて行きつけの食堂に行き、定食をゆっくり平らげた。
 
植物観察などしながら帰宅したのは3時前、空は重い雲に覆われていたが、まだ降りだしてはいなかった。持ち歩いた折り畳み傘は筋肉増強のためのウェイトにはなったかも知れない。
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