当方、子供の頃からスポーツ嫌いだ。運動神経が鈍くて、いつも人に笑われることが禍いしたのだろう。人は、己より劣る人を見て優越感を味わうものだ。人前で恥を掻かされる当方は劣等感を味わう。スポーツ嫌いになって当然だ。
と言っても、運動そのものは嫌いではない。スポーツゲームが嫌なのだ。ゲーム或いは試合ではなく、運動を楽しむのは人後に落ちない。つまり、一人で勝手に体を動かすことは嫌いではない。好き嫌いではなく、健康維持に必要だという事情もある。
スポーツの範疇に入るかどうか知らないが、“縄跳び”は子供の頃には遊んでいた。勿論、へたくそであった。数メートル隔てて向かい合った二人が大縄の両端を大きく回して、他の者たちが回転する大縄をくぐって跳ぶ、縄跳びに似た遊戯があるが、これは何と呼ぶのだろう。
その遊戯の名称を全く思い出さない、と言うより、知らない。そこで、念の為“縄跳び”を検索したところ、同じ呼称が適用されるらしいと判った。どちらも“縄跳び”なのだ。しかし、区別する呼称もあるに違いない。“大縄跳び”とでも言うのだろうか。と思って検索したら、その通りであった。些か拍子抜けの態だ。
検索過程で、≪綱と縄の違い≫などという話題に遭遇した。“縄跳び”とは言うが、“綱跳び”とは言わないとか、“綱引き”とは言うが、“縄引き”とは言わない、などなど。
この疑問は、材質、太さ、強度、構造などの観点から説明できるので、一応解決済みだと思うが、“つなとび”なる言葉は実在したのだ。“とび”違いだが、「綱飛び」という歌が残っている。
「綱飛び」 鈴木敏雄 詞・曲
ヨイトコラー! ヨイトコラー! 綱飛び遊びよ かからず飛べよ
足にかかって とび損なったら 来む度は代って 鬼の番よ。
ヨイトコラー! ヨイトコラー! 何遍飛んでも かかりはすまい
もし飛び損ねて 足にかけたら 今度は代って 鬼の番よ。
歌詞の内容から、この「綱飛び」は“大縄跳び”である。ひょっとして、“つなとび”と“なわとび”を使い分けていたのだろうか。綱と縄の違いに整合する合理的な使い分けのように思われる。