ギャヴィン・フランシス「人体の冒険者たち 解剖図に描ききれないからだの話」(鎌田彷月/訳 みすず書房 2018.7)を大雑把に読んだ。
人体に関する医学随筆で、面白い話が盛り沢山だが、著者の個人的な想い出や日常譚の分量も多く、つい飛ばし読みになってしまった。それでも、感心したのは次の2点:
≪水に浮かぶ便は、脂肪が混じっていて軽いと思われる。膵臓の機能不全の可能性がある≫と指摘している。≪水に浮かぶ便≫は偶にあり、かねがね不思議に思っていたところだ。気泡が多くて軽いため水に浮かぶのかなとしか考えなかった。
膵臓からは脂肪消化酵素リパーゼが分泌されるということを中学校の理科で教わった。膵臓の働きが悪く、リパーゼの分泌が減れば脂肪分が未消化で排出される。脂肪は相対的に軽いから水に浮かびやすいという論理が頭に浮かぶ。身につまされるようなご教示で、我が膵臓は大丈夫だろうかと少し気になる。
≪創世記24章に、アブラハムが僕に、手をアブラハムの内股に入れて誓いを立てるように言う場面がある。当時の習慣であるが、宣誓する(testify)の語源である≫と説かれている。実に明解な語源論だ。つまり、内股→睾丸 = the testicles, the testes →testify という繋がりである。
本当に創世記24章にそのような場面があるのか検索してみた。聖書の本文(日本語訳)を掲載するサイトに次のように出ていた:
≪24:2 そのころ、アブラハムは、自分の全財産を管理している家の最年長のしもべに、こう言った。「あなたの手を私のももの下に入れてくれ。24:3 私はあなたに、天の神、地の神である主にかけて誓わせる。私がいっしょに住んでいるカナン人の娘の中から、私の息子の妻をめとってはならない。24:4 あなたは私の生まれ故郷に行き、私の息子イサクのために妻を迎えなさい。」≫(http://www.logos-ministries.org/old_b/gen24.html)