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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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地域の文化祭 ~ 次善独善参加 ~ 傍迷惑発散

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昨日、今日と続けて地域の集会施設の文化祭(サークル発表会)にコーラスの一員として参加した。どちらのコーラス・サークルも当方の好みから少々外れるのだが、何も用事が無くてぶらぶら過ごすよりはマシだと思い、歌って来た。
 
昨日のサークルはカラオケ方式で、演目は「富士の山」、「みかんの花咲く丘」、「夏は来ぬ」の3曲。他愛の無い唱歌「富士の山」だが、前奏が風変わりで、歌い出しは検知できない。皆さん同じで、歌い出しが揃わないと困るからと、結局この前奏に慣れ親しんだ職員がこっそり合図を送ることで難曲(難局)を切り抜けた。
 
当方は悪い癖が出て、勝手にハモリを入れたところ、斜め前のおばさんが振り返り、不愉快丸出しに睨みつけて来た。身に覚えが有る立場だから、視線を外してやり過ごした。全体主義的国民性、いまだ健在と痛感する。
 
今日のサークルは異色で、演目は「朧月夜」と“An die Freude(ベートーヴェンの第九の「歓喜に寄す」のサワリ)であった。歌だけでなく、手足を使ったリズム遊びも取り入れるのが講師の趣味であり、その分、歌う時間が短い。子供のお遊戯じみた動作も面白くないし、撤退したい気分にもなるが、暇を持て余す苦痛よりはマシかと我慢しているようなありさまだ。
 
発表会ではなく、普通の歌う会でのこと、またまた異調並行唱をやってしまった。曲も、以前と同じ「シャボン玉」だった(異調並行唱童謡「シャボン玉」下方転調 2018/8/6()。ピアノはハ長調、当方はヘ長調というのも同じだった。
 
一般的にハ長調とヘ長調とに親和性があるのかどうか知らないが、強いて理屈を考えると、フラット(♭)1個だけのヘ長調は、ハ長調と音階の共通性が高いから、相互乗り入れが容易だと言えるのではないか。シャープ(♯)1個のト長調にも言えることだ。
 
加えて、低音が苦手の当方の特性もあり、自然とキーをヘ長調に上げて歌う方に流れるのではないかと想像される。ト長調では、最高音が2点トで些かきつくなるから、本能的に忌避するとも考えられる。
 
隣席のおばさんが、調子っぱずれの当方に呆れて逃げ出したのも尤もだ。
 
悪いことばかりでもない。以前、講師に「風に乗る」(曲岡本敏明)の楽譜を進呈していたところ、このほど準備が整い、独唱を披露してくれた。現役歌手として十分に通用するソプラノで朗々と歌い、喝采を博した。
 
次は、「早春賦」(曲船橋栄吉)を進呈してみよう。来年早春に聴かせて貰えるかな。譜読み違いでなければ、終曲カデンツァで High C 越えも期待される難曲なぞ、迷惑がられるか。

元当会指導者 ~ 三井 望 ~ ロビー・コンサート

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 以前、十年余にわたり当グループの歌唱指導とピアノ伴奏を引き受けて下さった三井望さんから、ご自身のロビーコンサートのご案内を頂いたので、行って来た。
 
相変らず郊外電車に不慣れなため、開演に遅れ、初めの1曲は聴き逃した。会場には椅子席五十ばかりが設けられ、満席で、二十人ほどの立ち見に紛れ込んだ。
 

ロビーコンサート:三井望(声楽)鈴木明日香(ピアノ

【出演】 三井 望(声楽)  鈴木明日香(ピアノ)      
 【予定曲目】
アヴェ・マリア(シューベルト)
アヴェ・マリア(グノー)
お母さんおぼえていますか(高田信一)
オペラ『蝶々夫人』より"ある晴れた日に(プッチーニ)
♪time to say goodbye(フランチェスコ・サルトーリ) 
 
【出演者のコメント】
定番の"アヴェ・マリアから、どこかで聴いたことのあるようなクラシック曲、そして、疲れた時にふと立ち止まって聴いてしまうような曲を集めてみました。
ひとときの非日常、癒やしの時間をお過ごしください
 
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詳細情報
開催日
201968()
開催時間
12:1512:45
会場
南大沢文化会館:ロビー ロビーコンサート特設会場
チケット料金
入場無料
 
アンコール曲は「幸福が遠すぎたら」という初めて聞く歌だった。
 
彼女には大ホールでソロを歌って頂いたこともあるが、三十分の独演会は彼女も初めてなのではないかと想像する。それだけに、多少ハラハラしたのも確かだが、杞憂だった。落ち着いた堂々たるステージぶりに感心した。
 
