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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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沙羅の花~見えざるは根府川石~マイナス料金

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「沙羅の木」と言えば、今ちょうど、その花の時期だ。あるいは、もう散っているかも知れないと気になり、森鷗外記念館まで足を伸ばした。同館のHPでは、61日に開花情報がアップされていた。
 
サラノキことナツツバキは、植え込みの奥の方に在り、花が咲いているかどうか、よく見えなかった。踏み石が敷かれているので、伝って奥の方に侵入したが、やはり良く見えない。
 
ウロウロしていると、職員(あるいはカフェの従業員)が近くのドアから身を乗り出して、「立ち入り禁止」と咎めた。その旨の表示は見えなかったが、そのような雰囲気は初めから漂っていたから、驚いたり、狼狽したりはしなかった。
 
逆に、これ幸いと知りたいことを質問した。職務上、侵入者を咎めたものの、気のいい人のようで、穏やかに教えてくれた。ナツツバキは複数植えられていて、一番目立ちそうな1本が枯れていた。その根元に置かれた大きい石が根府川石らしかった。褐色(かちいろ)に見えなかったのは、雨に濡れていたからだろうか。
 
植え込みに立ち入らずにサラノキを鑑賞するには、館内のカフェの全面ガラス窓の席が、まさにその目的で設けられていると判った。つまり、入館料という拝観料が必要なのだ。それをケチる場合は、植え込みのまわりから遠望することになる。
 
別の木には、未だ少し花が残っていた。チャチなケイタイ・カメラの望遠モードで何とか写真を撮った。だが、根府川石は拝むことができない。来年は、拝観料を払って、特等席から沙羅の木の花と根府川石を落ち着いて鑑賞したい。
 
拝観料、正式には観覧料、は600円と表示されている。同館では様々の催しがあり、その参加費は大体500円らしい。面白いのは、“【料金】500円(観覧料込み)”となっていることだ。参加を促すために、観覧料を100円割り引くという発想は凄い。マイナス金利に倣って、マイナス料金と言ってよい。お役所仕事とは思えない。
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スモモ鈴生り~試食~無駄生り

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近所の幼稚園の塀際にスモモと思しき果樹を発見した。何十年も通い慣れた道なのに、数日前に初めて気が付いた。落花で初めてサラノキの存在を知ると同様に、落果で気付いた次第だ。
 
よくよく見ると、黄色に熟れた実が鈴なりであった。残念ながら手は届かない。もともと塀の向こう側に生っているものだから、勝手に採るわけにもいかない。犬の散歩銀座に落ちた実を拾う気にもなれない。
 
執念で見付けたのは、スモモの幹と金網との間に挟まって着地を免れた2個体。よく洗って、うち1個を恐る恐る試食した。予想外に美味であった。甘いとは言えないが、穏やかな味で、虫も見えなかった。
 
こんな美味しいスモモなのに、幼稚園では全く無頓着で、全果実が落果して腐る運命にある。殆どの人にとっては、果物はスーパーで買って食べる物なのだ。
 
ところで、この果実が本当にスモモであるかどうか、自信は無い。我が語彙の中では他に該当しそうなものが無いというだけのことだ。
 
その点、ヤマモモは見間違える心配は無い。少しばかり拾ったのを砂糖汁で煮詰めて冷蔵庫に保管した。お寺の梅は家人がジャムにした。処理を待っているのは、ニワウメだ。シロップ漬けがいいかな。
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ランチタイムコンサート~梔子~無口?

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雨の間隙を縫うように、ランチタイムコンサートの鑑賞に出掛けた。簡単な用事を済ませて、バス停に急ぐ僅かの間に激しく降り出した。梅雨どきだから諦めは早いコンサートのタイトルも梅雨がらみだ:

355回 愛の力で梅雨を吹き飛ばせっ!
枡本侑子(ソプラノ)/市川浩平(テノール)/岩崎洵奈(ピアノ)
 
Aプログラム12:05
1.乾杯の歌 ヴェルディ 《椿姫》            [二重唱]
2.マレキアーレ F.P.トスティ                 [市川]
3.私のおとうさん G.プッチーニ《ジャンニ・スキッキ》 [枡本]
4.ノクターン第2番 作品9-2 F.ショパン       [岩崎]
5.野菜サラダ物語 寺島尚彦              [二重唱]
 
Bプログラム12:35
1.ヴォラーレ D.モドゥーニョ/F.ミグリアッチ [二重唱]
2.めぐり逢い 荒木一郎/武満徹           [枡本] 
3.くちなし 高野喜久雄/高田三郎          [市川]
4.愛の悲しみ F.クライスラー作曲/S.ラフマニノフ編曲 [岩崎]
5.タイムトゥセイグッバイ F.サルトーリ      [二重唱]
 
枡本は無難だったが、市川は、声が薄いと言うか、余裕が無さそうに感じられた。英語の発音も少し気になった。本調子ではなかったのかもしれない。彼は当ブログに2度目の登場だ。前回は田崎美香と同じコンサートへの出演だった(旧東京音楽学校奏楽堂~若い歌声~古いガラス 2009/8/20())。
 
どうでもよいことだが、お二人は夫婦だそうだ。タイトルや曲の紹介にその旨を最大限活用していた。未だ新婚の幸せいっぱいの雰囲気を振り撒こうとの親切心だろう。無邪気になれるのは良いことだ。
 
高野喜久雄/高田三郎「くちなし」は、コンサートでよく歌われる曲だ。その歌詞は全く知らなかったが、今日の Program Note には次のような説明が:
 
