偶々手に取った春秋社PR誌『春秋』2015年10月号(No.572)で≪歌い継がれる日本の抒情歌─生誕百年八洲秀章 - 菊池清麿≫が目に付いた。八洲秀章の名は昔からお馴染みだが、生誕百年とは露知らず、タイミング良く取り上げる機会を逃してしまった。
記事は、八洲秀章の事績を簡潔にまとめており、興味深く読んだ。「さくら貝の歌」と「あざみの歌」は対のように永年歌って来たし、彼の作品はこれだけ(従って、彼は戦後の作曲家デビュー)だと思っていた。「高原の旅愁」「山のけむり」「チャペルの鐘」も八洲の作曲だとは思いもよらなかった。
何故、八洲の作曲として記憶していないのか不思議に思ったが、記事を読んで納得した。彼は別の名前でデビューしていたのだ。それは、東海林太郎の昭和12年の「漂泊の唄」で、八洲は“鈴木義男”を名乗ったという。「高原の旅愁」(昭和15年)では“鈴木義章”を名乗った。
「山のけむり」と「チャペルの鐘」は八洲秀章の名で世に出していたとすると、これに気付かなかったのは、当方の注意散漫ということになる。交響曲を作ったことは微かに知っていたのだが。
記事によれば、“交響曲の構想を交響詩「開拓者」として完成”させた。全五楽章で、クライマックスの第五楽章は合唱付きで、八洲自身もソリストとしてレコーディングに参加しているそうだ。なお、「あざみの歌」のラジオ放送では、彼が“志摩光一”の名で歌ったという。
感傷的ではあるが、哀愁一辺倒でもなく、日本人の心を揺さぶる曲を作った八洲秀章を、ミニコンサートなどの機会があれば特集したい。タイミングにこだわらずに。
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