藤井一二「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」(中公新書2017.6)を読み始めた。図書館の新着書は順番待ちで、申し込んだことを忘れた頃に案内メールが届くのが普通だが、今回は何故か待たされなかった。今どき大伴家持に興味を持つ人など少ないのかな。
家持の家系や人脈など詳細に記述されていて、彼が万葉歌人あるいは万葉編纂者である以前に、奈良朝廷のエリート貴族であったことが読み取れる。
それほどの重要人物である割に、生年が曖昧であるとは意外だ。諸説により、霊亀2年(716年)から養老4年(720年)と5年もの幅があるらしい。著者は養老2年(718年)説を採る。
養老元年(717年)ならば、今年がちょうど生誕1300年ではないか。「痩せ人を嗤う歌二首」の紹介に際には話材として活用しよう。
没年の方は公的資料により、延暦4年(785年)と、はっきりしている。ただし、死去した場所が明らかでないという謎がある。任地・陸奥の多賀城か、都・平城京かの2ケースについて著者は述べている。陸奥は陸奥でも、秋田ではないかという説(大伴家持~秋田城木簡~終焉の地 2010/6/14(月) )には、言及が無い。
枝葉末節の謗りを受けそうだが、固有名詞の読み方(振り仮名)が面白い。例えば、遊行女婦土師(うかれめのはにし)。デジタル大辞泉によれば、≪ゆうこう‐じょふ〔イウカウヂヨフ〕【遊行女婦】 各地をめぐり歩き、歌舞音曲で宴席をにぎわした遊女。うかれめ≫だそうだ。遊行(ゆぎょう)だと思っていたのだがなあ。