“亡き父が植えたくちなし。口無しの父が時折語る言葉、教えに父の愛の強さを感じます。”
 
作詞者が語呂合わせを楽しんだのかと思い、歌詞を検索した:
 
“荒れていた庭 片隅に  亡き父が植えたくちなし
年ごとに かおり高く  花はふえ  今年は19の実がついた
くちなしの木に くちなしの花が咲き 実がついた
ただ それだけのことなのに ふるえる ふるえるわたしのこころ
「ごらん くちなしの実を ごらん  熟しても 口をひらかぬ くちなしの実だ」
とある日の 父のことば 父の祈り
くちなしの実よ くちなしの実のように 待ちこがれつつ ひたすらに こがれ生きよ
と父はいう 今も どこかで父はいう”
 
口無し(無口)の父、を思わせる内容では無さそうだ。語呂合わせはProgram Note 作成者の遊び心だったのだな。
 
雨に洗われて殺虫剤なども落ちたと期待されるニワウメの熟果を少し摘んで帰った。収穫は快感だが、後始末が面倒だ。いきなり焼酎に漬け込んで果実酒として片付けたい誘惑に駆られる。下戸なのに。
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福祉コンサート~雷鳴轟く~器楽偏愛

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区の「福祉センター」という施設でのコンサートに、合唱メンバーとして参加した。
 
昨日に続いて荒れ模様の天気で、バス待ちの間は土砂降りだった。こんな時に限ってなかなかバスが来ない。会場入りは結局予定より二十分ばかり遅くなり、昼の弁当を食べ損ねて、空腹で歌わねばならなかった。
 
お客さん達も定刻に十分ほど遅れた人が多かった。演奏中も盛大な雷鳴がホールに響いてきた。古いとはいえ、鉄筋コンクリート建築なのに。どうせ荒れるなら、大きな雹を見たいものだなどと冗談を言い合った。
 
女声6、男声3、計9名の合唱団にフルート1、ヴァイオリン2、チェロ1の管弦楽団が加わり、ピアノ、指揮者(兼ソプラノ・ソロ)で総勢15名の陣容。
 
お客さんは障害者やお年寄りと付添いの方々がザッと80人くらいと見た。この種の催しに慣れているらしく、反応が良かった。
 
夏のコンサート
1.手のひらを太陽に         二部合唱
 2.うみ(海はひろいな~)       斉唱
 3.この広い野原いっぱい       斉唱
 4.おもちゃのシンフォニー(合奏)
 5.山のロザリア             斉唱
 6.七夕様                 二部合唱
 7.少年時代                斉唱
 8.森へ行きましょう(シュワジェベチカ)   二部合唱
 9.かもめの水兵さん   斉唱
10.大きな古時計(合奏)
11.O sole mio  オー・ソレ・ミオ(独唱)
12.ふるさと(アカペラ)   三部合唱
 
「大きな古時計」の管弦楽演奏の際には、お客さんたちが歌うだろうが、合唱団は歌うなと釘を刺された。何故だろう。本当は、お客さんにも、歌わずに聴いて欲しいのだろうか。他の状況証拠からも、下手な合唱よりは、楽器の演奏を大事にしたい気持ちがあるように思われる。
 
何故か、最後の「ふるさと」だけが無伴奏なのだ。想像するに、会場全員が心を一つにして“ふるさと日本”を愛しましょうとの趣旨か。大勢のお客さんが一緒に歌うと、三部合唱もあまり意味を成さないだろうなあ。
  
終演後に出演者一同、記念品を頂戴し、施設の職員、利用者代表の方々と一緒に記念写真に納まった。
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雪解の春~「花は咲く」~雪道に春風

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「花は咲く」の英語版“Flowers will bloom”を本格的に三部合唱練習することになって、気になる箇所がポツポツ現れる。
 
以前、“英訳歌詞は、ほぼ原詩に対応した構成となっている。直訳、意訳を取り混ぜて工夫しているように見える。原詩に忠実である必要は無いと思うが、少し引っ掛かる部分もある”と書いた(英語版「花は咲く」~“Flowers will bloom”~本場モノ? 2014/3/12())。
 
その時は、    Flowers will bloom until there's no missing sorrow and no  reason left to mourn. に疑問を呈した。
 
今回は、初っ端の
“真っ白な雪道に春風香る  わたしは なつかしい あの街を思い出す
    My heart goes out to you, When the winter snows give way to spring.
を取り上げる。
 
雪、春に対応する  snowsspring に加えて、winter が対句のように配され、文句無いようにも思える。
 
しかし、“give way to”が引っ掛かる。我が脳内辞書では、これは“負ける、譲る”のニュアンスだ。つまり、“冬の雪が去り、春が来た”の意味に理解される。
 
原詩は、“雪(の積もった)道に(寒いながらも)春風香る(ように感じる)”と理解される。雪と春風が同居していることが肝腎なのだ。
 
“雪が去り、春になる”と“雪道に春風が吹く”とでは状況が明らかに異なる。“When I feel a spring wind blowing along the snow white road.”と試(私)訳してみた。うまく楽譜に嵌るだろうか。
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最凶厄日~交通機関裏目~救いの収穫

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ロシア・ウクライナの歌の教室「らすぺふ」に2か月ぶりに顔を出し、ロシア語と難しい楽譜で頭の体操をしてきた。ロシア語は何とか処理できるが、十六分音符の連続と臨時記号頻出にはお手上げだ。
 
