半世紀前、正確には1961年4月からの2年間、通学路として時々利用した湯立坂(文京区、東大植物園近くから春日通・茗荷谷駅前に上る坂道)の上りきった右角に、落ち着いた重厚な建物のあることに気付いていた。それが何であるかを詮索するゆとりは無かった。
その後何十年も経って、古いものに親しみを覚える年頃になって、同潤会アパートなる一群の歴史的建築群の存在を知った。茗荷谷の建物がその一つ(1930~)であることは後に判った。それも、女子アパートという特別の存在であることを知り、驚いたものだ。
その「同潤会 大塚女子アパート」が所有者である東京都によって廃用、土地売却されることが報じられた時には、保存を望む声が上がった。しかし、役所の計画は揺るがざること天体の運行の如く、建物は取り壊され(2003)、今その跡地には企業の本社ビルが建っている(2013~)。
「同潤会 大塚女子アパート」の我が記憶を強固にしたのは、ここにロシア人音楽家・小野アンナが居住していて、彼女の指導を受けた日本人の中から優れたヴァイオリニストなどが輩出したという物語であった。
先日の朝日新聞に、小野アンナ姉妹顕彰碑の記事が有った:
≪芸術育てたロシア人姉妹、多摩霊園に記念碑完成
戦前から戦後にかけて、日本で長く活躍したロシア人の画家と音楽家の姉妹がいた。2人の功績をたたえる記念碑が多磨霊園に完成し、15日に除幕式があった。日本人の教え子ら約20人が参加し、姉妹の功績や思い出を語り合った。
姉妹は、画家のワルワーラ・ブブノワさん(1886~1983)と音楽家の小野アンナさん(1890~1979)。高さ約90センチ、幅約70センチの記念碑が除幕された後、ロシア正教の大主教ニコライが建てたニコライ堂の神父が碑をきよめる儀式を執り行った。
姉妹と親交があった日露文化センターの川村秀(すぐる)さん(82)は「日本の文化発展に尽くした2人の記念碑は、草の根の日ロ友好の象徴になると思う」。アンナさんの教え子らでつくる「小野アンナ記念会」会長でバイオリニストの浦川宜也(たかや)さん(76)は「先生が種をまいた日本の子どもや若者たちへのバイオリン教育にさらに力を尽くしたい」と話した。≫
当管理人がその女子アパートを横目に見ながら通学していた頃には、小野アンナは既にソ連へ去っていたとのことである。グルジアの音楽院でヴァイオリンの教授となった彼女は、1979年の今日、5月18日に没した(ウィキペディアその他)。
(写真は他サイトから拝借)