いわゆる戦前の国民歌謡の一つに「興亜奉公の歌」というのがある。作詞野口米次郎/作曲信時潔、社團法人日本放送協會撰定で、1939年に放送されたという。歌詞は次の通り:
興亜奉公の歌
天に二つの 太陽(ひ)は照らず、
理想の道は 一つなり。
築け東亜の 新天地、
勇者の歴史 君を待つ。
急げ我が友 道遠し、
されど朝日の 一つ道。
暗き荊棘(いばら)を きり開き、
据ゑよ文化の 支柱石。
神の與へし 進軍譜、
我が奉公の 腕ふとし。
新しき世の 烽火とて、
身を焼く霊火 空を往く。
断の一字を 肩にかけ、
腰に声あり 破邪の剣。
ああ聞け若人 君を呼ぶ、
興亜の喇叭(らっぱ) 音たかし。
理想の道は 一つなり。
築け東亜の 新天地、
勇者の歴史 君を待つ。
急げ我が友 道遠し、
されど朝日の 一つ道。
暗き荊棘(いばら)を きり開き、
据ゑよ文化の 支柱石。
神の與へし 進軍譜、
我が奉公の 腕ふとし。
新しき世の 烽火とて、
身を焼く霊火 空を往く。
断の一字を 肩にかけ、
腰に声あり 破邪の剣。
ああ聞け若人 君を呼ぶ、
興亜の喇叭(らっぱ) 音たかし。
若者を戦争に駆り立てる勇ましい文言の羅列だ。今どきの総理大臣が聞けば喜びそうな、積極的平和貢献の精神だと言えなくもない。
作詞の野口米次郎については殆ど知らないが、ウィキペディアによれば、生没1875年12月8日 - 1947年7月13日で、若くして独力で渡米し、働きながら文学を学び、英文詩集を出すなどして一流人士の知遇を得たという苦学力行で成功した人のようだ。更にヨーロッパやアジア各国でも活躍し、当時は国際的に知られた日本の知識人の一人であったと思われる。
世界各地を肌で知り、並みならぬ知性を有した筈の彼が、日本の若者を大東亜戦争に駆り立てるような詩を書いたのは何故か。国際経験豊かな人が戦争に反対するとは限らないとは言え、やはり気になる。戦争に協力せざるを得ない時代風潮の所為だけでもなさそうな気がする。彼の誕生日が12月8日というのも目を惹くが、真珠湾攻撃は「興亜奉公の歌」作詞の後の出来事だ。
曲は、変ロ長調 2/4拍子で、力強く ♩=96 と指示されている。普通の人が容易に歌えるような、歌詞に相応しいメロディーである。前奏、後奏の無い全16小節とすると、計算上は20秒/節、4節全部でも1分半で歌い終わることになる。
ネット検索すると、同名の歌が、“梅木 三郎[作詞] 中山 晋平[作曲]”でヒットする。楠木繁夫の独唱、日本ビクター合唱団の合唱でレコードが残っているようだ。他にもあって、発売はいずれも1939年11月となっているから、競作だったのか。
野口/信時の「興亜奉公の歌」は伊藤武雄/日本コロムビア管弦楽団の演奏で1939年10月にレコードが出ているようだ。