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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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世界的旅芸人~エムマ・カルベ~ギャラ折り合わず

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明治大正期の雑誌≪音楽界≫の1911(明治44)年2月号の口絵に、エムマ・カルベ夫人の写真が載っている。その解説記事として、≪音楽雑纂≫の部に、加川琴仙なる人が「世界第一位のソプラノ歌手 エムマ・カルベ夫人の来朝」を寄せている。
 
冒頭、“上海からカルベ夫人渡来の報に接し、彼女の声価を知る人達は、日本でも演奏するのかと大騒ぎであったが、彼女はシベリア経由で帰国の途に就いた。”とある。あとは、彼女の略歴と成功、栄華の様の紹介である。
 
その報酬の莫大なること、アメリカに於ける一シーズンの稼ぎ35万円を以って、14世紀頃の建築にかかる壮麗なるカプライレス王城を購い、居宅としているほどであるという。ざっと換算して、現在の十億円以上になるのではないか。(ちょっと多すぎるかな?)
 
そのように世界一の名声を得ている歌手が、折角来日したのに、一度も歌わずに去ったことを加川琴仙氏は“遺憾の極み”としているのだが、その間の事情には触れていない。
 
ところが、同誌次号すなわち3月号に「カルベ夫人演奏交渉失敗記」を寄せて、なかなか興味深い裏話を明かしている。なお、この記事内容により、同氏は、交渉に当たった松本楽器店の関係者であるらしいと判る。
 
全体に歯切れの悪い弁明のような印象を受ける記事だが、要するに、名人芸術家に有り勝ちな“気まぐれ”と“演奏報酬額ミスマッチ”が原因であったというのである。“気まぐれ”を悪い方向に傾けた要因に、自分の歌をその国の最高位の人物が聴きに来るのが当然であるという思い上がりもあったらしい。つまり、日本ではそのような慣習は無かった。
 
そもそも、気位の高い歌姫が日本に来た目的は何だったのか。普通は、観光であるとか、知友と旧交を温めるためだとか、然るべき口実があると思うのだが。彼女が夫のテノール歌手と共に各国巡遊の長旅の途中であったことに軽く触れられているのがヒントになるのではないか。
 
略歴を見ると、彼女の全盛期は十年ほど前であったらしいと推察される。つまり、下り坂に入っていたと思われる。欧米主要劇場での演奏会で忙しい時期は過ぎていたのだろう。過去の名声を看板にして、“主要でない”国々を巡業していたのではないか。
 
とすれば、スケールの大きい、高級な“旅芸人”ではないか。蔑称ではない。実力があれば、彼女のように、芸を“安売り”せずに去る余裕も持てるのだ。
 
しかし、“西洋人”の、このような一見高慢な態度を快く思わない日本人も当然いる。上記「失敗記」に続けて、加藤長江なる人が「楽壇放言」の題で、“仏国第一流の称ある独唱家カルヴェー夫人来り演奏料折り合はず日本を罵倒して去る金銭の多少を云々するは芸術家として陋なり日本にも此種の楽家尠からざるを憾む。”とけなしている。
 

この加藤長江さん、肩書無しでの寄稿であるが、偶々≪楽人動静≫欄に結婚の報があり、“毎日電報音楽記者”であると判る。

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