昨日の北国さくらの会の練習例会で、某メンバーが“「アカシヤの花」(松坂直美/橋本國彦 1948)は「サンチャゴの鐘」(横井弘/船村徹 1973)に(感じが)似ているね”と、呟いた。
全く共感しなかったうえ、「サンチャゴの鐘」は大した歌じゃないなどと言わずもがなの憎まれ口を叩いてしまった。他の誰も反応しなかった。
しかし、何か心に引っかかりが残り、時々反芻するうちに、両者に通じる印象が出来てきた。丸一日経って、二つの歌から受ける印象には共通するものがあると確信するに至った。某メンバーの音楽的な直観に些か畏敬の念を抱くとともに、己の鈍感さに失望した。
「サンチャゴの鐘」は2年前に合唱した(サンチャゴの鐘~サンティアゴ伝説・巡礼~天草四郎 2012/10/6(土))のだが、内心つまらない歌だと思っていたため、直ぐに意識から遠のいてしまい、突然持ち出された時に、その歌の感じがピンと来なかったのだ。
逆に某メンバーは、その歌を気に入っていたに違いない。その、お気に入りの歌を貶す発言をしたのは失策だった。ピンと来ない時には、拙速を慎み、少し追憶の間を取ってから発言するべきなのだ。
改めて二つの歌のメロディー譜を見比べた。どちらもイ短調でミから始まっている。最初の2~4小節の音列も、問題意識を持って眺めると、確かに似ている。
楽曲分析の能力は無いのでこの辺で止めておくが、「アカシヤの花」は後半がイ長調に転調し、印象もガラリと変わるので、“似ている”のは前半部分と思ってよいだろう。
音楽は芸術であり、知識の世界ではなく、感覚の世界であることを再認識させられた一件だった。