岩波書店の月刊誌《科学》2014年10月号(Vol.84 No.10)に載っている“科学エッセイの楽しみ 汽車の汽笛は本当にポッポーか?――オノマトペと「世界を知覚する網」……下條信輔”で汽車を主題にした童謡群を思い出した。
正に“群”と呼ぶに相応しい数だ。歌謡曲まで含めたら厚冊の「汽車歌集」が出来るだろう。
偶々、アンサンブル《そのりて》で今度、汽車3曲を歌うことになっている。
作詞作曲本居長世 「汽車ポッポ」
お山の中ゆく 汽車ポッポ
ポッポ ポッポ 黒いけむを出し
シュシュシュシュ 白いゆげ吹いて ~
作詞富原薫作曲草川信 「汽車ぽっぽ」
汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ
シュッポッポ 僕らをのせて ~
作詞者不明作曲大和田愛羅「汽車」
今は山中 今は濱(はま)、今は鐵橋 ( てつけう )渡るぞと、
思ふ間 ( ま )も無く、 トンネルの 闇を通つて
廣野原 ( ひろのはら ) ~
小学校の教科書で教わったのは「汽車」で、他の二つは後年聞き覚えた。汽車と言えば“シュッ シュッ ポッ ポッ”と反射的にオノマトペが浮かぶ。特に汽笛に限れば、“ポー”となる。
頭記のエッセイでは、アメリカ人にとっては、汽車は“チューチュー”であることを話題にしている。寡聞にして初耳だ。
昨年歌った“I've been working on the railroad(線路の仕事、線路は続くよどこまでも)”の中では、オノマトペは“fee, fie, fiddly-i-o フィー ファーイ フィドゥリアイオーウ”だった。これは恐らく汽笛を表している。“ピー”や“ポー”に近い。
一方、著者が伝える“チューチュー”は、我等の“シュッ シュッ”に近い。これは汽笛ではなく、単に蒸気を排出する音だろう。
本居の詞“ポッポ ポッポ 黒いけむを出し シュシュシュシュ 白いゆげ吹いて”が的確に区別しているのではないか。
しかし、著者が後年(在米15年)、実際に汽車の汽笛を聞いたら、“チューチュー”と聞こえたのだそうだ。愚考するに、著者のいう「世界を知覚する網」の作用であると仄めかしている。つまり、人は、言葉を通して世界を知覚するということを。
英語の中で生きていれば、汽車の汽笛は“チューチュー”であるという知識が知覚を支配するのだろう。