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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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Voi che sapete(恋とはどんなものかしら)~生涯学習講座~流浪の民

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コーラスの生涯学習講座で、先週はモーツァルトの≪フィガロの結婚≫から「Voi
 che sapete」を強引に練習した。メロディーのさわりを聞き覚えている人が多いとは言え、歌ったことのある人は少ないだろう。当方もそんな一人だ。細かい刻みで上下する部分などはたやすく覚えられない。

先生にブーブー不満げに意図を質す生徒もいた。しかし、難しくとも新曲に挑戦したいという生徒の方が多かった。簡単に、直ぐに歌える曲ばかりやっていては、進歩が無いだろうし、生徒も飽きが来るだろう。
 
と、背伸び路線に同調していたところ、今度はシューマンの「流浪の民」(四部合唱、石倉小三郎 訳詞)が課題として与えられた。その譜読み(各声部の音取り)を1時間半ほどで終えるという荒行に、生徒たる高齢者は溜め息をつきながらも、真面目についていったのだから、先生の指導力も大したものだ。
 
今日の出来に先生は満足げであった。しかし、各声部ごとの音取りが中心で、“合唱”にはなっていない。これでは画龍点睛を欠くきらいがある。時間はあったのに、何故、通しで歌わせなかったのだろう。生徒の忍耐力が限界に来ていると思ったのか、それとも、単に失念しただけなのか。
 
思えば、「流浪の民」は、趣味のコーラスを始めて2年ほど経った頃に、カルチャー教室で取り組んだ“大曲”だ。生徒数は10人ほどだった。最終的には、先生もソプラノに加勢して、皆必死に歌ったのだが、未完に終わったと記憶する。三部合唱だったはずだ。今から13年くらい前の事、懐かしくもあり、進歩が無くて悲しくもあり、齢だなあ。
 
テノール・パートの最高音は二点ト(G、高いソ)で、大変でもないが、その下のヘ(F)やホ(E)が続くと、忽ち喉がヘロヘロになり、情けない限りだ。≪喉で歌ってはいけない≫といくら教えられても、実践は難しい。喉を疲れさせない歌い方の秘訣とは、他人が教えてくれることを期待できないもののようだ。 

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