日本学士院第63回公開講演会が平成27年10月24日(土)午後に行われ、2講演の一つは根岸隆氏(経済理論・経済学史)の「ワルラスの樫の木」であった。これについての根岸先生ご自身の予告は次の通りであった:
≪ 経済学の歴史において、物理学におけるニュートンにも比すべき地位を占めるスイスの学者レオン・ワルラス(1834-1910)の次のような主張について考えてみたい。
「ひとは自分のおこなったことに明確な認識をもたなくてはならない。もし収穫を急ぐならば、人参やサラダ菜を植えるべきである。しかしもし樫の木を植えるだけの野心があるならば、自分自身にこう言いきかせるべきであろう。わたくしの孫たちはこの緑陰をわたしに負うているのだ、と。」
これはワルラスが書いた手紙の一部であるが、だれにあてた手紙なのか、必ずしもあきらかでないので調べてみたい。≫
≪~ 一般均衡理論を打ち立てたスイスの経済学者レオン・ワルラスの書いた手紙の謎を追いつつ、彼が日本の経済学に与えた影響にも触れながら丁寧に紹介し ~≫
数理経済学の難しいお話には付いて行けないが、「ワルラスの樫の木」というタイトルの誘惑には勝てない。先ごろ当欄に≪マルティン・ルター~リンゴの木~アイザック・ニュ... 2016/3/22(火)≫を載せた手前もある。以下、ニュースレターの「要旨」からの編集抄録である:
「ひとは自分の~樫の木を~わたしに負うているのだ、と。」は安井琢磨教授(1909-95)が愛されるワルラスがその友人ジョルジュ・ルナールに書きおくったとされる言葉である。私はこれを『ワルラスをめぐって』(安井琢磨著作集第一巻)に収録されている「レオン・ワルラス『純粋経済学要論』」の序文から引用しているのであるが、これはもともと『経済セミナー』(1957 年10 月)から採録されたものであり、学生むけの解説文でもあることから安井教授は引用源をあきらかにしておられない。
全3 巻、大判、合計2 千ページ余の『レオン・ワルラスの文通および関係書類』(Jaffé,1965)には、ワルラスが書いた、そして受け取った手紙合計1783 通がすべて収録されている。ルナールに宛てた手紙のいずれにも「樫の木」の記述は無かった。
なんと問題の手紙はルナール氏あてではなく、ルナール夫人(Louise Georges Renard)あてのワルラスの1903 年4 月13日の書簡であることを御崎教授は付き止められた(平成12 年1月18 日付の小生宛て書簡)。
安井教授が『経済セミナー』(1957 年10月)に執筆された時には、もちろんジャッフェ教授の『レオン・ワルラスの文通および関係書類』(Jaffé, 1965)はまだ出版されていない。 安井先生は、いったいどこからワルラスの「樫の木」を日本に移植されたのであろうか?