東北大学が発刊している広報誌≪まなびの杜≫2015年秋号(No.73 平成27年9月30日発行)に載った次のエッセーで、意外な事実を知った:
“シリーズ3 減災 「津波てんでんこ」再考 川島秀一(災害科学国際研究所教授)
東日本大震災後、注目された防災標語に「津波てんでんこ」という言葉があります。「自分の命は自分で守る」という意味ですが、この言葉は、一般に思われているように、津波の多い三陸沿岸に伝統的に伝えられてきた言葉ではありません。
これは、一九九〇年に岩手県田老町(現宮古市)で開かれた「津波サミット」で、三陸町(現大船渡市)出身の山下文男さんが発言した言葉から生まれました。
~「てんでん」(銘々)という言葉は以前からあり、三陸沿岸では、イカ釣りの時に何人かが同じ船に乗っても、それぞれで釣ることを「てんでん釣り」と呼び~「歩ける子どもは背負うな」という言い伝えも、「津波てんでんこ」を表現しております。
~津波が来るときには、家族を探さずに、梅の木の下にある墓というピンポイントに集まることを決めていた一家の例もあります。~”
つまり、津波の時は各自、己の身命を守ることに専念せよという意味のこの標語は、1990年以降の創案であり、古くから言い伝えられたものではないとのことだ。“てんでん”という表現は東北地方だけでなく、当方の故郷たる北陸地方でも普通に使われていた。全国共通語だろう。
しかし、“てんでんに”の精神は津波に限らず、三陸地方の生活の中に古くから根付いているので、「津波てんでんこ」は言葉としてではなくとも、心構えとして、伝統的に伝えられてきたと認めてもよいのだろう。
当ブログでも、意外な所で「津波てんでんこ」が登場していた(東島/与那覇「日本の起源」~天皇推古起源説~目次で読める 2014/5/7(水))。安直に引用した「日本の起源」の目次に、≪第六章 戦後篇 ~「大きな物語」の終わりと「津波てんでんこ」のはじまり~≫とある。
当該記述によれば、江戸時代の『俚諺集覧』に、“「面々コウ」を「テンテンコッコ」とも言い、「手々向々」を「手々バラバラ、テンデンゴッコ」などとも言う”と説明されているそうだ。
つまり、ニュアンス上善くも悪くも、「てんでんばらばら」に相当する「テンデンゴッコ」などの言葉が古くからあり、目下、荻生徂徠にまで遡れるということなのだ。
昨日は北国さくらの会の稽古納めで、正月中ごろのイベントで歌うロシア民謡3曲のお浚いをした。