以前、「一高門札紛失」という興味深い事件を引用、記録した(一高門札紛失事件~昭和25年3月24日~月齢6 2016/1/26(火))。引用元の報文タイトルには<1>と付番され、(未完・以下次号(2)に続く)と締められてはいたが、この度、〈2〉が配信された。
「一高門札紛失」事件は迷宮入りになったのだとばかり思い込んでいた当管理人、この続報によって、水を掛けられてしまった。何の事は無い、とっくに解決済みの事件の前半だけを上手に語られ、引きずり込まれていたのだ。以下、続報の独断抄録:
≪~今から二十年程前に出入りを始めた「一高同窓会」で、昭和25年春ころに、忽然とこの門札がなくなってしまった後も現在に至るまでまだ見つかっていないのだと初めて耳にした~
以来、当時ボランテイアとしてほぼ日参して資料の整備に没頭していた「一高同窓会事務局」の談話室と帰途にいつも立ち寄る駒場の教養学部にあった「駒場図書館」の4階奥にあった「一高資料室」との2か所に分かれて雑然と未整理のまま放置されていた膨大な量の各種の未整理資料の山に埋もれて汗を流している毎日が続いていて、なかなか「正門門札」の行方調べにまでは手が回らなかった。~
忽然となくなった一高の「正門門札」は、2004年10月下旬の某日、E君が、お身内の教養学部教授と同行して、以前の外観通りに新しく改装された元一高図書館の建物をそのまま利用して再開された「美術博物館」に持参して同館学芸部員の折茂先生に直接手渡しで返却(寄贈?)したのである。~
この年の11月1日には、都内の「椿山荘」で、「一高開学130年記念大会」が開催され、この「第一高等学校」の懐かしい正門門札は約半世紀ぶりに、この記念大会に出席した一高同窓生に披露されたのである。≫
あっ気ない結末を明かされてしまえば、発端の事件の謎も消滅する訳で、残るは、謎解きをした報告者ご自身の苦労談と達成感である。
なお、門札返却を伝える当時の資料が添付されているが、その日付は“2004/10/15”となっており、“2004年10月下旬の某日”の記述と整合しない。