Quantcast
Channel: 愛唱会きらくジャーナル
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1579

幻の神戸市歌~懸賞当選歌詞~お蔵入り?

$
0
0
月刊雑誌≪音楽界≫の大正2年の頃の号に載っていた記事:
 
神戸市歌の当選 昨年六月神戸市教育会が一等二十五円二等十五円の賞を懸けて江湖より募集したる神戸市歌は応募数六十三通に達し予て芳賀文学博士に選を嘱託中なりしが二十一日当選者を発表せり一等は左の如く神戸市元町三丁目増谷利芳氏作にして規則違犯の為め賞金は二十円に減ぜられたり

イメージ 1
 



















明治から大正への代わり目を跨いで生まれたその歌詞は次のようなもの:
 
一 平相国が一代の豪華に築く経ケ島  福原京の古へも和田の泊は賑ひき  振へ我が神戸市民
二 大楠公が当年の~~~ 五 大日本の門戸たる~~振へ我が神戸市民
 
これにどのような曲が付けられたのかと探索したところ、ウィキペディアの情報から≪JOBK編『青年の音楽:ラヂオ・テキスト』(日本放送出版協会関西支社、1935)≫所収の楽譜画像を入手できた。ト長調2/4拍子、快活な、応援歌風である。
 
ただし、公式の(神戸市制定の)市歌とは認められていない。すなわち、“なお、初代市歌よりも以前の1921大正10年)に非公式の市歌として「神戸市の歌」(作詞・作曲:神戸音楽同好会)が発表されている”のがこの歌である。
 
さて問題は、歌詞の出来たのが1912年、楽譜発表が1921年という、タイムラグ9年である。しかも、“作詞・作曲:神戸音楽同好会”となると、原作詞者・増谷利芳氏や公的組織・神戸市教育会は全く無視されていることになる。
 
しかも、歌詞は、第一節がほぼ原形をとどめているほかは相当大胆に改変されている。各節締めの“振へ我が神戸市民”は“奮へ奮へ神戸市民”と、まさに応援歌になった。比較すれば、改変後の歌詞の方が出来は良いようだ。

イメージ 2
 
この経緯、些か興味をそそる。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1579

Trending Articles