≪ポトマック桜の植樹記念式典(1912年3月27日)で高折周一の作曲した「サクラ」と「萬歳」が演奏された≫件に関連して、新たな情報に接した。北國新聞社編集局/編「サムライ化学者、高峰博士」(時鐘舎新書 2011.2)の254-255頁に次のような記述がある:
≪ ワシントンでの植樹から1カ月が過ぎた1912(明治45)年4月28日。マンハッタンのハドソン川沿いで桜の植樹祭が行われた。~群衆を前に高峰博士は格調高いあいさつをした~~~アメリカのウッドフォード将軍は“この祝の場にドイツやフランス、イギリスは戦艦を派遣してきた。日本は~~~2500本の桜を贈ってくれた。軍艦は戦争を、桜は平和を象徴する”と述べた。~~~しめくくりには、この日のために日本人作曲家が作った「さくら、さくら」という曲が演奏された。≫ (典拠は、ニューヨーク・トリビューン紙か。)
問題は、ニューヨークのハドソン川沿いにも日本から贈られた桜が植樹され、記念式典で≪この日のために日本人作曲家が作った「さくら、さくら」が演奏された≫という点だ。上掲書には、ポトマック河畔の植樹式典における「サクラ」演奏の記述が無い。
情報を素直に総合すれば、高折周一はワシントンとニューヨークの両地で、ひと月の間を置いて「サクラ」を演奏したものと思われる。