時々気紛れに文化講演会の様な行事に足が向く。
目白台図書館 「知層発掘講座Ⅸ」 佐藤春夫・没後五十年記念講演会
『文京区関口台町の邸に住まいして』
日時 : 5月24日(土)午後2時~3時30分
内容 : 佐藤春夫その人、関口台町で過ごした37年の足跡
講師 : 辻本雄一氏(新宮市立佐藤春夫記念館館長)
文学には無縁の当管理人が出掛ける気になったのは、春夫が区歌の作詞をしていること、彼の没後50年に因んで区歌を歌ったこと、古い知人(生きていれば百何歳)から春夫との交流を聴かされていたことによる。
講師は丁寧な史料を用意してくれていて、これは今後活用できそうだ。興味深い事実を幾つか教えられた。春夫は生涯4人の妻を持ったらしいが、最も有名な、本命にして最後の夫人千代の前の3人目の夫人は秋田出身の芸者だったという。小田中タミというその女性とは約6年間の婚姻期間であった。その前から春夫は千代に思いを寄せていたというから、大した強者だ。
春夫の文学作品など一つも読んだことが無かった。かの有名な「秋刀魚の歌」を今日初めて“全文”読んだ。講師の朗読を聴きながら。秋の味覚を讃える歌だとばかり思っていたが、全く見当違いであることを知った。千代に寄せる想いを詠んだのだった。
その中に、“(女の児は)父ならぬ男にさんまの腸(わた)をくれむと言ふ
にあらずや。”
なるくだりがある。
講師によれば、ここの解釈は難しく、(女の児は)“腸(わた)をくれ”と言っているとも、“腸(わた)をあげる”と言っているとも取れるのだそうだ。
しかし、当管理人的には、“腸(わた)をあげる”と言っているという意味にしか取りようが無い。“腸(わた)をくれ”という解釈は如何にして可能なのか、質問したかったが、時間が無さそうなので我慢した。後で文献に当たってみよう。
余談だが、“秋刀魚”なる表記法は、この歌によって一気に普及したのだそうだ。夏目漱石は“三馬”と書いたそうだ。
(京都の)臨川書店版佐藤春夫全集の別巻第2巻に、春夫の作詞した校歌・社歌・市歌の類が収録されているとのことで、これも貴重な情報だ。ただし、全集出版後、更に二十近い作品が判明したそうで、お膝元とも言うべき和歌山市の市歌も事後に判明したと言う。
これも余談になるが、春夫の子息・方哉(まさや)氏が、2010年8月に駅の線路に突き落とされて死亡したとの話があった。資料ではどこかの大学の学長在任中だった。そう言えば、そんな事件があった。言われなければ二度と思い出さない記憶が蘇った。犯人は精神異常とかで、不起訴になったとのことだ。
春夫は、“方哉は日本一のせがれなり”と親ばかぶりを見せていたそうだ。