きょうは、リムスキー・コルサコフに焦点を絞り、伝統歌「川の向こうで」と「インドの歌」が教材だった。「インドの歌」は聞き覚えのあるメロディだが、歌うには少し練習をする必要がある。オペラ《サトコ》の中のアリアだそうだ。
 
《サトコ》の粗筋を知ったのは、一つの収穫と言える。日本では上演されていないそうだ。“サトコ”と聞けば、日本女性の名だとしか考えられなかったが、オペラでは主人公たる男性の名だ。原語ではСадкоSadko)で発音は“サートゥカ”のようだ。
 
教室終了後に、主宰の松本さんに一つ質問をして、貴重なご教示を頂いた。このところ偶然にもあちこちで歌っている「山のロザリア」について、ある楽譜に“ボデスバーニャに属するロシア民族舞踊の器楽曲~”と説明されている。この“ボデスバーニャ”とは何か。ローマ字では bodesubaanya となる。そもそも何語か。
 
インタネット検索したところ、全く同文の解説を載せたサイトがヒットした。どちらかが他方をコピペしたと思われる。ここで壁に突き当たり、展望が開けなかった。
 
その“ボデスバーニャ”とは何かを松本さんにお尋ねしたところ、“パディスパーニャ”だろうとのこと。ロシア語でПод Испания となるだろうか(ロシア語文法に適うか否か、不明)。“スペイン風に”の意味のようだ。つまり、「山のロザリア」の原曲は、スペイン風の舞踊曲だったということか。とにかく、“ボデスバーニャ”の謎が解けた。本日の一番の収穫だ。
 
教室でお勉強中に豪雨があったらしいが、解散の頃には雨も上がっていた。バスと地下鉄を乗り継ぎ、別の路線の駅のホームに辿り着くと、電車が止まっており、“お急ぎの方は振り替え輸送をご利用ください”と放送している。
 
乗換策を窓口で相談していたら、止まっていた電車が急に発車した。次の電車は遥か遠くの駅に止まっているとのこと。諦めて元の路線に戻り、一駅乗ってバスを利用することにした。
 
地上に出ると、土砂降りであった。約十五分待ってバスに乗った。降りたバス停から少し歩き、別のバスに乗り換えるべく、時間表を見ると、十分ほど待ち時間があった。
 
気が短くなって、歩くことにした。結局1時間ほど余計に時間を食ったが、考えてみると、おとなしく地下鉄の動き出すのを待っていた方が早く帰宅できたのではないかと思える。骨折り損の草臥れ儲けだった。
 
短気は損気。心に余裕が欠けていた。それにしても、接続路線の運行情報を提供しない地下鉄車内放送の不親切に腹が立つのを抑えられない
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ボデスバーニャの謎②~パ・デスパーニャ~ポデスパーニャ

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きのう自問自答した“ボデスバーニャの謎”について気懸りなことが一つある。松本さんは“フランス語”と仰ったのを勝手に“元はフランス語”と解釈していたのだが、ずばり“フランス語”だとすると?
 
改めて“パディスパーニャ”あるいは“パデスパーニャ”のフランス語風綴りを試したところ、“スペインのステップ”という意味の、如何にも舞踊用語らしきものに行き当たった。謎の正体はこれに違いない。しかし、原語の綴りがイマイチ確定できない。そもそもフランス語なのか、スペイン語なのかが判らない。
 
バレー用語の“パ・ド・ドゥ pas de deux を思い出した。これに倣って“パ・デスパーニャ”として検索したら、ずばり“スペイン風の踊り”(フォーレ)がヒットした。ところが、これを含むフォーレの作品 組曲「ドリー」Op.56 を確認すると、“6スペインの踊り(Le pas espagnol”と表記されている。振出しに戻った。
 
出発点の“ボデスバーニャ”は、原語が訛ったものであるとしても、pas が“ボ”と読まれたり、表記されたりするとは考えられない。ロシア語 Под Испания の字面読みと誤引用を経た成れの果てである可能性が高い。ただし、このままでは名詞とは考えられないから、原曲の楽譜に演奏法の指定として表記されていた言葉ではないかと考えられる。
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ボデスバーニャの謎③~パ・デスパーニュ~パデスパン

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拙ブログがロシア・ウクライナの歌の教室「らすぺふ」主宰・松本さんの目に留まり、懇切丁寧な補足説明を頂いた。勝手に要約すると次の通り:
 
パ・デスパーニャ”は小生の聞き間違いで、“パ・デスパーニュ”が正しい。真正なフランス語でPas d'Espagne(英語でStep of Spain)、これがロシア語表記で
падеспаньとなった。これが欧米に持ち出されるときにローマ字表記でPadespanとなり、日本では「パデスパン」とカタカナ書きされた。フォークダンス界では「パデスパン」を ①特定の曲 ②特定の踊り方 の二様の意味に使う。①は「山のロザリア」とは別の曲である。
 
ロシア語表記падеспаньの発音をカナで近似すれば“パジェスパーニ”だが、文字を置き換えてから読んだために「パデスパン」になったということだ。
 
日本語の世界で、これが“ボデスバーニャ”に訛る過程は考えにくい。語源フランス語パ・デスパーニュ”の知識から出発して、聴き取り過程や、(ディスプレー画面での)読み取りの際の錯誤で、“ボデスバーニャ”が生まれたものと思われる。発音の聴き取りではpとb、アとオ、読み取りではポ・パとボ・バの判別の難しいことが間々ある。
 
