昨年最後の投稿で、旧制弘前高校の「図南歌」を話題にした(秋本京静~弘前高校図南歌~明本京静 2015/12/31(木))。それと特段の因果関係は無いが、昨日の日経新聞朝刊に次のような記事が載っていた:
“(キャンパス新発見)弘前大、旧制高校の面影伝える 教員宿舎、直訴受け保存
弘前大学(青森県弘前市)の正門脇に赤い屋根の洋館がある。1925年(大正14年)に建てられた旧制弘前高等学校外国人教師館だ。もともと解体・…”(電子版見出しから。続きは有料)
記事によれば、もともと2階建て延べ123㎡が2棟あったものを解体し、良好な部品を寄せ集めて1棟だけ復元再建したという。
終戦まで英語・独語の外人教師15名が居住していたとあるのには、正直、驚いた。さすが権威ある旧制官立高校だと感心した。そんなに大勢のネイティヴ語学教師を抱えていたのかと、暫く感激に浸った。
しかし、何か違和感が頭をもたげてきた。建物の延べ床面積と居住人数がアンバランスではないか。一人当たり16㎡程度にしかならない。最近の庶民的なビジネスホテル並みだ。そもそも、集合住宅の造りではないではないか。
と、そこまで考えて漸く記事を誤読していたことに気が付いた。外人教師15名が“居住していた”のではなく、“居住した”であるのに違いない。もちろん、1棟に1人だ。
考えるまでも無く、最初から明らかなことだと、今は思うが、記事を読んだ当初は解らなかった。やはり呆けたのだろう。
今回は直ぐに気付いたから幸いだが、誤解したまま思い込んでいる事柄があるに違いない。
大正浪漫を伝える外国人教師館が文京町キャンパスへ移転。
旧制官立弘前高等学校外国人教師館が、弘前大学文京町キャンパス内へ解体移転し、復元されました。この建物は、大正14年に官立弘前高等学校の外国人教師のために建てられ、その後近年まで弘前大学職員宿舎として利用されていました。しかし、青森県の都市計画による道路拡張工事のために取り壊される予定でしたが、学内外の方々から弘前市内でも希有な大正時代の財産を保存すべきとの声が高まり、このたび文京町キャンパスへ移築される運びとなりました。4月2日には、盛大に記念式典が開催され多数の関係者が移築の完成を祝いました。教師館の内部は、旧制官立弘前高等学校に関する資料を展示し、一般に公開される予定です。