下手の横好きではあるが、コーラスに嵌って彼此十数年、経験から会得したことが少しはある。その一つが、暗譜で歌うことの重要性だ。楽譜を丸暗記して手ぶらで歌うということのようだが、実感としてはかなり違う。
砕けた言い方をすれば、歌を体で覚えることだ。歌が自然に口から出てくるまで、回数多く練習すればそうなる。勿論、漫然とではなく、集中力を以って練習することが肝腎だ。その上で、曲の強弱、緩急など表現に工夫を加えて、他人に聴かせられる演奏が可能になる。
同趣旨の事は、先生から教わったり、解説本で読んだするものだが、凡人としては、やはり身を以って体験して初めて解ったことだ。
ところで、“暗譜で歌う”と言ったが、ウィキペディアでは、暗譜とは“楽譜を用いず演奏すること”と定義している。一般の辞書では、“楽譜を暗記すること”としている(デジタル大辞泉)。
類似表現に“暗唱”がある。“暗記したことを口に出して唱えること”とある(デジタル大辞泉)から、昔風に言えば“暗誦”だ。最近利用させて貰った「仰げば尊し 幻の原曲発見と『小学唱歌集』全軌跡」≪第11章 『小学唱歌集』の起源はプロイセンの教育用民謡か≫でお目に掛かった言葉だ。
筆者ヘルマン・ゴチェフスキーさんは、≪歌の実体は記憶である≫の項で、次のように述べる:
“楽譜を書く以前に作者の想像力によって作られる歌のイメージが存在し、そのイメージは想像された(または試しに実際に鳴り響かされた)音である。その音は作者の記憶の中である程度固定されて初めて楽譜として図式化される。そして楽譜から歌う歌手も自分の想像力を使って、その図式から音の想像を取り戻さなければならない。理想的な演奏は暗唱で行われるということも考えれば、芸術歌曲の存在にも記憶が大変重要な役割を果たしていると分かる。”(p.241 赤字は引用者)
体で覚えた“暗譜(で歌うこと)の重要性”は、≪歌の実体は記憶である≫という甚だ哲学的な(あるいは、少なくとも学術的な)所見に深く結び付いているのだ。