「音楽の窓」という某有力音楽出版社の月刊PR誌(廃刊)の1980年1月号を先週(2014/2/12(水))ネタ元にした。その翌々月3月号にも目を惹く記事が有った。「ある若いピアニストの死」と題して、三浦淳史氏が書いている。長い引用:
“1979年(12月23日)~~サセックス州のヒーチー・ヘッドのふもとでひとりの若い男の全裸の死体が発見された。~12月16日にロンドンの自宅を出たまま行方不明であったコンサート・ピアニストのテレンス・ジャッドであることが確認された(27日)。~家出した日から一週間後の日曜日(つまり死体発見の日)にソヴィエト演奏旅行に出発するはずであった。
ジャッドは1978年度のチャイコフスキー国際コンクール=ピアノ部門で、ソ連のボリス・ペトロフと第4位を分かち合って入賞したイギリスの新進ピアニストである。”
新聞の社会蘭に小さく「失踪中のピアニスト死体で発見さる」と報道され、年を越してから、彼の先生の弔辞、検死官の所見などが伝えられた。死因は不明だそうだが、自殺であったと見られている。
三浦氏がこの件を取り上げたのは、その年の秋にロンドンのポリーニのリサイタルで、隣り合わせた男性に「イギリスで最も有望な新人ピアニストは?」と問うたところ、「テレンス・ジャッド」と答えられたことがあったからだという。
ウィキペディアでは、“テレンス・ジャッド(Terence Judd、1957年 10月3日- 1979年)は20世紀イギリスのピアニスト。本格的な音楽活動に入ろうという矢先に夭折した。 1957年にロンドンでアメリカ人の両親の許に生まれる。とりわけロマン派音楽の擁護者として知られ、~”と紹介されている。
これは三十余年も前の事件だが、近年何か似たような話が有ったような気がして記憶を辿った結果、“ピアノマン”事件を思い出した。ウィキペディアが要領よくまとめてくれている:
病院の関係者が男性に鉛筆と紙を渡したところ、精緻なグランドピアノの絵を描いた。そこで男性にピアノを弾かせてみると、上手に演奏し~「ピアノマン」と呼ばれるようになった。~5月にBBCで報道されると、その神秘的な境遇のため世界中から注目されるニュースとなり、~”
この件は、ピアノマンのお芝居であることが判り、数か月で幕引きとなったそうだ。ピアノは全然弾けなかったそうで、“ピアノを弾かせてみると、上手に演奏し~”のところは嘘であることは、病院の関係者などは当然知っていた訳で、話題捏造に協力していたものと思われる。
何やら、昨今のカワチノカミ氏の詐称事件を連想させる。
なお、テレンス・ジャッドのサセックス州とピアノマンのケント州は隣り合わせである。