犬童球渓(いんどうきゅうけい 1879年4月20日 - 1943年10月19日) 犬童球渓は、日本の詩人、作詞家、教育者。熊本県人吉市出身。東京音楽学校卒業。本名は「犬童信蔵」というが、球磨川の渓谷に生まれたことから「球渓」というペンネームをつけた。人吉で自殺。ウィキペディア
“ふけゆく あきのよ たびのそらの ~”(旅愁)と“いくとせ ふるさと きてみれば ~”(故郷の廃家)は、いつも対で思い出される。義務教育時代に教わった歌は恐らく終生忘れないのだろう。
歌の作者と言えば、作曲者を思い出すことが多いのだが、逆に上記2曲のように、作詞者しか覚えていない場合もある。
“犬童球渓”は読めなかった。球渓はともかく、犬童は全く見当もつかなかった。“いんどう”と知って驚いた筈だが、それがいつのことだったか覚えていないというのも妙だが。しかし、単純に“いぬどう”と見れば、“いんどう”と約まるのはごく自然な成り行きであると理解される。
さて、その犬童氏の名作詞の世に出たのが20世紀初頭、既に百年以上経っているのだが、当時、作詞者名を欧文表記した譜例を見て、またまた驚いたのは数日前のこと。
和文表記は犬童球渓だが、欧文ではWords by S. Kendow となっているではないか。それも一度ならずだから、思い込みによる単純ミスとは思われない。犬童を“けんどう”と“誤読”したとしても、欧文でKendowと表記するのは、不慣れな者の駄作ではないだろう。
しかも、ファーストネームのイニシャルが“S.”であることは要注意だ。かれの本名が“信蔵”だったことから“S.”としたことは明らかだ。他人がわざわざ“S.Kendow”と表記するとは考え難い。
すなわち、犬童氏ご本人がS. Kendowと署名していたのではないかと想像するのだが、、、。
こんなことは直筆資料に当たれば直ぐに判ることなのだが、あれこれ推理するのも一興である。