いつぞやボランティア・グループの練習新曲提案で「落葉の歌」のメロディーを紹介したら、メンバーの多くが“知ってる”と言った。だが、曲名は誰も思い出さなかった。勿論「落葉の歌」として聞くのは初めてだ。とにかく聞き覚えが有るのと、軽快な曲調が好感を呼んだらしく、新曲として取り上げることになった。
それから暫くして、楽譜を配付する段になって、皆さんがこのメロディーで昔聞いたり、歌ったりしたのは、「麗しい春よ」とか言う題名であることが明らかになった。
楽譜発掘から恐らく3年以上(墓場にガッショウ~昼行燈~シュルツェ「落葉の歌」2012/6/20(水))経っての新情報だった。これを手掛かりに原曲の姿がおぼろげながら見えてきた。
先ず、「麗しい春よ」と聞いたのは、“丹治汪作詞「うるわし春よ」”であると判った。これについては、信頼できるサイトに次のような記載がある:
“歌声ひびく野に山に
うるわし春よ 緑にはえて
歌声ひびく 野に山に
ラララ・・・・・・・・・・・・
『私の提案で、「われわれの下手な演奏を聴かせただけでは悪いから、最後に聴衆のみなさんに一緒に歌ってもらおう」ということになり、ドイツの民謡で三部カノンの形式でわれわれが飲むとよく歌った「Wie shoen ist es」のオーケストラ編曲を申し出た。これが満場一致で採択され、私は生まれて初めてオーケストラ曲を作る機会に恵まれ没頭した。
この試みは大成功に終わり、毎年演奏されることになった。(後にドイツ語では無理だとわかり、日本語がつけられた。この訳詩は本郷の喫茶店で丹治汪という千葉医大のビオラマンと私とで作った)
この成功が私を再び法律の勉強に立ち返るのにどんなに邪魔をしたか。』
(三木鶏郎著「三木鶏郎回想録(1) 青春と戦争と恋と〔1914~1945〕」1994 平凡社刊 P.210 より抜粋)”
( http://homepage2.nifty.com/chor/arch-sp.html から)
歌声ひびく 野に山に
ラララ・・・・・・・・・・・・
『私の提案で、「われわれの下手な演奏を聴かせただけでは悪いから、最後に聴衆のみなさんに一緒に歌ってもらおう」ということになり、ドイツの民謡で三部カノンの形式でわれわれが飲むとよく歌った「Wie shoen ist es」のオーケストラ編曲を申し出た。これが満場一致で採択され、私は生まれて初めてオーケストラ曲を作る機会に恵まれ没頭した。
この試みは大成功に終わり、毎年演奏されることになった。(後にドイツ語では無理だとわかり、日本語がつけられた。この訳詩は本郷の喫茶店で丹治汪という千葉医大のビオラマンと私とで作った)
この成功が私を再び法律の勉強に立ち返るのにどんなに邪魔をしたか。』
(三木鶏郎著「三木鶏郎回想録(1) 青春と戦争と恋と〔1914~1945〕」1994 平凡社刊 P.210 より抜粋)”
( http://homepage2.nifty.com/chor/arch-sp.html から)
日本語原題は「歌声ひびく野に山に」であったことが判る。更に、ドイツ語原曲は
"Wie schön ist es im Freien"であり、これを訳したものであった。訳詞者(作詞者)は、“丹治汪・三木鶏郎”の両者連名が正しいということになる。ただし、両者の間に“丹治汪”単独表記とする旨の了解が在ったのかも知れない。
次は、原曲 "Wie schön ist es im Freien" の素性だが、その解明はなかなか手強い。歌詞はJohann Gaudenz Freiherr. von Salis-Seewis (1762-1834) の作であることは明らかなようだ。
曲は、Schulze なる説が流布しているのだが、その出典が不明である。一方、C. F. G. Schwenke なる音楽家の名を引用するサイトもある。ハンブルクでバッハ一族の誰かの後継者であったと言う人物らしい。Schwenke
がSchulze と誤記された可能性を思わせる。そのメロディーをカノン(輪唱)に編曲したのが、ローレライなどで有名なFriedrich Silcher らしい。
略記だらけのドイツ語サイトからの推測なので、誤読が在るかも知れない。そこに示されている原典に当たればはっきりするのだが、今はそこまでは追い切れない。
日本では、山田源一郎編『女学唱歌』(共益商社)第一集(1900年8月19日)所収《第三十五 四季のあはれ(中村秋香作詞)輪唱》のメロディーとして使われたのが最初らしい。