先週は慌ただしい一週間だった。生涯学習フェアの直前リハと本番、義母の告別式、施設訪問コンサートが続き、その間に憩室炎を発症して医者に駆け込んだりした。
憩室炎は初めてだったが、家人が何回か経験していて、ほぼどんな病気か承知していたから不安は無かった。深夜の発症で、医院の開店まで痛みをこらえるのは一苦労だった。薬剤を服用して1時間も経たないうちに痛みが消えて楽になったのはちょっとした驚きだった。
もっとも、憩室炎の自己申告及び診断が当たりかどうかは、血液検査の結果を見ないと解らないそうだが。
告別式は、当初は無宗教での家族葬ということで、極めて簡素なものを想定していたところ、実際には、規模は小さいものの、形式としては通常の仏式葬儀とほとんど変わらないものになった。汗を流さずに口先介入する親戚筋の声に押されたためだ。
当方の想定された役割は音楽葬としての仕切り役だったが、会葬者が親密な仲間で集まって内輪の思い出話に興じたため、殆ど出番は無かった。出棺の際に個人の好んだ「千の風」と「涙そうそう」の斉唱の音頭取りを務めただけであった。
用意した音源CDと式場のプレーヤの相性が悪かったのか、「千の風」は無伴奏となった。歌い出しのピッチを出まかせに取ったところ、やや高過ぎたようで、皆さんには迷惑を掛けたようだ。「涙そうそう」は余り馴染みが無かったので、皆さんによる成り行きに任せた。
万全とは行かなかったが、歌による見送りは評判が良かった。読経の僧の声も見事で、単に職業柄という以上の聴き応えがあった。その僧が、当方の歌いっぷりにも“プロの方ですか?”と賛辞を呈してくれたのは意外であり、社交辞令と判っていても、嬉しくもあった。
“いやいや、お坊さんの美声には遠く及びませんよ”との返礼を計算して水を向けたのかも知れない、とは勘ぐり過ぎか。
音源CDと歌詞カードには約十曲収録していたので、不謹慎ながら、音楽葬のつもりで臨んだ当方には、些か消化不良の憾みが残った。BGMに用意した故人ご贔屓のヴァイオリニストの演奏も特に皆さんの耳には響かなかったようだ。
月例コンサートで訪問していた老人ホームの担当者から、三月以降のコンサート再開のスケジュールについて問い合わせを受けたが、全く見通しが立たない。ピアニスト確保の問題など依然解決できていないのだから。燃え尽き症候群の観もある。なし崩しに足を洗うことになりそうだ。