松本さんの重ねてのご教示に感謝申し上げます。
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年央日~有名コラム~筆力低下

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昨日の愛唱会例会では、事情により、急遽、来年の発表用に企画した「沙羅の木」メドレーと「ペチカ」コンポジションの初練習をした。簡単だとタカを括っていたにも拘らず、音取りやリズム取りに意外に手間取った。
 
本格練習は夏休み明け9月からの予定で、賛助出演者の参加は11月からを予定している。今年はピアニストを委嘱する積りなので、参加者には、お一人千円のご負担をお願いしようと目論んでいるのだが、厚かましいかなあ。当分悩み続けるような予感がする。
 
今日72日は、(平)年を日単位で区分した場合の真ん中の日だ。年初11日からでも、年末1231日からでも183日目に当たる。このことは以前にも書いた気がする。
 
また蒸し返すのは、一昨日630日の朝日新聞朝刊のコラムが“へそは体の中心にある。「六月みそかは年の臍(へそ)」とは、6月30日は1年の真ん中で、今年も半分が過ぎたことをいう。~”と書き出していたからだ。
 
揚げ足取りと叱られそうだが、年を月単位に分割するならば、630日で年の前半が過ぎると言える。しかし、1年の真ん中ではない。
 
このコラムは、大学入試問題にも採用されたことがあるほどの権威ある内容を誇るらしいが、近頃は筆力に衰えが見られるようだ。
 
そう言えば、今年の新入社員に東大卒が一人もいなかったと話題になっていたなあ。関係無いか。
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信時潔版「沙羅の木」楽譜~コピー交付申請~原本2通の謎

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愛唱会で練習を始めた森鷗外/信時潔「沙羅の木」は、既述(信時潔版「沙羅の木」②~音源CD発見~手書き楽譜の謎 2014/6/21() )の通り楽譜が公刊されていないので、演奏するには、私的に信時手書き楽譜のコピーを入手するなど特別の手立てが必要である。
 
不鮮明な印影なぞり版楽譜のままで公演に臨むのもみじめに思われるので、楽譜原本を所蔵する鷗外記念館に当たってみることにした。いわゆる“だめもと”の気分で、館の受付嬢に「沙羅の木」楽譜のコピーが欲しい旨を伝えると、なんと、ディジタル画像のプリントアウト入手の可能性があるとのサジェスチョンが得られた。
 
教えられた通り2階の図書室を訪れると、ここでも親切に画像検索端末を操作して、たちどころに目的の画像を表示してくれた。しかし、受付で想像欣喜したように即座にコピーを貰えるわけではなかった。そこはお役所の壁で、申請書を受理して審査の上、結果を約2週間後に通知するという厳重な手続きを経なければならない。コピーの交付を受けられるにしても、高額(と言ってもポケットマネーの範囲内)の料金を支払うことになる。
 
実際に端末で画像データを見せてもらって初めて判ったのだが、手書き楽譜は2通あるらしい。漫然と見る限り、違いに気付くことは難しいが、データが2件あるとの予備知識をもって繰り返し眺めると、やはり2通あることが判る。便利な複写機の無かった時代、信時は念のため楽譜を2通作成したのだろうか。それとも、実は、2種類作曲したのだろうか。メロディーの比較などまではしなかったので今のところ何とも言えない。
 
それにしても立派な施設だ。職員は親切だし、空調は完璧だし、真夏の過ごし場所として理想的に思われた。展示物を観覧するには入館料(以前、600円と書いたが、実際は300円だった。何故間違ったのか不思議。)が必要だが、図書室だけの利用ならば無料だ。
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屋久杉の宇宙痕~炭素14年代測定~8世紀の宇宙現象

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先日、ちらっと見えたTV番組で、8世紀ごろの宇宙線の顕著な増大とその地球上の痕跡というような面白そうな話題を取り上げていた。日本の科学者の論文が各国で関心を呼び、フォローされているように伝えていた。その時は漠然とした印象が残っただけだったが、その後読んだ岩波書店「科学」20146月号(Vol.84 No.6)に偶然、関連記事を見付けた。
 
「特集 科学エッセイの楽しみ」の中の《屋久杉の年輪,岩石の磁気と宇宙現象……江沢 洋》で、(放射性)炭素14による年代測定(14C法)と、木の年輪による樹齢計算との相互検証などが簡単に紹介されている。
 
14C法は、小生も学生の頃から、つまり半世紀以上前から概念は知っている。14Cは放射線を出すことにより自然にその量を減らしており、その崩壊過程は安定で、半減期は5730年とされている。したがって、物質中の14Cの含有率を計れば、その物質の年齢が判るという理屈だ。
 
具体的には、空気中の二酸化炭素が植物に取り込まれてからの時間を計るものだ。空気中の二酸化炭素に含まれる炭素は、殆どが炭素12(12C)で、微量の14Cなどが一定の割合で含まれる。その14Cの割合が、植物体内では、光合成をやめたときから自然崩壊で減っていくことを捕えるものだ。
 
という程度の理解で止まっていたのだが、ある疑問を伴ったままであった。(放射性)炭素14の崩壊は、空気中にあっても、植物体内にあっても全く同じように進行する筈だから、ある時点で両者を比べることに意味があるだろうかとの疑問だった。
 
逆に言えば、異なる時点での計測値を比較することには明らかに意味がある。つまり、既知の時点間での、炭素14の理論通りの減少割合を確認できるだろう。しかし、これでは、経過年数を求めるという目的には無価値だ。
 
