某所で、ミニ・合唱発表会に参加した。施設の玄関ホール平場で、音量の小さいキーボードの伴奏を頼りに3曲演奏した(約10分。観客せいぜい20名):
O sole mio 斉唱
この道 斉唱
大地讃頌 混声四部
総勢40名ほどで、初めの2曲を斉唱するのは奇異な観があるが、考えてみると、これまで「この道」を人前で歌った事は無かった。ソリストの気分で歌ったのは、記念すべき価値ある経験だった。
完全暗譜で臨んだのは小生の外に一人いたかいなかったかと言う程度だ。一番難しいのは、「この道」だった。歌詞は短いものの、1~4節の流れに物語性が無いので、記憶する手掛かりに乏しいからだ。
“アカシヤ、時計台、お母さま、さんざし”の順番を頭に刻みつけるのだが、“この道、あの丘、あの雲”が無秩序に出現するのも厄介だ。プロ歌手の皆さんは何か記憶のコツを身に付けていらっしゃるのだろうか。
「大地讃頌」は、後半、半音階が多用される辺りの音取りが難しい。区切り目での歌い出しで迷うことになり、人の声を聴いてから入ろうとする人がいるので、ところどころ合唱の勢いが弱まる傾向がある。その点、総勢40名ほどというのは心強い。大きく破綻せずに完唱できる。 森鷗外(1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日) ここに加えたい著名人がもう一人いる: 夏目漱石 1867年2月9日- 1916年12月9日 三人のデータの中で、漱石の忌日“19161209”だけが素数だ。 岡野貞一 1878年2月16日- 1941年12月29日 これら8個の生没年月日のうち、山田耕作の“18860609”が素数である。月日だけの4桁以下の数に限ってみると、朝比奈の誕生日“79”と共通忌日“1229”が素数だ。案外少ないものだ。ところで、今日7月9日は、あの伝説の指揮者、朝比奈隆の誕生日(1908年)だ。そして、文豪・森鷗外の命日(1922年)である。改めて両者の生没データを並べると次の通り:
朝比奈隆(1908年(明治41年)7月9日 - 2001年(平成13年)12月29日)
生没日付けの末尾がいずれも“9”であるのが神秘的だ。西暦で統一されないのは画龍点睛を欠くが。三木露風 1889年6月23日- 1964年12月29日山田耕筰 1886年6月 9日 - 1965年12月29日朝比奈隆 1908年7月 9日 - 2001年12月29日