珍しく邦楽のコンサートを鑑賞した。主催者HPでは次のように告知されている:
杵屋 六左衛門 作曲 長唄《勧進帳》
山本 邦山 作曲 尺八《竹の群像》
中能島 欣一 作曲 箏曲山田流《新潮》
佐藤 敏直 作曲 箏曲生田流《糸のためのコンチェルト》
山田 抄太郎 作曲 日本舞踊《雨の四季》
観世 信光 作 能楽《胡蝶》
従来、旧東京音楽学校奏楽堂で催されていたお得なコンサートで、同施設が保全改修工事で休館中のため、台東区のミレニアムホールに会場を移して続行されている。拙宅からバス1本、約45分で行けるのも不思議なご縁だ。
コンサートの進行は全く機械的で、案内は一切無しだ。邦楽には不案内だから、上記プログラムの通りだと思って聴いていたが、何かしら腑に落ちなかった。
最初の演奏が、多数の筝による合奏だった。歌は無かった。それでも、これが“長唄《勧進帳》”というものなのかと感じ入っていた。タイトルの古風さとは対蹠的に、まるで無調の現代音楽だった。絃を棒で打ち鳴らす奏法も取り入れていた。
やがて、プログラムが進むにつれて、演目の誤解があるようだと気付いた。改めて、受付時に渡されたチラシ(解説)を見て、総てがはっきりした。演奏順序が変わっていたのだ。実際は、
佐藤 敏直 作曲 箏曲生田流《糸のためのコンチェルト》
山田 抄太郎 作曲 日本舞踊《雨の四季》
観世 信光 作 能楽《胡蝶》
中能島 欣一 作曲 箏曲山田流《新潮》
山本 邦山 作曲 尺八《竹の群像》
杵屋 六左衛門 作曲 長唄《勧進帳》
となっていたのだ。無調現代音楽の正体は《糸のためのコンチェルト》だった。終局の diminuendo で消えていくところは美しく聞えた。演奏中に駒が1個外れて跳んだのだが、そのまま、皆さん相変わらず無表情で弾き続けていた。駒は無くても問題無いものなのか、それとも咄嗟に奏法で対応したのか。
日本舞踊も邦楽の範疇に入るとは知らなかった。あるいは、今日の場合は、邦楽家の余技なのかな。
全体に変化に富んだプログラムで、大いに楽しみ、満足した。邦楽では、弾き歌いが普通らしいことも分かった。多人数の合奏でも指揮者がいないことも注目に値する。緩急・強弱の複雑なこと、われわれの日頃の一本調子な合唱の比ではない。誰かが合図を出したり、リードしたりしているのだろうとは思うが、それにしても大したものだ。