空気中からの炭素の補給が止まってからの年数を求めるには、空気中の炭素の
14C含有率の経年変化が判っていなければならない。この点の情報を欠いたままで炭素年代測定法を漠然と思い浮かべていた半世紀だった。
 
今回、江沢先生のエッセイで、その疑問があっさりと払拭された。空気中の炭素14の割合は(通常は)ほぼ一定であるとの前提があったのだ。このことは当たり前のようだが、実測で検証されなければならない。それが屋久杉の年輪計測で確認できたのだった。
 
年輪によって形成時代の明確な部位の14C含有率のデータを揃えれば、空気中の
14C含有率の時代的変化が判る。実際には、殆ど一定であるという結果が得られたのだ。これで年代判定のためのモノサシが出来たことになる。
 
放射線による自然崩壊が有りながら、14Cの率が変わらないのは、宇宙線の作用で常に補充されるからであることも江沢エッセイに教えられた。
 
随分不得要領な駄文を綴っているが、漸く頭記の8世紀ごろの事件に辿り着けそうだ。屋久杉の14C測定で、8世紀中頃の数値が異常に高いことが判明しており、その原因は不明であった。
 
約半世紀を経て今年2月、屋久杉には、別に774775年にも宇宙現象のピークが刻まれていることを日本の学者が報告したと江沢先生は結んでいるのだ。その具体的な内容は物理学会誌2月号を見なければならないので、当分お預けだが、宇宙と歴史のロマンに浸りたい願望が募る。
 
なお、8世紀中ごろから後半の時代は、歴史上、天変地異の顕著な時期ではなかったのか、想像が膨らむ。
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ランチタイム・コンサート~フルート・デューオ~音楽の素養

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74(金)、虎ノ門のロビー・コンサートで「フルートが織りなす、きらびやかなハーモニー」(クラシック Two Flutes & Piano)を聴いた。
 
若林里佳(フルート)、浅田結希(フルート)、畑めぐみ(ピアノ):
 
朝の挨拶(エルガー)
New Cinema Paradise(モリコーネ)
Trio(プーランク)
荒城の月
タイスの瞑想曲(マスネ)
アヴェ・マリア(バッハ)
日本の四季:メドレー
忘却(ピアソラ)
アンダンテとロンド(ドップラー)
 
フルートの音が意外に強力だ。吹き口をくわえて息を直接吹き込むタイプの笛ではないのに、よく鳴るものだ。それに(電子)ピアノが加わるから、ロビーの雑踏その他の雑音も声楽の場合ほどは心配しなくてよい。
 
二人のフルートは、ソプラノとアルトというように、音域が異なるのだろうか。だとすると、向かって左に立った若林がソプラノ、右の浅田がアルトだったのだろうか。Trio(プーランク)の演奏の時には、二人は立ち位置を交代していたが、何を意味するのだろうか。やはりフルートは1種類なのか。
 
タイスの瞑想曲の時は、譜面台2本を並べた上に長い楽譜を置き、二人共用で見ていた。このやり方は初見だが、参考になる。何事も既成概念に捕われず、柔軟に応用する姿勢が肝腎と再認識。
 
最後のアンダンテとロンドは、かなり長い曲だ。真ん中辺りでポーズがあった時、終わったのかと思い、手を叩いたら直ぐに演奏が再開された。曲名から察するに、前半アンダンテ、後半ロンドで、つなぎ目に短い休止があったのだろう。初めて聴く曲でも、それくらいは予想しないと、音楽趣味を標榜できないかな。
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シューシオン~聞き間違い~シシュウオン

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昨5日(土)のボランティア合唱グループの練習で、器楽担当ながら(声楽にも)指導熱心な先生からしごかれた。高音に跳躍する際に上ずる傾向をさり気無く指摘された。自分では全く違和感なく歌っているのだが、他人には不自然に聞こえるのだろう。ピアノで目的の音を出してくれると、確かに自分の音が高過ぎることが解る。この欠点は、もう矯正できないだろうが、少しでも意識して歌うようにしよう。
 
昨日は、もう一つ収穫があった。以前シューシオンなる概念について手探りの自問自答を書いた(声出し~雪掻き~雪待望 2014/2/8())。同じ内容の事を今回は“シシュウオン”と呼んで説明された。前回聞き間違えた可能性は否定できないが、今となっては確かめようが無い。今回は特に“手工芸の刺繍における運針の動きになぞらえて刺繍音と呼ぶ”旨の御説明があったことを考え合わせると、先生が前回言い間違えたことを訂正する意図があったかも知れない。下衆の勘ぐりか。
 
とにかく、“シシュウオン”の何たるかをほぼ理解したのは実に喜ばしい。過去に、クラシック歌手の模範歌唱を聴いて、楽譜の指定する音程から外れているような印象を受けた事例のうちのある割合は“刺繍音”対応の唱法であった可能性が高い。歌の世界も奥が深いなあ。
 
きょうは、これから老健介護施設で歌の会のお手伝いだ。昨日までの梅雨空から一転真夏の日照りに外出気分が怯みそうだ。楽しい歌の会を予想しよう。
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歌うお手伝い~信時版「沙羅の木」初演~ヒメシャラ実見

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昨日は老健介護施設で歌の会のお手伝いボランティアで汗を掻いた。仲間は他に6人、うちヴァイオリン1、ピアノ1。当方参加3回目の今回から、プログラム起案と進行係を任されたので、過去2回よりはスムーズに運営できたと思う。
 
