山男でもないのに数年前から富士山に関心を寄せている。日本一の山に登ったことがあるという意識の所為もあるが、大沢崩れ、噴火の歴史、風穴、観光開発などに興味が有る。近年は世界遺産認定とかの話題もあった。
そこへ、公益財団法人日本交通公社の機関誌≪観光文化≫の226号の≪特集 入山料を問う≫が目に入った: (http://www.jtb.or.jp/publication-symposium/tourism-culture)
自然地域への立ち入り時に利用者(観光客)が支払う入山料。既に取り組みが始まった富士山、制度導入をめぐって議論が活発化する屋久島などをケースに、制度導入の意義、根拠となる考え方、利用者の意識、徴収の方法、金額、法的な側面などの観点も踏まえ、現状の整理と課題の深掘りを試みます。
という訳で、先ず、≪特集1 国内における入山料徴収――富士山保全協力金を例に≫を読んだ。協力金徴収2箇年の実績を踏まえて総合的なお浚いとなっていて、概要の理解を容易にしてくれる。
内容は本文掲載サイトで読めるので引用などはせず、感想を記しておこう。
1 山梨、静岡両県の協力金関係者の談として、“徴収率の低さ”が気懸りだとしているが、徴収率の定義が見当たらない。具体的な数値も無かったように思う。我が視力の減退で当該 記述箇所を見落としている可能性は棚上げして言うのだが、問題意識の出発点は明瞭にしておくことが大切だ。
2 世の大勢としては、協力金徴収の方向にあるとの各種調査結果が示されている。多数意見に従うのは妥当であるが、協力金を徴収する必要性及び正当性についての議論が省略され、あるいはお座なりであるような印象を受ける。
収入を何に使うのか、その費用は今まではどのように賄われて来たのか、あるいは、突然に必要性が生じたものなのか。
3 徴収額(登山者一人当たり)は、資金の必要額を基に算定するべきであるが、前項にも絡み、年額どれくらいに上るのかの計算が為された形跡が無い。要するに、登山者が抵抗なく払える額を探った結果、千円となっているらしい。本末転倒である。これでは、関係者への利益還元に回る危険がある。資金を集めてから使い道を考えようとしているように見えるからだ。
4 そもそも、文化的財産として維持保全することが目的であるならば、公的に措置するのが本来だろう。そのような財政措置は従来も行われていたのではないか。それを協力金徴収で肩代わりする狙いもあるのかな。
ところで、登山道の整備、清掃、美化とか、安全施設の整備などの問題は、登山者の増加に伴って必要性が高まるものだから、別の見方をすれば、聖山俗化の問題であるとも言える。富士山の俗化を憂う声がいつごろからあるのか寡聞にして承知しないのだが、偶々“富士山頂大音楽会”の企てに絡んで“俗化論争”があったらしいことを雑誌≪音楽界≫で読んだ。なかなか面白いので、改めて取り上げようと思う。