演後、何年ぶりかのご挨拶と祝詞を述べ、ピアノの鈴木明日香さんにもお礼を述べ、帰途に着いた。

素数日の恣意性 ~ 数字組み換え遊び ~ 「169」の特異性

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本日69日は、和暦4桁表記での素数日の一つとして先に紹介した(今月の素数日一覧素数親和日三つ子素数 2019/6/1()):

 
  16011607 1609 1613 16191621 1627 (三つ子素数)
 
この4桁表記は、十位の 0 を恣意的に付したり、付さなかったりしており、忸怩たるものがある。そのうえ、本日は「1609」と同様に「1609」も素数であることを見逃していた。
 
和暦3桁では、「169」となり、これは「13x13」と因数分解される。さらに、5桁「10609」では「103x103」である。数の成り立ちから当然の結果であるとは言え、面白い。
 
この数をひっくり返した「961」は「31x31」である。
 
各桁の数字を入れ替えてみると、916 = 2×2×229, 196 = 2×2×7×7 = 14 x 14 で、やはり二乗数を含む形となる。先頭に「6」を置くと、「619」「691」共に素数となる。

白薔薇の匂う夕べは ~ 楽しめよ(Freut euch des Lebens)~ 讃美歌The Rising Sun

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先月末、某施設での歌う会で紹介された「白薔薇の匂う夕べは」(高橋信夫詞、ネーゲリ 曲)なる歌は初聴きであった。親しみ易いメロディーなので、ネット検索したところ、次のような情報が得られた(国会図書館のレファレンス事例):

 
『白バラの匂う夕べは』(あるいは『白バラは雨にぬれて』)という曲について

資料1『賛美歌・聖歌ものがたり』(大塚野百合創元社 1995
pp.30-31
 「「楽しめよ」と多くの賛美歌曲」の項に,以下の記載があります。
「彼の歌で最も有名なものは,「年たつ今朝」の原曲「楽しめよ(Freut euch des Lebens)」です。(中略)現在では,高橋信夫作詞の「白ばらの匂う夕べは」という歌詞で歌われています。」

  1. 原曲の詩の意味について
    資料1 p.30 「「楽しめよ」と多くの賛美歌曲」の項に,以下の掲載があります。
    「「楽しめよ,若き生命(いのち),薔薇を摘め,咲く今!」これは友愛の歌で,人生の旅路にはいろいろ悩みもあるが,友と真実な交わりをもつとき,涙は乾き,闇夜は真昼になり,ともに天国へと旅することができる,友情は最高の絆であると歌っている(門馬直衛編『世界民謡全集』第五巻,音楽之友社)。」

  2. 資料1 pp.28-29 「ネーゲリの「年たつ今朝」の項
    「(前略)昭和三年(一九二八)発行の『日曜学校賛美歌』に採録されている同じ曲は,「なにをかささげん(What Shall We Render)」という歌詞がついています。」

    資料2 一橋大学機関リポジトリ HERMES-IR 櫻井雅人. 「唱歌集の中の外国曲:『小学校唱歌集』を中心として(2)」. 『言語文化』, 42, 2005, pp.3-13. 『第二編』収録曲の原曲 第36「年たつけさ」の項
    http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/15504/1/gengo0004200030.pdf
    (最終アクセス日2011/07/19
    「「年たつけさ」は『ナショナル・ミュージック・チャート』(17)"The Rising Sun"(歌詞2)が出典で,元は"Sunrise"という題であった(18)歌詞("See where the rising sun")は宗教的ではないが,賛美歌集(19)にもある。明治時代の英語歌集(20)"See Where the Rising Sun""Life Let Us Cherish"の両方が収録された。賛美敬"WhatShall We Render" (作詞E.Parson,1840)の曲(21)でもあり,日本では「なにをかささげん」 (『日曜学校讃美歌』 1928)となった(22)

 
些か錯綜した記述だが、要するに、原曲はドイツ民謡扱いの「楽しめよ(Freut euch des Lebens)」であり、それは門馬直衛編『世界民謡全集』ドイツ篇第五巻(音楽之友社)に収録されているが、英語圏では讃美歌に利用され、それが日本にも明治時代には導入されていたということらしい。 
 
高橋作詞の「白薔薇の匂う夕べは」がドイツ語曲からの翻案か、讃美歌系統かは、後者の資料未見なので不明だが、前者の歌詞に含まれる「バラ」や「友愛」がヒントになっているように思われる。
 

門馬の解説によれば、もともとはスイスの歌曲であって、作詞は Martin Usteri(1763-1815)、作曲は Hans GeorgNaegeri(1773-1836)、いずれもチューリッヒの人とのこと。

 
また、メロディーは、ロッシーニの“Semiramide”序曲や、ドヴォルザークの作品などにも使われているとも。
 
結構メイジャーな“ドイツ民謡”らしい。
 
Freut euch des Lebens
 

Solo     Manschafft so gern sich Sorg’und Mueh’,

           Sucht Dornen auf und findet sie,

            Und Laesst das Veilchen unbemerkt,

   Das uns am Wege Bluet.
 