しかし、半分ほどは従来の方式の時間に充てたので、もたつき感皆無ではない。次回からは全体のお膳立てを整えて臨むのがよさそうだ。ただし、押しつけにならないよう関係者の意見を聴きながら準備する必要がある。プリント配付で少々の持ち出しも覚悟しなければならない。
 
Ⅰ 夏の歌
1 うみ   海は広いな大きいな 月が昇るし 日が沈む ~
2 海    松原遠く 消ゆるところ 白帆の影は 浮かぶ ~
3 たなばたさま   笹の葉さらさら 軒端にゆれる ~
Ⅱ 梅雨の歌
4 雨     雨が降ります 雨が降る 遊びに行きたし 傘はなし ~ 
5 アメフリ   アメアメ フレフレ カアサン ガ ジヤノメ デ ~ 
6 沙羅の木   褐(かち)色の 根府川石に 白き花 はたと落ちたり ~
7 梅雨の頃   紫つゆ草 梅雨の頃 びっしょり咲きます 紫に ~
8 てるてる坊主  てるてる坊主 てる坊主 あした天気に しておくれ ~
Ⅲ リクエストの部
 
6 沙羅の木」は信時潔作曲をヴァイオリンの伴奏で歌った。当管理人としては、人前での初演である。誰も聴いたことの無い曲なので嫌われる恐れがあったが、短いので皆さんおとなしく聴いて下さった。大文豪森鷗外の詩であること、地元に所縁の深い曲であることを強調しておいた。
 
7 梅雨の頃」は歌詞が解り易いので、これも受け入れられたようだ。本当は、皆さんがこれを一通り歌えるよう、講習をしたいところなのだが、さすがにそれは無理なような雰囲気だ。
 
皆さんが直ぐに歌える曲、備え付け歌詞集に載っている曲だけに限定する従来方式では、毎回変わり映えしないし、ボランティアとは言え、意欲が湧かない。毎回1,2曲は、押しつけにはなるが、見繕った歌を含めることにしよう。
 
終了後、「沙羅の木」すなわちナツツバキを見られるかも知れないからと仲間に声を掛けて、近くの小石川植物園まで足を伸ばした。受付で所在位置を確認して向かった先にはナツツバキは見付からなかったが、近縁のヒメシャラは、幸い目の良いヴァイオリニストさんが見つけてくれた。辛うじて名残の1輪を拝む事が出来た。
 
途中、モグラ塚の説明をして少し歩いたところでタイミング良く(?)モグラの死骸に行き当たった。モグラが日当たりの良い所で横たわっているのはどんな事情だろうか。腹部に出血跡が見られたが、体全体としては食い破られたようにも見えなかった。
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関 定子~依然驚異のソプラノ~乱れて動ぜず

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昨夕、久し振りに日本橋の方のロビーコンサートを聴いてきた。お目当ては日本一の称号を捧げる価値のあるソプラノ、関定子だ。当ブログの記録によれば、4年前に同じ会場で彼女の類い稀な歌声を聴いている(アトリウムコンサート~関定子~驚異のソプラノ 2010/9/6()
 
アトリウムコンサート 77日(月)18:30
~円熟の極み!!~『関定子の
ソプラノ:関定子/ピアノ:藤木明美
 
八つの子供の歌》作曲:中田喜直
   「くるみのお家」「ね、蜂さん」「雨ふり」「うれしい象さん」「匂いのある家」
「むこうのきしへ」「かあさん、はやくこい」「おやすみなさい」
民謡集》採譜・編曲:藤井清水
   「連枷叩きすりゃ」(岡山)
   「やんせやんせと」(岡山)
   「郡上の八幡」(岐阜)
   「ちゅうちゅうけ」(熊本)
   「さんさ押窓は」(宮崎)
懐メロコーナー
「夜来香」
「別れのブルース」
「恋人よ」
「津軽のふるさと」
ピアノ・ソロ
   「リベルタンゴ」
オペラアリア集
   “アンドレア・シェニエ”から「La mamma morta」(邦題例:亡くなった母を)
アンコール
「浜辺の歌」
会場全員で
「たなばたさま」
 
前回の感想がそのまま今回も使える。“年齢の影”も、4年の歳月を置けば無視できない。「恋人よ」あるいは「津軽のふるさと」辺りでお疲れが感じられたのは、当方の聴覚の衰えだけでは無さそうだ。歌詞の乱れがあり、驚いた。「夜来香」で超絶技巧を弄したことが響いたのか。
 
しかし、些かも動揺する様子を見せず、堂々と歌い切るのは、やはり並の歌手ではない。前回65歳と自白しているから、今年は69歳になることを勘定に入れると、“驚異のソプラノ”であることも間違いない。的確な演技を伴う表現力も健在だ。
 
アンコール曲「浜辺の歌」の後、「たなばたさま」を、彼女自身は歌詞を知らないからと言い、メモを見ながら皆と一緒に歌った。この聴衆に歌わせるサービスは恒例なのだろう、前回は「赤とんぼ」だった。
 
彼女は毎年のようにこのコンサートシリーズに登場しているらしい。これから欠かさず聴くようにしよう。それにしても、相変わらず終始響き渡る厨房騒音にはがっかりした。この4年間に全く改善されていないのだ。音楽ホールでの公演ではないと開き直られれば返す言葉は無いが、もう少し何とかならないものか。
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中本 椋子~ランチタイムコンサート~志摩 大喜

