前に佐藤春夫の作詞による軍国歌謡「日本の母を頌ふ」(作曲弘田龍太郎)を取り上げた(2014/3/26(水))。この詩は歌曲用に作ったものとされており、1942年10月に発表された。レコードは翌43年1月に発売された。
春夫はこの他にも戦争協力の詩を(他の文学者同様に)書いたが、曲を付けられたものはあまり多くないのではないか。その少ない戦時歌謡に次のようなものがあった:
送別歌
一 黄金(こがね)も玉も何せむと おもへるものをしき島の
日本(やまと)の國にまたふたり ありとしもなきこの人を
大君がため國のため ささげまつらむ。
二 夫(せこ)よ愛子(まなご)よ兄弟(はらから)よ 死ねよといひて我が送る
深き心をおもひ見よ 戦の庭にますら男の
名を惜しめかしまたかへる 日は問はざらむ。
三 みくにのいくさすすまずは 世は乱れなむいまはまた
家をいふべき時ならじ ますら男心(をごころ)おもひやり
戦を知らぬ手弱女(たをやめ)ぞ こころ切なき。
作曲は宮城道雄である。ト短調(2♭)4/4拍子 ♩=76 で、声部は全13小節中最後の5小節(一番の歌詞で“大君がため~”)はト長調となっている。
曲は、聴けばそれなりの戦意昂揚効果のありそうな荘重にして悲壮感漂うが、歌詞は些か難解ではないかと思われる。このような文語調の歌を一度聴かされただけで意味を理解できただろうか、一般国民は。
「送別歌」は、日本放送出版協会のラジオテキスト《利鎌の光 ; 送別歌 相馬御風作詞 ; 中山晋平作曲 ; 佐藤春夫作詞 ; 宮城道雄作曲》で発表されている(1937.10)。つまり、国民歌謡の一つということだ。
「送別歌」と「日本の母を頌ふ」の歌詞を見較べると、良く似ていると感じる。前者は女性を妻、母、兄弟姉妹の側面から捉えているのに対し、後者は女性を母の側面に特化して詠んでいる。この種の、女性の志気昂揚を図る歌は十指に余るようだ。