Chor    Freut euch des Lebens,

          Weil noch das Laempchen gluet;

   Pfluecket die Rose,
   Eh’sie verbluet !
 
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素数遊び着眼点 ~ 数字列パタン ~ 擬周期

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素人の素数遊びでの目の付け所と言えば、数字の並び方が先ず思い浮かぶ。例えば:
 

(2)31, (4)3001, (8)30000001, (11)30000000001,(29)30000000000000000000000000001,

 

(2)31, (3)331,(4)3331, (5)33331, (6)333331, (7)3333331, (8)33333331,(18)333333333333333331, (40)3333333333333333333333333333333333333331, (50)33333333333333333333333333333333333333333333333331,

 

(7)3333313, (8)33333133, (9)333331333, (15)333333313333333,

 
(2)13, (16)1333333333333333,
 
このようなリストを眺めていると、各数の頭に付した( )内の桁数に関心が向かうのは必然である。そこに何か規則性がありはしないかと秘かに期待を寄せるのだが、勿論裏切られる。規則性の無いのが素数の規則だから。
 
とは言うものの、(2)31 から始まる 33…1 の素数の並び方にはつい興奮する。何と7桁連続で素数となっているのだから。この調子でいけば33…1は素数に決まっているのではないかと思いたくなる。

残念ながら、8桁を超えるとたちまち素数の出現は疎らになる。それでも、同じ様に何桁でも連続で素数となる決まったパタンの数字列に惹かれるのだ。
 
素数出現の周期性も着目点の一つだ。厳密な周期性は勿論あり得ないのだが、それに類する言わば「擬周期」は頻繁に目にすることで多少癒される。「擬周期」とは、当方の造語で、緩やかな周期という程度の意味だ。
 
例えば、3桁あるいはその倍数(3n)の桁間隔で素数が現れることなどを指す。そのような現象が普通に見られるということだ。その間隔が途中で乱れることも頻繁に見られる。

上表の
 

(7)3333331, (8)33333331, (18)333333333333333331,(40)3333333333333333333333333333333333333331,

 
における(赤字)は擬周期11 を示す。
 
次に掲げるのは、擬周期42系列(緑と)併存する例である:
 
(10)1419898889,(13)1410009898889,(17,25,26,29,42,58,61,105,)1410…09898889,
 
これがどこまで続くのか、甚だ興味あるところだが、計算能力の無いのが残念だ。

累桁素数出現 ~ 系列分岐 ~ 仮想出現桁

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特定の数字列を出発点(基数と呼ぶ)として累桁法を施して素数の出現状況を見ると、一見無秩序でありながら、ある種の緩やかな規則性が限られた範囲で支配しているらしく思われる。
 
擬周期について度々取り上げているのは、数字で明瞭に示すことが出来るからに他ならない。
 
ある基数の累桁検算で次のような素数出現桁の系列が得られた:
 

     ≪6  12  13 17  19  23  25

 
取り付く島もない印象だ。
 
これは基数 11771 から生ずる素数の桁数をならべたものである。具体的には
 

 (6)101771,(12)100000001771, (13,17,19,23,25)1000000000000000000001771,,,である。

 
何か周期性がある筈だと信じてこの数列を眺めれば、“6”が浮かび上がる。恣意的なようだが、色分けしてみよう:
 
     ≪6  12  13  17  19  23  25
 
青、緑、赤の3系列の“6”擬周期があると結論付けてしまうのも一法だが、それでは面白くない。
 
一桁おきの「17  19」と「23  25」とのそれぞれに抜けている数を挟んでみる:
 
     ≪6  12  13  17  18  19  23  24  25
 

挿入した2数“18”と“24”とが“6 12”の延長上にあることが直ぐに見て取れるので、色を合わせて再掲すれば≪6  12  13  17  18  19  23  24  25≫となる。

 
実際には 1828各桁には素数は出現しないのだが、出現してもおかしくない桁の前後2系列に分岐して出現したと解釈すると楽しいではないか。理屈は思い付かない。
 
累桁を更に続けたらどうなるのか、計算能力の及ぶところではない。

望中感あり ~ 満月誘震 ~ 6月閏

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真夜中、梅雨の晴れ間に満月を見た。俗にストローベリー・ムーンとか言うそうだが、とにかく奇麗に見えた。木星もその右上方に輝いていた。土星は見えなかった。弱視には無理だ。
 
その満月の前後に比較的大きな地震が起きていた。大き目の地震が満月・新月の頃に起きやすい傾向があることは人口に膾炙しているので、殊更驚きはしないし、満月・新月だからと言って必ず地震が起きるわけでもない。
 
