Quantcast
Channel: 愛唱会きらくジャーナル
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1579

無限ホテルのパラドックス ~ ガリレオ ~ ボルツァーノ

$
0
0
アミール・D.アクゼル著/青木薫訳「無限」に魅入られた天才数学者たち』(早川書房 2015.8)によると、「無限」の数学的概念を本格的に考察したのは、キリスト教の聖職者など宗教家たちだった。無限の可能性を秘める神の存在を理論的に明確にするためだったらしい。
 
上掲書版元の売り文句≪数学につきもののように思える無限を実在の「モノ」として扱ったのは、実は19世紀のG・カントールが初めてだった。彼はそのために異端のレッテルを張られ、無限に関する超難問を考え詰めて精神を病んでしまう……常識が通用しない無限のミステリアスな性質と、それに果敢に挑んだ数学者群像を描く傑作科学解説≫
 
内容としては、数学書ではなく、無限とは何かを研究した数学者たちの歴史物語だから、気軽に読める。
 
ヒルベルトの無限ホテルのパラドックスがここにも登場する:
 

≪(客室が無限にある)無限ホテルが「満室である」としよう。この場合でも次のようにして新たな客を泊めることができる。客室数は無限とはいえ 1, 2, 3, と番号を付けられる。客が1人来たら、1号室にいた客を2号室へ、2号室の客を3号室へ、3号室の客を4号室へ、…、n号室の客をn + 1 号室へ、…と順番に移す。客室は無限にあるのだから誰もあぶれることはない。新たな客は1号室に泊めればよい≫(ウィキペディア)

 
この論法が正しいのか否かは、述べられていない。恐らくは、用語を厳密に定義した上でなければ、答も定まらないということなのだろう。
 

早い話、≪無限ホテルが「満室である」≫といいう前提からして胡散臭い。無限ホテルといえども、「満室である」なら、空き部屋は無いわけで、≪1号室にいた客を2号室へ、2号室の客を3号室へ、3号室の客を4号室へ、…、n号室の客をn + 1 号室へ、…と順番に移す≫としても、その操作を永遠に続けなければならず、誰かは部屋に入って居られない状態が続くのだから、≪誰もあぶれることはない≫とは言えない。

 
「無限」の不思議さの例え話として重宝されるパラドックスであるが、そんな無理をしなくても、ガリレオが「新科学対話」の中で述べたという≪二乗数は整数の全体と同じだけある≫ことを示すだけで十分ではないか。二乗数とは、整数の二乗のことだから、この命題の正しさは自明である。しかし、隣り合う二乗数の間には二乗数でない整数が存在するから、直感的には奇妙に思われる。すなわち、パラドックスだ。
 
ガリレオの死の140年後に生まれて(連続体の)「無限」の研究をしたボルツァーノはチェコのカトリック司祭であったが、進歩的な立場を取ったため、ガリレオ同様、法王庁から迫害を受けたという。
 
ボルツァーノは晩年をプラハで過ごし、折々にヴルタヴァ川(モルダウ川)とラーベ川(エルベ川)の合流点にあたるムニェルニークの街を訪れては、自ら発見した無限のパラドックス(実数のどんな閉区間も同じだけの実数を持つ?)について、弟子であり、友人でも会ったプリンスキーと語り合ったという。
 
モルダウとエルベ、ひと頃よく歌ったことを思い出す。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1579

Trending Articles