以前、「山田のカカシ」なる表現について自問した(山田のカカシ~ヘイトスピーチ~平田のカカシ 2017/5/26(金))。その起源が判らないまま、自答するには至らなかった。その時は、「山田」を「山のたんぼ」としか解していなかった。
今日読んだ「ぼおるぺん古事記2」(こうの史代 平凡社 2012.9)にヒントがあった。「山田の曾冨騰」という神が登場し、「曾冨騰(そほど)」とは「カカシ」であると説明されていた。その通りであるとするならば、「山田のカカシ」は、古事記の時代に既に固定概念となっていたことになる。
古事記には、「山田の曾冨騰」は歩けない神であるとも書かれているらしい。「(やまだの)そほど」がどのようにして「(やまだの)かかし」に変化したのだろうか。
こうの史代氏は、「曾冨騰」の説明で、≪山や田の霊力を宿した存在と考えられたのかも知れません≫としている。たしかに、「山田」は「山のたんぼ」ではなく、「山や田」の意味であると解した方が、「山田の曾冨騰」には相応しいようだ。