念のため今回の満月の日時と目立った地震を並べてみよう:
 
《望(満月) 2019年617  1731
 

《震源・震度に関する情報 2019年 6月18日22時26分 気象庁発表
18日22時22分ころ、地震がありました。
震源地は、山形県沖(北緯38.6度、東経139.5度、酒田の南西50km付近)で、震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は6.8と推定されます。
津波警報等(大津波警報・津波警報あるいは津波注意報)を発表中です。
この地震について、緊急地震速報を発表しています。
この地震により観測された最大震度は6強です。

 
【北京共同】中国四川省宜賓市で17日夜に起きたマグニチュード(M6.0の地震で、中国メディアによると、地元政府は18日、死者が11人、負傷者が122人になったと明らかにした。
 
気象庁 遠地地震情報 2019618755分 ニュージーランド付近 M7.4 


朝日新聞が購読者に配布した7月のカレンダーで、71日の前日が(6月)31日となっていた:

 
 
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他愛のない単純ミスを喜ぶのも大人気ないが、珍記録として保存に値するのではないか。

素数日の遊び ~ 算用数字揃い素数 ~ 50987654321

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本日は和暦4桁の「1621」、アメリカ流略式5桁の「62119」が素数である(投稿操作忘れで1日遅れとなった)。
 
素数遊びも近頃マンネリが懸念されるので、目先を変えてみようと思う。
 
何の脈絡もないが、算用数字10(0,1,2,,,,9) を総て使った最小桁数の素数を見付けたい。
 
少なくとも10桁は必要であるが、10桁では数字の並び方に拘わらず3の倍数になるので11桁から探索しなければならない。
 
数字に並び方には拘らないにしても、試行錯誤の探索となれば、系統的に検算するのが常識だから、昇順「0123456789」のような整然たる数字列から始めることになる。やってみると、この並びは不毛であることが直ぐに判る。
 
そこで、降順の「0987654321」を基にして、先頭に1字付加した11桁の数を試したところ、「50987654321」がヒットした。数字の並びを変化させれば他にも沢山の素数が見付かるだろうと思われる。頸肩腕症候群が怖いので、遠慮しよう。

ソプラノ5人組 ~ Mazzetto Soprano Concert vol.4 ~ 有料かつ優良

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珍しく有料のコンサートを聴いて来た記念に感想を記録しておこう。
 
Mazzetto Soprano Concertvol.4
日暮里サニーホール・コンサートサロン 623日(日)19:00~ 全席自由 @2000
Sop: 金田香織 島内菜々子 杉本可菜 高山美帆 行田麗加、Pf: 菊田光紀

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演目はオペラ、オペレッタ、ミュージカル関連のポピュラーな歌曲で構成されていたので、気楽に楽しめた。出演者は二期会研修所つながりのソプラノ5名で、皆さん揃って美声であった(当然か)。
 
声質はそれぞれに持ち味があり、飽きさせなかった。超絶技巧や超高音(いわゆる High C 超え)を聴かせるメンバーもいて、失礼ながら知名度は高くないと思われる皆さんでも、実力は高いレベルにあることが解る。英語とドイツ語の歌も堂に入っていた。
 
これで1時間半楽しませて貰って、本当に得をした。次回はいつだろうか。年1回かな。
 
ところで、“Mazzetto Soprano Concert”とはどういう意味か、先ず“Mazzetto”を機械翻訳に掛けたら、イタリア語で“束(たば)”の意味らしかった。“ソプラノの束のコンサート”と解するのかな。“Concert”は英語だろうな。


「時間の矢、生命の矢」 ~ 時間の一方向性 ~ 熱力学の第二法則

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ピーター・コヴニー著 /ロジャー・ハイフィールド著 /野本陽代訳「時間の矢、生命の矢」(草思社 19950403)をチビチビ読んでいる(トイレで)。近所の図書館がリサイクルで放出したのを見つけ、持ち帰ったのは多分3年ほど前のことだ。今年中には読み終えたいと思っている。
 
英米の一流大学で学んだ物理学・化学の専門家二人による科学哲学書であり、訳書版元による簡単な紹介文は次の通りである:
 
≪ニュートンもアインシュタインも時間の向きは逆にできるという。だが、時間は不可逆のはずだ。この矛盾をどう解くか。時間の矢と科学理論の統合の道を探った力作≫
 
時間とは何か、古今東西数多の碩学が考察し、論じつつ、未だ明解な答えは得られていない(と当方は考える)。哲学的な思索では解答は不可能であるように思われる。希望は物理学に託するしかないだろう。
 
単純素朴な四次元時空の連想で、時間は立体空間の3次元にプラスされる四つ目の次元であると割り切ることはできても、具体的に時間の存在をイメージすることは出来ない。
 
時間を観測する(計測する)方法は確立されているように思われているが、それらの正当性は証明できていないのではないだろうか。経験的にそれでよいだろうと妥協しているのではないか。
 
