「全國大學專門學校高等學校校歌集」の目次には、各学校に番号が付され、歌の出だしの文句が並べられている。
見て行くと、91番目が東京美術学校で、「何だ此の野郎柳の毛虫」と出ている。「嗚呼玉杯に花受けて」とか「都ぞ弥生の雲紫に」とかの格調の高い歌詞とはまるで別世界だ。
兄弟校たる東京音楽学校が、音楽の研究・教育機関の頂点に位置しながら、ここに登場しないのも面白い。編集者が失念する訳が無い。実際、校歌と言える歌は無かったらしい。それにしても、応援歌も寮歌も無かったのだろうか。人から頼まれて作曲するのに忙しくて、自分たちの為の歌を作る暇が無かったということか。
本文の東京美術学校の項を見ると、「チャカホイ節」とタイトルが付されて、次のような粋な文句が列挙されている:
一 何だ此の野郎柳の毛虫、払ひ落せば又あがる チャカホイ
二 箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川
三 天下取るまで大事な身体、蚤に食はしてなるものか
四 お前行くなら私も連れて、末は奥州の果までも
五 之れを止めよか之れが止めらりよか、止めりや世間の笑ひ草
六 親は他国に子は島原に、桜花かや散り々々に
七 何をくよくよ川端柳、水の流れを見てくらす
八 骨に成るとも放れはしない、破れ屏風の蝶つがひ
九 氷る櫓先に片手をかけて、泣いて通るか櫓(やぐら)下
十 船で渡るか深川通ひ、着ける所も仲の町
囃子言葉“チャカホイ”は一番だけにしか歌われないのか。
ネット検索したところ、“1906年(明治39年)流行歌 チャカホイ節、青葉の笛(敦盛と忠度)尋常小学唱歌”という記述が見付かった。