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イーヴニングコンサートの翌日はランチタイムコンサートと、無料コンサート巡りは、我ながら、いじましい限りだ。生の、本物の音楽に魅入られてクラシックコンサートに足を運ぶようになることを期待しているであろう主催者には申し訳ないが、ここで十分に満足して留まっている。
 
音楽ホールで、雑踏騒音に気を散らされること無く生演奏に浸るに越したことは無いが、小さく固まった精神には敷居が高い。
 
78() 356回 
爽やかな歌のひと時をあなたにfeeling with you
中本椋子(ソプラノ)/志摩大喜(テノール)/角田恭子(ピアノ)
 
Aプログラム12:05
1.      私が街を歩くと プッチーニ《ラ・ボエーム》から [中本]
2.      荒城の月 土井晩翠/瀧廉太郎  [志摩]
3.      夏は来ぬ~われは海の子  [二重唱]
4.      何と美しい絵姿 モーツァルト《魔笛》から [志摩]
5.      宝石の歌 グノー《ファウスト》から  [中本]
6.      唇は黙っていても レハール《メリー・ウィドウ》から [二重唱] 
 
Bプログラム12:35
1.      初恋 石川啄木/越谷達之助 [志摩]
2.      浜辺の歌 林古渓/成田為三 [二重唱]
3.      恋人を慰めて モーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》から [志摩]
4.      影の歌 マイヤベーア《ディノラ》から [中本]
5.      オー・ソレ・ミオ  ディ・カプア  [志摩]
6.      乾杯の歌  ヴェルディ《椿姫》から  [二重唱]
 
志摩、中本の二人は、このシリーズで3~2年前に聴いており、彼らの実力が印象に残っているので、楽しみにしていた。しかし、あれこれと些事にかまけて出発が遅れ、A2.「荒城の月」の途中から聴くことになった。
 
期待通りの美声を聴かせてくれたお二人だが、どうしたことか、A3.の唱歌メドレーでは歌詞が混乱して、メロメロになりそうな気配さえした。それぞれ独自の歌詞で歌うオペラのような場面もあった。まさか演出ではないとは思うが、案外面白いかも知れない。
 
日頃歌いつけない童謡・唱歌の類いが、彼らにとっては落し穴なのだろうか。他の曲でも本調子ではないのかなと危ぶまれるところもあったようだが、それとも準備不足だったのかな。
 
中本のコロラトゥーラの妙技、志摩の会場巡行サービスも楽しく、1時間弱ながら、電車に乗って聴きに行った甲斐がある。
 
ところで、雑音・騒音はつきものながら、奇声を発する子供が野放しになっていて、普段の騒音とは段違いの艶消しになっていた。どんなに演奏の障害になっても主催者や出演者は、ロビー・コンサートゆえ、我慢する約束になっているのだろうか。
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信時版「沙羅の木」初演②~鷗外三十三回忌~詩壁落成式

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先だって、森鷗外の詩「沙羅の木」に信時潔が曲を付けた楽譜の手書き原本が森鷗外記念館に2通あることについて、“便利な複写機の無かった時代、信時は念のため楽譜を2通作成したのだろうか”と自問した(信時潔版「沙羅の木」楽譜~コピー交付申請~原本2通の謎)。
 
これは、記念館の所蔵品は鷗外の遺品である、信時が鷗外に楽譜を贈った、との思い込みによるのだが、どちらも事実ではないことが判った。「信時潔研究ガイド」サイト(http://home.netyou.jp/ff/nobu/)の主要作品リスト・独唱曲の部に、“沙羅の木(森鴎外作詩) 独唱,(二部合唱,)pf 1954”と記されているからだ。もっと早く気付くべきだった。
 
鷗外は1922年に亡くなっており、その32年後の作曲だ。この年数で直ぐに思いつくのは三十三回忌だ。鷗外の三十三回忌法要に演奏する楽曲として、遺族が信時に作曲を委嘱したのではないかと想像するのは容易である。
 
実は、その“真相”を暗示していると思われる情報をつい最近当ブログにアップしていたのだ(沙羅の木~森鷗外記念館~詩碑六十周年? 2014/3/9())。すなわち、“(森於菟は)昭和二十九年七月九日は父(鷗外)の三十三回忌に当るので、私は、弟妹とはかり父の供養のためにするという名義で、「沙羅の木」の詩壁を建てることにした”のだ。
 
これに続く記述から、信時作曲「沙羅の木」は、鷗外三十三回忌に合わせて作成された同詩壁の落成式において演奏されたものと推測される。本当の初演はこの時だったのだ。落成式は盛大だったということで、文字通り“鳴物入り”だったのだろう。誰が歌ったのだろう。新聞記事検索で判るかもしれない。
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僕等の団結~戦時歌謡~平和な歌詞

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面白い歌を見付けた。
 
僕等の団結  作詞 勝承夫(19021981)、作曲 信時潔(18871965

楽しい時も苦しい時も
僕等の誇りは団結だ

僕等は互いに信じ合う
嬉しい事は分かち合い
苦しい時は助け合う
いつでも明るく楽しい仲間

僕等は元気で励み合う


僕等は互いに鍛え合う


僕等は希望を語り合う
憩いの夕朗らかに
未来の夢を胸に抱く
僕等は新月楽しい仲間

戦う時も憩いの時も
僕等の誇りは団結だ
 
先の大戦中のラジオ番組《国民歌謡》が《国民合唱》に衣替えするまでの繋ぎに位置する《われらのうた》で放送された(194110月)という。
 
面白いのは、その歌詞だ。時局柄、国民の戦意昂揚を図る歌である筈だ。しかし、他の戦時歌謡などと違い、国民を直接に戦争に駆り出したり、戦争協力を促したりする文句が無い。
 