時間は、立体空間の3次元のようには自由に移動できない次元である。そのわけは説明できていない。一部には、タイムマシーンの理論的可能性が主張されているとも言われているようだが、一般的な理解によれば、因果律に抵触するもので、到底あり得ないと思われる。
 
本書の物理化学的論述を十分に理解できてはいないが、時間の一方向性は熱力学の第二法則と同値であると述べているように思われた。
 
熱力学の第二法則 
が高温の物体から低温の物体へ移動する過程は、他に何の変化も残さないならば不可逆である、あるいは、孤立系のエントロピーは、不可逆変化において常に増大するという法則(ウィキペディア)
 
エントロピーとは何か。これがまた難解な概念である。“熱力学において断熱条件下での不可逆性を表す指標として導入され、統計力学において系の微視的な「乱雑さ」を表す物理量という意味付けがなされた”と言われても殆ど助けにはならない。
 
原著はほぼ三十年前に出版されている。その後の物理学の進歩はあっても、時間の本質に関する理解は全く深まっていないようだ。
 
という訳で、あまり得るところの無い間歇的、長期にわたる、いまだ終点の見えない読みかけの本書であるが、付随的に興味深い記述もある。(続)

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素数遊び新機軸 ~ 特定数字列の素数 ~ 昇順算用数字列の場合

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素数遊びも闇雲に素数判定に勤しむだけでは全く収穫が無い。明確な視点を定めて体系的にデータを取らなければ有益な結果が残らない。
 
そこで、遊びであるから面白味を判断基準とした新企画を始動させることとした。
 
先ずは、特定パタンの数字列における素数の出現状況という単純なテーマを設定した。例えば、算用数字の昇順列≪123456789≫や降順列≪987654321≫を基準とした自然数群に含まれる素数を探索しようというものである。
 
具体例として、上記昇順列≪123456789≫を取り上げる。この9桁の自然数のままでは3の倍数であるから、数字をひとつ付加して、3の倍数でない10桁の自然数を作る。
 
最初は順当に1を先頭に付加して≪1123456789≫を取る。次に1の位置を順次右側へ移して、≪1213456789≫、≪1231456789≫、、、を取り、それぞれの素数判定を行う。同じことを、付加数字2,4,5,7,8について行う。
 
この一連の操作で扱う10桁の自然数群の母数は約90である。母数と言うのは、付加数字を(作成自然数が3の倍数とならない)1,2,4,5,7,8の6個に限定せず、1~9の9個とした自然数の総数である。
 
この探索によって判明した素数は次の8個であった(太数字が付加数字):
 

1234156789,1234561789,1234567891, 1234567289,1423456789,1523456789,1234856789,1234568789,

これで何が判るか、興味の湧くところであるが、先ずは単純に素数の個数(換言すれば頻度)に注目しよう。これら10桁の自然数の数域における素数の割合は大体5%程度であることが素数定理から知られ、それによる素数の予想個数は4~5個である。
 
上記の実個数9は予想の2倍である(考え違いが無ければ)。これは無視できない乖離である。
 

ユー・アー・マイ・サンシャイン物語 ~ 突然身近に ~ ジミー・デイヴィス

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いつぞや訪問コンサートで“You are my sunshine”をアンコールにリクエストされ、突然のこととて、一同凍り付きかけたことがあった。耳に馴染んだ歌ではあるが、当方など一度も歌った経験が無かった。
 
ところが、訪問団の大多数を占める女性たちが囁き合ったあと、やりましょうと決まった。斉唱であるが、何と滑らかに歌い終えたのには驚き、かつ、感心した。日頃、外国語歌唱には拒絶反応を見せる彼女たちが自発的に英語で歌ったのが不思議だった。
 
この事実を基に考えれば、“You are my sunshine”は彼女たちには歌い着けた歌であることが明らかである。要するに、当方が歌っていなかっただけで、世間ではポピュラーな歌だということだろう。「井の中の蛙」ぶりを暴露したようなものだ。
 
別のグループで、その“You are my sunshine”を練習しようとの声が上がって、この歌が女性(年配の)に人気のあることを改めて思い知った。当方などには、こんな単純かつ単調な歌のどこが良いのだろうと不思議なのだ。せめて二部合唱ぐらいで歌いたいものだ。
 
しかし、現実には“数は力なり”で、周囲の趨勢を受けて少し予習することにした。
 
歌詞は直ぐに入手できるが、合唱譜は意外に希少なようだ。無伴奏の簡単な三部合唱譜があった。
 
歌の背景など知りたくてネット検索したところ、ズバリ「ユー・アー・マイ・サンシャイン物語」と題する本(三井徹/著筑摩書房1989.3)が図書館にあった。イメージ 1
 
















