先月、2度に亘って、知る人ぞ知る兼常清佐氏について書いた( 2014/1/27(月) 2014/1/28(火))。当方としては、 日本の近代音楽史上の重要人物について無知であったことを埋め合 わせる気持であった。
不思議なもので、その兼常氏のお名前に、 また直ぐにお目に掛かった。「音楽の窓」 という某有力音楽出版社の月刊PR誌(廃刊) の1980年1月号に、吉川英史氏が「 石川五右衛門の妻と兼常博士」と刺激的な題の短文を寄せている。
石川五右衛門の妻というのは、後妻で、継子苛めをするのだが、 実は、継子が父親のような盗賊にならないよう、 先妻の所へ逃げていくように苛めていたのだそうだ。 単なる意地悪ではなく、 その子の将来を思えばこその親心からの行為だったと。
一方、兼常博士は、極端な日本音楽軽視論者なのだそうだ。 確かに、彼の「音楽の話と唱歌集(上級用)」の書きぶりには、 それが滲み出ている。彼は、「邦楽は原始音楽で、 山かごのようなものだ。博物館行きだ。」と主張した。対して、 吉川氏は「邦楽にも将来性や国際性はある」との立場であった。 お二人は新聞やラジオで対決したのだそうだ。
そこで、なぜ五右衛門の妻と兼常博士が対置されるのか。 吉川氏の邦楽研究熱は、 兼常博士の邦楽いじめに対する反発で盛り上がったのではないか、 と自問されるのだ。吉川氏は更に、“ もしかしたら兼常博士は逆説的に表現されたのではないか、 悪口を言えば誰かが日本音楽を本気で研究してくれないだろうかと 、意識的に考えて~”と想像を広げたそうだ。
吉川氏が著書「日本音楽の性格」を兼常博士に増(ママ) 呈したところ、返事のはがきに「あの本を、 コトを弾いていた姉に読ませたかった」とあったそうだ。 論敵同士でも、 互いに認め合った良好な関係を思わせる清々しいエッセーだ、 と思うのは単純に過ぎるかな。
兼常清佐 1885-1957
吉川英史 1909-2006