少し前に読んだ出版社PR誌《春秋》5月号所収の齋藤桂「日露戦争期のサウンドスケープ―――内村鑑三からみる近代の歌」に内村の考えが記されていた。関係者には公知なのかも知れないが、当管理人の目には新鮮に見えたので、メモしておきたくなった。
“孰れの国にも国歌なるものがなくてはならない。然し我日本にはまだ是がない、「君が代」は国歌ではない、是は天子の徳を称へるための歌である、国歌とは其平民の心を歌ふためのものでなくてはならない(略)平民の心を慰め、其望を高うし、之に自尊自重の精神を供する歌が日本国民の今日最も要求する所のものであると思ふ。
平民歌なるものは大嶽と大河と亦蒼空を歌ったものでなくてはならない。
平民歌であるから労働歌でなくてはならない、歌は娯楽のためではなくて労働を援け促すものでなくてはならない。”(歌に就いて 1902年)
「君が代」が日本の国歌となったのは、正式には“国旗及び国歌に関する法律(平成11年8月13日法律第127号)”の制定によるが、その遥か前、明治時代から事実上、国歌として扱われ、認識されていた筈だから、内村は随分大胆な意見を述べたものだ。
“国歌とは其平民の心を歌ふためのものでなくてはならない”辺りから後は社会主義色が濃厚である。禁欲主義も露骨である。これらの点については、賛否の議論が当然あり得る。
しかし、“「君が代」は国歌ではない、是は天子の徳を称へるための歌である、”ことについては、大方の一致して認めるところではないか。法律により国歌であると定義されたにしても、歌詞内容という法律以前の事実の理解の段階では、今でも内村の意見は正当と認められる。
なお、斎藤桂氏は、このような単純な話をしているのではない。“日本において音楽が単なる情緒の問題であり、社会の問題となりえないのは、、、情緒や感情以外の可能性が去勢されたような状況をどう評価すべき、、、”など、高度の問題提起をしているので、念のため。