読み始めたところ、記述その他に偶然ながら当方の来し方を想起させることがらが散見され、大いに興味が湧いた。
 

おまけに、この歌の“持ち主”たるジミー・デイヴィス(Jimmie Davis James Houston Davis)の生没データが数字遊び心を喜ばせる: 

          September 11, 1899November5, 2000

 
生れが“9.11”の102年前、没がほぼ二十世紀末、享年が(満)百一。あと10か月長生きすれば102歳の誕生日に、あの大事件に生き合わせたわけだ。

7月の素数日~素数日認定基準改定~素数日階差

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毎月の素数日を認定する基準を厳しくしようと思う。ありふれるほど素数日が多くなっては有難みが無くなるから。西暦と皇紀は8桁に、和暦(令和)は5桁に限ることにする。
 
参考としての米略式(月/日/年(下2桁))は5桁(1~9月)又は6桁(10,11,12月)とする。
 
この新基準による7月の素数日は次の通り:
 
201907月素数日
 

西暦(8桁) 20190719  

   

皇紀(8桁) 26790713 26790719   

  

和暦(5桁) 10709 10711  10723  10729 

 
米略式(5) 70619 70919 71119 71419 71719 72019 72719 73019
 
米略式の8個は、同じ5桁の和暦の4個の倍という多さである。末尾2桁「19」に特異性でもあるのだろうか。そう言えば、西暦(8桁)20190719も、皇紀(8桁)26790719も、同じ末尾2桁「19」だ。これは偶然だろうが。
 
ちなみに、一昨2017年の7月は≪70117 70717 71317 71917 72617 72817≫の6個、明後2021年の7月は≪70121 70321 70621 70921 71821 72221 72421 73121≫の8個である。
 
考えてみれば、「日」が日付けの末尾に来れば偶数、基数が交互に現れるのだから、素数日が少ないのは当然だ。全く「下手(馬鹿)の考え休むに似たり」だな。
 

それより、米略式での(今月の)素数日の数列≪06 09 11 14 1720 27 30≫の階差が≪3 2 3 3 3 7 3≫と3 が圧倒的に多いことの方が意味有り気ではないか。末尾2桁でなく、5桁素数の第4・3桁の数であることに特に惹かれる。

 
和暦(5桁)での(今月の)素数日では、階差は≪2 12 6≫と、3 の倍数が目立つが、これは標本が小さ過ぎて無意味だろう。そもそも、素数分布の不規則性を忘れてはならない。
 
その点、米略式での2017年と2017年の同様階差数列が≪6 6 6 7 2≫、≪2 3 3 9 4 2 7≫であるのが興味深い。

素数日階差数列② ~ 無意味 ~ 複数桁モジュール

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一昨日の当欄で米略式日付けによる素数日の階差数列について、何か意味有り気な感想を記したが、その後、月を変えて幾つか調べてみたところ、階差数列に特段の傾向の無いことが判った。理論的な基礎の無い所で、少ない事例から法則に類するものを見ようとすることの危険性を改めて認識した。
 

そこで、単純に数字の面白さだけに立ち戻って、本日の和暦による素数10711 で遊んでみた。

 

この(5)10711 の末尾3桁「711」を一つのモジュールとして、累桁法を施したところ、次のように素数列が得られた。()内は当該素数の桁数。:

 

(5)10 711, (8)10 711 711, (17)10 711 711 711 711711, (29)10 711 711 711 711 711 711 711 711 711,

(32)10 711711 711 711 711 711 711 711 711 711,,,,

 
モジュール「711」の3桁をまとめて1桁と見做して改めて桁数の数列を記せば次の通り:
 

   ≪3   4   7   11   12  ,,,

 
次の型の数などが、これに似た素数出現パタンを示す:
 

80…9   2   3   4  7   13   ,,,

70…9   2   3   5  7   12   13  14   ,,,

70…1型 2  3   4   5    6    9   10   ,,,

10…7型 2  3   5   9  10   ,,,

120…7  3  5   7   9  12   ,,,

269   3   4   7   12  ,,,     

 
型的に「10 711 711」と最も似ているのは「269」であり、桁数列も心なし類似していると見做したくなるが、、、?