終節に“戦う時も憩いの時も”とあるのが唯一戦時下を思わせるのだが、それは当時まさに戦時下であったからに他ならない。今歌っても、スポーツなどの競技における戦と理解して違和感は無い。労働運動華やかなりし頃ならば、労働歌、団結の歌として十分に通用したのではないか。
 
もう団結や闘争を旗印にする労働組合は殆ど見掛けない時代になって、些か拍子抜けだが、ヴィデオゲームの世界でも使えそうな歌ではないか。
 
作詞の勝承夫は、戦争中の国策協力に於いては人後に落ちなかったと評価される詩人だ。その人にして、このように巧みに検閲を擦り抜けるような工夫をして、実は抵抗を試みていたのかも知れないと思われてきた。
 
曲は、詩形に合わせて、前唱・後唱付き4節からなる二部合唱となっている。ハ長調2/4拍子、♩=69、“いきいきとたのしく”と指示されている。
 
「決戦下の中等学生愛唱歌集」(1943年3月 白眉出版社)という勇ましいタイトルの歌集に収められたのが奇跡のように思われる。
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玉杯に緑酒を~一高生か~巷の人か

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旧制高校寮歌を歌い継ぐ人たちの集う「会」のお便りに面白い記事があった。一高寮歌の代名詞の如き「嗚呼玉杯に」の一番、出だしの2フレーズ“嗚呼玉杯に花うけて 酒に月の影宿し”の主体は誰かという設問だ。
 
嗚呼玉杯に花うけて 酒に月の影宿し 
治安の夢に耽りたる 榮華の巷低く見て 
向ヶ岡にそゝりたつ 五寮の健兒意氣高し
 
玉杯の美酒に花びらを浮かべて飲んでいるのは「一高生」か「巷の俗人」か、解釈が分かれているのだが、それについて過去に論考を発表した人が多数おり、それをまた詳細に調査、整理した人がいるのだ。
 
当管理人は、「一高生」説が自然だと思っている。ところが、関係者の間では、「巷」説が多数派なのだそうだ。両説それぞれに根拠を列挙しており、いずれにも一理あり、論理的に決着をつけることは無理な様子だ。
 
今回の記事には論及の無かった視点を一つ挙げておこう。問題の一番と対比して2番の歌詞を見ると、詩想がはっきりするのではないか。
 
芙蓉の雪の精をとり 芳野の花の華を奪ひ 
清き心の益良雄が 劍と筆とをとり持ちて 
一たび起たば何事か 人世の偉業成らざらん
 
全体として、一高生の心意気を表現していることは明らかである。それを優雅に、或いは美麗に表現した2フレーズが1,2番で見事に対応しているではないか。“治安の夢に耽りたる 榮華の巷”という1番の3,4フレーズは、一高生が“低く見る”対象を挿入したものであって、歌の主役として出だしの部分1,2フレーズを頂くほどの地位にはないのだ。
 
歌詞を精細に分析吟味すればするほど、多様な要素が炙り出され、収拾がつかなくなる。むしろ、歌詞の全体を統一的に眺めることで、詩想の正解が得られると思う。木ばかり見ないで、森を見よ、なんて偉そうな口を一度は利いてみたかった。今回は許されるかな。
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炭素年代法②~木越邦彦~黒田和夫

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先だって炭素年代測定法についての私的懸案事項の解決を取り上げた(屋久杉の宇宙痕~炭素14年代測定~8世紀の宇宙現...  2014/7/4())
 
その時は省略したのだが、この測定法の先駆的な研究者として木越邦彦氏のお名前も夙に承知していた。投稿を触発した江沢先生のエッセーにも当然に木越氏な関する記述があった。
 
投稿起案中にも、木越氏のことを書こうか書くまいか気持ちが揺れ動いていた。結局、不精癖が勝ったことを今大いに悔やんでいる。投稿の2日後の76日に木越氏が亡くなったのだ。そのことを2日前のニュースで知った。
 
木越邦彦氏が死去 学習院大名誉教授  2014/7/11 21:29
木越 邦彦氏(きごし・くにひこ=学習院大名誉教授)6日、老衰のため死去、94歳。自宅は東京都渋谷区東3の8の4。お別れの会を行うが日取りなどは未定。喪主は長女、秋光正子さん。
 専門は放射化学。屋久島(鹿児島県)の縄文杉の樹齢などを測定した。
 
報じたのは、一部の全国紙だけだったようだ。改めて木越氏の経歴を読み、戦争中の日本軍による原爆開発に動員されていたことを知った。
 
そこで思い出したのは、“天然原子炉”の黒田和夫氏である。彼も原爆計画(末期)に動員されていた(日本陸軍の原爆計画~仁科芳雄の誤解~黒田和夫の保管書類2013/1/27())。
 
蛇足だが、黒田和夫を知らずに“天然原子炉”を初めて取り上げたのは、6年前の昨日だった(対称性~音楽~完全性 2008/7/13())。曜日配列が今年と一致するように見えるが、閏年だったので、31日以降に限ってのことだ。
 
黒田和夫(191741 - 2001416日)
木越邦彦(191977- 20147  6日)
 
ニュースでは、木越氏享年94歳であるが、あと1日で95歳の誕生日、七夕だった。
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