ピーター・コヴニー著 /ロジャー・ハイフィールド著 /野本陽代訳「時間の矢、生命の矢」(草思社 1995年04月03日)をチビチビ読んでいる(トイレで)。近所の図書館がリサイクルで放出したのを見つけ、持ち帰ったのは多分3年ほど前のことだ。今年中には読み終えたいと思っている。
英米の一流大学で学んだ物理学・化学の専門家二人による科学哲学書であり、訳書版元による簡単な紹介文は次の通りである:
≪ニュートンもアインシュタインも時間の向きは逆にできるという。だが、時間は不可逆のはずだ。この矛盾をどう解くか。時間の矢と科学理論の統合の道を探った力作≫
時間とは何か、古今東西数多の碩学が考察し、論じつつ、未だ明解な答えは得られていない(と当方は考える)。哲学的な思索では解答は不可能であるように思われる。希望は物理学に託するしかないだろう。
単純素朴な四次元時空の連想で、時間は立体空間の3次元にプラスされる四つ目の次元であると割り切ることはできても、具体的に時間の存在をイメージすることは出来ない。
時間を観測する(計測する)方法は確立されているように思われているが、それらの正当性は証明できていないのではないだろうか。経験的にそれでよいだろうと妥協しているのではないか。
時間は、立体空間の3次元のようには自由に移動できない次元である。そのわけは説明できていない。一部には、タイムマシーンの理論的可能性が主張されているとも言われているようだが、一般的な理解によれば、因果律に抵触するもので、到底あり得ないと思われる。
本書の物理化学的論述を十分に理解できてはいないが、時間の一方向性は熱力学の第二法則と同値であると述べているように思われた。
熱力学の第二法則
熱が高温の物体から低温の物体へ移動する過程は、他に何の変化も残さないならば不可逆である、あるいは、孤立系のエントロピーは、不可逆変化において常に増大するという法則(ウィキペディア)
エントロピーとは何か。これがまた難解な概念である。“熱力学において断熱条件下での不可逆性を表す指標として導入され、統計力学において系の微視的な「乱雑さ」を表す物理量という意味付けがなされた”と言われても殆ど助けにはならない。
原著はほぼ三十年前に出版されている。その後の物理学の進歩はあっても、時間の本質に関する理解は全く深まっていないようだ。
という訳で、あまり得るところの無い間歇的、長期にわたる、いまだ終点の見えない読みかけの本書であるが、付随的に興味深い記述もある。(続)