今夏初の訪問コンサート ~ お手軽プログラム ~ 苦手のコーヒー・ルンバ

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今夏最初の施設訪問コンサートに参加した。複合老人施設のデイケア部門が対象だったようで、明白な障害のある人はいなかった。出演者約二十名に対し、お客さんは三十余名と少な目であった。
 
今期の選曲には参加していなかったが、割とお手軽な歌が揃ったようだ。しかし、「コーヒー・ルンバ」にはてこずる。妙なリズムで、日本語には馴染まない譜割りなので、気乗りがしない。歌詞にも同感しない箇所がある。だが、一般には人気の高い歌だそうだ。
 
1.海       
2.浜辺の歌         
3.北上夜曲      
4.コーヒー・ルンバ
. フニクリフニクラ           
6.竹田の子守唄  
. 城ヶ島の雨(指揮者ソロ)     
8.高原列車は行く
9.手のひらを太陽に
 
問題の「コーヒー・ルンバ」は、原題“Moliendo café”というらしい。機械翻訳(スペイン語)では“挽いたコーヒー”あるいは“コーヒーの粉砕”と出た。日本語歌詞は無関係らしい。
 

Cuandola tardelanguidece

Renacenlas sombras

Y en la quietud los cafetales

Vuelvena sentir

Esta triste canción de amor
De la vieja molienda
En el letargo de la noche

Parecegemir

 

Cuandola tardelanguidece

Renacenlas sombras

Y en la quietud los cafetales

Vuelvena sentir

Esta triste canción de amor
De la vieja molienda
En el letargo de la noche

Parecegemir

 

Una penade amor

Unatristeza

Lleva elzambo Manuel

Y en suamargura

Pasa incansablela noche

Moliendocafé

 

Una penade amor

Unatristeza

Lleva elzambo Manuel

Y en suamargura

Pasa incansablela noche

Moliendocafé

 
この原詩を機械翻訳に掛けると、次の通り出力された:
 
≪午後がうろつくとき
影が生まれ変わる
そして静けさの中でコーヒー農園
再び感じる
この悲しいラブソング
古い粉砕から
夜の無気力の中で
うめき声が出る
 
午後がうろつくとき
影が生まれ変わる
そして静けさの中でコーヒー農園
再び感じる
この悲しいラブソング
古い粉砕から
夜の無気力の中で
うめき声が出る
 
愛の哀れみ
悲しみ
ザンボ・マヌエルを連れて行け
そしてその苦味の中で
飽くなき夜を過ごす
コーヒーの粉砕
 
愛の哀れみ
悲しみ
ザンボ・マヌエルを連れて行け
そしてその苦味の中で
飽くなき夜を過ごす
コーヒーの粉砕≫
 
意味不明ながら、あまり楽しそうな感じがしない。暗い気分を歌ったものではないか。それでも世界的にヒットしたというからには、人の心を掴む名曲なのかな。尤も、歌詞とは別に、メロディーが勝れているとも言える。

読書奇縁 ~ 7月17日 ~ 面白数字列

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公設の図書館に予約した本が滞貨状態になり、ある時期群れを成して届くという困ったことが時々ある。予約本の受け取りや返却には期限があるので、順番にじっくり読むという余裕も無く、寸暇を惜しんで雑多な本を読み耽ることになる。
 
成り行き上、当ブログの更新も間遠になるが、タイミングを逃したくない話題もある。そこで寸暇を割いて、今日7月17日に掛る歴史的事実を一つ記録しておきたい。
 
上田秀人・著「不治」(書き下ろし長篇時代小説KADOKAWA 2019.2)の末尾近くに“家光さまのお生まれは慶長9年7月17日、、、”とある。勿論旧暦であるから、西暦に換算すると、1604年8月12日となり、本日とは無関係である。
 
ただ名目だけでも、同じ7月17日に起きた歴史的事実の記述を読んだ奇縁に、神秘主義への傾斜の誘惑を禁じ得ない。
 
本日は米略式暦(5)71719 が素数である。末尾の「9」を累桁処理して因数分解すると、次の通り、ちょっと面白い数字列が現れる:
 
(8) 71719999=13x101x54623=101x710099
(12) 717199999999=7x19x101x53390903=101x7100990099
(16)7171999999999999=101x71009900990099
 
何桁であろうと、7171999… の数は101 の倍数であり、4桁ごとに 710099009900…99の型の因数を持つ。

素数日7月19日 ~ 3n擬周期 ~ 探索行続く

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本日は、西暦(8桁)20190719が素数であることは先日記載した。加えて、米式の7192019 も素数であることに気が付いた。
 
米略式の71919 は、面白い形だが、(3 の倍数であり)素数ではない。月が替わればどうなるか。
 
調べたら、素数となるのは、8月19日 81919、11月19日 111919、 の二通りであった。
 
そのようなことは余り面白くないが、関連で次のことを発見した。( )内は素数となる  599…の桁数:
 
(2,3,5,6,8,11,14,23,29,35,41,50,62) 5999…9,
 
調べた限りでは、3 6 を除き、いずれの桁数も2,5,8,11,14,23,29,35,41,50,62 と、3 又はその倍数3n の間隔で続いている。類似の事例は多数あるが、ここまで徹底している擬周期は珍しい。ついでにn の分布についても有意な所見が得られれば言うこと無しだが。

