Quantcast
Channel: 愛唱会きらくジャーナル
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1579

幻の東京市歌~東京唱歌~公定の東京市歌

$
0
0
≪音楽界≫第1巻第3号(明治41年3月号)中、田中正平談「各国の国歌」に次のような一節がある(p.49):
 
“誰でも愛唱すべき性質の国歌を作るといふ事は頗る至難な事で~~~近い例が東京市歌で東京の市民で何人が此市歌を記憶し又用ひているか。” 
 
「君が代」は国家より皇室を賛美する歌であるなどの批判があることに触れ、“新しい国歌を要求する者が多い”ことについて所感を述べたもので、結論としては、“「君が代」のは譜曲は明治十二三年頃林弘氏が作曲したもので日本古来の曲を参酌したものだから、基調は知らず知らず既に長い間国民の頭に沁み込んで居るので、非常に唱へ易い点がある。是は国歌として頗る善く出来て居ると思ふ。”と「君が代」を擁護している。
 
さて、注目したのは、「君が代」ではなく、“近い例が東京市歌で”の部分である。「東京市歌」については、以前調査済みである:
 
東京市歌  大正15年制定、高田 耕甫 作歌、山田 耕作 作曲
 
紫にほひし武蔵の野邊に ~~~          (2011/3/29()
 
上記“近い例が東京市歌で”と言及しているのは、明治時代のことだから、この“紫にほひし武蔵の野邊に ~~~”でないことは明らかだ。してみると、先代の「東京市歌」があったのか。早速ネット検索したが、見当たらなかった。
 
しかし、≪音楽界≫第1巻第7号(明治41年7月号)に“明治40年 東京唱歌 公募・選定・発表”という情報を見付けた。早速この「東京唱歌」を検索したところ、評判が悪くて歌われなかったらしいことが判った。
 
田中正平談の“近い例が東京市歌で”というのは、この官製「東京唱歌」を指したものと見て間違い無さそうだ。「東京唱歌」不評を受けて新たに「東京市歌」を作る動きが始まったそうである。彼の有名な尾崎行雄市長直々のお声掛りだそうだ。その実現まで二十年近くを要した訳だ。
 
なお、今回判ったことで、田中正平氏は、理工・音楽兼備の逸材であったらしい。
イメージ 1イメージ 2イメージ 3イメージ 4





























明25日(火)は午後2時から文京シビックセンター地下1階アカデミー文京・学習室で、生涯学習一日体験フェアーのステージ発表、会員勧誘にこれ努める予定。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1579

Trending Articles