擬周期 3n(続)~ 米略式72019 ~ 3n三種とは

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昨日当欄で素数となる599の桁数: (2,3,5,6,8,11,14,23,29,35,41,50,62)と記したが、50桁は御認定で、素数ではなかった。
 

また、擬周期 3n に嵌らない3 6 の存在も気になるので、150桁付近までチェックした。その結果、3n に嵌る62桁の素数を確認した。その先は、当然真っ暗闇である。

 
本日の米略式日付け5 72019 は素数である。日付けを離れて 4桁の 7219 も素数である。そこで、72019…9 の数字列について素数判定を行ったところ、やはり擬周期 3n が見いだされた:
 
(5,,8,14,17,20,56,113,) 72019…9
 
更に、数字列 720…19 についても素数判定したところ次の通りであった:
 
(4,5,6,10,11,13,21,54,58,75,115,137)  720…19
 
同色は同一擬周期に属することを示す。結局3通りの 3n擬周期があると解釈できて、この素数分布には何も規則性が見られないことが明らかである。骨折り損の草臥れ儲けと言ったところか。

坂岡真「月」~葛葉(くずのは)・屎褌(くそばかま)~石浦章一『DNAが歴史を書き換える!』

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電車やバスで移動中の徒然の伴として、ひっかえとっかえ小説などを携行しており、今日は某施設から借り出した坂岡真 死ぬがよく候1」(徳間文庫2013.5)を三分の一ほど読んだ。
 
剣豪にして脱走役人の主人公が懇ろになり、誑かされる京都・島原遊郭の端女郎が“葛葉(くずのは)”という名で登場する。音韻的連想で“樟葉(くずは)”が浮かんだ。京都の地名であることを最近あるエッセーで読み知ったばかりだ。
 
石浦章一『DNAが歴史を書き換える! 「王家の遺伝子」をめぐって』(講談社PR誌「本」7月号)の余談として、京都への通勤圏内のおしゃれな地域である“祝園(ほうその)”と“樟葉(くずは)”の語源が説かれている。
 
「日本書紀」崇神天皇の巻の記述として、死体を捨てた場所を屍が溢れたが故に“羽振苑(はふりその)”と名付け、屎(くそ)が褌(はかま)から漏れ落ちた場所を“屎褌(くそばかま)”と言ったことを紹介する。
 
つまり、おしゃれな地名“祝園(ほうその)”と“樟葉(くずは)”は、“羽振苑(はふりその)”と“屎褌(くそばかま)”が訛って出来たのだとバラしているのだ。
 
大学で講義する石浦先生がこのような逸話を披露すると、学生たちが興味を持ってくれるのだそうだ。学生ならぬ八十路目前の後期高齢者も目が醒めて、お話に引き込まれたのである。
 

坂岡氏の小説には、平安時代の名高い陰陽師、安倍清明(晴明の誤記か)の母は狐で、その母狐は葛葉姫といったとある。この伝説が件の女郎の源氏名の由来とすれば、“屎褌(くそばかま)”は無関係であり、それを持ち出すのは名誉棄損の謗りを免れない。


2019.07.22 追記:”楠”を”樟葉”に改めた。

指示待ち体質 ~ 賦活提案 ~ 男声四重唱

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声出しの場として利用している合唱グループに男性が45人在籍しているので、男声四重唱をやろうと持ち掛けてみた。上手く行けばコンサートの出し物に採用する暗黙の了解も出来た。
 

曲は、いわゆるロシア民謡の「鈴は単調に鳴る」“Однозвучногремит колокольчик”である。

 
以前は「鐘の音は単調に鳴り響く」というような訳題で知られていた。歌詞の内容から、鳴るのは教会の鐘ではなく、馬車(あるいは橇)の鈴であるとのことなので、題と歌詞に修正を加えた楽譜を用意した。
 
短い歌だが、編曲の妙で、奥深い趣のハモリを醸し出せそうな気がする。鈴の音を“Ding”という擬音で表現することにした。原編曲では“Ding Dong”となっていたが、鈴の音に“Dong”は重々し過ぎると判断した。
 
指導者の指示を待つ癖の付いた人たち(特に女性)の集団だから、このような自発的取組に対しては白眼視する雰囲気があり、定例練習に便乗して音合わせなどするのに苦労するかもしれない。
 
いっそのこと、全員合唱の正規プログラムに組み込ませた方が利口かも知れない。男声四重唱の魅力は失せるが、混声合唱にもそれなりの良さはある。
 
特にこの曲の場合、擬音の“Ding Ding”の部分はハンドベルを当てる手もある。
 
ものになりそうな手応えを感じたところで、ロシア語ソロを仄めかすとどんな反応が出るだろうか。
 
更に後続の候補曲を予告したら、、、、?
 
あれこれ提案をぶつけて、緊張を醸すかもしれない。
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